“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

勝手に陰陽論21 知らぬが仏

 閉じられた世界が外界へとつながるためには、出入口が必要となる。家でいうなら玄関。その玄関の扉は、世界中で日本だけが外へとひらく。こう教えてくださったのは、イギリスにながらく暮らしていた患者さんだ。内側から外へとひらく "外びらき" の日本。これに対して外側から内へとひらく"内びらき" は、欧米をはじめとする諸外国。これには、いくつかの文化的背景があるという。そしてこの外びらき文化は、日本人の特質にも少なからず影響を与えているにちがいない。自分から扉を外へむけてあけないかぎり世界とつながらないだろう日本人。一方でみずから扉をたたきにいく欧米人。あるいは、自己の領域はまもったまま外に対してひらく日本文化。対して自分の内側へと向かいいれる欧米。日本人は自己のバウンダリが欧米人にくらべて弱いと感じていた私にとって、これは意外にも思えた。日本人こそ外から内へ侵入されやすいのではないだろうかと思っていたのだ。しかし観察をつづけてみると、おもしろいことがわかってきた。

 たとえばガンなどの病気を診断される場合を考えてみる。ながらく日本では本人への告知はタブーとされてきた。「本当のことを言ってください!」と自分から医者に懇願して(内から外へとひらく)、やっと教えてもらえる時代が続いていた。いまでは、いとも簡単にステージや余命期間が告げられる(外から内へ向けてのアプローチ)。いきなり、淡々と、アッサリ、ズバッと・・言われた・・。患者さんたちはその時のとまどいや驚きなどを話してくださる。彼らの反応をみるにつけ、マニュアルで決めて一律に告知するのはどうなのだろうと思ってしまう。欧米人の友人たちが語る状況とずいぶん異なっているからだ。彼らも命にかかわる病を告げられたなら、相当にひどいショックを受ける。しかしその後のねばり強さに驚かされる。治療方法を研究し、自分にあったものを積極的にとりいれる。こういった一定のメンタルの強さが彼らの根底にあるように思う。自我の強さなのかもしれない。私の患者さんやまわりの方たちの反応は、まずは精神的ショックが大きすぎて動けなくなる方が多い。期待して落とされるというヌカ喜びはつらいから最悪を想定しておきたいといわれる方もいて、アキラメもはやい感じがする。本当にアキラメるわけではもちろんない。迷いつつも乗ってしまったレールにしたがい、医者におまかせするといったスタンスをとる方が多い。自分から積極的にほかの治療方法を求めていくケースは少ないうえ、病状について担当医に質問することすら遠慮する方もいる。聞いてもよくわからないし・・と。自分から手をのばさず、とりあえずよしとするといった謙虚でもある姿勢がうかがえる。

 また高齢者の末期ガンがいつのまにか治ってしまった、あるいは進行がとまってしまったケースもある。高齢ゆえに、なにも治療しないという選択を家族もした。本人は、自分の都合のいいようにその告知内容をぬりかえ、あるいは耳が遠くて聞こえず・・。こうしてすっかり病気のことを忘れてしまう。忘却によるストレスフリーが、いつしかガンの進行をとめることもあるのだ。 

 これに対して脳ドッグなるもので腫瘍がみつかった高齢者のケースがある。軽い気持ちで検診を受けたのに・・。それまで元気で海外へ旅行したりゴルフに出かけたりしていた方の生活は、ガラリと変わる。知ってしまった以上、もう元にはもどれない。オペをして一命をとりとめる場合もあれば、知らなければよかったと最期まで後悔されるケースもある。検査は命を救うこともあれば、寿命を縮めることもあるのだ。このように時として事実を知ることは運命の大きな分岐点となる。

 知らぬが仏。事実を知らないがゆえに心を乱されず仏のようにいられるという意味だ。

 閉じられた世界の全き幸せ。外からの雑音が聞こえない、完全無欠の自分の世界。これは最高の救いになるだろう。また自分をとりまく世界は、数えきれない要素が複雑にからみあっている。さらにそれらは刻々と変化しているのだから、どんなに頑張ったとしても、その起こっている事実のすべてを知ることは決してできない。つまり多かれ少なかれ、誰しも "知らぬが仏" の世界で生きていて、その恩恵にあずかっていることになる。

 

 ここで、このことを陰陽論で考えてみたい。

<陰陽論とは、古代中国思想を構成している理論のひとつである。陰と陽という2つの要素が自然界の運動と変化の基軸となり、あらゆる日常の栄枯盛衰といった自然摂理をつかさどっているとされる。陰とは集約され、凝縮される方向(下・内)へと向かうエネルギーをさし、陽とは放出し、拡散される方向(上・外)へと向かうエネルギーをいう>

  内へと向かう世界観をあらわす "知らぬが仏" は、"陰" となる。

 これに対して "目から鱗がおちる"という諺は、外へとひらかれる "陽" をしめす(勝手なる持論です)。 "知らぬが仏" ときめこんだ、安定した日常のなかで、なにかの拍子に  "目から鱗が落ちて” 外の世界へと開かれる。突然にちがった風景がひろがりはじめるのだ。

 陰と陽とがおりなす、こういう世界のなかに、私はたぶん生きている。

 今日もまた "知らぬが仏" の安寧とも思える暮らしの傍らで、世界の動きは縷々と流れているのだ。

 

(後記)

 今回は、私が感じている人々の傾向を一般論で書かせていただきました。〇〇人といったひとくくりにする言い方は、乱暴すぎると思っていたのですが。

 先日解散総選挙が終わり、戦後3番目の低さの投票率と知り、なんだかグッタリしてしまったのです。世界では戦争を終わらせることもできないどころか、ますます混迷をきわめています。 日本においても貧富の格差はひろがり物価もあがる。税金のインボイス制などの従来のシステムについての変更が余儀なくされ、疫病やワクチンの危険にさらされる。人々のあいだにおこる分断は、情報を認知しているか否かによって起こっているように思えますし、情報すらファクトチェックが必要です。このイマにあって、"知らぬが仏"  率、いくらなんでも高すぎでしょう?!と思ってしまったために、この記事となりました。投票率についても、高ければいいというわけでもないと思っていますが・・。まぁこんな今だからこそ、知らぬが仏にならざるをえないのかもしれません。そんなことを思いつつ・・。

