“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

信を築く (ノーシャンプー編)

「私ね、ノーシャンプーにしたの!」と、経皮毒(皮膚から浸透し体内に蓄積され、人体に悪影響を与える化学物質等の総称)に詳しいオシャレな友人が、サッラサラでツヤッツヤの髪をかきあげながら私に言った。なんでも15分以上、頭皮をよくよくマッサージしながら、お湯で毛根の油を流しつづけて頭を洗うのだという。もちろんシャンプーもリンスもなし。

 

私の腕と手は、治療家という仕事柄、慢性的に使い過ぎだ。手の疲れをとることを何よりも心がけているのに、その夜の私は違った。お風呂に入ると、私の持てる技術を総動員して、頭皮を15分以上マッサージしながら、教えられたとおりに頭を洗いつづけた。そしてその後湯船につかる。ふうぅ。。いつにも増してグッタリしながらボンヤリ思う。何をしているのだ、この自分。はたして私にノーシャンプーを継続できる体力はあるのだろうか。ヘアマニュキアはどんどんはがれ落ちるに違いない。不経済ではないか!と、やらないですむ理由がふっと浮かぶ。

 

しかし。。たかがシャンプーだが、実は大問題なのだ。最近は、産まれてくる赤ちゃんがシャンプーやリンスの匂いがするほど、羊水まで化学物質にまみれているという説もあるのだから。そして実際、頭皮の痒みや身体の湿疹、皮膚炎に悩む患者さんがかなり多く、シャンプーやリンスを変えて症状がなくなったり、軽減するケースもある。重曹と塩をまぜた粉をシャンプーがわりに使うのがちょっと前までのオススメだったのに、とうとうノーシャンプーときたか!「押してもダメなら引いてみな」、世渡り上手の極意を示すフレーズがこだました。

 

私は、治療家になって以来、食品はもとより化粧品、歯磨き粉や入浴剤などの日用品から寝具に至るまで、評判のいい情報が入れば試さずにいられなくなってしまった。そして、たまに患者さんにも無理強い?をして試してもらったりして、どこに発表する訳でもないデータをコソッと集めたりしているのだ。自分でもアキレマス。。。(たぶん渋々こんな私につきあってくださっている患者さん達も多いかと思いますので、この場をかりてお詫びします。ゆるしてください。)

 

それにしても巷には、健康法や美容グッズや若返り法の情報が驚くほど氾濫している。これほど健康やら美容やら、自分自身にベクトルを向ける社会は、はたして幸せなのだろうかとも時々考えてしまうが、環境も環境だ。放射能も花粉もPM2.5も、そして黄砂とやらも、容赦はしない。

 

ガンなどの病気についての治療法も、病院の3大療法(オペ、抗がん剤、重量子線やトモセラピーなど多種の放射線)の他に、高濃度ビタミン点滴療法、ビタミン・ケトン療法、オゾン療法、ハスミワクチンやHITV療法などの免疫療法、ホルミシス療法、鍼灸治療、サイモントン療法に代表されるイメージ療法、温熱療法やビワの葉療法、フラワーエッセンス療法、ジェムエリクサー療法、ホメオパシー飲尿療法、呼吸法、瞑想、気功、HSP(ヒートショックプロテイン)入浴法、爪もみ療法などと実に多岐にわたる。

 

またガンに効果があったとされるサプリや食品としては、プロポリス、人参リンゴジュースなどの酵素、EM菌や万能酵母菌、アガリスクメシマコブなどの菌類、ミネラル、有機ゲルマニウム漢方薬ゲルソン療法でオススメの野菜や玄米。なかでも玄米は長岡式の酵素玄米(最近は、断糖の食事が大事だとささやかれだして、米は食べない方がいいとの説も強力!)。そしてこれに水素水が加わった。

 

しかもだ。プロポリスがいいといっても、普通のじゃだめなの。あそこで売っているアレ!ポーレンという花粉がいいらしいけど、その中でもコレよコレ!サルノコシカケもね、◯◯年に◯◯省でとれたサルノコシカケ!そしてそれはどれもこれもお値段もトビキリ!といった具合に、一筋縄ではいかない。

 

この上さらに、デトックス不食ブームも後押ししてか、断食療法も勧められる。まずは宿便も出して、身体をきれいにしなくては。

 

病院からは3大療法を勧められ、その一方で「ガンは何も治療するな」と言われだし、とうとう「放置療法」と呼ばれるメソッドにまでなってきた。病院の治療か、自然療法かどっちを選ぶの?または、両者のいいとこ取りで?と迫られるのだ。

 

このほとんど沈没が確実と思われる情報の海の中で、さて私は、そしてあなたは、どうするだろう?

