“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

雑考12  太極拳の型について

 患者さん達から「太極拳って武道なのか」と聞かれることがある。太極拳は、楊式(ようしき)、陳式(ちんしき)、呉式(ごしき)などの流派がある武術だ。それぞれの流派の「手型・歩型・身型」には、それぞれの特徴がある。こういった型の決まった動作や技を連続的につなげたものを「套路(とうろ)」という。最も一般的な「簡化24式太極拳」とは、伝統的な太極拳の特徴的な要素をとりだし初心者でも学びやすい形として24の動作で構成された套路のことだ。これにより武術的側面よりも健康を増進させるという目的が一般に広まった。この24式の他にも48式、88式、99式といった数多くの動作がつらなった套路などがある。武術色の強いものとしては剣や棍、刀や槍などの武器を持つものがあり、剣を用いた26式太極剣や36式太極剣、刀を使った46式太極刀、扇を持つ22式、24式太極扇などもある(注:ザックリの説明です。孫式太極拳の形意拳や八卦掌などについては、またいつか)。うぅ、どんなに覚えたとしても、ワンコ蕎麦のように新たな套路が次々とおしよせるではないか。

 そもそも私は、この套路を覚えることが苦手だった。多くの方が太極拳に挫折してしまうのは、24式でさえ覚えることがむずかしいからだと思う。套路を身体で覚えるまでには、動きながら次の動作を考えなくてはならない。頭を使うと途端に身体はマリオネットのようにぎこちなくなる。どっぷり身体の中にはいることができない。こうしたもどかしさを感じていたので、私は立禅(りつぜん)や站椿功(たんとうこう)といった立ったまま動かずに特定の姿勢を保って気をめぐらす訓練方法の方が好きだったのだ。

 太極拳は好きだが套路を覚えることは苦手。そんな私だったが、年月を重ねてみると、いつしか頭を使わずとも身体が動くようになり、そうなってみると身体感覚が変わっていった。太極拳をしていると、タガが外れたように身体が弛んでアクビが出る。末端の毛細血管が開きはじめ指先がピリピリしてくる。足裏が、浴室の窓にはりついているヤモリのような足になる。土ふまずの凹んだ部分がふくれて足裏全体が吸盤のようにピタッと床に密着するのだ。足裏の感覚だけが明確になり、自分の境界がぼやけはじめ身体がドラエモンのように膨らんでボワボワになってくる。そしてこれはたまにしか起こらないのだが、熱いお湯のようなものがツツツッと足に流れるのだ。熱い、確かに熱い。一体これは何なのだ!と思いつつ、だんだんと忘我の境地に入っていく・・。(注:これは私個人の感覚にすぎないです)

 

 さてこの型というもの、形でもありフォルム(構造)とでもいおうか。この型を重んじる姿勢は、柔道、剣道、弓道、合気道といった武道や茶道、華道、書道、香道といった「道」の文化に共通しているのだろう。徹底的に型を身体に覚えこませたうえで、身体の動きにまかせていれば何かが起こってくる。あるいは段階をふんで所作をかさねるうちに、身体に落としこまれていく何か。動きや形といった外から見えるものを通して、実は内部に繰りひろげられていく呼吸や身体感覚。あるいは精神。このような内発的なものが伴ってはじめて「道」と呼ばれるものが完成するように思う。こういう世界は、写経や読経にも通じるように思う。写経をする場合、できあがったものは結果に過ぎない。それよりも、写経をすることによって達することのできる精神や身体の状態、これらを伴っていたかどうかの方が重要に思える。

 

 ある時、太極拳の名人の演舞を見にいった時のことだ。前評判をさんざん聞かされていたので、どんなにすごい動きなのかと私の期待はふくれあがっていた。表演がはじまって驚いた。それはあまりに淡々としていたのだ。風のようでもあり、水の流れのようでもあった。無駄な動きがなく、余分なものがそぎ落とされていた動きだった。綺麗だと思った。その時に私は初めてオーソドックスという言葉の、本当の意味がわかった気がした。そして個性的であることの方が、オーソドックスなものよりも優れているように感じていた自分に気づいた。没個性はつまらないと。そう、勝手に思いこんでいたのだ。

 

 何事においても基本の型は大事なのだとあらためて思う。その型を踏むことによってはじめて、みえてくる世界がある。歌舞伎役者の18代目中村勘三郎は言った「型があるから型破り、型がなければただの形なし」。この言葉を借りれば、型を極めたうえで型をやぶってはじめて個性が煌めくのだろう。よほどの天才をのぞくとして、私のような凡才は地道に型を覚えて身体に落としこまなければならないのだ。

 

 さてこのたび、せっかく肉体を持って生まれてきたのだから、身体を動かす喜びをもっと享受したいと思う。私は太極拳と出会えて良かったと思う。そしてありがたいことに、この太極拳をめぐる旅に終わりはない。

 

(後記)

