人は伽藍堂であり、
身体も伽藍堂である。
光も風も通す導管(チャネル)。
そしてまた人は多面体。
おみくじのガラガラポンをまわす時、これは人間みたいだなと。
ガラガラの箱の中から、ひとつの玉が。。。今の私は、こんなの出ました!って感じで。
自分とは何かと問いつづけていくと、最終的にガランドウであることに行きつく。自分とは、人との関係の中にしかいない。(如月小春)
そして場としての伽藍堂。
ひとつのことに特化すると、はみ出してしまうものがある。
無目的であるからこそ柔らかく開かれた場所、それが伽藍堂。
そこを訪れると、なぜかホッとする。
本来身体もそういう場所であってほしいという祈りをこめて、
ここを伽藍堂と名づける。