 

治療法に関しては、これはよくて、あれはダメという、◯かXかといった一般論には無理があると思っている。それほどに個々人は違う。生来、楽観的か悲観的かといった性格に加え、体力、薬物に対する受容・許容能力、サプリメントや栄養素などの消化能力、そしてメンタルの強さや既成の概念に対する自立度や依存度がまるで違うのだ。また、そもそも◯が良くてXが本当に悪いのかといった根源的な問いもある(つまり、Xだって結果がよければいいじゃないの。タレシリタモウ、その是非を)。

 

抗がん剤については、そこから負のループに入ったと思われるずいぶんと辛い思い出が私にもいくつもある。しかし抗がん剤を使ってオペができるようになり、緩解していった事例もあるのだ。抗がん剤を肯定はできかねるが、全否定もできない。

 

また抗がん剤に限らず、薬について考えてみる。

ひとつの病気にはいろいろな次元が同時に存在するように思う。

肉体が表現している「症状」の裏には、魂が表現したい何かがある。

たとえそれが、ほんの小さな症状であったとしても。

薬は、「魂が表現したい何か」を一旦棚上げする力を持つ。そしてそれが必要な時も場合もあるのだと思う。また病状によっては、薬がないと生命の維持が難しい場合もある。薬についても、とても一般論では語れない。

ただ、もしできるなら、身体の可逆性がなくならないうちに、習慣となっている薬の使用は避けてほしい。薬に変わる方法や改善策に切り替えていけないだろうかといつも考える。

 

また患者さんの病が良くなっていると私が確信しても、なかなか検査データに上ってこないことが何度もある。そしてその度に私は患者さんに、「良くなっています!数値は後からついてくるはず!」とドキドキしながら、詐欺師のようにいい続けなければならない。つまりデータに出るまでにタイムラグがあることが多い。そしてデータがグンと良くなったトタンに、ストレスが消えて更にどんどん良くなるのだ。データの持つ力もすごいと思うと同時に、それ以上にストレスが治癒を阻む力もすごい

また薬にもこういった心理面を支える効果がある。薬を飲んでいるという安心感(多くの患者さんを通して、やっとこの事実に気がつきました・・)。多くの人達の客観的データや薬に対する信頼は、(断薬をのぞむ人が増える一方で)依然かなり大きいと言わざるをえない。そして事実、私も検査結果が良くなるとホッと胸をなでおろす。全面的な現代医療や薬の信奉者ではない私が、この矛盾とどうつきあって折り合いをつけていくかが自分の課題なのだ。簡単には答えが出ない。

 

 

ならばせめて、病気になって治療法を選ぶ時に、役立つことは何かと考える。

 

それは、病気と診断が下る前から、つまり日頃から自分にあったやり方を模索し、自分の身体の感覚を開き、その上に「信」を築くこと。

 

「信」を築くという術(すべ)を磨くのだ。

たおやかでありながら、一条の光が天までつながるような「信」を築くために。

 

私の今までの経験で、奇跡的(本当に奇跡なの?)な生還をとげた患者さん達に共通していたのは、「これで変わった」「どうもこれが特にいい」と何かはっきりした分岐点があった。それは種類は違えど、その治療法への信頼を獲得し、治っていく希望を見つけた瞬間だ。そしてそれは、心と身体がつながった瞬間だと感じた。

 

また、それは体感でなくてもいいのかもしれない。窮地に陥ったときに救われた誰かの言葉かもしれない。「その時に、ぱぁーと腑に落ちて、それから自分は救われた」と振り返る方もいた。そして確かにそこから流れが変わった。

 

さらにビワの葉療法で愛犬の腫瘍が消えたという体験から、ご自身の腫瘍も治した方もいた。この場合は、体験が確信になったのだ。

  

反対に治療による負のループに入っているのに、そこから出られない場合がある。そしてやみくもにサプリやら治療法の数が増える。どんな感じですか?と聞いても、わからないと言う。いろいろやっているから、何がいいかわからないとも。半信半疑な治療法をとりあえずやってみる。そして確信のないまま続ける。確信がないから不安になって身体の回復を信じて「待つ」ことができない。さらに評判になっているサプリが増える。そして、これがなんとなく予後が悪い。オーバードーゼ(刺激過多)の療法は、弱った身体をこじらせるのだ(このような場合は、自然の中で過ごしてリセットされたケースもあり)。

 

形だけの、こなすだけの自然療法には、エネルギーが強くは反応しない。

 

イノチの根源とつながるチャネルは、自分自身の心と共振するものの先にあるように思えてならない。 

頭の理解ではなく、身体の感覚を開き、磨く。

そして、さらに心を開くのだ。

 

これは、どんな治療家にも、いかなる治療にも、薬でもできない。

そう、本人にしかできない。

 

私は、今までもそしてこれからも、私自身の「信」を築く練習をしていくのだろう。

どんな感じがするのか、どんな変化があるのか、その些細な変化を追うために、きっと明日もグッタリしながらノーシャンプーを試すに違いない。

 

ありがたいことに、「信」を築く術を磨く材料は、そこかしこにあふれている。

 

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       (キューバ、トリニダーの街角にて撮影)

    (この記事は現在係わりある患者さん達の承諾を得て掲載)

 

ハリ様への道 案内人編

25歳の春を迎えた私は、気づいていた。中学時代からの親友Mさんの変化を。

彼女はハングリー精神が旺盛で個性的な人だった。それゆえ現状への不満も多かったが、オープンで正直でもあったので、なんだか面白かった。その彼女が、半年前から人格が変わったように優しくなった。文句はすっかりなりをひそめて・・。

