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“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけい子が語る東洋医学の世界 〜

信を築く (ノーシャンプー編)

「私ね、ノーシャンプーにしたの!」と、経皮毒(皮膚から浸透し体内に蓄積され、人体に悪影響を与える化学物質等の総称)に詳しいオシャレな友人が、サッラサラでツヤッツヤの髪をかきあげながら私に言った。なんでも15分以上、頭皮をよくよくマッサージしながら、お湯で毛根の油を流しつづけて頭を洗うのだという。もちろんシャンプーもリンスもなし。

 

私の腕と手は、治療家という仕事柄、慢性的に使い過ぎだ。手の疲れをとることを何よりも心がけているのに、その夜の私は違った。お風呂に入ると、私の持てる技術を総動員して、頭皮を15分以上マッサージしながら、教えられたとおりに頭を洗いつづけた。そしてその後湯船につかる。ふうぅ。。いつにも増してグッタリしながらボンヤリ思う。何をしているのだ、この自分。はたして私にノーシャンプーを継続できる体力はあるのだろうか。ヘアマニュキアはどんどんはがれ落ちるに違いない。不経済ではないか!と、やらないですむ理由がふっと浮かぶ。

 

しかし。。たかがシャンプーだが、実は大問題なのだ。最近は、産まれてくる赤ちゃんがシャンプーやリンスの匂いがするほど、羊水まで化学物質にまみれているという説もあるのだから。そして実際、頭皮の痒みや身体の湿疹、皮膚炎に悩む患者さんがかなり多く、シャンプーやリンスを変えて症状がなくなったり、軽減するケースもある。重曹と塩をまぜた粉をシャンプーがわりに使うのがちょっと前までのオススメだったのに、とうとうノーシャンプーときたか!「押してもダメなら引いてみな」、世渡り上手の極意を示すフレーズがこだました。

 

私は、治療家になって以来、食品はもとより化粧品、歯磨き粉や入浴剤などの日用品から寝具に至るまで、評判のいい情報が入れば試さずにいられなくなってしまった。そして、たまに患者さんにも無理強い?をして試してもらったりして、どこに発表する訳でもないデータをコソッと集めたりしているのだ。自分でもアキレマス。。。(たぶん渋々こんな私につきあってくださっている患者さん達も多いかと思いますので、この場をかりてお詫びします。ゆるしてください。)

 

それにしても巷には、健康法や美容グッズや若返り法の情報が驚くほど氾濫している。これほど健康やら美容やら、自分自身にベクトルを向ける社会は、はたして幸せなのだろうかとも時々考えてしまうが、環境も環境だ。放射能も花粉もPM2.5も、そして黄砂とやらも、容赦はしない。

 

ガンなどの病気についての治療法も、病院の3大療法(オペ、抗がん剤、重量子線やトモセラピーなど多種の放射線)の他に、高濃度ビタミン点滴療法、ビタミン・ケトン療法、オゾン療法、ハスミワクチンやHITV療法などの免疫療法、ホルミシス療法、鍼灸治療、サイモントン療法に代表されるイメージ療法、温熱療法やビワの葉療法、フラワーエッセンス療法、ジェムエリクサー療法、ホメオパシー飲尿療法、呼吸法、瞑想、気功、HSP(ヒートショックプロテイン)入浴法、爪もみ療法などと実に多岐にわたる。

 

またガンに効果があったとされるサプリや食品としては、プロポリス、人参リンゴジュースなどの酵素、EM菌や万能酵母菌、アガリスクメシマコブなどの菌類、ミネラル、有機ゲルマニウム漢方薬ゲルソン療法でオススメの野菜や玄米。なかでも玄米は長岡式の酵素玄米(最近は、断糖の食事が大事だとささやかれだして、米は食べない方がいいとの説も強力!)。そしてこれに水素水が加わった。

 

しかもだ。プロポリスがいいといっても、普通のじゃだめなの。あそこで売っているアレ!ポーレンという花粉がいいらしいけど、その中でもコレよコレ!サルノコシカケもね、◯◯年に◯◯省でとれたサルノコシカケ!そしてそれはどれもこれもお値段もトビキリ!といった具合に、一筋縄ではいかない。

 

この上さらに、デトックス不食ブームも後押ししてか、断食療法も勧められる。まずは宿便も出して、身体をきれいにしなくては。

 

病院からは3大療法を勧められ、その一方で「ガンは何も治療するな」と言われだし、とうとう「放置療法」と呼ばれるメソッドにまでなってきた。病院の治療か、自然療法かどっちを選ぶの?または、両者のいいとこ取りで?と迫られるのだ。

 

このほとんど沈没が確実と思われる情報の海の中で、さて私は、そしてあなたは、どうするだろう?

