“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

東洋医学各論12 脾

稲が実って田んぼ一面が黄金色に染まる季節がやってきた。先日、空高く晴れわたった青空のもとで、黄金に輝く稲穂の大地を見た。黄色い大地。そんな言葉が頭に浮かんだ。

 

今回は、黄色や土に象徴される人体の臓器、五臓六腑の五臓(肝・心・脾・肺・腎)のうちの一つ、東洋医学でいう 脾 について取り上げてみたい。(東洋医学独自の言葉は太字で記載)

<注1:東洋医学で 脾 という場合、西洋医学でいう脾臓の概念とは異なる。西洋医学では脾臓という解剖学的な部位である実質臓器を指すが、の医学である東洋医学では実質臓器に加えてその臓器が持つ機能を指す。肝・心・脾・肺・腎といった五臓の中で、特に脾は物質として捉えるとわかりづらく、摂食・消化吸収・栄養といった機能を司ると理解してもらいたい。西洋医学でいう消化器全体(胃と腸)の働きをコントロールしていると捉えるとわかりやすい。さらにその役割は広く、手足の動きも司り、水分代謝を担い、血液にも関与する。>

<注2:東洋医学には臓象学説といわれる考え方がある。これは器という身体の内側()の活動異常は、必ず外側()の現に現れるとし、その関係性に着目するもの。脾は、口や唇へと流れが繋がり(下図の経絡図参照)、肌肉とも関連がある。また脾()は、胃()と経絡のルートで通じあい、陰陽表裏の関係となる。つまり脾と胃とは、互いに密接に関連してシステムを形成している。>

 

 <十四経発輝(14世紀に書かれた中国の医学書)による脾経の流注経絡の流れ)>

  ー 体表のルート  体内のルート

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足の親指先内側のツボ<隠白・インパク>から始まり、内くるぶしを通って足の内側を上り、
大腿骨内側を通って腹腔へ入る。腹部で体表と体内に枝分かれする。
体内のルートは、脾と胃を通って胸の奥へ流れ、心の経絡である心経・シンケイと繋がる。
体表のルートは、胸へと上り、脇の下へと下行して<大包・ダイホウ>というツボで終わる。
さらにその枝分かれした流れは、体内に入って喉から舌に達する。

 

さて東洋医学でいうには、どのような役割があるのだろう。

①消化によって得られる栄養分を全身の細胞へと送る。

私たちの身体は水分と食物を取り入れ、それらは混ざり合った状態で体内を巡っている。胃はこれらの飲食物を消化する。この消化によって得られる栄養分(この栄養分のことを東洋医学では水穀の精微スイコクノセイビと呼ぶ)を全身に運び、血管や細胞に活力を与えるのが脾の役割となる。

②栄養分から津液を作り、全身へ巡らせる。

脾は、飲食物の栄養(水穀の精微)から水分を取り出して津液シンエキ(身体の正常な水分の総称。細胞内の水分、胃液、涙、唾液、リンパ液、汗などを含み、体内や体表を潤す作用がある)を作り、全身へ送る。余分な水分は汗や尿となって排出される。

       津液については、こちらを参照garaando.hatenablog.com

③出血を防ぐ。

東洋医学は気の医学であるから、脾が有する気(脾気)には、血(ケツ・主に血液を指すが、血液に含まれる栄養分も含む)が血管外へ漏れるのを防ぐ作用がある。

脾の機能が低下すると出血しやすくなり、泌尿器に異常がないのに血尿になるとか、血便が出る、女性であれば不正出血が続くといった症状が臨床においてもみられる。

 

このように脾は飲食物からの栄養を取り入れ、それを全身へ巡らせ、水分代謝をつかさどるといった生命力に直結した力を生み出す。両親から受け継がれるところの、生まれながらに持つ生命エネルギー(先天の本センテンノホンという)は、腎が担う。そして後天的に飲食物から獲得できる生命エネルギー(後天の本コウテンノホンという)は脾の働きによるのである。自然界で言うなら、腎は種であり、脾は種を発芽させる土壌となる。

       腎についてはこちらを参照

garaando.hatenablog.com

 

では脾の機能低下はどんな症状をもたらすのだろうか。

脾と関連する器官とされる口に現れる症状では、味覚が鈍くなったり、甘味や苦味を感じたり、ねっとりしたりといった口内の異常となり食欲が落ちる。

また正常であれば涎(ヨダレ)は、口腔の粘膜を保護し内部を潤し嚥下や消化を促す役割があるのだが、不調になれば分泌が増し、ヨダレが口外に漏れてしまう。

口唇の色や艶は、全身の気血の充実度が見てとれるので、脾が運ぶ栄養が全身にいきわっているかどうかの指標となる。口唇の血色が悪く乾いている時は、脾の機能が低下している。

全身に栄養が運べず気血が不足すると、食欲不振・全身倦怠となり、やつれてくる。さらに津液の巡りが悪くなると、津液が滞ってむくんだり痰が出たりと水分代謝が悪くなる。その結果体内に湿が溜まり水はけの悪い身体となってしまうのだ。全身に栄養が回らない上、水はけの悪い身体になると、身体は重だるく疲れやすい。

 

ここで自然界に目を向けてみる。

地球上の土にもいろいろな性質がある。肥沃な土地、痩せた土地、粘土状の土、砂土など。

粘土状の土は水を弾いてしまう。砂土は水を通すだけで潤いや養分を保つことができない。

農作物がよく育つ肥沃な土地とは、スポンジのごとく雨を十分に吸収し、落ち葉や動物の糞尿などから栄養を得ることができる土地だ。この栄養を得るためには、落ち葉や糞尿を分解するために微生物が宿っていなくてはならない。つまり保水性がありながらも水はけが良く、通気性も備わっている土地のこと。

