人生を変えてしまう力を持つ出会い。
その出会いには、いくつかのタイプがあるように思う。
まずは、出会いのはじめからピンとくる場合。ピンッ!てね。
あるいは後になって、予期せぬその影響の大きさに驚きつつ、カウンターパンチのようにしみじみとじんわり胸が熱くなるケース。
更には時を経ての出会いなおし。などなど。。
20代半ばで初めてハリの先生である田中美津さんと出会った時、私はすっかり美津さんの魅力にヤラレタ感じがした。
しかしその出会いがその後の自分の人生を大きく変えてしまうとは、全く気づかずに優に2年以上の時が流れる。
田中美津さん・ハリとの出会いのきっかけはこちらから。
その頃の私は、毎日追われるように仕事をしていて、ヘトヘトに疲れきっていた。
精魂つき果ててわかった事は、ただ一つ。
毎日のルーティンをこなすことは、実は最小限のエネルギーで済むということ。たとえそれがどんなに大変であったとしても。
仕事を辞めるも転職するも何かを決断するも、変化を起こすには新たなるエネルギーが必要となる。
ましてや考えても答えが出ないであろう人生の意味や目的を求めるくらいなら、生活にどっぷり浸かって日々をやり過ごした方が楽なのだ。
やり過ごして生きている。
(DV被害にあっているバタードウーマンとか、ブラック企業であってもそこにい続ける選択しかできない人たちは、このようなエネルギー状態が極まっていて、体力も尽きて思考停止に陥り毎日が過ぎていくのだと思う。)
そんな中で、出会った美津さんとハリ。
ハリ治療へ行くという変化が、新たに私の生活に加わった。
美津さんの声は、スーッと人の深い部分に染みわたるような、そんな透明さとリズムを持っていて、しかも滑舌がいい。ユーモアのセンスも抜群で、拾いあげる言葉に力がある。
その美津さんがポツポツと語る東洋医学をめぐる言葉達は、あまりにも身近すぎて見過ごしてしまった現実の生活 (美津さんの言葉では「ぐるりの事」)に焦点を当てる。
そしてハリガネより太くて10センチ以上の長いハリを使う江戸幕府御用達の石坂流のハリは、私の世界観を塗り変えた。初めての身体感覚をいくつもいくつも伴いながら。。
美津さんのハリ治療を受けていると、
自分がイモムシのような一つの細胞になっていく感じがした。
「あなたね、分析して幸せになれた事ってある?」と、
背中にハリを打たれながら、あの心に染み渡る声で問われても、イモムシ状の私は返事ができない。
「分析かぁ。。」
寝てしまったかのように見えるかもしれないが、ドッコイ私は起きている!
「自分の行動やら人間関係のアレコレを分析してたけど、そういえば幸せには結びつかなかったな。。」と遠くでボンヤリ思う。
しかし身体がボヨーンと大きな軟体の塊になっていて、それこそ分析が難しい。
確かジプシーキングスの曲が聞こえていた。まだ売れていない頃の彼らの音楽は、その頃の私には新鮮だった。
ジプシーでボヘミア〜ンな異国の響きが、思考することで生じる束縛を解き放ち、身動きはままならぬが、身体内部をユラユラと自由にさせたよ、オレッOlé!
こんな感覚を味わいながら治療が終わる。
すると、私は身体ごと大きな自分になっている。
ボワーンとドラエモンかドラミちゃんのように、ボワボワに。
そして、もうなんだか現実がどうでもいいように思えた。
投げやりな感じというよりも、「そういう現実もあってもいいかな、なんでもアリで!」というようなちょっと余裕の感じで。
今ならわかる。エネルギーが、気が、満ちたのだ。
それも身体まるごと。
(注:人間の身体は物質的肉体の周りにエーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体などと呼ばれるエネルギーの層をまとっています。目に見えないこれらの層が充実してくると、大きくなったり、広がったりする体感があります。瞑想や太極拳、あるいはフリーダンスや踊りながら参加するライブやコンサートなどでも、このような体感を得られます。)
その頃の美津さんの治療所は、細い小路を入ってたどり着く隠れ家のようだった。
私は秘密基地へ行くみたいな高揚感を持って通っていた。
疲れたら、身体の様々なところへ打ち込まれた箍(タガ)を外してもらいにハリへいく。
そして箍(タガ)が外され、身体の各所は再び繋がりあい、イモムシのような自分になって、ボワボワと大きくなるのだ。
それだけで日常の様々なことの捉え方が変わった。
「ま、どうでもいいか」とか、
「なんだ、些細なことだったね」とか、
「よし、やってみるか」とか、
「何はともあれ、美味しいものを食べよう!」とか。。
自分に迷いが少なくなって、キッパリしてくる感じだ。
身体が楽になれば、自然に自分が変わる。
身体の面白さにのめり込みながら、
小さいことが積み重なっていくうちに、
子供時代に職業として知りもしなかった「鍼灸師」ってヤツを目指すことになったのだ。
もっとハリを知りたい。自分で自分にハリを打てたらいいな。
ちょっと、やってみるか。。と言ったノリの延長で。
このノリは、それまでの自分が選択してきた進路の決定方法とは全く違ったものだった。
それ以来、私の選択と決断はいつもこのノリになったように思う。
先日、美津さんのドキュメンタリー映画「この星は、私の星じゃない」が上映された。
映画の中で懐かしい美津さんの声を聞き、力ある言葉に頷いたり笑ったりしながら、昔のことを思い出していた。
久々に美津さんと再会し、私は鍼灸師をずっとやっていくと告げることができた。
美津さんは言った。
「身体って、面白いよね!」
そう、これに尽きるのだ。
美津さんとの出会いは、その初めから魅力的だった。
本質を求めるハリと
美津さんの持つ優しさ、ユーモア、傷つきやすさ、強さ、正直さ、そしてカリスマ性。とりわけ美津さんにはチャーミングという言葉がよく似合う。
今、しみじみ思う。なんと大きな出会いだったかと。
そして私は、
それまで自分であったはずの自らの身体と、出会い直しをすることができたのだ。
たぶん、この自らの身体との出会い直しの道のりは、生涯続いていくに違いない。
それもまた、なんとも嬉しい。
<田中美津さんの書籍>
「明日は生きてないかもしれない・・・という自由」インパクト出版会、2019年
「この星は、私の星じゃない」岩波書店、2019年
「かけがえのない、大したことのない私」インパクト出版会、2005年、
「新・自分で治す冷え性」マガジンハウス、2004年 他多数
(後記)
私はハリによって自分が大きくなるという体感を得ました。今にして思うのですが、これは心理療法で使われるエンパワーの手法に他なりません。
大きくなった自分は、クヨクヨ悩んでいた分析脳に支配されていた小さな自分を凌駕します。大は小をかねながら。。
インナーチャイルドワークも自我の成長が進まなければ、そこにアイデンティティを作ってエネルギーを注ぎ、物語をさらに強固なものに塗り変えて、いつまでもそこに居着くことになってしまうのです。
美津さんに「分析して幸せになる?」と聞かれた時に、私は頭で理解することの限界をうっすら感じ取り、相まって身体の感覚の面白さを味わうことができました。自分の身体を実感できるようになると安心感が増します。自己の一体感というか。。この安心感を礎に一歩が踏み出せるのだと自らの経験を振り返って思います。
「あなた、まずは身体よ!」と教えてくれた美津さんに感謝を込めて
生きづらかったら、苦しくなったなら、
とりあえずは身体、整えましょ。
そして身体感覚、開きましょ。
私も皆さんに伝えていきたいなと思っています。