“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

繋がりあう世界 腰痛

テレワークの推奨により、在宅で仕事をする人が増えた。

ある患者さんは、会社での自在に動く座り心地の良いイスではなく、自宅の小さなダイニングテーブルとイスで仕事をしなければならなくなった。

彼女はかなりのハードワークをこなしていて、慢性的に腰痛や肩・首の凝りがあり、それが高じて時々頭痛も発症していた。10年以上のおつき合いがあるのだが、そのハードワークぶりに私の治療はせいぜいお疲れをとる程度のものだったと思う。

ところがここ数ヶ月、彼女の身体は腰椎のねじれが改善され、肩こりも減ってきた。これは通勤や会社での、気づかぬうちに強いられる緊張がなくなったせいではないかと私は思っていた。しかし・・。

彼女は出社日に会社に行って、座り心地の良い大きなイスに座ったそうだ。自由に動けて快適であるが、足は床につかず忙しくなるとつい足を組んでいたことに気づいたという。一方自宅の小さなイスでは、スペースが狭すぎて足を組むにも組めず、足裏はしっかり床についたままで身動きできない。

 

彼女は腰痛が減った理由をこの小さなイスのせいではないかと話してくれた。

まさに!と私。なぜなら、他にもこういう症例が幾つもあったから。

例えば会社で席替えがあり、コックピット?のような狭くて身動きままならぬ場所に配置されたSさん。足を組むこともできず、電話にでるのも身体ごと向きを変えなければならない。恨めしく思いながら仕事していくうちに、腰痛が改善されてしまったのだ。

私達はこれをコックピットの恩恵と名づけた(注:コックピットに座ったことがないため、すべて想像です)。

 

なぜ足を動かせない狭いスペースだと腰痛が軽減されるのか?

これは、腰痛は腰だけの問題ではないからだ。

歩くという動作ひとつを取り上げてみると、

地面に足裏がついて、歩くために土を蹴り上げる。

その蹴り上げるための足裏の筋肉は、足首、ふくらはぎ、前脛骨筋、膝関節、大腿四頭筋、ハムストリング、股関節、腸腰筋、腰椎へとずっと連なって動くのだ。

合わない靴を履いて20分歩くだけで、腰痛はやってくる。

このように身体のひとつひとつの部分は、面々と連なり合って全体としてはじめて機能する。

 

膝に不具合がある場合、膝→股関節→腸腰筋→腰椎へと歪みは伝わって股関節痛や腰痛にもなる。ひいては身体全体の左右のバランスが崩れ、肩が凝ったり頭痛になったりもする。また逆も同様に腰が悪くて膝に痛みが出ることもある。

特定のある部分に痛みが出現したとして、根本の原因は他のところにある場合も多い。

和紙を綴じるコヨリを考えてみて欲しい。

ネジレをキツくするほど、まっすぐになる。

身体のある部分に小さなネジレがあると、身体は更にどこかをネジル。どこかをネジルと更にまた別のどこかをネジリながら、身体全体としてのまっすぐを目指すのだ。

身体は、部分と部分とが繋がりあいながら、それでも高みを目指す。作り出された歪みは、それがさらに極まるように時間をかけて進む。しかしそれは、生命体がバランスを保つための反応でもあるのだ。

 

足裏が床にぴったり着いていると、足裏から繋がる部分の筋肉の動きは最小限となる。

固定された下肢は、股関節の歪みを少なくし、腰椎に連なる筋肉の左右差をも軽減する。

こうして腰痛という症状が治まっていくケースも多い。

 

さて、ここで磯谷療法という治療法をご紹介したい。

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圧倒的臨床データが魅力!

