夢を追いかける。
私の周りには、そんな友人達がいる。
年齢や時間、そしてお金を言い訳にするどころか、楽しんで挑戦している風情が漂よう。
その中の一人に、英語を勉強している人がいる。壮大な夢のために必要だという。そして私は、彼の学習の仕方に脱帽し続けているのだ。
まずは、夢の実現から逆算して大まかなタイムスケジュールをたて、そのために最も効率的な学習方法をじっくり勉強する(学習方法をだよ!)。
自分にあった勉強方法に辿り着くまでに、ゆうに半年以上は費やした。
学校を探し、効率的なツールを選び、英語のコーチをつけ、ネット教材も探す。終日勤務の中で勉強時間を模索する。うまくいかないと感じたら、何度も軌道を修正する。そして自分の弱点を徹底分析して有効な方法を柔軟に取り入れる。等々。。
話を聞く度に私は、ここまでやり方にこだわるんだ。。。と思っていた。
そして本人が納得できる体制が整った時から、彼のTOEICの点数はウナギのぼりに伸びに伸びて、もう伸びようがないのではないかと思えるほどだ。
今回は、成果を生む学習に焦点をあてて、陰陽論を勝手に考えてみたい。
(現実化のパワーとして、陰陽両輪は欠かせないと思った次第です。)
まず目標をみすえて計画をたて、やり方を決める。
→ これが目標に向けての指針となる。
→器づくりとなり、「勝手に陰陽論」でいうところの陰となる。
あとはコツコツやるだけ。
→実行する(Doing)ということで、「勝手に陰陽論」でいうところの陽となる。
<ちょっとおさらい:陰とは内に向かい凝集する力で、量を産み、形や秩序、計画や器を作る。陽とは外に向かい発散する力で行動する力となる。ただし、同じ力でも「持久力」は陰となり「瞬発力」は陽(同じものの中にも陰陽がある:陰陽可分)。彼の場合、毎日ちょっとした時間にさらっと行動しているように見えた。隙間時間を利用して何かをなす場合、持久力というより小さな瞬発力(すぐに行動できる力)が必要に思えるのだ。その結果、毎日行うという持久力への道が開けるように見える。>
思えば私の高校時代。試験勉強に際して、私はよく計画表を作った。
あと何日で、やるべき事はコレとアレと。
しかしやらずに日が過ぎる。そしてまた計画表を作り直す。
まだ間に合う。あと何日もあるじゃないか。
その計画は実行されることなく、結局一夜づけの日々が続く。
今思い返せば、陰(計画、器)は良かった。
しかし、行動するという陽がダメだったのだ!
もっというなら、器づくり(陰)にばかりエネルギーをとられて、肝心の実行するパワー(陽)が残らなかった。
あるいは、自分に合った計画ではなかった→陰もダメだった。この場合は、自分をわかってなかったのだ。
くだんの彼は、私に言った。
「やり方が決まったら、ウルシ塗りのように毎日やるんだ。ひと刷毛(ハケ)でもいいから。」
ああそうなのだ。
計画づくりもいいけど、ウルシ塗りもね。
そう、人生はダンス。
陰陽のダンスなのだ。
吸気と呼気
濃密な時間と流れる時間
秩序とカオス
束縛と自由
計画と行動
そして
夢と現実。。
これらを舵とるのは、この私。
さらに私は思い出した。
何ヶ国語もできる私の上司だった方の言葉を。
「語学はね、一定量に達すると質の変化を生むんだよ」。
それはマラソンのように、一歩を踏み出すというほんの小さな瞬発力が、ある一定量に達すると持久力へと変化しているのに似ている。
量の変化が質の変化を生む。
鍵穴に鍵が入りクルッと回転して、新たな扉が開くがごとく、
陰陽が合わさり、それがある一定量に達すると、別次元へと導かれるのだ。
人生がダンスだとして、
何とダンスし、どういうバランスで
どれだけ踊るのか。
新たな世界を感じられるまで踊り続けることができたなら、
きっと次なるダンスが待っているに違いない。
<おまけ>
ウルシ塗り。
その繰り返すという行為に焦点を当てると、内に向かい量を生むという陰になる。
その陰なるウルシ塗りをさらに細かくみてみると、
同じ物(内)に向かって(陰)+ ひとハケの力(陽)→ 繰り返しウルシを塗る、「ウルシ塗り」となる。
< 後記>
翌朝目覚めると、覚えるべき事柄が丸ごと頭に入っている。
そんな魔法のような睡眠学習に憧れた私には、文中の友人のやり方はかなりの衝撃でした。
多分私だったら、勉強方法をそんなに研究せずに適当に勉強して、やっぱりダメだとあきらめる。そんな繰り返しをするだろうと予測できたのです。
きっと陰も陽も足りずに、失敗癖だけ繰り返す。
このことがこの友人をみていて、よくわかりました。
私は、ハウツー的な啓発があまり好きではないのですが、この友人は勉強していく過程で、明らかに自分への信頼を強くしていったように私には見えました。
そして更に伸びしろが増す。
何事かを成す場合の根底には、
常に自分をどれだけ知っているかが問われるように思います。
限界を設けるというのではなく、
どうすれば自分が伸びていくかがわかるという意味で。
つまり、
オノレを知るという過程(プロセス)をたどり、
必ずや自分も変化するのではないでしょうか。
そして新たな流れの冒険へと向かっていくのかと。
夢を追いかける友人達は、
意識してるかどうかはわかりませんが、
陰と陽と、それらを舵とる自分とのダンスを楽しんでいるように思えて仕方ありません。
イタリア、ナポリの街角にて撮影