「私ね、ハリをしてもらっているよ。今まで自分は性格が悪いと思ってきたけど、そうじゃなかった。身体が悪かったの。だってね、身体が楽になったら性格もすごく良くなった。私、本当は性格も良かったのだわ」と、彼女はその変化の秘密を明かした。そしてつけ加えた。「サカウシもね、ハリに行きな。ハリにいったら性格も良くなるし、人生が明るくなるよ」

 

こうして私は、彼女の紹介により、カリスマ性あふれる魅力的なハリ師のT先生と出会うことになる。T先生の流派は、江戸幕府御用達の石坂流。まだ西洋医学が日本に入っていない時代の幕府ご推奨の流派。五寸釘とまではいかないものの、かなり太く長いハリ(美容鍼として顔に施術するハリは0番や1番という単位で、指ではじくと簡単にしなる程度の細さ。石坂流は30番、32番位の銀製のハリで、クリップや針金の太さは充分にある)を使用する。

 

はじめてハリを受ける私には、何の知識もなかった。ただ一点、性格が良くなって人生が明るくなるのだったら・・。そして無性に怖かったのを覚えている。その恐怖に震える私にT先生は言ってくれた。「大丈夫。生きて帰れます!」とキッパリ。この言葉に安堵したのか、さらに震えたのかは忘れてしまったが、とにかく私はT先生が気にいった。

 

うつぶせで寝て、背中にハリをしてもらう。「ハリの事を考えずに、今晩何食べる?とか考えてね」と言われる。バリウムを飲む時に「ゲップはしないでください」と言われると、それまで全く意識していなかったゲップをなんだかしたくなったり、写真をとるときに「マバタキはしないでください」と言われると、息までとめてこらえているのに肝心のシャッターが押される瞬間にマバタキをしてしまうのに似て、「これはしないで」と言われると、ついついしてはならないことを選んでしまう。こんなヒネクレタ私の性格を、このハリで変えるのだ!そう思いつつ、私は頑張った。

 

初回は緊張で、あまり記憶がない。安心して施術が受けられるようになった頃から、徐々にハリの面白さにひきこまれていった。

うつぶせになって背中にハリが数本入って、しばしそのままでいると、左に比べて落ちこんでいたと感じる右側の背中が、だんだんと盛りかえしてくる。呼吸する毎に身体が勝手に調整して左右差をなくしてしまう。そして背中全体がボワンと大きくなってくるのだ。

腰にハリが置かれると、力のない方の足に何かが流れて、通っていく感覚がある。まるでクリスマスツリーの電飾に使う、コードのついた沢山の小さな電球達に電気が流れだして、そのひとつひとつが順番に灯るように。

 

今日の身体はまぁまぁいいだろうと思って施術に臨むと、思ってもいない所がおかしいことに、はじめて気づく。今日はダメダメだと思って行くと、意外にバランスがとれていたりする。

 

トコトン裏切られる頭の理解。

ままならぬ私の身体と抗うことのできない体感。

私が私と定義しているものの解体。

すべてが初めての体験であり、小気味よかった。

 

なんだかわからないけど、どうでもいいけど、ボヨ〜ンと気持ちいい。

このままダンゴになってしまいたい。

もしくは、どうぞこのまま無境界に拡がっていたい。

 

そして面白いことが次々と起こった。

心地よさに身をまかせていると、額の裏に色が見える。

発色する濃いコバルトブルーだったり、光輝くエメラルドグリーンだったり。

白色の玉が見える時は、次から次から現れてきて、無限の世界を垣間みる。

ある時は、背中のハリを中心に自分がクルクル回る。自分の現実の肉体とは別の身体が明らかにあって、回りはじめる。このような時に壮大な音楽(宇宙をイメージさせる曲など)がかかっていると、なお良い。ま、オペラでもクラシックでもラテンでもいい。自然の波の音でもさえずる鳥の鳴き声から森林を感じるような音でもいい。音楽と一体となって、たゆとう身体(肉体を含む高次エネルギー体として)を存分に味わうのだ。

またある時は、ハリが終わると、片方の足に湿疹でもない、内出血でもない、赤い小さな玉が線状になって点々とうかびあがる。草間彌生さんがデザインしたストッキングをはいたような・・。

(まだまだあるけど、もういい加減にします。ああ、私の患者さん達よ!この私の初めての告白に願わくばドン引きしないでと切に願います。)

 

私にとってハリに行くことは、ポパイがほうれん草を食べるようなもの。

施術前と後の自分が、自分の身体感覚が面白い程違う。

すっきり元気に力がみなぎる時もあれば、頑張っていた偽りの自分が強制終了させられ、ムダなヤル気を喪失してしまう時もある。それでもなお不思議な幸福感に包まれるのだ。コレデイイノダ。。

 

治療というと、病気を治すために辛抱するというイメージがあるけど、

身体って、気持ちいいことをしていくと治っていくものではないの?

ねえねえ、そもそもこの身体の中を通る不思議な感覚は何なの?

どうして、こっちにハリをしたのに、あっちに響くわけ?

これは、感覚の世界、つまりアートなのではないの?

そしてそしてね!ハリは、究極のエンターテイメントなのではないの?

