“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

勝手に陰陽論10 内と外

ここ数ヶ月、制服姿の学生で占められる長蛇の列が日に日にのびる店がある。

タピオカドリンクの販売店だ。

タピオカとは、熱帯地方で栽培されるイモの一種であるキャッサバを原料とし、その根茎から作ったデンプンのこと。

流行りに乗っているのは、真珠大であることからタピオカパールと呼ばれる粒々入りのミルクティー(中国語表記:珍珠奶茶)。モチモチ感のあるゼリーのような球状のタピオカがデザート感をかもしだす。

 

先日、このドリンクを飲んでみた。

パール大のタピオカをミルクティーと一緒に吸い上げるためのストローは、なるほど随分と太くて頑丈だ。プラスチック製品が問題とされる昨今で、このストローは今後どういう材質になっていくのかと考えずにはいられない。

ストローのことをぼんやり眺めていたら、ふと人間もストローみたいだなと思った。

人間も筒(ツツ)あるいは管(クダ)であるという意味で。

 

人間は皮膚によって外界との境界を形成し、個体としての自己を保っている。

ストローのような、あるいはトーラス(下図)と呼ばれる位相で人体をとらえてみると、

外界と接しているのは皮膚だけではない。

口から肛門までの筒状の管を形成する呼吸器や消化器も、外から入ってくる空気や水分・食料の通り道なのだから、外界と接していることになる。

 

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          エネルギーの基本形態とされるトーラス図(ネットから拝借)

 

<発生学的ザックリ補足:上の図から受精卵を想像してほしい。卵の外側を占める外胚葉からは皮膚組織が、内胚葉(上記の図では中心がくり抜かれた部分の周辺。空気・水・食物の通過する部分の周り)からは呼吸器と消化器が発生し、そして外胚葉と内胚葉の間にあるツメモノ的役割の中胚葉からは身体を保持するための筋肉や骨格、結合組織が生まれる。>

 

人間を太い筒、あるいは管と見立てた場合、その外側と内側は表裏の関係にあたる。

陰陽論でいうなら、外側(表)は陽であり、内側(裏)は陰となる。

 

陰陽論による人体の見方

陰とは、内や下に向かうエネルギーを有し、重さや静けさを生む。女性は陰。

陽とは、外や上に向かうエネルギーを持ち、軽さや動きを生む。男性は陽。

人体の部位でいうと、動物が四足歩行している姿勢(よつんばい)で太陽が当たる部位、すなわち背側が陽。太陽が当たらない部位である腹側が陰となる。

立位で太陽に近い上半身は陽で、下半身は陰。

闊達に動くことができる四肢は陽で、躯体は陰。

体表は陽で、内側である肌肉・筋肉・骨は陰。

臓腑でいうならば部位においても形態においても、臓は陰で腑は陽となる。

(補足:臓とは肝・心・脾・肺・腎の五臓を指し、実質臓器である。腑とは胃・小腸・大腸・膀胱といった内部が腔となっている管状の器官で空気や水あるいは養分の通り道となる)

さらにその位置でみるならば、五臓の中でも心・肺は陽で、肝・脾・腎は陰に分けられる(『素問』金匱臓真言論による)。

さらにさらに心は心陽・心陰に、腎は腎陽・腎陰に分けられる(補足:このように陰陽のそれぞれがさらに陰陽に分けられることを「陰陽可分」という)。

以上をふまえても、「脚は陰ですか?陽ですか?」という命題は成り立たない。

上半身・下半身の視点で見れば脚は陰であり、

四肢・躯体の区分においては陽になるのだから。

このように視点によって陰陽の属性は変化する。

見方によって世界が変わる、これが陰陽論の本質のひとつなのだ。

 

さて、筒状の管である人間に話を戻す。

人体を個体ならしめている皮膚である外側(表)と 口から肛門までの内側(裏)。

これらはともに外界と接している。

外側の皮膚は自己としてのバウンダリーの役目を持って外界と接しており、内側の呼吸器・消化器は、空気・養分・水分の通り道として外界に開くことができるから。

 

内と外、裏と表の視点で病気を観るなら、喘息(内)とアトピー性皮膚炎(外)との関係があげられる。

喘息が収まっているとアトピーが出て、アトピーが良好である時は喘息を発症するというケースは非常に多い。

どちらもククリとしてはアレルギーの病。

喘息を治すのに皮膚の乾布摩擦が効果的なのは、皮膚(外・表)を鍛えると気管支や肺(内・裏)も強化できるから。

 

人体の内と外、裏と表は繋がっている。

それゆえ人体は、総体として有機的に働く、ひとつの膜(マク)とも言える。

(補足:陰と陽とを内と外といった対立概念として分析することはできるが、総体として分けることができないことを「陰陽可分不離」という)

 

人体の外部を形成する表皮は、汗で体温を下げたり、皮膚呼吸を行って、外部と内部との調整をはかる。

 

人体の内側を構成する部分は、必要に応じ、口や肛門を開いて内部を外界につなげる。

 

外の世界に対して、

時に閉じ(陰)、時に開く(陽)。

閉じつつも開き、開きつつも閉じるのだ。

 

呼(は)いて吸(す)う。

食べて排泄する。

 

受け取っては与える。

インプットしてはアウトプットする。

 

守りつつ変わリ、

取り入れつつ、保つ。

 

外界から個別化された人体は、

内と外とが繋がりあって、

ひとつの膜となり、

新陳代謝という生命体としての機能を果たすのだ。

 

 

 <後記>

人体が筒状の管であり、内側も外界と繋がっている。

このことは私に鍼灸学校時代の病理の授業を思い出させました。うる覚えなので得意のザックリでいいますが、血管は、管ではあるが閉じたり開いたりできる。つまり透過性があるというのです。身体のどこで出血しても血小板が飛んでいって血を固めて止血します。それは、血管内にいる血小板が必要に応じて血管外へ移動することができるから。

血管の壁が開く!  

ど、どこまでフレキシブルで、自由なの?!

これは、私にとって驚きでした。

 

そして思いました。

無意識の世界(陰)の素晴らしさを。

意識や知性というシバリがないところで、淡々と反応する自律性の匠(たくみ)を。

行こうか行くまいか、やるのかやらないのかと迷っては動けない自分の意識の世界(陽)の浅薄さを。

 

いっそ無意識に委ねて、おまかせ上手な人間になれたなら。。

身体と係わる仕事をしていると、意識や知性の限界みたいなものを時折感じます。

ただの膜(マク)になって原初のエネルギーで満たされたなら、それは最高の治療なのではないかとさえ思うのです。

 

身体から学ぶことは、尽きることがありません。

  

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「アドレア海の真珠」といわれる、クロアチアドゥブロヴニクにて撮影

(注:タピオカドリンクについては、身体への危険性も言われていますので、ご用心あれ!)