 

台湾、台北龍山寺にて屋根におどる龍を撮影

 

”目からウロコが落ちる” は、こちら

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身体感覚をひらく9  イメージ療法

 私がその話を聞いたのは、鍼灸学校へいきはじめたころだった。太極拳や気功、合気道といった "気" にまつわる世界を知りはじめた、あのころの話だ。すぐれた気功師は、極寒の場所にいてもイメージしただけで汗をダラダラかくことができるというのだ。たとえば冬のロシア南東部、イルクーツク州。このシベリアにあるバイカル湖のほとりに立ったなら、濡れているタオルは一瞬にしてカチカチにかたまり、まつ毛も凍りつく。それでもなお、半袖姿の気功師は体温をあげて汗だくになることができるらしい。どうやったらこんなことができるのだろうか。彼はイメージするという。自分はいま、太陽がジリジリと肌をこがすほどに照りつける赤道直下の場所にいて、しかも目の前には燃えさかる焚火🔥があると。 

 ところでみなさまは、インベーダーゲームという一世を風靡したゲームを覚えていらっしゃるだろうか。左右にうごく砲台を操作して迫りくる敵  "インベーダー"  を撃ちおとして全滅させるというものだ。このゲームがはやったころ、9歳のギャレット・ポーター君は脳腫瘍を発症した。シューティングゲームが好きだった彼は、自分の頭のなかを太陽系の宇宙とイメージし、脳腫瘍はそこへ侵入してくる小惑星と設定する。自身は戦闘隊のリーダーとして小惑星(脳腫瘍)を撃退する。この空想ゲームを彼自身の頭のなかでくりひろげていたら、腫瘍が消えてしまった。このことからイメージ療法なるものが生まれた。さらにこれを組みいれて発達したのが、アメリカの精神腫瘍医であるカール・サイモントン博士が確立した "サイモントン療法" とよばれる治療法である。今では統合医療のひとつのメソッドとして有名だ。

 これら2つの話に共通する "イメージする" という手法。どうやらこれには、科学ではいまだ解明できない力があるらしい。われらはどうやって、この力を自分のものにできるのだろうか。私は、ハリのすばらしさを体験させてくださった田中美津さんからイメージ療法をならった。さらにさまざまな学校でセルフヒーリングのツールとしての呼吸法やトーニング、音叉といった身体感覚をひらきながらの治療法を学んできた。今回は、それらの手法をアレンジしてイメージ療法の核心にせまりたい。

 

 まず自分の好きなものを選ぶ。好きな景色、魅かれる国、愛する音楽、一瞬にして多幸感につつまれる香り・・。自分はどんな色が一番すきか。どんな場面で幸せを感じるのだろうか。好きな季節はいつで、どこにいる時がもっとも安心できるだろう。というよう五感をとおして、自分の好みをできるだけ具体的にさぐる。うすらボンヤリではダメだ。体感をともなって具体的にしていく作業とその過程こそが重要となる。

 自分にとって最もやすらぐ景色をえらぶときには、忘れられない旅先での絶景写真を見るのもよい。あるいは本屋にいって写真集を手にとり惚れこむ風景をさがそう。ネットでチャチャと何かの写真をえらぶよりも、本屋や美術館へ足をはこんだり、その風景を自分で描いたりする。もしその風景のなかに群生するヒマワリがあったなら、花屋さんでヒマワリを買って部屋にかざってその雰囲気を感じてみる。葉っぱや茎の手ざわりを感じ、花弁をかじって味を確かめたりしよう。好きなものを明確にするために、より多くのエネルギーをかけ細部に徹底的にこだわるのだ。最高に気にいった景色が決まったなら、できるだけ大きいサイズのポスターや絵にして部屋にはってみる。

 つぎに、そこに物語をつくる。自分がもっとも心地よいと感じる世界の物語を。

 たとえば波の音が聞こえるビーチ。太陽の日差しがまぶしいほどに照りつける。私はヤシの木陰に横たわり肌に太陽の熱をチリチリと感じながら目をつむる。人々のざわめきが波の音とまじりあいながらも耳にとどく。人の気配と遠くの雑音がありがたい。潮の香りがする。汗ばむ暑さのなかで、スゥ〜とふきぬける風の恩恵をあじわう。とその時、シンガーソングライターであるボビー・コールドウエルの曲が聞こえてきた。だんだんと音量がアップしていく。そのリズムとメロディにただただ我が身をゆだねてみる。

 あるいは、ここはカリフォルニア州にあるヨセミテ国立公園の林の中。そこにスポットライトように太陽の光があたっている場所を見つけた。そこには老木がたおれていて、ちょうど人ひとりがすっぽりと入ることができる大きさの穴があいている。そこに私は、ベビーピンク色のシルクコットンの布をしき、その老木におさまる。肌ざわりのよい、その布で全身をつつみこむと、母親のお腹の中にいるように安全で安心な場所となる。枯れた木と土のにおいがする。光がふりそそでいるのを感じる。鳥のさえずりが聞こえる。すがすがしい風が葉っぱの香りをとどける。やがて森の精霊たちがわが身をすっぽり囲んだなら、アイルランドの歌手であるエンヤの歌声がどこからともなく聞こえだす。

 このように自分が完全にリラックスできる仮想の空間をつくりあげ、さらに毎日寝る前にかならずそこを訪れて、自身が満たされた体験をする。決めた音楽をかけ、手ざわりのよい毛布にくるまり、お気にいりの香りでみたす。こうした準備のあとに、自分だけの物語をはじめる。五感をつうじてその世界に埋没できたなら、さまざまなストレスによって奪われてしまった自分のエネルギーをとりもどすことができるのだ。ポパイがほうれん草を食べるように。毎夜毎夜おなじことをくりかえす。こうしてこの行為は、いつしか儀式となる。自分だけの儀式に。さらにその儀式は型となり、その型自体が自動的に力をもつ。脳腫瘍を侵入者として絶滅させた少年が、仮想空間に現実をひきよせることができたように。ひとたび壁にはられたポスターを見る。すると身体が条件反射的にゆるんでいくなら最高である。

 

 では、どうしたらこのイメージ療法の効力をわがものにできるのだろうか。この決め手は、身体感覚をひらくことににある。思考をだまらせ、まるごとの自分になるのだ。ここではそのための身近な訓練方法をみてみよう。