 

実際、ハリの治療を受けることは、内的な冒険旅行に行く感覚だった。

こんなステキなものがあるなんて・・。

 

つまり、私はハリなしの人生はもう考えられないってこと?に、どうやらなってしまったのだ。そしてその頃から、ハリをハリと呼び捨てにするとは何事だと思い、自分の中では「ハリ様」と「様」をつけて呼ぶことにしたのだった。

 

 

さて、思い出していただけるだろうか。

このブログのサブタイトルは「さかうしけいこが語る東洋医学の世界」(前回の記事にいたっては、すっかり忘れていました!)。

ちょっとはハリの効用の機序について話さなくてはならない。

 

ハリが効くのは「気」を身体に巡らせることができるからだという。

そもそも東洋医学は、東洋哲学を土台に成り立っている。東洋哲学の概念をザックリいうと、①天人相応説②気の思想③陰陽五行説などがあげられる。それゆえ不可視の「気」は、その存在が科学的に証明されようがされなかろうが、東洋哲学においては根源的な唯一の構成要素とみなされているのである。

 

「・・人の生は気の聚(あつまり)なり。聚まれば則ち生と為り、散ずれば則ち死と為る。・・天下を通じて一気のみ・・」(『荘子』知北遊編)

 

そして気の通り道として、経絡(けいらく)と呼ばれるルートがある。これは身体の深部をめぐる経脈(けいみゃく)とスパイダーマンの網の目のように広がる絡脈(らくみゃく)が、互いに連結し絡みあって作る、全身をめぐるネットワークのことだ。

 

この経絡を電車が通る線路と考えてみるとわかりやすい。

簡単にいうならば、身体の縦方向に12本の線路がある。加えて身体の中心に2本(体幹の中心前面を流れる任脈〈にんみゃく〉と体幹の中心後面を流れる督脈〈とくみゃく〉)。この合計14本の線路が正経14経脈とよばれ、基本的な経絡とされている。

 

そして気の出入り口である穴(ツボ)は、その線路の上にある駅にたとえられる。駅で人が列車から降りたり、乗ったりするように、ツボにおいては気の出入りがおこなわれる。

 

ハリは、ツボを刺激して生命エネルギーである気の量を調節(足りない所は補って増やし、詰まっている所は流して出す)し、経絡の流れをスムーズにして、ネットワークの機能性をより高めるといえる(注:気は量よりも流れの方が大事。気の量が少なくても流れがよければよし。ココ、ポイントです!つまり全体のエネルギー量が多いとか少ないとか誰かと比べるのではなく、自分の中で滞りなく流れていることこそが、その人にとっての健康となり、最大限に自分を生かすことができるのです)。

 

経絡というネットワークに気という生命エネルギーを滞りなく循環させる。

これこそが鍼灸治療の目的となる。

 

想像してみて欲しい。

頭のてっぺんから足のつま先までの両手・両足を含む全身に、14本の縦にのびる線が走っていて、その上にポツポツとツボが365個以上くまなく点在していることを。そして生命エネルギーである気が、その線の上を汗がしたたり流れるような速度で、光を放ちながら走る様を。全身に点在するツボが発光したり消えたりと、濃淡をつけながら点滅を繰り返す様を。

 

流体としての身体。

それを感じられれば、

生きることは流れることと実感できるのかもしれない。

 

                      

〈後記〉

私にハリを紹介してくれた親友のMさんは、今年4月に他界しました。彼女の49日を過ぎても、新盆を過ぎても、どこかで気持ちが晴れずにいます。ただ旧友がいなくなるのは、こういうものだとアキラめはじめてきました。

彼女がいなかったら、私はハリに出会うことがなかったかもしれない。そしてカリスマ性のあるT先生を紹介してもらわなければ、ハリ師までめざしたかどうか、はなはだ疑問です。改めて、私にハリと出会わせてくれた旧友に心から感謝しつつ、私は自分の原点であるハリに精進していきたいと思っています。

  

最後に、私がハリとの出会いから5年の歳月を経た時、Mさんが私に言った言葉を紹介させていただき、彼女の面白さをお伝えしたいと思います。

「私ね、わかったの。すごくイライラして怒りっぽくなるのはホルモンのせいだったの。性格が悪いわけではなかったのだよ。ホルモンってやつは、まったく!」

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親友Mさんとよく歩いた故郷の林にて撮影

 

何度でもネルソン・マンデラ

伝説の大統領ネルソン・マンデラ。その彼が収監されていたロベン島の刑務所を私が訪ねたのは、もう10年以上も前だった。

 

南アフリカ共和国ケープタウンから定期船にのってたどり着くその島は、ハンセン氏病の隔離所や政治犯の刑務所があった監獄島だ。今ではロベン島全体を政府が博物館として管轄し、負の遺産として世界遺産の認定も受けている。

 

マンデラは、アパルトヘイト(白人優先、黒人差別の人種隔離政策)に反対した運動のリーダーとして、国家反逆罪で終身刑を言い渡され、ロベン島の刑務所に収監された。その後国内のマンデラ解放を要求する継続的な運動と国外からの人権擁護の圧力によって、27年余にもおよぶ投獄は、ついに終わりをつげる。そして全人種が参加した初の選挙により大統領に任命されたマンデラ。彼の大統領就任演説では、どよめきが起こったという。

 

