“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

間(マ)をつなぐもの 「人生が変わるメガネ」

憧れのメガネをとうとう手に入れた。あの噂の「人生が変わるメガネ」とやらを。

 

事のはじまりはこうだ。

ある時私は、初老の患者さんにこう言った。

「私も目が悪くなった・・。コンタクトをしていたら遠くは見えるけれど、近くを見る時には老眼鏡がいる。裸眼だと本は読めるけれど、遠くは近眼のメガネが必要。足したり引いたりしながら、持ち物ばかり増えて・・。」

 

すると彼女はこう言った。

「まだまだよ。もっと年とると、耳も聞こえなくなって補聴器(両耳なので2つ。替えの電池も含む)も増える。そしてヨダレは垂れるし涙腺はつまって涙もでるから、ティッシュやハンカチも絶対忘れちゃダメ。それなのに唾液が出なくて喉がカラカラになる時もあって飴玉も持たなくちゃ。そしてね、歩く時にはツエも持つのよ」。

確かに!グゥの音もでない・・。

 

チマタの加熱すぎるアンチエイジングやら医学会の加齢制御なるものの流れにどうも乗り切れない私は、妙に納得した。

そしてこの時、きたるべき老いというものを観察する!と心に決めたのだ。誰に頼まれたわけでもないが、老いの実態を探る冒険がはじまる気分だ。

人生は絶え間ない探求の連続であるというのが、真理を追求する者の運命(サダメ)なのである。

 

まずは目の問題。

これから老いていくにせよ、今のスタートラインを決めたい。

そこでコンタクトもメガネも新調し、今ある私の最善の状況をつくることからはじめることにした。

コンタクトを新調する際のことだ。

左右ほとんど変わらない視力なのに、矯正しても左眼だけ視力があがらず、

「これ以上はレンズを変えても視力はあがりません」と医者からキッパリ告げられる。

右の視力はあがるのに、そんなことがあるのだろうか・・。

疑問は湧けど、忙しそうな先生に質問する勇気がない。

「まぁよく見えるからいいや」と真理を追求する者にあるまじき撤退に転じる。

 

次にメガネ。ずっーとずっーと気になっていた噂のメガネ。

このメガネを購入するためには、事前にキチンとセミナーを受けて、さらに別の日に2時間にも及ぶ検眼をする。セミナーも検眼もすぐに満席になるため、ずいぶん先に予約をいれなくてはならず、予定が読めずに日程を決められない。一時はご縁がないものとあきらめかけた。

しかし!やっぱりあのメガネでなくては!またムクムクと真理を追求する者が復活。

我が誕生日に思い立ち、運良くセミナー参加の権利をゲットし、会場へと向かった。

 

少人数に丁寧に教え、簡易検査を行うセミナー。

そこで私は、偶然にも魅力あふれるM先生と再会したのだ。

M先生は1年のうちの半分は海外にいらっしゃるため、

なかなかお会いできないでいたのに。

M先生は、その日の朝に知人からこの噂のメガネの話を聞き、すぐに申し込んでやってきたという(なんと幸運なのでしょう。当日知って→電話→当日予約というあり得ないようなスムーズな、この流れ)。

「ところで、どうやったらこのメガネが買えるのですか?」とM先生が質問なさった時、何もご存知なくここへ飛び込んでらしたのだとカナリ笑えた。

そして私は確信した。M先生も真理を追究する者なのだと。

時に真理を追求する者は、驚くべき軽いフットワークで行動することがあるからだ。

 

そしてセミナーを行う松本康先生。彼もまた真理を追求する者が持つ熱すぎるほどの情熱を、余すところなくメガネに、そして眼の不調を抱えている人々に注ぎこんでいた。

 

松本先生は、子供時代のお辛いご経験から目と脳をつなぐ機能に着目。

眼の機能と脳波は正常であっても、「視機能(右と左の眼の焦点があうように調節する脳の機能)」が弱いと、偏頭痛、眼の疲れ、肩こりといった諸症状がでて、集中力が続かない。