 

治療法に関しては、これはよくて、あれはダメという、◯かXかといった一般論には無理があると思っている。それほどに個々人は違う。生来、楽観的か悲観的かといった性格に加え、体力、薬物に対する受容・許容能力、サプリメントや栄養素などの消化能力、そしてメンタルの強さや既成の概念に対する自立度や依存度がまるで違うのだ。また、そもそも◯が良くてXが本当に悪いのかといった根源的な問いもある(つまり、Xだって結果がよければいいじゃないの。タレシリタモウ、その是非を)。

 

抗がん剤については、そこから負のループに入ったと思われるずいぶんと辛い思い出が私にもいくつもある。しかし抗がん剤を使ってオペができるようになり、緩解していった事例もあるのだ。抗がん剤を肯定はできかねるが、全否定もできない。

 

また抗がん剤に限らず、薬について考えてみる。

ひとつの病気にはいろいろな次元が同時に存在するように思う。

肉体が表現している「症状」の裏には、魂が表現したい何かがある。

たとえそれが、ほんの小さな症状であったとしても。

薬は、「魂が表現したい何か」を一旦棚上げする力を持つ。そしてそれが必要な時も場合もあるのだと思う。また病状によっては、薬がないと生命の維持が難しい場合もある。薬についても、とても一般論では語れない。

ただ、もしできるなら、身体の可逆性がなくならないうちに、習慣となっている薬の使用は避けてほしい。薬に変わる方法や改善策に切り替えていけないだろうかといつも考える。

 

また患者さんの病が良くなっていると私が確信しても、なかなか検査データに上ってこないことが何度もある。そしてその度に私は患者さんに、「良くなっています!数値は後からついてくるはず!」とドキドキしながら、詐欺師のようにいい続けなければならない。つまりデータに出るまでにタイムラグがあることが多い。そしてデータがグンと良くなったトタンに、ストレスが消えて更にどんどん良くなるのだ。データの持つ力もすごいと思うと同時に、それ以上にストレスが治癒を阻む力もすごい

また薬にもこういった心理面を支える効果がある。薬を飲んでいるという安心感(多くの患者さんを通して、やっとこの事実に気がつきました・・)。多くの人達の客観的データや薬に対する信頼は、(断薬をのぞむ人が増える一方で)依然かなり大きいと言わざるをえない。そして事実、私も検査結果が良くなるとホッと胸をなでおろす。全面的な現代医療や薬の信奉者ではない私が、この矛盾とどうつきあって折り合いをつけていくかが自分の課題なのだ。簡単には答えが出ない。

 

 

ならばせめて、病気になって治療法を選ぶ時に、役立つことは何かと考える。

 

それは、病気と診断が下る前から、つまり日頃から自分にあったやり方を模索し、自分の身体の感覚を開き、その上に「信」を築くこと。

 

「信」を築くという術(すべ)を磨くのだ。

たおやかでありながら、一条の光が天までつながるような「信」を築くために。

 

私の今までの経験で、奇跡的(本当に奇跡なの?)な生還をとげた患者さん達に共通していたのは、「これで変わった」「どうもこれが特にいい」と何かはっきりした分岐点があった。それは種類は違えど、その治療法への信頼を獲得し、治っていく希望を見つけた瞬間だ。そしてそれは、心と身体がつながった瞬間だと感じた。

 

また、それは体感でなくてもいいのかもしれない。窮地に陥ったときに救われた誰かの言葉かもしれない。「その時に、ぱぁーと腑に落ちて、それから自分は救われた」と振り返る方もいた。そして確かにそこから流れが変わった。

 

さらにビワの葉療法で愛犬の腫瘍が消えたという体験から、ご自身の腫瘍も治した方もいた。この場合は、体験が確信になったのだ。

  

反対に治療による負のループに入っているのに、そこから出られない場合がある。そしてやみくもにサプリやら治療法の数が増える。どんな感じですか?と聞いても、わからないと言う。いろいろやっているから、何がいいかわからないとも。半信半疑な治療法をとりあえずやってみる。そして確信のないまま続ける。確信がないから不安になって身体の回復を信じて「待つ」ことができない。さらに評判になっているサプリが増える。そして、これがなんとなく予後が悪い。オーバードーゼ(刺激過多)の療法は、弱った身体をこじらせるのだ(このような場合は、自然の中で過ごしてリセットされたケースもあり)。

 

形だけの、こなすだけの自然療法には、エネルギーが強くは反応しない。

 

イノチの根源とつながるチャネルは、自分自身の心と共振するものの先にあるように思えてならない。 

頭の理解ではなく、身体の感覚を開き、磨く。

そして、さらに心を開くのだ。

 

これは、どんな治療家にも、治方法にも、薬でもできない。

そう、本人にしかできない。

 

私は、今までもそしてこれからも、私自身の「信」を築く練習をしていくのだろう。

どんな感じがするのか、どんな変化があるのか、その些細な変化を追うために、きっと明日もグッタリしながらノーシャンプーを試すに違いない。

 

ありがたいことに、「信」を築く術を磨く材料は、そこかしこにあふれている。

 

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       (キューバ、トリニダーの街角にて撮影)

    (この記事は現在係わりある患者さん達の承諾を得て掲載)