虐げられ、迫害され続けた黒人たちが夢にまでみた初の同胞大統領。やっと自分たちの国ができると思っていた。しかしマンデラは次のように語った。

「黒人も白人も、すべての南アフリカ人が胸を張って歩くことができ、何も恐れることなく、人間の尊厳を決して奪われることのない社会、『虹の国』を創ろう」

6色に彩られた新国旗に象徴される「虹の国」を。

 

マンデラが収監されていた刑務所を私が訪れると、老人と青年の2人が案内してくれた。老人と青年が必ずコンビになってガイド役を努めるという。老人から語り継がれ、若者に引き継がれる史実。過去を風化させないために、同じ歴史認識をもつためのシステム。すばらしいと思った。そして、残虐で悲惨なアパルトヘイトという歴史、その歴史から人間が学ぶことを誇り高く語る青年に、私は心を打たれた。

投獄されたマンデラは、抑圧した側に対する激しい怒りや憎しみ、さらに肉体的苦痛を超えて、ついには抑圧する側の心情に思いをはせる。そして刑務所内で、白人の公用語アフリカーンス語」を学び、刑務官と対話し看守達からも尊敬を受けるまでになる。

想像をはるかに超えた対話力と人間力

 

大統領になったマンデラは、人権を侵害された人々の尊厳を回復し、積年の人種間の対立構造を打開するために、Truth and Reconciliation Commission(真実和解委員会)を設置し、非暴力を唱えるツツ大司教を委員長に任命する。この委員会は、虐待を加えた加害者が真実をすべて告白したなら、被害者およびその家族は加害者を赦すというルールに基づく。復讐や懲罰を目的とせず、徹底して真実を知り、和解をめざす。

私がこの委員会を訪れた時、説明してくれた方は、「真実を知ることで直面する苦しみ、怒り、痛みに再度さらされる。現実的には感情的に難しいケースがいろいろある」と話してくれた。そして彼はこうつけ加えた。「実際、和解は大変困難な道のりだ。しかし、前に進むためにはこれしか道がない。そのことを多くの人が理解しようと努力している。そしてこのルールを選択しているということを誇りを思う」と。

 

なぜこれほどまでに悲惨な現実の中で、ある意味理想主義の形を目指すことができたのだろう。

 

現地の人が語ってくれたところによると、アパルトヘイト下では、痛みを共有する団結したコミュニティが充分に発達していたという。20人がいて、パンが1個しかなかったら、20分の1に均等に分けて配るほどに。

確固たるコミュニティの基盤の上にたつオピニオンリーダーマンデラ

あのマンデラが言うのだから。

あのマンデラが「すべての人が共に生きる社会」を目指すのだから。

そう話し合い、コミュニティが支え合って、新たな道を選択したのだ。

 

理想を現実におとしこむことができたのは、

圧倒的な対話力のあるリーダーと成熟した人民がいたから。

 

私は、何度でもこの時の感動を思いだす。

 

そして先日、私の国の参院選が終わった。

「自分らしくあれる社会」をスローガンにした東京の候補者、三宅洋平氏は、

その演説の中で「非暴力コミュニケーション(Nonviolent Communication: NVCカール・ロジャース博士の弟子マーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって体系づけられた共感をもって行うコミュニケーションの手法のこと)」の重要性についても語っていた。

 

私は彼にマンデラの片鱗をみていたのだと思う。

マンデラの目指した、多様性を認める社会。

そして対話を通じての徹底した非暴力で、和解をめざす世界。

 

街頭の選挙演説(フェス)が、これほどまっすぐに心に響いたのは、実にはじめてのことだったからだ。

 

 

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南アフリカ共和国マンデラが収監されていたロベン島刑務所内にて撮影

(写真はマンデラとウォルターシスル)

 

Life(おはぎ編)

春分である。和菓子屋さんには、オハギが並ぶ。きなこ、ゴマ、あんこ。つぶあん、こしあん。。

 

私が子供の頃、お彼岸の入りになると必ず、祖母と母は朝4時頃からモチ米を炊き、前日から煮て裏ごしした小豆で、オハギを作った。私は小学校登校前に、できたてのオハギを親戚の家へ届けなければならない。そして親類が作ったオハギを持って帰ってくる。春分秋分の年2回だけ、オハギを入れる重箱が活躍するのだ。

我が家は、その後も親戚から集まってくるオハギでいっぱいになる。昼も夜も、次の日もその次の日もオハギ。ちょっとカビが出てきたら、カビをとって焼いて食べさせられた。

「ゴマ、きなこ、あんこ、どれが好き?」「ツブアンとコシアン、どっちがいい?」毎年決まって家族間で交わされる会話たち。

 

 

私は、こういう世界にあまりなじめなかった。

つまり、「生活」ということ自体が苦手だったのだと思う。

しかも幸か不幸か、とても行事好きの家庭で育った。ひな人形を飾り、ひなあられを食べる。(ヒナアラレ、あれって美味しいですか?今でも疑問です。)お彼岸にはオハギをつくり、春になるとヨモギをつんではお菓子をつくる。庭の梅ができたら、梅をカメにいれては出して、大きなザルに並べて天日に干す。そしてこれを何日も繰り返して、梅干しにする。土用の丑の日にはウナギをたべ、秋になると大きな大根が縁側に並び、手の感覚がなくなって痒くなるまで水洗いをさせられた。12月になれば、半年以上もラム酒につけたドライフルーツでパウンドケーキを30本は焼いた。そして年が明けると「おめでとう」と言う。

