“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけい子が語る東洋医学の世界 〜

ヒョウ柄とラメ

時に人は、変化したいと望む。こんな自分は嫌だ。生まれ変わりたい。もしくはもっと先に行きたい、成長したいと。そして自ら意識して、頭に身体に心に、そして行動パターンに、変革を命ずる。なりたい自分により近づくために。または変わりゆくプロセスを味わいながら、未知の自分と出会うために。

 

その一方で、変化は自ずとやってくる。たとえ求めなくとも。あるいは変化を拒んでいるにもかかわらず。

なんとなく好みや行動パターンが変わってきて、ある時にはっきり気づく。

「以前は違った。変わってしまった」と。そしてそこには、しみじみと時を経た重みがあって、自分が思いもよらぬ感覚に目覚めたような、そんなちょっとした衝撃を感じてしまう。

 

たとえばヒョウ柄。

私はヒョウ柄が苦手だった。バックとか洋服とかでヒョウ柄を身にまとっている女性には気後れした。それはどこかセクシャルで、色気と結びついた禁断?の模様にみえた。何がいいのかわからない。いや、わかるようでも私には縁のない柄。まずもって似合いやしない。そう、ずっと思っていたのよ、ガオー!

ところがある日、私は裏地がヒョウ柄のバッグを買った。裏地だもの、裏地だけヒョウ柄だもの。。。と言い訳しながら。そして、そのバッグはいつしか私のお気に入りになった。そしてその後、ヒョウ柄風のブラウスも購入。一見するとヒョウ柄には見えない、そこがいい!と、その時も自分をなだめながら。そしてそのブラウスも特別な日使用の大事な1着となって、今もその不動の地位を譲らない。

 

そしてまた、たとえばラメ。

ラメの入った服なんて、どんなに年をとっても絶対に買わない!全くわからない。キラキラ光る糸は田舎臭くさえ思えた。どうしてみんな中年になるとラメ入りのセーターを着るのだろう?と、ずっと不思議に思っていた。それがどうだ!近年は、とみにラメ入りのセーターやブラウスが気になってしまう。はっきり気になると認識した時は、愕然とした。変わってしまった。。でも趣味や好みの変化は、理屈でおさえつけることができない。そして思った。やはり人は変わるのだ。それも否応なく。

 

こんな話を患者さんとしていたら、人間は無意識のうちに自分に必要なものを補おうとしているのではないかという結論にたどりついた。あたかもそれは、メニューを決めずにスーパーへ買い物に行くと、その時の自分の身体に必要な食品に手がのびるように。ビタミン不足の時は、果物や緑黄色野菜が気になるように。

 

つまり年をとって、セクシャリティやら野性やらが不足してくると、ヒョウ柄に代表されるアニマル柄を。あの飾りたてなくとも、キラキラと光る若さという名の輝き。それが不足してきたから、ラメ入りセーターやビジューとかでキラキラと。

 

食べ物だけではなかった。身にまとうものも足りないものを補うのだ。

 

無意識の身体感覚は、好みも変える。

 

あなたには、このように自分の趣味が変わってしまった経験がおありだろうか。

それとも、これから?!

 

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スリランカの動物園にて撮影

(なお、文中の患者さんとの会話は、ご当人の承諾を得て掲載)