 たとえば色について。人は色を視覚にたよって識別している。その他に触覚でも感じることができるように訓練する。真っ赤なリンゴをさわったときと青いリンゴをさわったときとの感触のちがいを比べてみる。まとった洋服の色によって気分がまったく変わることを意識するのもいい。あるいは実際に赤色の入浴剤を入れたお風呂につかったときにどんな感じがするだろう。深紅のバラの花びらいっぱいのお風呂ではどんな気分になるか。花びらをかじって赤色を食べ、赤いお湯につかって全身の細胞が赤くなるとイメージすると、身体はどう変わるだろう。深い森を訪れたときに、緑色のエッセンスをふくんだ空気を思いきりすってみると、どう感じるのか。さまざまな色のもつ力を自身の身体にとりこんでみよう。

 またたとえば温度。冷えて固まっていた身体が熱めのお湯につかったとき、ひもとかれるようにジワジワと細胞が開いていく感じがしたら、この感じ!と意識してじっくりとあじわう。どんどん身体が冷えてきたのなら、足先の感覚がなくなって固まっていく感じをおぼえておこう。冷たい氷をつかんだら、指が氷にくっついて痛みを感じるその瞬間の感覚を意識してみよう。この感じ!と意識をむけるだけでよい。

 もしコンニャクが夕飯のおかずについていたら、それを食べながら身体がコンニャクになると遊んでみる。タケノコを食べながら、ニョキニョキ伸びる身長を想像してみる。キンキンに冷えたビールを飲んだなら、その冷えがノドや食道をとおって胃に落ちていくまで追っていく。内臓が冷えるのを味わえる数すくない体験にちがいない。

 このように、ありきたりの日常のなかで訓練できることばかりだ。思考をだまらせ、徹底的に自己の内側でおこっていることに集中する。

 

 イメージ療法は治療法だと思わずに、"遊び" としてやってみることをオススメする。なにも知らない子供が全身をつかって世界を認識しようとするように。さあ、今から自分だけのイメージ療法のしたくをはじめてみよう。

 

(注) 

 イメージ療法の準備段階で注意してほしいこと。たとえば凍りつく氷河や寒々とした流氷がうかぶ寂しい風景が好きという方もいると思う。黒い箱におしこめられて絶対的な孤独がおちつく人もいるだろう。しかし身体がゆるんでいくことが療法としては大事なので、暗いよりは明るい、寒いよりは暖かい、痛いよりは心地よい、悲しいよりは嬉しい、キツいよりは優しいといった方向性を持つ仮想空間を選んでいただきたい。いくらドクロのモチーフが好きでも、その模様のついたブランケットにくるまるのも避けたほうがいい。音楽の選曲も、ロドリーゴのアランフェス協奏曲よりパッヘルベルのカノンをおすすめしたい。

 

(後記)

 前回のブログで、ジャングルを想定して寝たらぐっすりと寝むることができたと書きました。これは、トタン屋根にぶつかる雨の激しい音(聴覚)とまとわりつく湿度(触覚)があったからこそ、容易に仮想世界にはいっていけたのです(朝になって気がつきました)。頭でイメージするだけだと、無意識の世界へはいっていくのはむずかしいです。イメージをふくらませながら遊ぶ。そんな子供時代にもどって楽しめたらと思います。ま、コンニャク食べながらコンニャクになるなんて思っている大人は、あまりいないでしょう。確実に友人を失うかもしれませんので、ご用心ください。なお私は、寒い冬の雪のなかで汗をかくなんてとってもできません。あしからず。

 

メキシコ、トゥルムの海岸にてカリブ海を撮影。

 

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繋がりあう世界8 われら、アナなり 

 雨がふる。ここ、小樽の片隅に激しい雨がふる。大粒の雨は、トタンの屋根にするどくぶつかり、スタッカートで突撃的な音をたてる。屋根一面に銃弾があびせられるよう。真夜中の激しい雨は恐怖をよびおこす。こんなことでは眠れやしない・・。私は発想の転換をせまられた。ここは熱帯雨林のジャングル。そう、ここに天からいっせいに巨大な黒いカーテンが落ちてきた。ジャングルのただなかでモンステラやフィロデンドロンといった大ぶりの葉っぱ群にまもられて私は明け方まで眠るのだ。雨よ、ふれ!天の涙を大地にたたきつけよ。気のすむまでに音をはなて!ここはジャングル。たしかにジャングル。。ジャング・・。。

 目ざめてみて私はおどろいた。しばらく味わったことがないほどに深い深い眠りだったのだ。爆音とむせかえるような湿度のなかにもかかわらず。ひどくスッキリした身体が不思議だった。昨夜の大雨はすっかりやみ明るい陽ざしのなかに、うっすら湿度がかおっている。ジャングルという大自然のなかで眠る。こう仮想しただけで、こんなにも身体が変わるのだろうか・・。

 

 築96年にもなる木造のわが家。落ちかかっている漆喰の壁を改修しなくてはならない。2階の部屋は、夏になれば畳が焼けるほどにむし暑く冬になると凍えるように寒い。壁に断熱材をいれたいと思った。夏の適度な暑さと冬のここちよい温もりをめざして。木造建築の専門家たちに相談してみたら、このように告げられた。「断熱材を入れるのは人間にはいいかもしれないけれど、家にとってはどうかな? たとえ自然素材の断熱材であっても、古い木造の建物はやってみなくてはわからない。呼吸できなくなると柱が腐るというような思わぬリスクもある」。結果、家ファーストということで、われら住人は寒さで息を殺しても家が呼吸できることを選択したのだった。どうなの・・?これ!