 

小学生の私は、こっそり思っていた。「人はパンのみで生きるにあらず」と。

現実的な会話にもどこか違和感があった。友人といても、「ねえ、もっと大事なことを、せっかくだから話そうよ!」と偉そうに思っていた。人生とは何なのか、どんな夢があるのか、どうせ死ぬのになぜ生きるのか、戦争はなぜなくならないのか、とか、とか。

 

 

Lifeという英語には「生活」という意味の他に「人生」という意味がある。

 

同じ空間を共有していても、ある人は生活について語り、またある人は人生について語る。会話は互いに交わされているようにみえて、重なる部分はあれど、実はそれぞれ違う世界がくりひろげられているように感じていた。

 

時を経て私は治療家になり、身体のことをいろいろ学ぶうちに、食の大切さを改めて知らされた。そして、宇宙のリズムにのって、食文化を含む年間の行事があったのだと実感し、考えや行動を改めていく道にいつしか入ったように思う。

 

 

Lifeには、「生活」と「人生」、そして更にもうひとつ「命」という意味もある。

 

 命の観点から育まれ、ひとつの形式や型となった行事や儀式の意味を、治療家となった私は、やっとはじめて知ることとなる。

頭の理解や感覚がなくとも、型を整えるだけで恩恵を得ることができる、または本質に近づくことができるという、エネルギーのテンプレートで創られた年間の行事と儀式。これこそ、先人たちの知恵だったのだ。

 

日々の生活を楽しんでこそ、大事にしてこそ、人生が豊かになるのだ。そうやって命が育まれる土壌が実る。

 

 

Life、生活と人生と命。

  

この3つの要素は、たがいに交叉し、あるいは包み込み、つながりあっている。この3要素は、個々人により、重きがおかれる割合が違っていて、このバランスはそれぞれの人の個性となる。そしてこの個性を内包した個人もまた、より大きな地球や宇宙のイノチの流れの中の小さな小さな一粒にすぎない。

 

私が思う東洋医学とは、この3要素を時に近視眼的に、また時に、要素間のつながりを多次元的に扱う方法論の中の一つの術(すべ)に他ならない。

   

Lifeの意味を、おはぎを食べながらしみじみと思う、そんな春の幕開けだ。

 

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アフリカ大陸から南米へ向かう大西洋上にて撮影

 

 

身体の記憶 その2

無意識に閉じられた記憶の扉は、なかなか開かない。なぜなら生き延びるために閉じられたのだから。生体防御システムは見事なまでに機能する。

 

私は、固く閉じられた記憶の扉が偶然開かれた場面に、何度か立ち会わせていただいた。このように記憶の扉が開くには、後から考えると共通点がいくつかある。

 

まずは、患者さんが完全にリラックスしていて半分寝ているような状態か、あるいは自己の内面に深く入り込んでいる状態であることが条件だと思う。また私の経験に限ってのことではあるが、患者さん自身の心理療法やトラウマなどに関する知識、そういった知識とは無関係に起こると思われる。むしろ特に知識がない場合の方がより鮮烈なケースとなった。そして治療家としての私も、作為的でなく、感情的にもニュートラルで、私の手の感覚に従って淡々と施術している時に、それは突然起こる。

 

過去の記憶は、主に筋肉などの結合組織(発生学的には中胚葉という身体の詰め物にあたる部分)に埋まっていると感じられる。そしてこの身体の部分は、患者さんにとっては、くすぐったかったり、変に痛かったり、触られたくなかったりと外界からの刺激に対する防衛システムが張り巡らされている箇所だ。患者さんと私との信頼関係が安定し、徐々に刺激に対する敏感さが和らいでいき、このような部位に施術できるようになった時から、何かがはじまり、そしてそれは突然にやってくる。(あっ、やってこない場合もあります!というより、それぞれがそれぞれの形で、それなりに。ご安心ください。)

 

この重い扉が開く時、衝撃的なケースでは嗚咽を伴うものがいくつかあった。興味深いのは、嗚咽であるにもかかわらず、感情が伴うものと伴わないものの2種類があるということだ。

感情が伴うものは、一気に過去の記憶とアクセスして痛みや悲しみ、苦しみに嗚咽する。その際、細かい事象についての記憶が蘇るか否かは、さほど重要ではなく、過去の感情の記憶、それ自体を追体験する。問題が根深いと感じるのは、感情を伴わないケースだ。嗚咽しながら、ある患者さんは私に訴えた。「何で泣いているのか、なんでこんなことになるのかわからない。悲しいわけではない」と。そして嗚咽した後すぐに、全くケロッとしてしまうのだ。開きかけた扉がまたすぐ閉じてしまったかのように。

 

私が最初にこのような場面に出会った時は、自分も受け止めるのが精一杯だった。何か重大なことが起こっている。たぶん過去の追いやられた記憶が戻ってきているのではないか。止めてはいけない。流れに身を任せるようにと自分にも患者さんにも言い聞かせていた。ある程度のウェーブが去り、彼女の混乱が落ち着くのに時間をとって、やっと長引いた施術は終わりをつげた。

 

