“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

勝手に陰陽論3 ウルシ塗り

日本を代表する工芸品の漆器、ウルシ塗り。それゆえ、英語の「japan」には「ウルシ」の意味があるという。

ウルシの木から採れる樹液を、加工した木や紙に塗り重ね、30から40の工程を経て漆器に仕上げていく。

何度も何度も塗り重ねて作られる漆塗りの技法の中には、「馬鹿丁寧」の馬鹿をとって馬鹿塗りと呼ばれる津軽塗もあるほどだ。

 

同じ動作を何度も何度も繰り返すこと。

今回はウルシ塗りの「繰り返す」という工程に焦点に当てて、陰陽論を展開してみたい。(ああ、また勝手極まりないです!)

 

繰り返すという行動様式を陰陽に分類すると、「陰」に属する。

その反対に軽やかに次々と移りゆく様は、「陽」となる。

<ちょっとおさらい:陰とは内にむかって集中する力で、凝集して形を作り重さとなる。速度は遅く、時間がかかる。陽とは外に向かって発散する力で動きを生み、軽やかさとなる。速度が速く、時間がかからない。>

 

たとえば音楽。

同じ曲を飽きることなく、時を忘れて聴き続けた経験はないだろうか。

他の曲じゃダメなんだ。

あの曲のあのサビを身体の中に染み込ませるのだ。

そうだ。

音を食べよう。リズムへ分け入れ。歌詞を吞みこめ。もっと大音量で!

細胞の奥深いところへと音の持つ振動が到達するように。

そしてそこから何かが発動するような、そんな衝動を味わうように。

食べるように聞いた、あの音楽。

リピートスイッチがない時代、目当ての曲が終わる頃になるとステレオに近づいてレコード盤に針を何度も何度も落とした。

 

一方で

BGMとして邪魔にならずに聞き流す場合がある。

イージーリスニングと言われるような軽やかさを感じさせながら

スキー場やカフェなどで

次々と心地よく流れゆくメロディを味わい

雰囲気を楽しむのだ。

 

では本はどうだろう。

子供の頃、私は漫画を何度も何度も飽きることなく読んだ。

筋書きも絵もすべて知りつくしているのに

ウキウキ読んだのだ。

子供に本を読み聞かせる場合だってそうだ。

同じ内容の話を何度も何度も

時には毎日繰り返す。

同じくだりで大笑いをし、

その都度本気で驚く。

こうして何度も何度も骨身にしみるほどに繰り返す。

 

大人になって、好きな本を再度読むこともある。

ただ子供の時とは違う。

感動したはずの内容はすっかり忘れており、

感動したという事実のみが記憶に残っている。

ある時は、以前読んだことすら忘れていて

終わり頃に、あれ?この話知ってる気がする??

などと思ったりするのだ。

またある時は、本棚に同じ本を見つけては、自分に愕然とする。

 

音楽と本。

繰り返して聞いたり、読んだりするのは、陰陽論においては「陰」に属する。

一方で、聞き流したり、速読したり、情報を検索したりするのは「陽」となる。

 

思うに、このような繰り返す音楽の聴き方や本の読み方をしたのは、

子供時代から青春時代の陽気溢れる時代に圧倒的に多かった。

 

 

生まれたての赤ちゃんの時から幼少期、

そして青春時代までを人の一生というレンジで眺めてみれば、

「陽」の気がまさる時であり、

そこから徐々に徐々に「陰」へと移行する。

老年は陰気旺盛となり、

身体は硬くなり、

あらゆる機能は遅くなり、

どんどん閉じて

生命体の終焉となる。

(注:ずいぶんザックリ言いましたが、人間の一生は、生・長・壮・老・死という過程をたどり、人間の陽気と陰精の共同作業。陰精については、またいつか機会があれば。)

 

その「陽気」溢れる幼少期。

この時期の行動の仕方は、「陰の力」が強い気がする。

身体の芯に届くようにと

奥へ奥へと染み込ませるように

繰り返す。

身体まるごとで

感情全開で

感覚総動員で

理解というより体得し、味わいつくすまで

繰り返すのだ。

 

中年以降の私は、

すでに陰気マサる時代となっている。

何を見ても、何を聞いても、

じきに忘れる。

わかった気になるのも速ければ、

何をしたのかわからなくなるのも速い。

泥棒に見つけられないようにと

何かを隠したりしたら

自分こそ見つけられない。

その上、苦しめられるパスワードや暗証番号の神経衰弱ゲーム。

そしてヤミクモにキーを叩いてのフリーズ地獄。

落ち着いて行動するというより

手当たり次第やってみるという「陽」の行動パターンだ。

 

子供時代は、

集中して(陰)遊んでいたせいか、時を忘れて行動しており、1日が短い。

そして1年は、随分と濃い中身で、とても長い時間がたった気がした。

1日が短く、1年が長い。

 

大人になると

時間やこなすべき仕事に追われて、忙しく動き回り(陽)、1日は長い。

これは自転車操業(ペダルをこいでいないと倒れる)に似ていて、疲れ果てるからだ。

しかし1年というまとまった期間になると、アッという間に感じられる。

そう、今年ももう12月。。

1日が長く、1年が短い。

(注:1日も速いという場合は、時間に追われれる生活をしていないことが多い。たとえば休日はアッという間に終わってしまうように。)

 

陽気溢れる肉体を持つ子供時代には、繰り返すという「陰」の行動習慣をとり、

陰気まさってくる肉体へと進む大人には、どんどんこなすという「陽」の行動習慣が

みてとれる。

 

この両者の違いが

それぞれの時代の時間感覚を作っているようにも思えるのだ。

 

そして多くの天才たちは、

子供時代に「繰り返す」という行動様式を格別にとっていたように思う。

虫の図鑑を暗記しつくしていたり

SL少年だったり

天体望遠鏡から星座をのぞいたり

無我夢中の世界があるように思う。

完全無欠の閉じた内向する陰の世界。

 

子供に次々と情報を外から与え

どんどんと行動できるように教えるよりも

ひとつのことを何度も繰り返して

内的世界をじっくり味わう時間を与える方が

豊かになれるのではないかと思える。

つまり、子供時代(肉体が陽)の繰り返す行動様式(陰)で、陰陽バランスがとれるのではないだろうか。

陰が深ければ深いほど、陽の伸びしろが増すのだから、全体として大きく育つと言えないだろうか。

  

子供時代から今までの自分の行動様式は、無意識ではあったが、陰陽の法則どおりだったのだと思い返している。

 

あの夢中で繰り返して聞いた音楽や

何度も読んだ漫画が、

そしてその行為自体が、

時々ひどく懐かしい。

 

<おまけ>

ウルシ塗りといった伝統工芸の伝統というものは「陰」となる。長い年月を重ねて培われ、形となって受け継がれるという意味で。これに対して、流行、トレンド、ブームといったものは「陽」。ちょっと伝統から派生して、規則や規範は「陰」で、自由は「陽」。

  

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メキシコ、トゥルムのカフェにて撮影