 もうすぐ体育の日なので、太極拳をとりあげて「型」について書いてみました。

 

「さぁ手を伸ばしてつかんでごらん」と勝手に命名した銅像(カラスつき)を撮影。本当の表題は「野に躍る」@小樽体育館

東洋医学各論25 骨太

 「2026年7月、政府は責任ある積極財政を掲げ、骨太の方針を閣議決定した」らしい。ニュースでよく聞くようになった言葉 ”ホネブト” 。骨太の方針って何だろう。そもそも骨太って・・。こちとら我らは、骨粗鬆症が問題で喉から手が出るほど欲しい "ホネブト" なんだけどなぁ。。

 というわけで今回は、高齢者、とりわけ中年以降の女性を悩ます骨粗鬆症について、東洋医学の視点から考えてみることにする。

 骨の老化によって軽石やスポンジのように小さな穴があいて、もろく折れやすいくなっていく骨粗鬆症。これは更年期を迎えた50歳以上の日本人女性に圧倒的に多くみられるが、中医学では男女とわず "腎" の働きが衰えてくると起こりやすい症状とされている。さらに「歯は骨の余り」とも言われているため、高齢になって骨が弱くなると、歯がぐらついたり折れやすかったり虫歯が多くなるといった口腔トラブルも増えてくるのだ。

 また骨の中には、骨を養うとされる「髄(ズイ)」が詰まっている。この髄には骨髄と脊髄とがあり、脊髄は脳とつながり脳は髄が集まったものだといわれている。このため、認知症の予防と治療には、 "腎" を補う補腎薬に属する漢方薬が使われている( "腎" については下記の記事を参照されたい)。

 硬いイメージがある骨だが、その構成成分を見てみると、骨の硬さを作るカルシウムに代表される無機質のミネラルが約70%、しなやかさと弾力を作るコラーゲンに代表される有機質のタンパク質が約20%で、なんと水分が約10%も含まれている。ここでも水分代謝を担う腎と骨とは関係が深い。また骨は硬いのでカルシウム化合物であるように思えるが、古い骨を壊す破骨細胞と新しい骨を作る骨芽細胞との働きによって、実は常に新陳代謝している。それゆえ高齢であっても骨折は治るし、子供であれば身長が伸びるのだ。

 つまり骨は、生命力を司どる "腎" に底ざさえされつづけてはじめて、骨太となることができる。ましてや30歳代をピークに、腎のエネルギーは緩やかなカーブをつくって少なくなっていくので、いつまでも若い時の様な骨太が簡単に手にはいるはずがない。

 今のわが国は、人間にたとえたなら、いったい何歳くらいにあたるのだろうか。そんなことをついつい考えてしまった。

 

<骨粗鬆症の治療>

・東洋医学的には、補陰薬(物質的に充実させる薬)と補陽薬(機能的に動かす力を与える薬)の生薬をとる。早寝・早起きをして良質の睡眠をとる。

・栄養学的には、カルシウムとマグネシウムとを2:1の割合でとる(カルシウムとマグネシウムの拮抗作用が骨の形成に重要)。カルシウムは小魚や大豆製品。マグネシウムは海藻類、ナッツ類。カルシウムを吸収させるビタミンD(きのこ類)、骨の形成を促すために必要なビタミンK(茹でほうれん草、茹でブロッコリー)、タンパク質であるコラーゲン形成に重要なビタミンB6(納豆)、B12(さんま)、葉酸(乾燥わかめ)などをとる。またビタミンDを作りやすくする日光浴がオススメ。

 

(後記)

 ある朝、散歩の途中にベンチを見つけました。木漏れ日がつくる軽石を思わせる模様のベンチを。そこに座ってみると、私は骨粗鬆症になった骨が頭に浮かんできたのです。ああ、これほど素敵な景色の中でこんなことを考えるなんて・・。

 このところの「ホネブトの積極財政」とか「プッシュ型支援」とかいった言葉が、ご尽力されている方々がいっぱいいらっしゃるであろう一方で、なんだか空々しく感じられていたからだと思います。

 そして私が今いる場所全体が、夏の日の爽やかな景色とは裏腹の、穴だらけのひどく危うい場所ではないかと思えてきました。さてここから抜け出すためには、日々腎を補うように一歩一歩着実に小さく歩むしかないのだなぁと思ったものの、地震や水害、そしていまだ出口の見えぬ戦争のニュースを見るたびに、なんともやりきれないのです。

 ああ、自分がホネブトになりたい。

          

木洩れ陽溢るるベンチを撮影@小樽、水天宮にて撮影

 

参照記事1

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参照記事2

garaando.hatenablog.com

参照記事3

garaando.hatenablog.com

 