1週間後に彼女はやってきた。そして、あの施術後に起こったことを語る。そんなことがあったことすら覚えていない過去の辛い記憶がどんどん蘇ってきて、その時の様々な感情も思いだして、嫌というほど号泣したという。また何故こうも忘れたフリをして暮らしてこれたのかと、今になると不思議でたまらないと語った。

 

そして私が見たのは、全身に覆われていた硬質のカバーが1枚とりのぞかれたような、みごとに、そしてすっかり柔らかくなった彼女の身体だった。触れられるのを拒絶していた一部分のみならず、全身まるごとだ。

 

その時私は、人間の奥深さを、身体の不思議さを、しみじみと感じた。

人は、こうも変わり得るのだ。

彼女と彼女の身体は、それからも時間をかけて、変化しつづけた。

 

癒えるということは、変わるということ。

しかもeffortlessに。

 

ブロックされていた記憶の扉が開く時、感情を感じてはじめて、凍りついた痛みが流れだす。痛みが流れだしてはじめて、感情は昇華される。そしてそのタイミングは、心理療法などで意識的に行うのでなければ、時の魔法がかかったとしか言いようがないほど絶妙だ。いや意図的な場合ですら、すでに時の魔法の支配下にあるのだろう。

 

私は思う。

たぶん誰しもがこういう記憶を身体に埋め込んでいるのだと。

私やあなたは、今の自分が思っている以上に計り知れないものなのだと。

 

それにしても不思議なのは、こういう場面に出くわすのは、決まって私の次の予約が入っていない時なのだ。まるでこの方一人のために時間も空間も充分に独占できると、知るはずもないことを患者さんの身体はすでに知っていたといわんばかりに。

 

 f:id:garaando:20160110003337j:plain     (ベネズエラにて撮影したノリ・メ・タンゲレ「我に触れるな」)


(この記事は、該当する患者さん達で、今現在関わりのある方達の承諾を得て掲載。便宜上、ひとつのケースに集約させる形で修正を加えている)

セルフケア その1

今年は、セルフケアで身体をつくりませんか?

 

今回は、皆様にとって健やかな1年となるように、実践的なセルフケアの方法をお伝えします。 これは、身体のケアもできて、同時に自分の身体を知る、身体の声を聞くといった習慣が自然に身につくやり方なので、一粒で2度美味しいこと、請け合いです!

 

それは「ハラモミ」。

 

最近、腸内フローラや発酵食品、乳酸菌で腸内環境を改善することに注目が集まっているので、関心がある方もいらっしゃるかと思います。もともと1960年代に提唱された千島学説(血液は腸で作られる等)により、腸の重要性は、脈々と語られてきました。西洋医学でも腸と免疫の関係やアレルギーとの関連など、今後もますます注目されていくことでしょう。

 

また腹部のマッサージ法というと、古来から中国式推拿(スイナ)、日本の按腹などいろいろなやり方があります。最近(といってもここ十数年)では、タイ生まれの中国人であるマンタクチャ老師が「気内臓qi・nei・zang(チネイザン)療法」という気功を取り入れた方法が、欧米、タイはもとより、日本でも広まってきています。またその他にもアメリカで発展したオステオパシーの流れをくみ、フランス人が創始した「内蔵のマニュピレーション」という手技療法も注目されています。

 

腹部は、みぞおちにある太陽神経叢が自律的に働くので、物理的刺激を直接加えることは、おなか全体に対して即効性があります。便秘などの症状に、下腹部を時計回りに押す(仰向けに寝て、おへその左側を始点として下腹部に円をえがく)と効き目があるのはこのためです。

 

私がオススメするのは、仰向けの状態で膝をたてて、自分のオナカを触って、押して、按じてみる。硬い所があったら、ゆっくりと気持ちいいという感覚を目安に、加圧していく。注意点は乱暴にキツくしないこと。腹部に拍動がある箇所は、強く押さないこと。ただこれだけ。目指すは、つきたてのお餅!(注:「アレ?私、つきたてのお餅だわ」と思ったあなた!もっと奥まで加圧してみてね。)

 

 

オナカにガスがたまっているのは、中医学では「気滞」といって、文字のごとく気が滞っているのです。そこは押すとかなり敏感に痛いはず。左手の平をオナカに当てて、右手の親指以外の4指をたてて、左手の甲をトントンとたたけば、ガスのある場所は音が違います。このようなガスがあると、空腹時でもオナカがギュルギュルとかグルグルとか鳴る症状(腹鳴 [ ふくめい ] という)もでます。

 

また「水バラ」といって、水振音がピチャピチャとなるのは、東洋医学でいうところの水分 ( 津液 [しんえき ]という)が溜まっているから。

 

こういったガスや水分の停滞はマッサージすることで流して軽減していけるのです。また何故停滞するのかというと、精神的な緊張、つまりストレス。オナカをマッサージすれば、緊張をとり除き、ストレスを軽減できるのも、オススメの理由のひとつです。

 

そして最も重きをおいてもらいたいのは、おへその周り。おへその周りでちょっと奥まで押してみると、硬くて痛い固まりがないでしょうか。これは瘀血(おけつ)と言って、行き場のなくなった血の混ざった液体が停留しているもの。これはキツく押すとかなり痛いので、じっくり加圧してみてください。特に妊娠したいと思っている方は、おへその両脇とその下3〜5センチ範囲で瘀血を調べ、徐々に柔らかくしていくといいですよ。

 

このようなセルフケアを患者さんに勧めると、「ちょっと痛いけど、いいのでしょうか?」とか「気持ちいいってよくわからないのですが・・。」などと聞かれます。

 

私がこのハラモミをおススメするのは、自分と自分の身体の親和性を高めるのに役立つと思ったからです。どうするといいとか悪いとかの頭の判断ではなく、感覚を磨く。どんな感じかなぁ〜って、自分の内側にはいって感じてみる。そして適当なところを自分で探る。もしわからない場合は、撫でたり、手をオナカに置くことからはじめてください。さらにオナカをホットパックで温めて、気持ちいい感じを味わうのもよし!

