“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

勝手に陰陽論1 グラウンディング

 あの時は、何もわかっていなかった。

 

あの時。そう、鍼灸学校の初老の先生が、治療院を開く心得を卒業間近の私達学生に話した時のことだ。

「とにかく3年だ。患者さんが来なくても、3年間毎日ジッと治療院を開きつづけ、待つことさえできれば、食べていけるようになる。石の上にも3年だ」。

 

はぁ?3年開きつづけて待っていれば、それだけで食べていけるって?

技術は?人間性は?適性は?

どーなの??どーなの??

 

卒業してすぐに治療院を開くなんて、ヘタクソがばれちゃう!と思っていた私には、そもそも縁のない話だった。

ましてや、患者さんが来なくても3年治療院を持ち続ける財力は、からっきしない。

半年、いや3か月でも無理。ご冗談でしょ!って感じだ。

しかも、常識的社会におさまることのできない世捨て人的な風来坊人間に与えられた、鍼灸師というせっかくの職業!(30年ほど前のバブル絶頂期だった時代の全くの私見です!傷つく同業者の方がいらしたら謝ります。ごめんなさい。)

その憧れの根なし草生活には、治療院という枠組みはいらないね!なんて思っていたのだ。

 

いつかはハリ箱ひとつを持って世界を旅してまわりたい。

望むことは、ずっとハリを好きでいつづけられること。

 

こうして私は、鍼灸学校卒業後も、研修させていただいている治療院で働きながら、様々なアルバイトや出張治療をしながら、風来坊生活をお気楽に5年以上も満喫していた。

 

貧乏ではあったが、今を生きてる感じがした。

 

しかし、その後にエネルギーワークを学びはじめ、この風来坊的な、あるいは根無し草の生活に警鐘が鳴らされたのである。

 

私が行った学校(Barbara Brennan School of Healing。現在の米国フロリダ州単科大学)では、1年目にその年間を通して、グラウンディングというものを習う。姿勢を正し呼吸を深め、エネルギーを下半身へ落とし、さらに地球の核へとつながるというグラウンディングの基本をだ。

 

グラウンディング創始者はクリント・オーバー氏)とは、いわゆる「地に足をつける」という、根なし草とは対極の概念である。

アーシングとも言われ、素足で大地に立って地球とつながり、アースすることをいう。アースすることによって電子の移動があり、肉体に起こっている炎症を沈める効果をはじめ、抗酸化作用などもあるとされる(かなりの効果が期待される治療法です。場所さえあればタダでできるので、ダマサレタと思ってお試しください。土をみつけ裸足で立てば、とりあえずそれでよし!)。

 

またグラウンディングは、西洋的な概念というよりも、東洋思想に端を発している。

太極拳などの武術では、下実上虚(カジツジョウキョ)の状態が理想とされる。下実上虚とは、ヘソ下5cm、さらに腹筋内奥5cmくらいの場所にある丹田(女性ならば子宮近くの位置)に「気」が充実しており、上半身は下半身の上に軽く乗っているような状態をいう。

なお、現代人は、PCや携帯やストレスなどで上半身に緊張を強いられ、上実下虚(ジョウジツカキョ:上半身にエネルギーが集中し、下半身まで回らない)の状態でいることが圧倒的に多く、不眠、頭痛、めまい、肩こり、耳鳴りなどの原因にもなるとされる。

立禅(リツゼン:立った状態で行う気を練る手法)などは、まさにグラウンディングを鍛える方法だ。エネルギー(気)が十分に下半身、足、足裏へとさがって充実し、地面と接して、さらに地中深くに根をはる状態を目指すのだから。

 

そして肉体でグラウンディングが十分にできていけば、

つまり「地に足がつく」と、

現実世界が充足してくるという。

(注:肉体がグラウンディングしているというのは、地に足がつく以前に、自らの肉体に意識を向け、身体感覚を磨いてケアをし、身体を創る。つまり自らの身体と繋がりなおすことからはじまります。)

 

物質的、現実的側面(肉体も含む)を忌み嫌うことなく、

十分に受け入れて真の豊かさを味わうというのが、

広義のグラウンディングだ。

 

グラウンディングされてはじめて、精神性や理想といった高みへと向かうのだ。

深く深く地中に根をはり、高みをめざす。

より深く、より高く。。

 

今回は、このグラウンディングを陰陽論で読みといてみたい。(ああ、これすべて私見です!恐れ多いですね。。)

 

根なし草生活をやめ、場所を構えて治療院をはじめることは、グラウンディングするということだ。

<ちょっとおさらい:陰とは、下や内に向かって凝集する力を持ち、集約されて物質的な構造を生み、形を作る。陽とは、上や外に向かって拡散する力を有し、動的な力を生む。>

 

グラウンディングして下に向かう現実的な力(陰) と 精神性や理想をめざす上へ伸びる力(陽)。

治療院という物理的な器(陰)と 患者さん達や治療家のエネルギーを含めた動的な力(陽)。

 

大地に根をおろす治療院としての器(陰)を持てば、

その器にあった動的エネルギー(陽)である患者さんが入りこむ。

この動的エネルギーが大きくなれば、それに拮抗する力である器のエネルギーも大きくなり、安定する。

その結果、自然に患者さんが多くいらしてくださり、はれて繁盛治療院の誕生となる(なるはずである)。

 