繋がりあう世界13 日常動作と内観力

 年をとってくると、今まで簡単にできていたことができなくなってくる。ましてや圧迫骨折をした母ヒサコにとってはなおさらだ。90歳の母は、トイレの便座の蓋を中腰で開けるのが辛くなった。用をたした後に、ふりかえって水を流すのもおぼつかない。生活の中で避けては通れないのに鬼門となる場所、それがトイレなのだろう。たまたま古くなったトイレの改修工事をすることになったので母の要望とおり、便器も変えた。今時の便器はすごい。人感センサーで、蓋は勝手に開いたり閉まったり。座るとすぐに便座が温かくなり、腰を浮かせるや否や水が自動的にサッと流れる。さらに蓋と便座の開閉は指でスイッチを押せば簡単にできる。時々水がひとりでに流れて掃除もしてくれる。つまり自分は座ってたてばそれでいいのだ。後始末はいらない。便利だ。楽になったと喜ぶを母を横目に私は考えた。ここ数年公衆トイレで、流されていない場面に私は時々出くわしていた。これは最新のトイレが自宅にある子供たちが、流すことを知らずに育ってしまうのではないだろうか。あるいは流す必要がないことが当たり前となった大人たちが、今までの作法を忘れつつあるのではないか。

 人は道具を使うことによって、身体の動きが生まれる。道具がどんどん進化することによって、細かい動きがなくなる。すると今まで無意識に身体に落としこまれていたであろう物事の流れがわからなくなってしまう。自らの排泄物が水に流される。これを見ることによって流れていく先をなんとなく意識する。ちょっと興味を持ったなら、排水が床下や下水道管を通って下水処理場へと運ばれ、微生物が汚れを食べて川や海へと放流されるという仕組みまでたどりつける。自分と環境との繋がりがホンワリ感じられる。しかし便利な道具というものは人間の作業や動作といった身体活動をはぶくうえ、そのことで生じる見る・聴く・嗅ぐといったような五感も発動されなくなってしまう。

 便利なトイレ。でもこれしか知らないで子供たちが育っていくのだとしたら・・。いったん覚えてしまった利便性に、人はすぐに慣れてしまう。簡単に今までの作法を忘れる大人たちも増えるにちがいない。はぶかれる日常動作と薄れゆく身体感覚。これは大問題にちがいない。

 

 もし外部との繋がりを感じられるようになれば、想像力がそだち自分の身体を内観する力も増すだろう。どんな些細な事象も内外を問わずに繋がりあっているのだから。今回は、内観力を磨いた患者さんに起こったことをとりあげて、繋がりある世界を想像してもらいたい。

 

 患者さん歴5年になるその方は、臀部から右腰の痛みを訴えはじめた。今までとは違うバランスだ。そこで身体を見てみると、右足首から右ふくらはぎ、さらに右の大腿部の裏、右臀部の繋がりが悪い。特に右足首が自由に動かない。私は、彼女が2年前に右足首をひどく捻挫していたことを思いだした。そこで毎日、右足首を無理のない範囲で回すように伝えた。足先を回して足首を回すのではなく、踵と足首を意識して回すようにと。これは捻挫によって踵や足首のマッピング(注:後述の別記事を参照)が弱くなった可能性があるため、脳との関係も作り直す必要があった。

 2週間後にやってきた彼女は、「左の踵は意識できるのに右は全然ダメだった。右の踵の感覚が消えていたことに気づいた」と言い、毎日意識的に踵と足首を回すことした結果、やっと感覚が戻ってきたという。すると右足から腰にかけて身体が変化してきて、妙な痛みが減った。さらに2週間後には、毎日の足首回しによって足首から膝、さらに股関節、ついには腹筋まで繋がっているように感じられるようになったという。右の踵にしっかりと体重をあずけて乗れるようになってくると、背中全体に変化があり肩まで楽になったそうだ。足首だけでこれほど変わるとはと驚きつつ、まだまだ観察は続くと彼女は言った。実際に彼女の身体のバランスは今までとは随分と変わっていたのだ。そして彼女の話は、私が今まで経験してきた治っていくプロセスそのものでもあった。

 人体はおもしろい。何が正解かはわからない。いや正解があるのかどうかすらわからない。それほど身体はまだまだ解明されていないことが多いのだ。小さな変化を起こし、そこで変わっていくものを見つづけることによって未知の領域へといけるのだと思う。

 そして私の仕事の重要な部分は、多くの患者さんたちが内観力を育てられるようにサポートすることだと思っている。

 日常生活での小さな動作の中にこそ、また末端の関節や小さな筋肉の動きの中にこそ、繋がっていくその先の世界があり、少しづつ変化するきっかけがあるのだ。そう、今ここに、その始まりがある。

 

 (後記)

 安全・清潔・効率といった利便性を重視する結果、身体能力はダダさがる感じがします。それにつれて身体感覚も失われていくでしょう。目先の効率を求めたために、知らず知らずに分断されていく世界。この世界にありながら、身体の繋がりを内観できる能力を育てなくてはなりません。私自身も追求していきたいし、そして私の周りの人たちにもお伝えできたらと思っています。文中の患者さんのように、身体のおもしろさを共有できた時の私の喜びは格別です。