 

ちょっと痛くても自分の身体。ああ、あとで楽になったと思うかもしれないし、怖くて冒険できずにオナカを撫でただけだとしても、それもよし!自分のやり方で、自分のペースで、まずは自分のオナカと仲良くなってみてはいかがでしょうか。

 

身体は自分の魂を入れる鞄。


私の鞄には、どこにポケットがあって、どの位の深さで、ここが破れそうで・・と、よくよく知っているはず。自分の身体のことも、触れて、体感して、よくよく知ろうではありませんか。しかもこの鞄。単なる鞄ではなく、「アラジンの魔法のランプ」のランプのように、どこかに異次元チャネルが通じていて、時々不思議なことがおこるようですよ。せっかくだから、そのチャネルを一緒に探求しませんか。

 

オナカが柔らかくなったら、もしかして腰痛や便秘が治ったり、緊張がとれてゆったりした気分が増えたり、オナカを温かく感じられたり、はたまた腰骨の左右の高さの違いに気づいたり、いろいろな発見があるかもしれません。あっ、ないかもしれません。なかったとしても焦らずにね。

 

できたら毎日、起きぬけか寝入る前に。

まずは身体からのアプローチで、今年をステキな年に!

 

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ハワイ島マウナケア山頂にて撮影)

 

 

ヒョウ柄とラメ

時に人は、変化したいと望む。こんな自分は嫌だ。生まれ変わりたい。もしくはもっと先に行きたい、成長したいと。そして自ら意識して、頭に身体に心に、そして行動パターンに、変革を命ずる。なりたい自分により近づくために。または変わりゆくプロセスを味わいながら、未知の自分と出会うために。

 

その一方で、変化は自ずとやってくる。たとえ求めなくとも。あるいは変化を拒んでいるにもかかわらず。

なんとなく好みや行動パターンが変わってきて、ある時にはっきり気づく。

「以前は違った。変わってしまった」と。そしてそこには、しみじみと時を経た重みがあって、自分が思いもよらぬ感覚に目覚めたような、そんなちょっとした衝撃を感じてしまう。

 

たとえばヒョウ柄。

私はヒョウ柄が苦手だった。バックとか洋服とかでヒョウ柄を身にまとっている女性には気後れした。それはどこかセクシャルで、色気と結びついた禁断?の模様にみえた。何がいいのかわからない。いや、わかるようでも私には縁のない柄。まずもって似合いやしない。そう、ずっと思っていたのよ、ガオー!

ところがある日、私は裏地がヒョウ柄のバッグを買った。裏地だもの、裏地だけヒョウ柄だもの。。。と言い訳しながら。そして、そのバッグはいつしか私のお気に入りになった。そしてその後、ヒョウ柄風のブラウスも購入。一見するとヒョウ柄には見えない、そこがいい!と、その時も自分をなだめながら。そしてそのブラウスも特別な日使用の大事な1着となって、今もその不動の地位を譲らない。

 

そしてまた、たとえばラメ。

ラメの入った服なんて、どんなに年をとっても絶対に買わない!全くわからない。キラキラ光る糸は田舎臭くさえ思えた。どうしてみんな中年になるとラメ入りのセーターを着るのだろう?と、ずっと不思議に思っていた。それがどうだ!近年は、とみにラメ入りのセーターやブラウスが気になってしまう。はっきり気になると認識した時は、愕然とした。変わってしまった。。でも趣味や好みの変化は、理屈でおさえつけることができない。そして思った。やはり人は変わるのだ。それも否応なく。

 

こんな話を患者さんとしていたら、人間は無意識のうちに自分に必要なものを補おうとしているのではないかという結論にたどりついた。あたかもそれは、メニューを決めずにスーパーへ買い物に行くと、その時の自分の身体に必要な食品に手がのびるように。ビタミン不足の時は、果物や緑黄色野菜が気になるように。

 

つまり年をとって、セクシャリティやら野性やらが不足してくると、ヒョウ柄に代表されるアニマル柄を。あの飾りたてなくとも、キラキラと光る若さという名の輝き。それが不足してきたから、ラメ入りセーターやビジューとかでキラキラと。

 

食べ物だけではなかった。身にまとうものも足りないものを補うのだ。

 

無意識の身体感覚は、好みも変える。

 

あなたには、このように自分の趣味が変わってしまった経験がおありだろうか。

それとも、これから?!

 

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スリランカの動物園にて撮影

(なお、文中の患者さんとの会話は、ご当人の承諾を得て掲載)