“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

東洋医学概論1(気の世界)

そこは、思わずセスジが凛となる、そんな肌寒い大学病院の一室だった。

私たち鍼灸学校の学生達は、献体してくださった方の身体を実際にみて学ぶという解剖の授業で、ここを訪れたのだ。

 

先生の説明を聞きながら、永眠された方のお身体をみせていただく。

3D画像やネットであらゆる情報が入ってくる今とは違う、30年ほど前の時代のことだ。

それゆえ初めて見る人体の内部は、教科書で学んだ2次元のものとは、かなり違っていた。

 

幾重にも皮や膜があって、

それらに守られるように、それぞれの臓器があって、

折り重なるように筋肉があって、

手足には白い腱がぎっしりあって、

そして心臓があって・・。

 

心臓を見た時、私は不思議な気持ちになった。

この方は、心臓が止まっているから亡くなっているのだろうか。

この心臓が鼓動をうちさえすれば、

大きな柱時計にある大小の歯車が、カチカチと噛み合って回りはじめるように、

人体は動きだし、生命の息吹をふき返すのだろうか。

 

この心臓を動かす力は、いったいどこから来るのだろう。

 

愛する人や家族に先立たれ、その亡骸(なきがら)を前に、

肉体はここにあるのにどうして動いてくれないのか

と思った方も多いのではないかと思う。

 

そしてなぜ私たちの心臓は、止まることなく動くのか。

電池もないのに。。。

充電することもなく。。。

この時感じた私の疑問は、とても素朴なものだったと思う。

 

 

「 気 ってあるのですか?」

「 気 って何ですか?」と、

今更ながら患者さん達から質問されることがある。

そんな時は、まずこの話をして、

どうしてバッテリーなしで私たちは動くのだろうかと言うことにしている。

 

答えになっていないであろう私の返答におつきあいいただく我が患者さん達よ。

皆様の長年にわたる忍耐力に感謝しつつ、

簡単には言いつくせない回答を、ここにお伝えしたいと思う。

 

その前に、なぜ簡単ではないのか。

それは、宇宙の始まりに遡る壮大極まりない中国思想や哲学を説明しなくてはならないからだ(素粒子とかユラギとか、ほとんど量子物理学の世界)。しかも「気」ってヤツは、その壮大さに比してあまりに何気なく、そこここにフルフルしているのに、目にはみえず、手でもつかめない。(だから無邪気に「気って何ですか?」と聞かれても、内容も難解の上、言葉での表現も難しいのです。)

 

さて本題。気はあるのか?という質問について

「ある」とか「ない」とかを科学的に証明できたところで(何であれ「ない」ことの証明はとても難しいと思いますが)、腑に落ちはしないと思う。  

そしてまた聞かれるかもしれない、「それって本当?」と。

つまり、気は説明してわかるとか、理解するとかいうものではなく、感じてナンボのものだと思うのだ。(あ、これまた禅問答のようで・・。「感じてナンボの気」については、いつか別の記事で!)

 

次に、気とは何か?という質問について

難しい中国の古典の数々(「老子」、「荘子」、「管子」、「論衡」、「素問」他古代の多書籍に記される東洋思想や哲学)を、とってもザックリ平たくすると、以下のとおり。(こんな風に自分が言うのは、スッゴク恐れ多いです。関係各位のご存命の皆様、あの世の皆様、ごめんなさい!でもザックリいっちゃいます!)

 

「気とは、宇宙のはじまりに空間全体に充満していた無形の極めて微細な物質であり、自然界のエネルギーである。波動や振動といったふるまいで、あらゆる事象にかかわり、その動きは止むことがない。空間的距離、過去から未来へと向かう直線的時間、そして物質の物理的障害ーこういった諸々の制約も受けず、集まったり(形や物質をつくる、生命となる)、散ったり(無形となる、生命を失う)、昇ったり、下がったりと変幻自在の動きをし、有形(あらゆる可視の生命体や物質)・無形(いわゆる「場」や感情、思考、想念など)の世界を満たし、万物との感応現象を生じせしめる。」

 

もっとザックリ言うと、

「物質を成り立たせている根源であるとともに、触媒の役割をし、天地万物をつなぎ、変化を起こさせるエネルギーである。」

 

おわかりいただけただろうか。

うう、怪しい!?と思うなかれ。

 

バイオリンの弦が響くのも

磁石が砂鉄をひきよせるのも

月の満ち欠けが満潮や引き潮をひきおこすのも

季節の変わり目に体調を崩しやすいのも

台風が発生すれば頭痛が起こるのも

鶏が明け方に鳴くのも

フクロウが夜行性なのも

本当はこう言いたいのにああ言ってしまうのも

わけもなく悲しみがとまらないのも

フェルメールの絵画に魅了されるのも
Slavaのアヴェ・マリアに泣けるほど心打たれるのも

ヒーリングや気功で遠隔治療ができるのも

風水によって運気が上がるも下がるも 

あの人に会えば、元気になるもグッタリ疲れるも

相性が良いも悪いも

言霊(ことだま)や数霊(かずたま)があるも

幾何学模様や図形に力があるも

偶然やシンクロニシティが起こるも

誰かや何かとご縁があるも

祈りによって奇跡がおこるも

ゼーーンブ、相互間で目に見えないエネルギーが媒介して、

感応しているから!

 

いつからか私は

自然現象を

自分と患者さん達の身体を

様々な病気を

人間関係を

日常のでき事を

世界のでき事を

そうなのだ!

気がつけば、私をとりまく世界のすべてを

気の視点から

みるようになっていた。

 

私にとって

気は、自分の人生観のよって立つ根拠。

つかみようもないものを根拠とする私は、アヤウイのか?

我が人生を賭けて、現在実験中なのである。

 

   

f:id:garaando:20180222014156j:plain

カリブ海の島バルバドスの海岸にて撮影