 利便性の高い便器について書きましたが、改修工事を終えたわが家のトイレは、携わってくださった方たちのおかげで、それはそれはすばらしい憩いのスペースに生まれかわりました。そこでわが家では、”トイレ” から ”玉座の間”  と呼ぶことにしましたので、あしからず。

 

小樽にて遊具のある公園を撮影

 

マッピングについてはこちらを参照

garaando.hatenablog.com

 

こちらも良かったら

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繋がりあう世界12 三方よし

 先日思いがけない来客があった。物理学者であるその方は、”三方よし”という基準で行動してきたと話してくださった。  ”三方よし” とは、近江商人たちの間で受けつがれてきた商売の哲学であり、「売り手よし、買い手よし、世間よし」を指すそうだ。この方の祖先も近江商人だという。正直なところ、私の近江商人というイメージはあまり良くなかった。商売上手という言葉は、イコール損得勘定にたけているというように思えたし、経済というものがもっとも優先されてしまいがちな、この世の中にも辟易としていたからだ。さらにわが母ヒサコもまた近江商人の血をひく。誰とでもすぐに親しくなれる母ヒサコの現実味の強さに私は子供時代から気遅れしていたせいもある。しかし、この”三方よし”という言葉をはじめて聞いて、自分の中にある硬く錆びついていた、細いしめ縄の繊維がちぎれてほどけはじめた感じがしたのだ。あたかも体内にある、生気を失って滞ってしまった硬結(こうけつ)とよばれるコリが鍼の刺激によって緩みはじめたかのように。そうか、基本哲学が "三方よし" かぁ・・。そしてこれは、何も商売にかぎったことではないように思えてきた。

 それからの私は、”三方よし” について考えている。東洋医学では、万物の源となる”太極”から”陰陽”という2つの概念が生まれたではないか。三方という立場に立ってみれば、いろいろな関係性に新しい光があたるように思えた。生と死、善と悪、○とX 、形至上(抽象世界)と形至下(物質世界)といった2項対立は概念でしかない。実際の生命体の営みにとっては、生か死かといった極だけではなくて、これらを繋ぐ ”間” のようなものが占める割合は大きい。両極である2項を両端にした1本の糸が横軸で伸び、さらに縦方向にはなだらかな山の形で "面" が立ちあがる。こうしてできあがった "間"  に沿って平面の紙の上の概念が立体的に膨らんでくるように感じられた。バランスとは、これら相対する2項とは少し違う次元に生まれる"間" 、これを舞台に計られるのだろう。

 

 さらに私は思った。身体の養生法として ”三方よし” が当てはまる訓練はないだろうかと。薬を飲めば必ず副作用があるように、身体においての "三方よし" が成り立つのかどうかと考えたのだ。こうして思いついたのは、呼吸。そう、誰でもいつでもしているはずの呼吸だ。あまりに身近すぎて取り立てて訓練することが少ないために、見過ごされることが多い。しかし呼吸が十分にその役割を果たした時にはじめて、呼吸の "三方よし" が生まれるのではないか。

 また呼吸法は実に多岐にわたるため、ここではざっくりみなさんができる形でお伝えしたい。注意点は、舌の位置だ。口の中の天井部分(口蓋)に舌をベタッとつけて鼻から息を吸って口からゆっくり吐いて吐ききる。さらに横隔膜に注目しよう。息を吸うと肺が広がり横隔膜は下がる。吐く時には弛緩して横隔膜は上がる。この上下運動をすることによって、肋骨は広がる。横隔膜を意識できなくとも脇腹に両手の平を当てて肋骨が膨らむかどうかをチェックしてみよう。また今回は、腰痛や尿漏れといった尿トラブルの治療や予防、ポッコリお腹の改善も目指したいので、重力の負荷のある立位でおこなっていただきたい。

 まず呼吸は、①酸素と二酸化炭素とのガス交換をする。次に②体内の自分の意思ではコントロールできないとされる自律神経にアクセスすることができる唯一の方法となる。アクセル役の交感神経とブレーキ役の副交感神経とのバランスを調整できる手段だ。さらに肺自体には筋肉がないため横隔膜が下がり肋骨が膨らんで胸郭が広がり、陰圧(空気が引っ張られる力)を作ることによって、肺に空気が入る。この動きは③インナーユニットの形成にもつながる。インナーユニットとは、体幹の深部筋である横隔膜・腹横筋・背骨についている多裂筋・骨盤底筋といった4つの筋から構成される部分を指す。季肋部(上腹部のみぞおち)から下腹部までの腹腔をすっぽり筒のように覆い、天然のコルセットとも言われているのだ。

