治療家の私には、患者さん達の様々なエピソードを聞かせていただくという、ありがたい特権がある。その中のひとつを紹介したい。
あの当時その方は82歳。横浜からご自分の運転で私の治療所へ来てくださるダンディで陽気なご老人だ。ある時、親友のお通夜へ行った時のでき事を話してくださった。
「ここに席があるからこっちへ来いと手招きする人がいる。よく見たらそれは30年近くにわたり絶交をしている天敵の憎っくきヤツなんだ!あまりに私を呼ぶのでね。仕方なくその席に座ると、彼は嬉しそうに私に話しかけてくるんだよ。ボケっちゃったのか?と思いつつ、お通夜の間中、隣の彼のことを考えていた。そもそもどうして彼とケンカしたのか?どんなに考えてもその理由が思い出せない。忘れちゃった!どうしてあんなに嫌っていたのか全くわからないんだよ。オレもダメになったなぁと笑えてきたよ。それで帰りはその彼と行きつけの蕎麦屋に行って故人を忍びつつお酒を飲んだ。なんか意気投合しちゃって、これが結構楽しくてね。また来週会うんだよ。全く人間の感情ってのはいい加減なもんだね。」
いい話だなぁと思った。年を取るのも悪くないなぁって。
今回は、この感情というものに焦点を当ててみたい。
人が大人になるとはどういうことを言うのだろうか。
肉体の成長は目でみればわかる。
知能や認知の発達もほぼほぼ周りからも感知できる。
しかし感情の成長は、計りうるスケールがない。
だからこそどこから見ても立派に見える大人が、感情的に成熟した人間であるという保証はないのだ。
そして幸か不幸か、好きとか嫌いといった感情こそが、多くの物事を決定していく。最もらしい理由は後づけされながら。さらにつけ加えるならば、憎しみが高じて犯罪に至ることもあれば、強固にも思えた感情が何かの拍子に溶けるがごとく変化してしまうこともあるのだから、これがなんとも扱いにくい。
心理学でいうところの心の問題において最も問われることのひとつが両親との関係性についてである。父や母との関係が後のあらゆる人間関係の基盤を作る。そしてこの関係性の問題とは、その関係から生じた自己の感情のことだ。感情は、いきおい他者へ向けての反応となり、自己の世界観を築く大きな要素となって、個人の性格をも形成していく。
感情的な態度は、大人としていかがなものかと嫌われる。理性的であることが大人の条件であり、スマートに映るのだ。
しかし実は世の中を動かすエネルギーのおおかたは、感情が握っているのではないだろうか。
今回はこの感情という大きなテーマの一端を、とりわけ人体における臓器と感情との関係に焦点をあてて、東洋医学の五行論に基づいて考えてみたい。感情というものがどれほど密接に体質や病気と絡んでいるのかを理解する手がかりになればと願いつつ・・。(太字は東洋医学用語)
五行論についてはこちらを参照
東洋医学では病気の原因のひとつに感情の変化をあげている。これは七情(しちじょう)と呼ばれ、「喜・怒・思・憂・悲・恐・驚」の7つの感情をいう。こういった感情が直接的に病気と関連するという見方は、西洋医学にはみられない東洋医学独自の特徴と言える。
たとえば憂いや悲しみなどの感情が強すぎると肺を傷つけるとされている。このように特定の感情には特定の臓器とのつながりがあるという。以下の表を参照しつつ、それぞれの臓器と感情との関係を、さらには人体に表われる色と体質との関係を見てみよう。
<五行による臓器と感情の関連>
五 行| 木 | 火 | 土 | 金 | 水
五 臓| 肝 | 心 | 脾 | 肺 | 腎
五 情| 怒 |喜/笑| 思 |悲/憂|恐/驚
五 色| 青 | 赤 | 黄 | 白 | 黒
木(もく)のエネルギー(上や外へと拡散する運動のエネルギー)を持つ「怒」について
頭にきた!というように、怒ると気血(きけつ:気と血のこと)が頭に上昇する。このため、そもそも拡散するエネルギーを貯蔵する臓器である肝、この肝の働きを怒りは促進させる。もともと肝にエネルギーのある人は、怒りっぽくイライラし落ち着きなく行動する傾向がある。あまりに怒りを溜めすぎると更に機能亢進して肝を傷めるし、逆に肝が病むと怒りっぽくなる。
(補足:鬱という病は中医学では肝鬱ともいわれ、外へ向かうべき伸びやかなるエネルギーが内へ向けられ閉じ込められた状態。怒りを健全に発散することが難しくなる。)
また怒りやすい人は頭の血管が浮き出て青スジが立つ。肝の働きの良い人の白目は青いなど、肝と青とには繋がりがあるとされる。
火(か)のエネルギー(熱を帯び上へ向かうエネルギー)を持つ「喜(笑)」について
喜んでケラケラと笑っている姿を想像すると、斜め上へ顔をあげて熱が発散されているイメージが浮かぶ。喜びには気を巡らせて、全身を緩ませる作用がある。しかし喜びすぎると心が乱れる。たとえば子供が翌日の旅行が楽しみで寝なくなる。また新居へ引っ越し興奮して疲れているのに眠くない。どんどん片付けができるものの、とうとう動悸、息切れの症状に至るといった場合がこれにあたる。不眠の症状は心(しん)に影響を与え、また逆に心が興奮したり弱ると不眠になる。これは中医学でいう心には、西洋医学でいう心臓の働きの他に精神の働きも含みメンタルとの関連が深いからだ。
