“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけい子が語る東洋医学の世界 〜

何度でもネルソン・マンデラ

伝説の大統領ネルソン・マンデラ。その彼が収監されていたロベン島の刑務所を私が訪ねたのは、もう10年以上も前だった。

 

南アフリカ共和国ケープタウンから定期船にのってたどり着くその島は、ハンセン氏病の隔離所や政治犯の刑務所があった監獄島だ。今ではロベン島全体を政府が博物館として管轄し、負の遺産として世界遺産の認定も受けている。

 

マンデラは、アパルトヘイト(白人優先、黒人差別の人種隔離政策)に反対した運動のリーダーとして、国家反逆罪で終身刑を言い渡され、ロベン島の刑務所に収監された。その後国内のマンデラ解放を要求する継続的な運動と国外からの人権擁護の圧力によって、27年余にもおよぶ投獄は、ついに終わりをつげる。そして全人種が参加した初の選挙により大統領に任命されたマンデラ。彼の大統領就任演説では、どよめきが起こったという。

 

虐げられ、迫害され続けた黒人たちが夢にまでみた初の同胞大統領。やっと自分たちの国ができると思っていた。しかしマンデラは次のように語った。

「黒人も白人も、すべての南アフリカ人が胸を張って歩くことができ、何も恐れることなく、人間の尊厳を決して奪われることのない社会、『虹の国』を創ろう」

6色に彩られた新国旗に象徴される「虹の国」を。

 

マンデラが収監されていた刑務所を私が訪れると、老人と青年の2人が案内してくれた。老人と青年が必ずコンビになってガイド役を努めるという。老人から語り継がれ、若者に引き継がれる史実。過去を風化させないために、同じ歴史認識をもつためのシステム。すばらしいと思った。そして、残虐で悲惨なアパルトヘイトという歴史、その歴史から人間が学ぶことを誇り高く語る青年に、私は心を打たれた。

投獄されたマンデラは、抑圧した側に対する激しい怒りや憎しみ、さらに肉体的苦痛を超えて、ついには抑圧する側の心情に思いをはせる。そして刑務所内で、白人の公用語アフリカーンス語」を学び、刑務官と対話し看守達からも尊敬を受けるまでになる。

想像をはるかに超えた対話力と人間力

 

大統領になったマンデラは、人権を侵害された人々の尊厳を回復し、積年の人種間の対立構造を打開するために、Truth and Reconciliation Commission(真実和解委員会)を設置し、非暴力を唱えるツツ大司教を委員長に任命する。この委員会は、虐待を加えた加害者が真実をすべて告白したなら、被害者およびその家族は加害者を赦すというルールに基づく。復讐や懲罰を目的とせず、徹底して真実を知り、和解をめざす。

私がこの委員会を訪れた時、説明してくれた方は、「真実を知ることで直面する苦しみ、怒り、痛みに再度さらされる。現実的には感情的に難しいケースがいろいろある」と話してくれた。そして彼はこうつけ加えた。「実際、和解は大変困難な道のりだ。しかし、前に進むためにはこれしか道がない。そのことを多くの人が理解しようと努力している。そしてこのルールを選択しているということを誇りを思う」と。

 

なぜこれほどまでに悲惨な現実の中で、ある意味理想主義の形を目指すことができたのだろう。

 

現地の人が語ってくれたところによると、アパルトヘイト下では、痛みを共有する団結したコミュニティが充分に発達していたという。20人がいて、パンが1個しかなかったら、20分の1に均等に分けて配るほどに。

確固たるコミュニティの基盤の上にたつオピニオンリーダーマンデラ

あのマンデラが言うのだから。

あのマンデラが「すべての人が共に生きる社会」を目指すのだから。

そう話し合い、コミュニティが支え合って、新たな道を選択したのだ。

 

理想を現実におとしこむことができたのは、

圧倒的な対話力のあるリーダーと成熟した人民がいたから。

 

私は、何度でもこの時の感動を思いだす。

 

そして先日、私の国の参院選が終わった。

「自分らしくあれる社会」をスローガンにした東京の候補者、三宅洋平氏は、

その演説の中で「非暴力コミュニケーション(Nonviolent Communication: NVC、カール・ロジャース博士の弟子マーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって体系づけられた共感をもって行うコミュニケーションの手法のこと)」の重要性についても語っていた。

 

私は彼にマンデラの片鱗をみていたのだと思う。

マンデラの目指した、多様性を認める社会。

そして対話を通じての徹底した非暴力で、和解をめざす世界。

 

街頭の選挙演説(フェス)が、これほどまっすぐに心に響いたのは、実にはじめてのことだったからだ。

 

 

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マンデラが収監されていたロベン島刑務所内にて撮影