 

 古い木造の家は、いちいちうるさい。風にあおられると窓ガラスはガタガタ揺れる。あいつぐ突風だったりするとそれはそれはゾッとする恐怖の館に変貌するのだ。トタン屋根に雨がポツポツとあたる音やシトシトと地面におちる雫(シズク)の音は心をおちつかせる。雨どいをつたう大量の水がたてるザーザーという激しい音。バケツをひっくりかえしたような雨が地面をたたきつける音。やさしい音も恐怖で心をざわつかせる音もさまざまだ。家のなかで何をしていても外の天候がわかってしまう。

 ひとたび雪が屋根につもりはじめたなら、ドアやフスマは雪の重みで開け閉めがスムーズにできなくなる。うっとうしい長雨がつづくと玄関の木製ドアは、湿気をふくんで重くなって膨らみ、青空におおわれたならばスッキリとスマートになる。ドアは太ったり痩せたりする。そして乾いた空がひろがる日には、家中の窓をあけたくなる。すると家のなかに風がとおり、やわらかな熱をまとった光があそぶ。そして畑の大根を力まかせにぬいたならプ〜ンとたちのぼる、あの土の香り。それが木々のはなつ清涼な空気とともに庭からやってくるのだ。

 こんな家に暮らしてみると、自分のいる場所は外の世界とわかちがたく繋がっていると体感せずにいられない。さらに大自然のなかで自分は小さな小さなパーツにすぎないというような、そんな感覚を私の皮膚が、触覚が、細胞が感じとる。

 

 東京のマンションに暮らしていたころは気楽だった。激しい雨でもサッシの窓を閉めてしまえば、みごとなほどに外界から遮断された。外はどうあれ安全なわが家というかんじで。ときに轟く稲妻は、頑丈なサッシにまもられて鑑賞する花火にちかいものがあった。この距離感こそ都会の魅力でもあると思う。

 イヤホンで聴きたい音楽だけを聴き、外界からのよけいな音には耳をふさぐ。マスクで呼吸をとめ、さらに嗅覚も遮断する。見たいものだけをおって、ずっとスマホをみていられる。こうして選択的に目をとじて耳をふさぎ呼吸もとめて、外界と自分とのあいだに好みの距離をたもつ。主導権をにぎるのはいつも自分でいられた。

 

 しかし・・。

 われらは、アナなり。

 目も。鼻も。口も。さらに耳から、おへそから、尿道から、膣から、肛門から、そして身体じゅうにある毛穴という毛穴からも、情報や刺激はやってくる。そして東洋医学でいうツボは穴(アナ)という字だ。全身に360個以上ある  ツボ  というアナからも。これらあらゆるアナから、私たちの身体は外界とつながっていてエネルギー交換をしているのだ。とりまく環境が自らにあたえる影響。これがはかりしれないほど大きいのは、アナというアナをとおして我らの肉体にしみこんでくるからにちがいない。

 

 私たちの肉体の実態は、透過性のある膜でしかない。そしてその膜は、私たちのすみか。いわば家なのだ。

 木造の家の壁に断熱材をいれたなら、呼吸がとまり柱が腐ってくるかもしれない。

 

(後記)

 年々自然災害の被害は予想できないほどに大きなものになっています。サッシの窓をしめれば安全なわが家。こう思えた時代はおわりつつあるのでしょう。自然の猛威がふるわれる映像をみるにつけ考えさせられます。私たちと自然とがどのように繋がっていけば希望の光がみいだせるのかと。まずは私たちの身体と自然との繋がりを考えてみようと思い、今回の記事となりました。

 また今月、私にハリのすばらしさを教えてくださった田中みつさんの訃報を聞きました。1970年代にフェミニズム運動の旗手であったみつさん。いったいどれほどの時代の影響を受けつつも、そのなかで闘っていらしたのだろうか・・。次回はみつさんから習ったイメージ療法をみなさんにお伝えしたいです。この記事がイメージ療法の伏線にもなっているとも思います。

 みつさんのご冥福を心からお祈りします。

 

ミクロネシア連邦、西太平洋にうかぶポンペイ島の熱帯雨林にて撮影

 

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雑考10 オールドケアラー

 ポッカリと大きくひらいた口の奥に銀歯がひかる。母ヒサコのムンクの叫びににも似た寝顔を見つめつつ、私は患者さんから言われたセリフを思いだしていた。「いい?!サカウシさん。これからお母さまのお近くにいらっしゃるのなら、このことだけは肝に銘じておいて。ながきにわたって実母と同居してきた私だからこそ自信をもっていえる。結婚後も私は母と同居してきたの。さいわい相方と実母とは相性がよくて・・。でも母娘で散々やりやった結果、やっとたどりついた結論。母とあらそっても、いい事はひとつもないってこと。ヒトッツもよ、ヒットッツも!だからね、さからっちゃダメ。自分が疲れるだけなのよ」

 彼女は東京をはなれる私にどうしてもこのことを伝えたくて治療に来てくれたというのだから、ありがたい。彼女はつづけた「本気でわかりあおうなんて思っちゃダメ。テキトーに流すのよ。いろいろ言われてもお願いされてもテキトーにするの」。そうかぁ・・。私はそれができないと思って、こうつぶやいた「でも意見がちがう時につい自分の思ってることを言っちゃう」。「そういう時はね、聞こえないフリをするのよ。相手だって大してこっちの言うことを聞いちゃいない。都合のいい時しか聞こえないし、都合のいいように聞くのよ。だからこっちも聞こえないフリをして返事をしないの。意見は戦わせない。これ、鉄則よ、幸せになるための大鉄則!」

 私は鉄則を守っているだろうか。母はブタのなき声を思わせる大音量のイビキを、いつものように響かせている。無防備な母の寝顔をみつめながら思った。ここ数ヶ月、私は何度この鉄則をおもいだしたことか・・。

 私が小学1、2年生の頃、母はいつも手首に輪ゴムをはめていた。その輪ゴムは肉にうもれて見えずらかったが、つねに2本はあったのだ。何かを結ぶときには、その輪ゴムをパッとはずして用だてる。その機敏さが頼もしい母の象徴だった。それが今では皮膚はゆるんでシワシワとなり、輪ゴムすらキッチリとまらない。母の肉体は、確実に細く小さくなって、しなびてきてしまった。これに対して精神は、勢いこそ減ってはきたものの、はたして衰えてきたといえるのだろうか。