高血圧や心臓の悪い人は、赤ら顔になりやすい。心と赤とには繋がりがあるとされる。
土(ど)のエネルギー(滋養を与え育むエネルギー)を持つ「思」について
滋養を与えるエネルギーだが、考えすぎると気が固まって巡らなくなリ、消化機能である脾を弱らせる。思い悩む性格だと消化不良となり、水はけが悪くなって体が重くなったりだるくなる。ストレスで胃潰瘍になるなど、考えすぎると消化器への影響は大きい。また消化器が弱いと考えがまとまらないという傾向もある。
消化機能が停滞すると、手足や顔色が黄色っぽくなる。また胆汁が円滑に流れないと黄疸などの症状が出る。脾と黄とには繋がりがある。
金(ごん)のエネルギー(重厚で変容させるエネルギー)を持つ「悲(憂)」について
悲しみすぎると気が滅入って失せてしまうため、生きるためのエネルギーをなくしてしまい更に肺を弱らせる。また肺が弱いタイプの人は、悲しみや憂いへの親和性も強い。体質としては喉や肌が乾燥して、便秘にもなりやすい。思い切り泣いたりするグリーフワークの手法は、悲しみを解消しエネルギーを動かすのに有効だ。
結核などの肺の病気だと、カサついた色白の肌になりやすい。肺と白とには繋がりがある。
水(すい)のエネルギー(潤いを与え下方へ流れるエネルギー)を持つ「恐(驚)」について
驚いて腰を抜かすといわれるように、恐れや驚きが強いと気が下降して抜けてしまい、下半身に必要なエネルギーが回らなくなり腎を傷める。生存本能を脅かされるような恐怖の経験があると腎の持つ生命体のポテンシャルを発揮できずに発育不全となる。また腎が弱い人は、何事においても恐れが強い傾向がある。
腎が衰弱すると顔色は黒くなる。腎と黒とには繋がりがある。
このようにさまざまな感情は特定の臓器と密接な関係があるのだ。
また怒りの下には必ず悲しみがあるように、感情どうしも層をなして繋がりあっていて、はっきりと特定できる感情に割り切れないようなグレーゾーンもある。各種の感情は単体で存在するのではないため、痛みの表現が個人の体質によって異なるということも覚えておきたい。
感情はどこから湧いてくるのか。
どうして悲しみにばかり反応するのか。
なぜこうも恐れて最悪のことばかりを心配するのか。
思い悩むばかりで、かくも行動することができないのはなぜだろう。
いちいち怒りっぽい性格は変えられるだろうか。
こういったメンタルの疑問を持った時、
身体の具合を考えてみることをお勧めしたい。
こんなに悲しく感じるのは、肺が弱っているせいかもしれない。
あの人があんなに怒るのは、きっと肝がやられているのだろう。
こんな風に考えられれば、感情にすっぽり呑み込まれる前に身体へと意識がいくと思う。
良きにつけ悪しきにつけ、感情エネルギーの持つ威力は計り知れない。
ただ単にストレスだと決めこんでやり過ごすのではなく、
身体をいたわることができれば、ストレス自体も軽くなるはず。
感情的な辛さについて、身体からアプローチする重要性を今一度考えてみたい。
(後記)
健全な肉体に健全な精神が宿る。
小さい頃からこの言葉が嫌いでした。
健全な肉体とは何を指すのか?弱者切り捨てのような文言に聞こえたのです(弱者というのも適切ではないですが)。また健全な精神というものがあるのだろうか?などとも思って・・。いわゆる「健全」という言葉に抵抗する自分がいました。まぁ、こんな私が健康を扱う仕事をしているのですから、全くもって人生の一寸先は闇でござんす。
ただ陰陽五行論に出会ってからは、自分の中の凸凹がどちらかに振り切れることなく適当に行ったり来たりする、このことを健全というのだと理解できました。思えば長い年月がかかったものです。
また「パワハラ、モラハラ」という言葉もソコココでよく聞くようになってきました。
患者さん達の話を聞いていると、実際持って酷いパワハラもあって、これはなんとかならないものかと思うこともあります。
ただ、人間関係というのはある程度のパワハラはつきもののようにも思います。誤解しないでくださいね。ある程度の、ということで。
さまざまな事象にパワハラといったレッテルが貼られてしまう。なんでもかんでもこのレッテルを貼ることは、問題の表面だけを簡単に浮き彫りにすることで、かえって感情の本質的な問題に降りていけない気もするのです。
そもそもどうすれば感情の成熟度を増すことができるのでしょうか。
私もあなたも!
この時代にあって、各所で分断が進んでいく感じがしています。
そしてこの分断のオオモトには、感情が渦巻いているように思えるのです。
感情の成熟度を増す。
このことの必要性を感じていますが、あまりにも難しいことなので、
まずは自分の臓器と感情との関係を整理してみようと思いながら書いてみました。
長いブログを変わらずお読みくださる皆様、今年もありがとうございました。
いつまでも大人になりきれない、そんな老女になりつつあります。
ああ!遥かなるかな、成熟という2文字!
ですが、、また来年もコソコソと書いていきたいと思っています。
どうぞ皆様、良いお年を!
(なお文中の患者さんのお話は了承を得て掲載)