 このように呼吸は、①ガス交換②自律神経の調節③インナーユニットの形成を可能にする。①よし②よし③よし。

 こうして呼吸の "三方よし" ができたなら、身体は変わりはじめ、さまざまな恩恵を受けることになる。深く、強く呼吸することで腰痛は改善されるだろう。一時流行した美木良介氏のロングブレスも、同じ原理だ。インナーユニットの中でも腰痛に深く関わる腹横筋は筋トレで鍛えることがむずかしく、呼吸で強く吐くことによってのみ強化される。私の経験だとウエストの厚みが薄い方は腰痛になりやすく、ズン胴の体型の方は比較的腰は強い傾向がある。慢性腰痛の人たちは、腹横筋を強くしてズン胴をめざそう。さらにこれはポッコリお腹にも効果がある。ペタ腹をめざすなら、ぜひ試してみるとよい。さらに中高年の悩みである尿や便のトラブルは、骨盤底筋との関わりが深い。この小さな筋肉を鍛えるためには、肛門を閉めるとか排尿時に一時的にとめてみるという方法が推奨されている。しかし、それよりも立位で腹圧をかけて鍛える方がはるかに強力だ。小さな筋肉だけを部分的に強化するよりは、一つのユニットとして関係する筋肉がこぞって強くなる方がいい。お年頃の方たちにはトライしていただいて損はないだろう。

 このように単体の筋肉だけではなく、つながり合った形で複合的に動かすことでwin-winの関係を超えて、win-win-winの関係を作ることができる。

 

 結局三方よしを実現するためには、視野を三方にまで広げることが必要となる。確かに "三方よし" は、何事にも当てはまる考え方にちがいない。

 

(後記)前回の記事で、おのずから深い呼吸になることを書きました。今回は、意識的に呼吸するという内容です。身体を良くするためにどうしたらいいのかといった相談をよく受けます。まずは冷えをとって次にしっかり呼吸するというのでどうでしょうか。

 三方よし。この哲学は、関係性を大事にするものです。切り離されたパーツだけを見つめるのではなくて、繋がりをつくる関係性に重きを置く。分断がいたる所でみられる社会にあって、このような見方を随所に取り入れて行動できたなら、今私が見ている世界は、もう少し輝きをとりもどすような気がします。ちょうど杉並区長選挙で、対話を重んじる現職の岸本さとこさんが再選しました。久々、希望の光を見た気がしています。

 

台北の龍山寺にて撮影。ここには仏教や道教をはじめ民間信仰など多くの神々が祀られている。

繋がりあう世界11 空間と時間

 いつからだろう。築98年の木造家屋にもう一度、生命の息吹をこめてみたいと思ったのは。ちょっと強めの風が吹いたなら、窓からのスキマ風が屋内にはいり込み、キコキコ、ギコギコ、キイキイと生き物のような鳴き声を発する、そんな家だ。冬であれば木窓の骨子に雪がふきだまり、やがてはシミになって木目に新たな模様を重ねる。使われなくなってしまった部屋では、壁がところどころ剥がれおち畳が焼けてしまっている。ジリジリと容赦なく斜めに差しこむ西陽の光の帯は、あたかも映写機を使っているかのように普段は見えないはずの空中に舞っているホコリを映しだす。そうだ、5年前のある日だ。私は、この部屋を生き返らせてみたいと強く思った。それは、身体の仕事に携わっている私の、かなり酔狂な実験なのかもしれない。身体に息吹を宿らせるように、家にも。すると家はどのように変わるのだろう。そしてそこに暮らす私たちはどんな影響を受けるのか。とりわけ身体はどうなるのだろう。私はそれをただ見てみたい。

 ありがたいことに私の意図を汲んでくれる職人さんたちに恵まれた。ところどころ無惨に剥がれ落ちてボロボロになっている壁をはがし、下地を作りなおしてもらう。剥がされた土壁は左官職人の野田肇介氏が回収してもちかえり、新たな土を混ぜて生地を作ってくれるという。今までこの家を支えてきた土壁、その歴史を無碍にはできないそうだ。「過去の時間と記憶とを含んだ土をまぜた漆喰で壁を作るのがいいでしょう」と。タダモノではない、この左官の野田氏は、さらにお茶室の技法をも使って部屋をしあげてくださった。こうして、凛としているのに丸く包まれるような柔らかさのある優しい空間ができあがったのだ。同じ漆喰で壁を塗っているのに、陽がはいる時間によってそれぞれの壁の色味が変わる。畳の上に大の字になって寝てみると、当たり前のように深い深い呼吸になった。身体の細胞たちが微細にふるえはじめる。小さな小さなダンスのように。吸っては吐くという動作のリズムが、周期のちがう微細なダンスに重なるように感じられた。無数の小さな円が大きな円の中で遊んでいるかのように。そうか、呼吸とは外界と身体内部の細胞とが同期することなんだ。