視機能の改善によって、子供達の軽度ADHDなどが治るケースもあるそうだ。

 

一般的にメガネを作る際、右目、左目とそれぞれの検査を行い、それぞれの視力を調整する。しかし実際の生活においては、両目で同時に物を見る。

視力はあれど、右目と左目の焦点の位置がずれていることがあるというのだ。

そこでずれたまま物を見つづけると脳も混乱するため、どちらか一方のシグナルが自動的に遮断される。

つまり、実は片目でしか見ていない。

 

「見る」という動作をシステム全体としてとらえた時、右眼と左眼といった個別に分けられた網膜に映る視力ではなく、脳に伝達されて最終的に物を認識する視力(「脳内視力」とよぶそうです)こそが大切なのだ。

 

私は納得した。矯正すべきは「脳内視力」だと。

そもそも私は目が悪い。

それが視力だけの問題ではないと気づいたのはいつだったのだろう。

左右の視力や状態はほとんど変わらないのに、右目と左目で見えてる世界が違うと感じていた。よく片目を隠して見える世界と、もう一つの目で見えるそれとを比べては、色が違う、景色が違うと遊んでいた。

また両目で見た世界は、片方だけで見た世界の中間ではなく、なぜか右目だけで見た世界に近いのだ。

さらに、何気なく道を歩いていると、それぞれの目に飛び込んでくる映像が別個に感じられて、やたらに頭が疲れる時があった。

 

検眼していただいて何より驚いたのは、度のはいらない、焦点を合わせただけのレンズで、視力があがったかのように物がかなり良く見えたことである。それもあの矯正しても視力はあがらないといわれた左眼が。

 

そして両眼からのシグナルがちゃんと脳に伝わるように設定されたメガネをかけてみた。

するとそこには、遠近感の増した、深みある世界が広がっていたのである。3Dメガネをかけたような濃淡ある世界が。

 

セミナーが終わっても、松本先生はメガネを作るように決して勧めはしない。

なぜここでセールスをしないのか?なぜだ?と思うほどに、しない。

作りたいと考えている方もいるであろうに、検眼の予約を積極的に押し出すことなく、家に帰ってゆっくり考えみてくださいとおっしゃるのだ。

それどころか、「かえってこのメガネをかけて立体的にみえすぎて困るという人もいる」なんて言っちゃう・・。

ただ、眼のトラブルで困っている方達にこの脳内視力という概念を知っていただきたい。また子供達の学習障害に役立つのだったら、ぜひ講演なりを行いないたい、とのことだった。

 

あの日は、なんとステキな方達に出会えたのだろう。

 

もうそれだけで、人生がちょっと変わった感じがしたのだ。

 

<後記>

セミナーで教えていただいたことは、大変面白く、興味深いものでした。

身体のひとつひとつの部位それ自体に異常がなくても、「見る」という行為全体をシステムとしてながめた時、各部分の間(マ)をつなぐものの重要性が見えてきたからです。

ネットワーク(つながり)とか関係性とか互換性とかが、機能を円滑にするのだと。

そしてこの考え方は、とりもなおさず東洋医学の特徴的な視点といえます(これについてはまたいつか別の記事で)。

 

このメガネについても、手に入れるに至るプロセスにおいて出会えた人達とのご縁もまた、間(マ)をつなぐものとして感じられたわけです。

 

最後に

このメガネを使ってから1か月以上が経ちました。

深みのある世界に少しとまどいながらも、新しい世界が嬉しくて楽しい。

それだけではなくて、眼と頭が楽だと実感しています。

新調したコンタクトを使う頻度は、どんどん減ってしまいましたが・・。

 

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 イスタンブールの街角にて撮影。題して「右と左」。

(治療中の患者さんとの会話は、ご本人の了承を得て掲載)