 母ヒサコはイノシシ年の生まれもあってか、とにかく気がせく。明日用事があるとしたら、前日からハカハカしている。見かねた私は ”イマココに生きる” 関連のさまざまな本をすすめて、”イマココこそすべて” と伝えてしまった。これが失敗のはじまりだった。母がアイスを食べたいという。今日はずいぶん甘い物を食べちゃったから明日にしようなどと私がいうと、ワッチ(母はみずからをこう呼ぶ)はイマココを生きたい!というではないか。また私が事務仕事をしていても、母が片づけてほしいものがある時には、ここを綺麗にしてちょうだい!イマすぐに!と。自分の用事はイマイマイマと私をせっつき、私からの要求は身体がつらいからアトでといってスマホを見ている。おかげでめっぽう芸能と皇室の情報にくわしい。「お母さん、イマを生きるのが大事なのではないの?」と私が説教めいたことでも言おうものなら、ニヤリと笑って「ちがう!イマナカでしょ。イマのドマンナカ、イ・マ・ナ・カよ!」と得意げにのたまった。

 母がちょっとでも掃除しはじめたなら、私はイヤな予感がする。私の時代だったら、そこかしこがこんな風に汚いままではいられなかったと暗に私をせめるからだ。このような時に私は鉄則をおもいだす。そして自分をなだめつつ「でたでた!ワタシサマ!」と心の中でつぶやくのだ。ある時どうにもガマンができなくなって、私は母に言った。私が枕ことばをいうから下の句をつなげて。「イマだけ、ココだけ」と私が言ったら、ワッチは大声で「自分だけ!」って言ってねと。すると母は、嬉しそうに親指と人さし指を丸めてオーケーマークをつくった。おおかたノリだけはいい。そして、私が「イマだけ、ココだけ、ハイ!」というと間髪入れずにワッチは大声で「自分だけ!」という芸を身につけた。ハラがたった時は、これにしよう。どこかで少しでも私のモヤモヤを解消しなければ身がもたない。笑いにすれば戦わずにすむ。この後、この芸は種類がふえた。私が「いつでも、どこでも、ハイ!」と言うと母が「ワ・タ・シ・サ・マ!」と答えるのだ。

 私が母の検診で病院につきそった時のことだ。保険証や診察券をだすのに母のバッグの中をさがすと、なにやらチャックやらヒモつきの袋がいっぱいあった。袋の中に袋がはいっているのもあって、あらビックリ!さらにおどろいたのは母のスマホに着信があったときだ。スマホも袋にはいっているのだから、電話がなったとて迅速にでることはできない。まずはバッグの中でフルフルふるえている袋をみつけて、閉じたヒモやチャックをあけなくてはならない。携帯はそのままバッグにいれてこそだろう・・。また長サイフは重いからという理由で、以前に私におねだりしてプレゼントを強いられたサイフを呆気なくやめた。かわりに、小さな皮の薄っぺらい財布にお札を半分に折っていれている。小銭入れは、また別の小さなチャックつきの布袋だ。なぜにこんなに袋が好きなのだろう。ふともしや脳の中がこういう風に個別の部屋にわかれはじめたのだろうかとも思った。ぐちゃぐちゃになるのがイヤで、小袋にいれてしまいこむ。こうして安心するが、実際に取り出す時は面倒になる。記憶もこうやって何やら仕分けた奥の方にしまいこみ、アクセスするのがむずかしくなるのではないだろうか・・。これは私の仮説だが、おって観察をつづけることにしよう。私は、いろいろな仕切りがあるバッグを選んでいる。袋ではなく仕切りで十分じゃないか。

 ある日私は、今日は何してたの?と母にたずねた。エッカマッカしてたと答える母。エッカマッカとは、母の造語でやりたいと思うことに身体がついていかず、動作がのろくていたずらに時間がすぎるといったときに母がよく使っている(注:エッカマッカを調べると、東北の方言で歩行が困難なさまをあらわすとあった!よろよろ、よたよたといったオノマトペだった)。今までなんなくできていたことができなくなって、とにかく時間がかかるというのは、きっと辛いことなのだろうなぁ・・。それにしても動きが思うようにいかなくても泰然として指図する母と、小物よろしくチョロチョロと動き回る私。いかがなものだろう・・。

 ある時、母がいった。昨日あなたがうっかり寝てしまった姿がちょうど見えたの。まるでムンクの絵みたいな、こんな顔してたわよ!と顔マネつきで教えてくれた。ぐったりして買い物へでかけると雨がふってきた。はいっているはずの傘がみあたらない。仕切りの多いバッグをあそこかここかとアセッて探した。いろいろな物がはいっている、それぞれの仕切りの中を。

 ふと自分は、今まさにエッカマッカしているのだと愕然とした。

 

(後記)仕事柄、介護される側とする側、あるいは親サイドの意見や子供の立場からの見方など、いろいろなお話を聞いてきました。その度にそれぞれごもっとも!だと思いながら。今回は、ヤングケアラーならぬオールドケアラーの目線で書いてみました。母にこれアップしてもいい?と読んでもらったところ、「まるでちっとも優しくない母親みたいだけど、母娘や家族関係ってきれいごとではすまされない。だからワッチはどう思われてもいいよ」とのお許し。おおらかな母にも感謝しつつアップします。

 

曇天の小樽運河を撮影

東洋医学各論20 体温と免疫

 みなさまは、 "からまん棒" という名前の洗濯機があったことを覚えているだろうか。1980年代に広告のコピーが斬新におもえた、あの時代の話だ。ネーミングに私は惹きつけられた。というのも、ストッキングやタイツをネットにいれずにそのまま洗濯機にほおりこんでしまい、できあがった洗濯物にガックリきた経験がなんどもあったからだ。ストッキングが軸となり他の洗濯物が縦横無尽にからみついて渾然一体となったカタマリになっている。そんな時は、 "からまん棒”の洗濯機 だったら・・と思ったものだ(使ったことはありません)。そのカタマリをほどきながら、繊維質の多い食事が便秘を解消するわけがわかった気がした。つまり食物繊維がストッキングとおなじ役割をはたして、そこら辺に点在する老廃物をよびこんでそのカサをふやし、腸壁を刺激して排泄をうながすにちがいない。こう考えるとヨーグルトが便秘に効果的なのも、乳酸菌やビフィズス菌のおかげのみならず、吸着剤としてカサ増しに役立っているようにも思えていた。