 さてここで畳という日本家屋にみる空間について考えてみたい。

 「畳は時間の舞台である」と友人の建築家が言った。畳とは非常に不思議な存在だという。彼は続けた。現代の空間では機能は明確だと。ベッドは寝るため、ソファーは座るためにと目的が決められている。しかし畳は、昼は居間になり夜は寝室になる。客を迎える場でもあり、祭事の場にもなりうる。子供が遊び、家族が食事をし、誰かが眠る。つまり特定の機能を備えていないのだ。だからこそ、さまざまな機能や意味が、その都度たちあがることができる。畳という舞台は、静かで平らである故に主張しすぎず、場面におうじた用途をもち未来へと時をつないでいく。

 これは日本家屋に共通しているらしい。障子は完全には空間を遮断しない。茶室は意味を説明しつくせない。回游式庭園は一度に全体を見せない。縁側は家の境界を明確にしない。このように日本の空間においては、世界は固定された物体としてではなく、時間の中で立ちあがるものとして扱われているのだ。畳もしかり。さらに興味深いのは、畳は交換されることを前提としていることである。日焼けし、擦り切れ、い草や染土のもつ香りも変わる。時の流れとともに変化し、更新されながら必要に応じて1枚ずつ交換され、生活の時間を持続させていく。これは庭園にも通じる時間感覚だ。苔がむし石が湿り樹木が育ちながら存在している。できあがった瞬間よりも、生きつづけることの方に目線を向ける。この意味で畳は単なる床材をこえて、人間の身体と時間とが、毎日ちがった世界を立ちあがらせるための舞台といえるのだ。

 制限が少なく静けさがある。余白のようなもの。こうした空間の中で、人体は自由となり自然な時の流れを感じられるのだろう。これらの条件がそろってはじめて人体は、おのずから呼吸し外界と同期できるのだ。

 

 自然界と自己の身体とが同期する。はたしてこれ以上の治療があるのだろうか。

 

(補足)同期には3つの意味がある。どれも「同じ時の流れの中にいる」ということ。

1デジタル用語で複数の端末やクラウド間で、ファイルやデータを同じ状態に保つ

2学校や会社において同じ時期に入学、または入社した同僚をさす

3物理の用語で、複数の機械やシステム、波長などの作動や時間のタイミングを合わせる(シンクロさせる)

 

 

(後記)

 ある時ネイティブアメリカンの儀式であるスウェットロッジについての話を聞きました。生理中(ムーンタイム)の女性は参加できないというルールがあるそうですが、ネイティブアメリカンの女性たちは、全員満月の時に生理になるのだそうです。これを聞いた時、人々が完全に自然のリズムと一体となっているのだなぁと感心した記憶があります。自然のリズムが守られている土地での時間の流れ方は、私たちの日常とは違っているのでしょう。

 自然に近い空間が時の流れ方も変えるのかもしれません。人が癒るのは、3次元の空間にさらに時間が加わった4次元の世界なのかもしれないと書きながら思った次第です。

 

小樽公園にて撮影

 

  

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東洋医学各論24  便秘

 昨今のホルムズ海峡封鎖の影響について、わが国の総理大臣が「原油の総量は足りています。目づまりを起こしているだけなので、心配することはありません」といった趣旨の答弁をしていた。もし人体だったら目づまりは大問題になるだろう。生命体にとっては目づまりこそが、あらゆる病気の発端になっているからだ。また最近私が受けた認知症のセミナーでも、目づまりの代表ともいえる便秘がどれほど認知症と関わっているかについて取りあげていた。特に認知症と重なることが多いパーキンソン病は、便秘で発症リスクが高まることもわかっている。最近では " 脳腸相関 " と注目をあつめ、” 腸活 " という言葉もチマタにひろがっている。腸は第2の脳と言われはじめているが、脳は小宇宙であり腸は大宇宙という見方もある。つまり腸は言語化される、あるいは意識化される以前に、原初の反応を起こしている器官なのだ。これらの反応が自律神経や免疫機能を高めて脳内の反応へ影響をあたえ、それが情緒を動かし意識化されて人は新たな行動をしはじめる。そしてこの動きが腸への刺激となり更なるループを作る。この絶えまざるフィードバックは、あますところなく人体の細部にまで影響をおよぼす。

 今回は、体内で最もわかりやすい目づまりであるところの便秘を、東洋医学的立場からほりさげてみたい。

 

 ひとくちに便秘といっても、虚と実のタイプ、あるいはその両者が混ざった虚実挟雑(きょじつきょうざつ)タイプなどに分けられる。

① ” 実 ” のタイプの代表は、体内に熱がこもって水分が少なくなり便が乾燥するため排出できないもの。これは暑がりで喉がよく乾き、尿の色が濃いタイプの人にみられる。味つけの濃い食事を好み、脂っこいものや刺激物を好んで食べ、アルコールを飲む人に多い。このタイプには酸化マグネシウムの下剤が効く。薬にたよらずに改善するためには、食生活を見直し体内の熱を冷ますことが必要となる。