こうして治療を目的とした「場」ができあがるのだ。

 

さらに先生は言った。「3年治療院を開きつづけ、待つことができれば・・」と。

3年治療院を持ちつづけ、待つということにも意味があった。

<ちょっとおさらい:陰はさらに陰陽にわけられる(陰陽可分)。治療院は物質ととらえると「陰」に分類できるが、その陰の中にも、治療院を創るという動的なエネルギーである「陽」がある。>

 

治療院という器(陰:目にみえる実態)を作り、そこに時間(陽:目にみえないエネルギー)をかけて、とにかく居つづけて待つ。自分の理想とする治療が行われていると想像し、なるべく勉強し、いつ患者さんがいらしてもいいように準備をし、治療するための気を練りつづける。

これらすべては、器(陰)を作るための動的エネルギー(陽)だ。

物質的な器だけあっても、場はできない。

 

動的エネルギーを入れるための器(陰)をつくり、

時間とエネルギー(陽)をかけて

陰陽一体となって

場が生まれる。

 

場という器(陰)ができたなら、

患者さんをはじめとする人々(流動的エネルギーである陽)が集まってくる。

これがあの時、先生が経験から教えてくれたことだったのだ。

 

私は治療所を構えて、今年で18年になる。

繁盛治療院とは言いがたいが、身の丈に合っていると満足している。

だからこそ、ハリを好きでいつづけられている。

そして時々ハリ箱を持って、旅に出る。

 

かくて足かせだと思っていた治療所は、一番長い時間を過ごす私の人生の居場所となった。 

 

陰陽が合わさった世界の可能性は、深くて大きい。

 

さぁ、大地に深く深く根ざしなさい!

グラウンディングを教えてくれた恩師達に感謝したい。

 

(なお、治療院を持たなければグラウンディングできないというものでもありません。根無し草に憧れた私の場合の話であり、流し?の治療家でグラウンディングなさっている場合もあります。どの視点でどう見るかが陰陽論の面白いところです。)

 

 

  <後記>

大地が揺れる。大地が崩れる。大地が沈む。

人間がよってたつ大地の崩壊は、どれほど安心感を失わせることなのでしょう。

今年は頻発する自然災害に見まわれ、

私はずっとエネルギーについて考えていました。

 

エネルギー。

そもそも豪雨、山崩れ、地震、台風といった災害の中心になっているものは自然エネルギーと言えます。

災害の被害を大きくしてしまったのも、ダムの放流、山を削っての太陽光パネルの設置、ブラックアウトといったエネルギーにまつわるものであったかと。

そして停電になって、ほとんどの生活システムがストップし、町の機能はいきなりマヒ状態に。電気はどれほどの恩恵を与えてくれているのかと今更ながら思います。

 

よくよく考えてみれば、

いつの世もこのエネルギーをめぐって、人類は戦争をしてきました。

複雑に入り乱れたパワーゲーム的な覇権争い。パワーもまさにエネルギー。

その裏にある石油エネルギーの利権、お金というエネルギーをめぐっての経済的な対立(注:エネルギーは高きから低きへ流れるものですが、お金だけは低きから高きに流れていないか?という疑問がありますが)などなど。

 

ああ、なんとエネルギーをめぐる問題は果てしなく巨大なものなのでしょうか。

自然エネルギーであれ、人工的なエネルギーであれ、そして人間関係における感情エネルギーであれ、我らはエネルギーの海の中で暮らしているのだとしみじみ感じます。

 

このエネルギー問題を陰陽で考えるとどういうことなのでしょう。。

 

ある朝目ざめると、言葉が浮かびました。

「不当にパワーを失うな」と。

どうにも歯が立たない自然災害や不透明な社会構造や状況を目の当たりにして、

どんどん力を失う感じがしていたのです。

 

地球規模でおかしいらしい。

どうせ、何が起こるかわからない。

もうそうなったら、お手上げだ。

ガラスのような割れるものは処分してしまおう。

最小限の物だけでいい。

形あるものは壊れるのだから。

 

これはこれでその通りなのですが、それと同時に自分のパワーまで失い、そのパワーをどこかに明け渡してはならないのではないかと思ったのです。

エネルギー保存の法則(昔ならったはずのうる覚えの法則)があるとしたら、

明け渡してしまったエネルギーは、さらにフワフワと動的なエネルギーへ吸収される気がするのです。

荒れ狂う動的なエネルギーを入れるに、ふさわしい確固たる器を作ることができれば。

つまり、陰の力を強められれば、陽の力と少しは拮抗できるのではないでしょうか。

 

まずは自分がパワーレスにならずに、

しっかりと自己の肉体を感じ、

その肉体を通して、

地球の核にむかって錨をおろし、

グラウンディングすること。

こうして少しでも陰の力を強めることができたなら。。

 

家族、仲間、学校、町内会、会社、コミュニティ。。そして地球。。

いろいろな器(陰)があると思いますが、

まずは自分の肉体にグラウンディングすることから。

 

私は、今一度、自分の肉体を充実させ、大地をしっかり踏みしめることを考えさせられています。

  

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 イースター島にて(立禅する?)モアイ像を撮影

 

 

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近年、実はグラウンディングしていたことがわかったモアイ像 (なお、写真はネットから拝借)