 こういった仮説を検証するべく、治療家となった私は、患者さんたちの便秘にまつわる症状を食事量とエネルギー(熱量)の観点から調査するようになった。

 東洋医学には、虚(きょ)と実(じつ)という見方がある。 "虚" はエネルギーがうつろな状態をいい、 "実" はありあまっていることをさす。ひとくちに便秘といっても、"虚" の症状と "実" のそれとにわけられる。 "虚" の便秘はどちらかというと虚弱な人にみられ、エネルギー(熱量)不足のために腸が動かない。消化器がよわく少食の人が多い。このタイプの便秘解消にはある程度の食事量と熱量とを必要とする。 "実" の便秘は、熱量がおおすぎて腸内の水分が発散されるため便がかたくなって動きがとまる。大食で早食いの人に多く、酸化マグネシウムといった水分を腸内に再吸収させる薬がきく。このタイプは、熱量が上半身にかたよっていて全体的なめぐりがわるく、足が冷えていても気づかない。 

 そこで私は考えた。症状が虚であれ実であれ、便秘を解消するには熱量が大きな役割をはたしていると。熱量は少なくても身体は動かないし、多すぎても特定の部分の水分を蒸発させてしまい、身体の内部に偏りをつくる。熱量がめぐらない箇所は、冷えとなり古い血(瘀血:オケツ)がたまる。さて滞ってしまったカタマリをおしだすのにちょうどよい熱量が腸にまわるためにはどうしたらいいのだろうか。 

 ここで昨今いわれている「体温をあげると免疫があがる」あるいは「腸内環境をととのえて免疫をアップさせる」といった文言を思いだしてほしい。

 なぜ体温をあげると免疫があがるのか。それは体温があがると冷えがとれる。冷えがとれるとめぐりが良くなるからだ。めぐりがよくなると、邪気や疲労物質や老廃物をチャッチャカと体外へ押しだすことができる。つまりデトックス(毒だし)ができるのだ。

 「大丈夫!私の体温は36.5度以上あるから冷えはない!」と言われる方もいらっしゃるかと思う。しかし脇の下ではかる数値が36.5度以上あったとしても、つま先の温度は30度くらい。かなりの差があるものである。実際につま先や足が冷えている方は驚くほど多い。また皮膚表面と身体の深部との温度差もあり、骨盤内や臓器が冷えていても気づかない。体温という腋下ではかる数値だけを信じて自分に冷えはないとはいえないし、免疫が正常に働いているともかぎらないのだ(ココ、大変重要です!)。特に①のぼせやすくて、赤ら顔になる②肩や首がこる③頭痛になりやすい④顔や頭からやたらに汗がでる⑤ラーメンを食べると鼻水が出る⑥下肢に静脈瘤がある⑦足がほてって靴下をきらい、冬でも裸足でいる⑧婦人科系の疾患がある⑨ぎっくり腰になりやすい、こういった場合には冷えがある。確実にあるのだ。とくに暑がりで自覚のない場合には、冷えは重度と思ってほしい。

 またなぜ腸内環境をととのえると免疫があがるのか。腸はデトックス(毒だし)器官でもあるから。体内で不要となった毒素(邪気をふくむ。老廃物や疲労物質)は、皮膚の表面から汗や湿疹といった形をかりて、あるいは咳や痰や涙、鼻水や鼻血といった代謝物となって、さらに発熱といった症状をつうじても排出される。それゆえ東洋医学においては症状をおさえるのではなく出しきってしまうのをよしとする(注:症状をおさえる場合もあります)。さまざまなデトックス(毒だし)の中で、便秘の解消はとてもおおきな意味をもつ。

  

 ザックリいうなら、体温がアップすると冷えがとれて、めぐりがよくなる。また腸内環境がととのうとデトックスがすすんで、さらにめぐりがよくなる。こうして水はけがよく風とおしのよい身体ができたなら、外部からの敵にたいして、すぐに対処することができる。

 冷えがとれることによって、身体のなかで凍てついていた細胞が働きだす。さらに排泄機能もあがったなら、身体は動きだし流れができはじめる。とどまらずに動きだすこと。からまってもなお流れることだ。そう、流れこそすべて。

 

 これが体温をあげると免疫がアップする仕組みであり、冷えは万病のもとといわれる所以なのだ。

 

(後記) 今回は、冷えとデトックスとを題材にとりあげて、体温と免疫の関係について書いてみました。私が治療をしていて実感するのは、なんとみんな冷えていることか!と。それぞれの人がこまめに冷えとりができたなら、どんなに世界がやさしくなるだろうとも思うのです。

 これからの暑くなる季節を考えても、冷房による冷えは深刻です。とりわけご自分が低体温ではないから大丈夫と思っている方たちに、日ごろから免疫をあげてほしいと願っています。

 また最近、冷えとりの研究のために陶板浴なるものを購入しました。これがかなりのスグレモノ! 高額ではありますが7日間無料のお試しもあり。なお、このブログをお読みいただいた方でご購入希望の方は、下記のURLからでしたら1割引となります。一家に一台オススメです。もしもし良かったら! 

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パタゴニア フィヨルドにて約200万年前の氷河を撮影
 

 

今年もクールネックリングは御法度です!

garaando.hatenablog.com

 

こちらも参照に。

garaando.hatenablog.com

 

 

繋がりあう世界7 高血圧

 先日、小樽のシンボルである天狗山にのぼった。リニューアルされたと噂の山頂カフェテリアでラーメンを食べた。美味しくいただいたものの、ちょっと濃いめの味つけだったのでノドが乾く。水をゴクゴク飲みすぎたせいか、血圧があがっていると感じた。山頂は風がつよく肌寒かったせいかもしれない(寒いと熱が外部へ放出されるのを防ぐために血管が収縮して細くなり血圧があがる)。下山しているうちに体温があがりはじめ、全身にかるく汗をかき血流がよくなった。水分が放出されて体調は上々となったのだ。

 今回は、塩分と血圧(血管の中で血液が内壁をおす力)との関係について考えてみたい。

 

 いまや減塩商品はチマタにあふれている。醤油や味噌、ドレッシングといった調味料をはじめ、塩分ひかえめのレトルト食品も多い。これは高血圧などの予防のためだ。塩分(ナトリウム)を多くとると、血管内にもナトリウムがふえ血液の塩分濃度があがる。すると血管の内と外との濃度に差がでてくるので、浸透圧がはたらき血管の内部に水分がはいる。こうして血液の体積量がふえるため、血管の内壁を押す力はアップしてしまい高血圧へと向かう。

 過剰の塩分摂取は、腎臓にも負担をかける。浸透圧の原理によって量的にふえた血液。これを濾過して排泄する役割が腎臓にあるからだ。負荷がかかりすぎると、腎臓の濾過機能が追いつかなくなる。すると体外へ排泄できない血液がたまり、さらに体積はふえてしまう。血中の水分量をうまくサバクことができずに血圧もあがる。こうして負のループにはいってしまうと、心臓にも負荷がかかる。この高い血圧にうち勝って血液を送り出さなくてはならないからだ。よって塩分の取りすぎは腎臓にも心臓にもリスクになるという。

 

 本当だろうか?

