“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

身体の記憶 その2

無意識に閉じられた記憶の扉は、なかなか開かない。なぜなら生き延びるために閉じられたのだから。生体防御システムは見事なまでに機能する。

 

私は、固く閉じられた記憶の扉が偶然開かれた場面に、何度か立ち会わせていただいた。このように記憶の扉が開くには、後から考えると共通点がいくつかある。

 

まずは、患者さんが完全にリラックスしていて半分寝ているような状態か、あるいは自己の内面に深く入り込んでいる状態であることが条件だと思う。また私の経験に限ってのことではあるが、患者さん自身の心理療法やトラウマなどに関する知識、そういった知識とは無関係に起こると思われる。むしろ特に知識がない場合の方がより鮮烈なケースとなった。そして治療家としての私も、作為的でなく、感情的にもニュートラルで、私の手の感覚に従って淡々と施術している時に、それは突然起こる。

 

過去の記憶は、主に筋肉などの結合組織(発生学的には中胚葉という身体の詰め物にあたる部分)に埋まっていると感じられる。そしてこの身体の部分は、患者さんにとっては、くすぐったかったり、変に痛かったり、触られたくなかったりと外界からの刺激に対する防衛システムが張り巡らされている箇所だ。患者さんと私との信頼関係が安定し、徐々に刺激に対する敏感さが和らいでいき、このような部位に施術できるようになった時から、何かがはじまり、そしてそれは突然にやってくる。(あっ、やってこない場合もあります!というより、それぞれがそれぞれの形で、それなりに。ご安心ください。)

 

この重い扉が開く時、衝撃的なケースでは嗚咽を伴うものがいくつかあった。興味深いのは、嗚咽であるにもかかわらず、感情が伴うものと伴わないものの2種類があるということだ。

感情が伴うものは、一気に過去の記憶とアクセスして痛みや悲しみ、苦しみに嗚咽する。その際、細かい事象についての記憶が蘇るか否かは、さほど重要ではなく、過去の感情の記憶、それ自体を追体験する。問題が根深いと感じるのは、感情を伴わないケースだ。嗚咽しながら、ある患者さんは私に訴えた。「何で泣いているのか、なんでこんなことになるのかわからない。悲しいわけではない」と。そして嗚咽した後すぐに、全くケロッとしてしまうのだ。開きかけた扉がまたすぐ閉じてしまったかのように。

 

私が最初にこのような場面に出会った時は、自分も受け止めるのが精一杯だった。何か重大なことが起こっている。たぶん過去の追いやられた記憶が戻ってきているのではないか。止めてはいけない。流れに身を任せるようにと自分にも患者さんにも言い聞かせていた。ある程度のウェーブが去り、彼女の混乱が落ち着くのに時間をとって、やっと長引いた施術は終わりをつげた。

 

1週間後に彼女はやってきた。そして、あの施術後に起こったことを語る。そんなことがあったことすら覚えていない過去の辛い記憶がどんどん蘇ってきて、その時の様々な感情も思いだして、嫌というほど号泣したという。また何故こうも忘れたフリをして暮らしてこれたのかと、今になると不思議でたまらないと語った。

 

そして私が見たのは、全身に覆われていた硬質のカバーが1枚とりのぞかれたような、みごとに、そしてすっかり柔らかくなった彼女の身体だった。触れられるのを拒絶していた一部分のみならず、全身まるごとだ。

 

その時私は、人間の奥深さを、身体の不思議さを、しみじみと感じた。

人は、こうも変わり得るのだ。

彼女と彼女の身体は、それからも時間をかけて、変化しつづけた。

 

癒えるということは、変わるということ。

しかもeffortlessに。

 

ブロックされていた記憶の扉が開く時、感情を感じてはじめて、凍りついた痛みが流れだす。痛みが流れだしてはじめて、感情は昇華される。そしてそのタイミングは、心理療法などで意識的に行うのでなければ、時の魔法がかかったとしか言いようがないほど絶妙だ。いや意図的な場合ですら、すでに時の魔法の支配下にあるのだろう。

 

私は思う。

たぶん誰しもがこういう記憶を身体に埋め込んでいるのだと。

私やあなたは、今の自分が思っている以上に計り知れないものなのだと。

 

それにしても不思議なのは、こういう場面に出くわすのは、決まって私の次の予約が入っていない時なのだ。まるでこの方一人のために時間も空間も充分に独占できると、知るはずもないことを患者さんの身体はすでに知っていたといわんばかりに。

 

 f:id:garaando:20160110003337j:plain     (ベネズエラにて撮影したノリ・メ・タンゲレ「我に触れるな」)


(この記事は、該当する患者さん達で、今現在関わりのある方達の承諾を得て掲載。便宜上、ひとつのケースに集約させる形で修正を加えている)