② ” 虚実挟雑 ” のタイプの便秘は、 ストレスで気のめぐりが悪くなり腸の蠕動運動が低下して腸が動かなくなる。このタイプは、ストレスによって便通が出たり出なかったりと安定せず、お腹には膨満感があってゲップやガスが多い。イライラし怒りっぽく、あるいは鬱っぽくなる(中医では"肝鬱気滞”という)。この場合、下剤は効かない。ストレスを軽減し自律神経を整えるとよい。肝臓の気を動かすには、軽い運動も必要となる。

③ ” 虚 ” のタイプの便秘は、気の不足により便を動かすパワーが低下し、いきんでも便が出にくく排便に時間がかかる。このタイプは顔色が悪く、排便後に疲労感が残る。気を補う補中益気湯といった漢方薬がオススメ。

④  " 虚 " のタイプで特に" 寒 "の強い便秘は、冷えの強い人に多い。大腸が冷えているために蠕動運動がおこらなくなる。出はじめが固く腹痛をともなうこともあるが、排便することで治る。尿は、色が薄く量が多いタイプの人にみられる。下剤で排便することによりエネルギーも失われ、さらに冷えがはいり腸の活動を悪化させる。よって下剤は不可。身体を温めて体力をアップさせて改善をはかるのが望ましい。

 このように自分がどのタイプであるのかをよく観察して正しい対処をしてもらいたい。またすべてのタイプにおいても食生活の見直しは大事だ。発酵食品をとり、電子レンジの調理をさけ、食品添加物だらけの加工食品をできるだけやめる。これだけで大きく変わる。取り組める小さなことからはじめつつ観察してみてほしい。

 

 また便秘について私が臨床で感じていることがある。老人性鬱の症状は便秘が解消すると良くなることが多い。また乳がんの患者さんに、ひどい便秘症の方が多いように思う。下へ向かう排泄の道すじが阻害された場合、行き場のないエネルギーは身体の上部へと向かう。鬱滞した熱量の多いエネルギーは" 邪気 " となり病気の発症要因となるのだろう。

 このように体内に目づまりが起こった場合、いくつもの流れが滞る。複雑に繋がりあう世界にあって、代替ルートのない目づまりが生命体に与えるダメージは、驚くほど大きいのだ。東洋医学では、揺らぎつつもたゆまなく流れつづける動的な状態を健康ととらえている。自分の体質や症状を見極め、自分なりの流れを滞りなくめぐらせていただきたい。

 

  以前に、ある先生から「大便は天からの大きな便り、小便は小さな便り」と教えていただいた。自分の健康状態を知るのに、天からの便りが頻繁に届いているのだ。せっかくのお知らせを大事にして自分を知る機会にしたい。

 

(後記)

 人体も複雑なら、世界も複雑です。ホルムズ海峡という海道がスタックしただけで、世界中に甚大な被害を与えています。たとえ封鎖がとけて以前のように重油を手にいれることができたとしても、石油に頼りすぎてきた私たちの生活はこのままで大丈夫なのだろうか。こう考えていたら、ふと身体に起こることと同じではないだろうかと思いいたりました。部分でおこる目づまりが身体全体へ悪影響を与える。あるいは薬に頼りすぎてきた医療は、このままでいいのだろうか・・と思えてきたのです。

 願わくば、未だ終わらない、いくつもの戦争や紛争が速やかに停止されますように。

 地震や大雨、森林火災といった天災も多いこの時代に、今までの安定していたように見えていた世界に戻ることはないような気がしています。こういった不安定さからくるストレスが鬱滞して、自然の流れを堰きとめ、人間のエゴを増長させるエネルギーへとならないように、自分も注意したいと思っています。

 ここから一体どこへ向かうのか、見つづけることしかできません。

 

小樽にて、戦没者慰霊塔のある広場へ向かう道を撮影

身体感覚を問う6 足の指

 神は細部に宿る。どうせ死ぬのになぜ生きているのかと考えつづけていた、めんどくさがり屋の私が、ある時この言葉に救われた。それと同じようなイメージで身体でも細部、末端に神が宿っているのではないか。比べるものではないのかもしれないが、内臓のしっかりした役割を担う臓器や身体を支える筋肉のオオモトである体幹にばかり注目されることに、なんとなく違和感があったのだ。もしかして手や足の細部にもっと気をくばってもいいのではないかと。東洋医学ではミクロはマクロの相似形とみなしている。膝下と肘下だけの施術で、さまざまな病気にアプローチしている名人といわれる治療家もいるほどだ。今回は、身体の末端である足の指にスポットライトを当ててみたい。

 

 私は多くの人々の足に関するトラブルを見てきた。とりわけ高齢者に多いのは、足の指先が痺れている。親指のつけ根の感覚が鈍い。足裏に1枚布が入っているようにボワンとして自分の足じゃないみたい。足先の指の色がどんどん黒く変色していき感覚がない。何かの拍子に指や足裏の筋肉が攣る、アーチが崩れて扁平足になってきたなどだ。若者でも外反母趾や内反小趾もある。ウオノメ、タコができる。浮き指やハンマートゥ(屈趾症)などで指がそもそも使えない。小指が寝ていて、腹が地面についていない。かかとが痛い。骨や軟骨の一部が剥がれて関節の隙間にはいり痛みがでる(関節ねずみと言われている)などもある。

