“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけい子が語る東洋医学の世界 〜

部分なあなた (マリモ羊羹編)

マリモ羊羹をご存知だろうか。

北海道の阿寒湖に生息し、緑色の藻でできた天然記念物のマリモ。そのマリモを模した球状の羊羹で、楊枝でつつくと覆っている膜がはがれて、中身がツルンとあらわれる。

 

いとも簡単に外殻をぬぎすてるーその様は、多くの患者さん達が、病いの最中にあって大きく変化する時の現象に似ていると思う。

  

たとえば、前回の記事 ( 部分な私 その2「場の力」)に登場したジンマシンの彼女。

彼女は1年半飲み続けた薬を、ある日突然断った。

私には、このように何年もの間のみ続けた大量の薬(導眠剤、安定剤、抗不安剤、鎮痛剤など)をゴミ箱へ捨てて、いきなり断薬をした方達の症例が数件ある(そのように突然やめることを推奨しているわけではありません。決断は本人の意志であり、報告をうけてその都度、私がひどく驚きます)。

彼女(彼)らに共通している言葉は、

「もういいと思ったんです。」

「いらなくなりました。」

「どうせやめるので、捨てました。」

そうきっぱり言い放ち、それまで手放そうと試みて何度も何度も失敗してきた過去とは、全く別の、凛とした表情をきまって私に見せる。

 

まとっている皮膜を軽々とぬぎすてて歩き出し、回顧だにしない。

新次元へ飛び出す彼ら。

 

また別の症例においては、

閉所恐怖症のため飛行機での旅が大変辛い方がいた。

海外への所用も多く、もう20年以上も苦しみ続け、出発の直前でキャンセルなさることが何度もあった。

その彼女が先日こう言った。

「まだ恐怖がなくなったわけではないけれど、あの頃の本当に怖かった感覚を思い出そうとしても、どうしてもあの感じにはなれない。いつのまにか変わってしまった」と。

10年以上にわたり、私は彼女を診せていただいているのだが、

少しづつ、薄紙がはがれるように彼女の肉体は変わり続けた。

身体が弱かった時代からは考えられない程、今や相当に体力のある方になられたように思う。

そして精神的にもどんどん変化をとげたようにみえるのだ。

肉体かメンタルか、どちらが先に変化したのかはわからないし、知る必要もないと思う。

ただ確かなのは、ご自身が変化していく過程を見守るといった、ご自分にむけられたマナザシが、いつも彼女にはあったということだ。

そして小さな脱皮を繰り返し、気がつけばいつのまにか大きく変わっていた。

 

それはまるで、瓶(カメ)の中に水が溜まりはじめ、そしてカメの容量を超えて、水があふれだすかのように。

水が溢れ出した時にはじめて、満杯になったと気づくのだ。

おさまりきらなくなってしまったカメは、いきおい不要となる。

そうして、さらなる世界へと飛び出す彼女。

 

 

その一方で、

何度も禁煙に失敗している患者さん達がいる。

禁煙パッチを貼ってみても、

禁煙パイポを試してみても、

電子タバコを吸ってみても、

さらには相当の金額を払って禁煙外来へ通ってみても、

一旦はやめても、また同じように愛煙家となる(注:上記の手段によって禁煙なさった方もいらっしゃいます)。

彼らは病気があって、本当に禁煙したいと望んでいるにもかかわらずだ。

また嗜癖や依存には複雑な背景もある。

肉体的な中毒症状から脱せられたとしても、

たとえばどこかで自分を罰する必要を感じている人は、自分をおとしめる行為がなくてはならない。

やっぱり自分はダメ。

どうせできるわけがない。

こういった処にもどってちょっとホッとしたりもする。

(注:喫煙は個人の嗜好の問題であって病いではありません。嗜癖、依存、中毒といった見地から、身近な例としてとりあげてみました。)

(注:エネルギーレベルで喫煙をみた場合、ハートの感受性が強い人が愛煙家になりやすいとの説があります。喫煙をすることでハートチャクラをわざとつまらせて、ダイレクトに様々な感情を感じることから身を守っているケースです。)

 

 