   いやいや本当にちがいない。しかし水分量も関係しているのだろう。味の濃いものを食べた時は、むしょうにノドが乾きゴクゴクと水を飲む。それで体液量が増え、当然に血管内にも水分があふれ血管壁を押して血圧があがるようにも思う。喉が乾くという反応は、血中濃度を調整するための身体からの指令なのだ。お酒が好きな人に高血圧の人が多いのも、単純に水分量が多いからではないか。高血圧の薬が利尿剤であることもうなずける。となると、降圧剤(利尿剤)を処方される一方で、水分を多く摂るように指導されているお年寄りはどうなるのだろう。

 そもそも血圧は加齢とともにあがっている。年をとれば血流が悪くなるのは避けられない。血管は細くなるし、血液をおしだす力も弱くなるのだから。末端へ血液を送るために血圧があがるのは当然だろう。心臓から脳へと血液を送るために血圧があがるのは、認知症にならないためにも必要なはず。身体がおこす自然な変化には、いつだって理由があるのだ。

 ここで高血圧の基準をみてみよう。1960年代では上の血圧(収縮期血圧)が年齢プラス90以上を高血圧としていた。60歳だと60+90=150mmHg以上。その後1990年代になると、上が160mmHg以上になった。今では年齢にかかわらず140/ 90mmHg以上が高血圧とされている(注:2024年4月に160/100mmHg以上へ変更になったものの、この基準は一般に広まっていない)。このように基準値もいろいろ変わっている。なぜにこんなに変わるのか?これほどバリエーションが出てくる数値をどうとらえるのか。薬を飲むまえに考えてみてはどうだろう。

 降圧剤を飲んでいると、体温がさがりやすい。水分量を少なくさせる薬を飲むと血流もへり、末端まで血液が届かなくなる。血液がいきわたらない手足は冷える。私の臨床でも、身体が冷えてしょうがない人や寒気がしたりフラついたりする人が降圧剤を減らし、あるいはやめて体調が戻った例がいくつかある(医師に相談したうえで)。

 

 多くの方がいう。

 「血圧が140をこえたし、もう還暦にもちかいから一番かるい降圧剤を飲むことにした。自覚症状はないけれど病院の検査でひっかかって・・」と。

 私の臨床においても「高血圧の症状は思いあたらないけれど薬を薦められて、飲むべきかどうか迷っている・・」と相談されることも多い。

 こういう患者さんたちに、どうして血圧があがってきたのかといった視点にたってもらいたい。そしてそれは自分にとって許容範囲なのかどうか、生活を工夫することで変わるかどうかも試してほしい。たとえば頑張って水を飲んでいる習慣がある人はやめてみる。酒量を減らしてみる。運動して軽く汗をかく習慣をつける。ダイエットをして循環のよい身体をめざすといった工夫をするのもよい。ちなみにキリンは首が長いので血圧が高い。首の長さによっても個人差があるだろう。すでに薬を飲んでいる方で夜間の頻尿がひどい人(老人に多い)や低体温の人、あるいは目眩やふらつきがある場合には、それが降圧剤の副作用ではないかと疑ってみることも大事だ。その一方で家系的・体質的に高血圧が心配な場合も考慮しなくてはならない。血管障害をおこす糖尿病といった基礎疾患があるかどうかも。確実に薬が必要な場合も多いからだ。

 

 日本では高血圧の基準数値がどんどん低くなってきた。今まで正常とみなされていた値でも投薬をすすめられるようになっている。

 この背景をふまえ降圧剤の効用と副作用をちゃんと知ったうえで、自分に本当に薬が必要なのかどうかと自問してほしいと思う。

 

 ひとつの数値のみで健康状況を測れるほど人体は単純ではない。身体の中で水分がどのようにめぐっているのか、水分量といった量の問題をどうとらえるのか。また問題視される”塩分”。そこには精製された塩も天日干しの塩もふくまれており、ククリが大雑把すぎる。海水からとれた良質の塩にはミネラルが豊富で積極的にとるべきなのに・・。こういった体液全般にかかる問題や栄養面での食にかかわる課題を、より大きな視野で検討してみてはどうだろう。

 

 厳しすぎる基準値だけを拠り所にして降圧剤を飲む。このことを立ちどまって考えてみたい。

 

(後記)自然の中にいると、自分がその一部にすぎないという感覚が心地よく感じられます。太陽の光が満ちているこの空間に、そびえたつ山が彼方に姿をみせ、涼気をかもす湖が足下にある。木々の葉っぱは風の誘いをうけて、多彩な音をひびかせる。ここにある、あらゆるものが繋がって揺らいでいる感じ。こういった自然の中での関係性を人体にあてはめて見つめた時、切りとられた断片にすぎない数値もまた、自然に変化していく道がみいだせるのではないか・・。こう、常々思っています。

 

倶知安の半月湖畔自然公園にて、羊蹄山、半月湖、原生林を撮影。

身体感覚を開く8  手

 築96年となるわが家のドアノブは、あたりまえだが古い。回してドアを開けて回して閉める。しかし多くの人たちは閉める時にノブを回さない。ドアについているラッチは自動的に縮むような優れたタイプではないので、ドアは閉まらずドアノブは衝撃をうける。壊れてしまったら、同じようなドアノブはないらしい。人を迎えいれるたびにドアノブが気になってしまう。いまやドアは自動か、推すか引くか、ちょっと手をかざすとスーッと開くかといった感じで、手でノブをにぎって回すタイプは、チマタにはほとんど見あたらなくなってしまった。もし私の家がこれほど古くなかったなら、ドアは勢いでバタンと閉まるものだと、私だって思っていたにちがいない。