 足底の長さは、腕の内側の手首から肘までの長さと同じだといわれている。自分の視点から足を見ると身体の末端にあるため小さく感じるが、実際は思っているよりも大きい。ここに身体全体が乗るのだ。チマタでは、100歳まで歩ける脚を作ろうとか1日8000歩は歩けとかと煽られる。しかし最も大事なのは、足にある小さなトラブルを見直すことだと私は思う。足のトラブルは、その箇所だけではなく膝や股関節、重心の乗せ方など、あらゆる場所とリンクしているからだ。からまりあった数本の糸がダンゴ状になって、ある箇所に症状として現れる。まずは抜本的な改善をめざさなくてならない。やみくもに歩くことで、症状を悪化させてしまうケースは驚くほど多い。

 ここでは足の基本としてやってほしいことを伝えてみたい。これは筋肉を鍛えるというものではなくて、退化しつつある神経をつなぎなおして新しい自己を開いていくというやり方だ。子供時代は足裏を触られるだけでくすぐったかったのに、今では足裏のマッサージは気持ち良くなった。これだけ感覚は鈍くなってしまったのだ。そして加齢とともに無感覚に近くなっていく。特に指先から退化がはじまる。

 そもそも今まで足の指を十分に使えていたのだろうか。まずは足の指先を自分の手でマッサージしてみよう。指の腹、つけ根、脇も1本ずつ丁寧にさわる。これはさわることでマッピング(脳内にある体内の地図と現実の感覚とをすり合わせる)する意味もある。小指が寝ていたら、腹で床を押せる位置にねじって正常だった位置へとうながす。両手を使い足指の隣りあわせの2指をそれぞれ持って水かき部分をたがいちがいに前後に開く。同様に足指の水かき部分を横に伸ばす。これは痛すぎない程度に。それぞれの水かきを前後左右によく伸ばしたら、手の水かき部分を足の水かき部分に1本ずつ合体させるように組みあわせる。ここで足の指の力をグッと入れて手を握ってみる。かなりの刺激で痛みがある人も多いので痛すぎない程度で。これをなん度か繰りかえしたら、足指でグー(全部の指に力を入れて握る)・チョキ(親指だけを立てる)・パー(5指を全部ひらく)をやる。チョキの動きと反対に親指だけを床に向けて下げ、残りの4指は少しでも上向きにする。他の4指はそのままの位置で、親指だけを上げ下げする。最初はむずかしくても、徐々にできるようになるので練習をしよう。つぎに座ったままでできるエクササイズだ。トウシューズを履いて立つ要領で、足の甲を伸ばし足の指5本とも折る。このまま左右に膝を動かしてすべての指にそれぞれ刺激を入れる。今度は反対に指の腹を床につけて爪先だちのようにする。蹲踞(ソンキョ)でも良い。

 このようにうまくできない動作を練習することで、脳内に刺激が送られて神経がつながっていく。手をかりて動かすといった外部からの援助をかりつつも、最後には足の指が自分の力で自由に動かせるようになってもらいたい。外部から温めたりマッサージすることには限界があるのだ。神経がつながりあって回復してこそ、自力で体内を動かす力が体にやどる。特に霜焼けができる人には、この練習は効果的だ。

 

 身体の自由に使えていない部分に、息吹をふきこみ蘇らせる。毎日もっとも酷使している足の機能をみなおそう。いわば現場からの変革を起こしたなら、ヤモリが壁にピタッとはりついているように、足の指が吸盤のように変わっていくのを感じるかもしれない。

 何かしら行きづまったとき、足の指の神経をつなぎなおしてはいかがだろうか。神は細部に宿っているのかもしれないのだから。

 

(後記)

 私の友人にトゥリーディングの達人の先生がいます。これは、足を見ることで、その人の性格から今までの人生までも読みとき、自己の課題を知り、今後の人生に気づきを与える手法です。これは本当に当たるので、私もびっくりしました。つまり自分のすべてが足に表れるのです。 

 世界では、続いている戦争を終えることもできず、さらに多くの国を巻きこむような戦争がまたはじまってしまいました。「世界は子供と大きくなった子供とでできている」と聞いたことがありますが、自分も含めそのとおりかもしれません。あるいは子供たちに失礼だとも思います。人は愚かで不毛な行為をなぜ何度も何度も繰り返すのか、まったく学ばない人間の性につくづくウンザリしながら、1日もはやい停戦への祈りをこめて足の指を鍛えています。

 

小樽、水天宮にて撮影

 

マッピングについての参考記事

garaando.hatenablog.com