これは、足首と膝下と膝上の3カ所を、それぞれ左右の足を揃えてギューとヒモで縛って下肢を固定して眠るというもの。この結果、膝や股関節、腰椎をはじめとする様々な不調が治っていく。

私がこの治療法を知ったのは、ずいぶん昔に数人の患者さん達がこの治療法で腰痛が治ったと教えてくださったから。その後に私は、小学校低学年の患者さんを紹介するため、先生のもとを何度か訪ねた。

それ以来私は、映画を観る時や飛行機に乗る時はマジックバンドを携帯し、こっそり両足首を束ねて縛っている。腰痛になりそうな時も、足首だけを簡単に縛って寝ている。

こうして自分の股関節の左右差を少なくするべく固定していると、腰痛が軽減するのだ。

  

さらに、ここで考えてみてほしい。

私達の何気ない癖や習慣というものがどれほど身体に影響を与えているかということを。

そして、そういった習慣や行動パターンを変えることがいかに難しいかということを。ほんのちょっとしたことであるにもかかわらずだ!

外的な強制的変化は、それがいかなるものであれ、身体の変化を余儀なく起こす。そしてそれは、それまでの自分の世界観をうち破るきっかけにもなる。

こんなことで長年の痛みが変わるんだ!という発見を伴って。。

 

また身体は絶えず動き続ける。

何かの症状は、様々に繋がりあう関係性の結果であって、微細な動きの連続の果てに表現されたもの。

外部環境がちょっと変化しただけでも、細胞達は、それまでとは違う有機的な繋がりを選んでいく。どんどん、選び続けていく。その結果、頑固だったはずの症状は変化する。

実は、いつでも選択している。無意識のままに。。

惰性に任せた選択をひとつ変えるだけで、そこから先は別の流れが待っている。

本当は、いくらでも変われるのだ。

 

こうして時折、

身体感覚を伴って、自分の身体の成り立ちを意識的に発見することができるのである。

 
 (後記) 

先日、中学・高校の仲良しだった友人と3、40年ぶりに再会して、ゆっくりと話す機会がありました。彼女は、中学時代の私の印象をこう言いました。

「不思議ちゃんだった。。今で言うスピリチュアルというか・・」と。

この言葉は、カウンターパンチのように私に響きました。

不思議ちゃん。。私が誰かを不思議ちゃんと思うことはあっても、自分が不思議ちゃんだと思ったことはなかった。。しかも私は、スピリチュアルにだけは見られたくないと、実は思い続けてきたのです。

だって、マッチ棒が何本も乗るほどの、まつ毛が長〜い綺麗なお姉さんに「ありのままでいいの」と言われても、なんだかなぁ〜って思っていたし。

あなたと私は過去世からの繋がりですとか言われても、どうなんでしょうか??と。

シンクロという言葉も、不用意には使わぬように極力注意してきました。

そして何より怪しい治療家と思われては、ハリの神様に申し訳ない!という想いがありました。

昨今のスピリチュアルに対する私の抵抗は、かなりのものがあったのです、ハイ。

 

でもね、ま、バレてたわけですね。

 

幼い頃からずっと私は、現実よりも見えない世界に興味があった。

興味なんてものじゃない、確信があった。

私がいるココは幻世で、真実は見えやしないと思っていたのですよ。

治療家になってからというもの、大手を振ってさらに不可視の世界にのめり込みました。気とかエネルギーとかを仕事で扱うのですからね。そうしていると、さらに面白い体験がいろいろ起こり続けて止まらない。

ま、いいですね。不思議ちゃんでも、スピでも。古い友人の言葉でスッキリしました。

きっと私の見えない世界への確信は、身体を扱わせていただいている今の私の仕事に役立っているのだと思います。たぶん。。

何かの症状をみても、その奥にあるナニモノカに目がいくのだと思うのです。

 

長年私を支えてくださっていた患者さん達も、こんな私を優しく見つめてくださっていたに違いありません。ありがとうございます。

自分についても発見した日々でありました。

毎日は、なんと発見に満ちていることでしょう。

 

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2020年3月6日、苫小牧市上空で飛行機の中から撮影したUFO

(なお、文中に登場する患者さん達の承諾を得て掲載)

 

 こちらの記事も参照

garaando.hatenablog.com

 

garaando.hatenablog.com