また「病い」というものの一つの側面に、個人の存在や命をかけた表現であり、作品であるとする見方がある。

そう考えた時、治すとか、正すといった方向性だけが良いわけではないし、画一的に症状や中毒がなくなればよいというものでもない。

ただ、ある中毒的な症状から立ち直りたいと思っていて、

いろいろな手段を試みてもなお、効果があがらない時に、

必要なことは何なのだろうか。

 

 最初にあげたジンマシンの彼女は、その後の経過をこう語る。

 「薬をやめて、夜になるとジンマシンがでる時がたまにある。

痒みはあるけれど、

ああ、疲れているのだなぁと思って、

なるべく休むようにして、我慢していると、

次の日にはおさまってくる。

だからもう薬は要らない。

だって、薬をやめられないとあきらめていたけれど

本当は自分はやめたかったことに気がついたのだから」

 

私には、断薬できたかどうかという結果よりも、

彼女が自分に対して自信を持つことができたという事の方がはるかに大事だと思える。

病いの症状に対して、恐れすぎることなく、まっとうに身体をいたわり、いずれ治ると思えること。

自分の身体を信頼できるという経験をしたこと

これこそが大事だと思うのだ。

 

もし今、中毒的な症状に苦しんでいる方がいたら、

(痩せたいのに食べちゃうとか、朝活をしたいのに夜更かしが止まらないとかも)

まずその行為だけに執着するのはやめて、

できない自分を責めることをやめてみてはどうかと提案したい。

その変わりに日常の中で、自分を裏切らない小さな選択をしてみる。

たとえば、

本当は行きたくない誘いなら、断ってみる。

3回に1回断るのでもいい。

自分の着たい洋服を着る。

ちょっと冒険であっても、着てみたい色に身を包む。

なんでもいいと言わずに、食べたいものを考え、味わって食べる。

そうやって今まで外に、他人に、そして回りに向けていたエネルギーを自分の内側にとり戻す。

 

これは自我を肥大させることとは違う。

自分は何を本当に望んでいるのか?

と自己の内奥に問い続けながら、

自分の深淵に錨をおろす。

 

自分自身にエネルギーを充填させていったなら、

いつしか自己の器は大きくなり、

あきらめは自信に

逃避が発見に変わる。

 

いつの日か、

あなたもマリモ羊羹のように、

軽々と外殻を脱ぎすてるだろう。

そしてその時、

気になっていた症状に囚われない新しい自分が現れるに違いない。

 

<後記>

私がエネルギーワークを習った学校の校長であるバーバラ・ブレナンは、授業でこう言いました。

「The healing comes automatically.(癒しは自動的にやってくる)」

えっ? automatically??

さらに、「あなたは、何も努力する必要はない。ただ自己の内面をみつめなさい。あなたが霊的に進化していくにつれ、起こるべき癒しは自然にやってくる・・・」といった内容だったように記憶しています。

私は、このフレーズに衝撃を受けました。

努力しなくていいんだ・・。

それまで、さんざん努力?してきた自分にとって、この内容は本当なの??ですか?

本当だったら、もっとはやく教えてくださいよ!とも思いましたね。

 

そして、この視点から見てみると、

自分の臨床での患者さん達の変化が、よくわかりはじめたのです。

 

自己の内面が変わり、

結果として、

表れていた症状が自動的に消失する。

 

人が癒えていく道筋は、いっぱいあると思いますが、

病いというものの意味を考える時、

このように自己の内面の変化に従って、

癒えていくもののような気がします。

 

そしてまた

内面に目を向けるといっても

 

何か方程式やメソッドがあるといったものでもないと思います。

頭の理解による分析や判断でもなく、

無意識の領域にもかかわることなので、

やはり道なき道を歩むことに違いありません。

 

私も

自分をも含み、

人が変化する様を見守りつつも、

その流れがどこから来たのか、

問い続けていきたいと思っています。

 

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アフリカ大陸ウォルビスベイ(ナミビア)のムーンランドスケープというエリア(「猿の惑星」の撮影地)にて撮影

(なお、この文中に登場する主な患者さん達の承諾を得て掲載)