 テレビのチャンネルもダイヤルを回してかえていた時代があった。今となってはリモコンでピッと押せばすむ。チャンネルをかえたいと思ったら、イチイチTVのそばまでいってガチャガチャとダイヤルをにぎって回さなければならなかった。こんな時代があったことすら、若者たちは知らないだろう。電話だって、ダイヤル(回転式円盤)を指で回していたのだ。ジージーという音をたてながら・・。

 ドアの取手を推したり引いたりする、あるいはひとさし指でリモコンを軽くタッチする。こういった手の使い方を現代仕様だとすると、ドアノブをにぎって回す、ダイヤルをつまんで回す、1本の指でダイヤルを回すといった様式は旧式仕様といえるだろうか。このちがいは、とても大きい。まず道具との接触面が現代仕様はきわめて小さい。反対に旧式仕様は、道具との接触面がしっかりあり、さらにそこに持続的な力を加えなくてはならない。この場合、手の動きは肘から肩、肩甲骨、ひいては腰や下半身まで巻きこんだ動きになる。しかも回すという行為は、推すや引くといった一軸のベクトルで示される単純な運動とはちがって、多軸にわたって連動する力を必要とする。

 

 こんな事を考えていたら、保育園で働く患者さんが教えてくれた。「3歳〜5歳くらいの小さい子たちは、iPadの画面をスッースッーといとも簡単に動かすの。画面上で動く指の速さには驚いたわ!私はそのスピードにとてもついていけない」。彼女はつづけた。「なのに折り紙を教えたら、あれほどスムーズに動いていた指が全然動かない。手が使えないの。これにもビックリ!」。

 また小学校で図書室の先生をしている患者さんも言う。「私が展示物を作っていると小学4、5年生がよってきて手伝ってくれるというので、ハサミを渡したの。ここをこう切って!とお願いしたのだけど、ハサミが使えない。まっすぐ切れない・・。しかも雑!なんか不器用な子が多くなっている気がする」。

 

 一般に日本人は器用だとされていた。

 ある時期、歌手のマドンナが話題になったことがある。専属のマッサージ師が日本人でゴッドハンドと噂された。そんな風に形容されるマッサージってどんなのだろう・・。チョット気になっていた私に、海外の事情にくわしい患者さんが言った。「ゴッドハンドなんていわれて喜んでいる人をチラホラ見かけるけどね。海外では日本人はみ〜んなゴッドハンド!本当だよ。それだけ日本人の手の感覚って、ちょっと特別だからね・・」。

 また日本人は、ヒヨコのオス・メスを見分ける特殊な能力があるらしい。手の上にヒヨコをのせる。その感触の微妙な違いで性別をみわける職人技だそうだ。この鑑定法は欧米人には向いておらず、手先が器用な日本人の特殊技能といわれていた。

 

 器用なはずの私たちの手。

 生活が便利になるにしたがって、複雑な手の動きを必要とする機会がいつしか減ってしまった。

 幼い子供たちの、自分の洋服のボタンをはめる、あるいはチャックをするという動作。これらはマジックテープの出現によって、単純な動作ですむようになった。おかげでボタンをはめられない子供がふえたそうだ。くり返しおこなわれることで、自然に開発されるであろう手の潜在力。これが、便利で簡単な動作を求めすぎたために、十分に育たなくなってはいないだろうか。そしてこのことは、私たちにどんな影響があるのだろう。

 

 手は道具を使うことができる。道具をもつ、にぎるといった動作は、道具と手の接触面で自己とモノとの境界線が引かれる。接触面に意識があるうちは、道具を道具として使えない。たとえば包丁。包丁をにぎる手の平が意識されていたとしたら、料理はうまくできない。弦楽器にしても、弦をにぎる手と弦はすっかりなじんでいることが求められる。彫刻刀を使う人は、それをにぎる指との接触面よりも、その刀の先に意識がいくのではないだろうか。私も仕事で鍼(ハリ)を使うが、鍼を持っている指よりも鍼先に意識がいく。数えきれないほど反復して鍼を使っているうちに、いつの間にか鍼が私の体になじんだ。

 武術で使う刀や剣も、ダンサーが持つ扇子といった小道具も。バイオリンやチェロの弓も、ペンキ職人の刷毛も、書道家の筆も、スキーヤーのストックも。これらの道具が自己の手になじんだ時、それは手や指といった局所だけではない身体全体に影響を与える。外づけのデバイスをもふくめ自らの身体となる。こうして身体感覚は拡張し、意識を自分の枠の外に飛ばせるようになる。もっと遠くへ、さらに深くへ。

 

 この道具を使いこなすための条件として、まずは自らの手が自分の身体に十分になじんでいることが重要となる。左右の手の動きをくらべてみれば、身体になじむということがどういう感じかがわかると思う。なんなく歯磨きができる右手が使えなくなった時、仕方なく左手でやってみる。なんともうまくいかない。しかしくりかえすならば、いずれ動きが少しづつスムーズになる。反復して練習する中で左手の機能は開発されて、より身体になじんでいくのだ。

 思うように指が動く。複雑な動きができる。ひねる、まわす、つかむ、つぶす、にぎる、さする、ねじる・・。そしてこれらを組み合わせた動きは、子供の頃からの反復される動作によって培われるにちがいない。

 

 複雑な動きができる手。この手を育てていく機会が少なくなるならば、身体感覚を育むことができない。こうして身体感覚が鈍くなっていくならば、現実の世界を体感することがむずかしくなる。自らの身体を尺度としてはじめて、私たちはリアリティを感じられるのだから。やがてリアルな世界と自己との間に生じた溝(ミゾ)が、我らが本能的に持っているはずのカンをも弱らせてしまうのだ。

 

 手のもつ潜在力と、それを育てていく方法を問いなおしたい。

 

(後記) 阿佐ヶ谷の老舗、和菓子の「うさぎや」さんが5月20日で閉店するというニュースを聞きました。とっても残念です。店主の高齢化と職人不足のためとの理由で。いたるところで聞かれるようになった高齢化、そして職人や人材の不足。昔は、モノヅクリの国だったはずの日本。リアリティあふれる職人の世界をひきつぐ若者を強く求めたい、そんな気持ちから今回の記事となりました。

 

 

メキシコ、トゥルムにてサトウキビをしぼる青年を撮影