これは、そのまま人体にも当てはまる。

潤いつつも水はけがよく、栄養がいきわたって、呼吸する身体。

いくら自然な食品を食べても薬を飲んでもサプリメントを試してみても、

受け皿である身体の中の脾の機能が低下していると、その効用を受け取ることができない。

またどんなに食べても太らない人がいる一方、水を飲んだだけでも体重が増える人もいる。

この違いは、土の性質を持つ脾の働き方の違いによるのである。

 

東洋医学における脾は、

植物や農作物を育てるために重要な役割を持つ土と同様の役割を担っている。

 

自らの身体は、どんな土にたとえられるのだろう。

 

(おまけ)

脾と関連あるもの:

自然界においては 土用(春夏秋冬の中での土用の期間で季節の変わり目にあたる)・湿・中央・黄色

人体においては 胃・唇・ヨダレ・甘味・肌肉・口・思(思考や思慮:ストレスがたまると消化器に異常をきたす)

 

(後記)

この記事を書きながら、ずいぶん昔に見た中国の映画「黄色い大地」を思い出していました。

その後中国へ行ってみると、湿度が高く木々がみずみずしい日本とは違って、中国の大地はナルホド本当に黄色だなぁと思ったことがあったのです。

先日私が見たのは、稲が実って田んぼ一面が黄金色に染まり、稲穂が輝かしく光ってたなびく黄色の大地。

同じ色であっても、土でも、ホントいろいろあるなぁ・・。

今回とりあげた脾は、他の臓腑と違って馴染みが少ないうえに東洋医学独自の概念なので説明が難しく、実はずっと先延ばしにしていました。でも見ちゃった!黄色い大地を。観念して挑戦してみた次第です。

願わくば、脾といえば土の性質だということだけでも伝わりますように!

 

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中国の西北部、黄土高原にて撮影。ここは日本に飛来する黄砂の発生地。

身体感覚を開く2 響(ひび)き

私が初めて印象派の画家クロード・モネの睡蓮を間近に見たのは、午後の日差しが心地よい、晴れわたった秋の日だった。そこはニューヨーク近代美術館、通称MoMA

話は、20年以上前にさかのぼる。当時の私は、通っていたアメリカのヒーリングスクールの授業を終えて、開放感いっぱいでMoMAに向かった。

 

正直、それほど美術とか絵画に興味があったわけではない。もっと正確にいうと、有名な絵とか見ても「ふ〜ん、なるほどね(何がなるほどなのか全くわからないが)」というくらいだったのだ。

 

その私が、モネの睡蓮が展示されているホールに足を踏み入れると、その絵画の大きさの持つ迫力に驚いた。デカい!とにかくデカい!!

 

そして大柄の人間五人が大の字になっても仰向けで眠れるような、黒いシンプルなソファが作品の真向かいにドドーッンと置かれていた。

私はそこに座って、友人との待ち合わせ時間まで暇を潰すことにした。無駄に大きい低めのソファに座りながら、なんという巨大な作品なんだろう!と思いつつ。。

 

ジッとというよりも眺めるような感じでボンヤリと絵を見ていたら、絵の中の蓮が動き出した。いや、動き出した気がしたのだろう。そして飛び出す絵本のような感じで、ある部分が大きく見えたり他の部分が小さく見えたりしはじめた。

私はその絵の中の、たゆたうような世界に取り込まれると、まるで船酔いをしたかのようにボヤボヤとした体感を覚え、目がまわりだした。私は身体を支えることができずに片肘をつき、次に頭からうっ伏して、とうとう座っていたソファに天井を向いて倒れた。

 

パスポートやトラベラーズチェックといった貴重品を持っているのに、なぜにこんなところで無防備に寝てしまうのか・・おいおい私!!

そう思いつつもそこからたぶん10分くらいは意識混濁。混じりあう意識の中で、このソファは私のような人のためにあったのだと妙に納得したことを覚えている。

 

あの経験から私の絵を観る感覚は変わったのだと思う。

少し離れてボンヤリ観るようになった。そして自分の内部で起こってくる体感をみつめるようになった。

 

あえて言葉にするなら、響(ひび)きのようなものを察知するために耳をすます感じ。

 

そう、たぶん響き。。

 

たとえば境内の鐘がゴーンと厳かに鳴ったとする。

その音は大気を伝わって、定量化できない響きとなる。

リズムでもない、拍でもない音が、その響きを包みこむほどの間(マ)の中に拡散されて、私の身体の中にも振動となって届く、あの響き。

 

音楽でも(メロディのない単音であったとしても)、映像でも、言葉でも、音のない絵画でも文字でも、そのものが発する響きが伝わってはじめて、作品と自分との間に関係が生まれ、私の内部で何かが始まる。

 

こんな風に考えていると、ふと私の愛する鍼(ハリ)のことが頭に浮かんだ。

そうだった!鍼が持つ人体に与える独特の感覚は、響きとよばれるのだ。

鍼を身体に打つ。するとその打った所から関係のないように思えるような遠い場所、そんな場所に刺激を感知する、" 響く" としか言いようのない感覚。

さらにズーンとくる、あるいはジワッとするといった、鍼だけが伝えることのできる、ピンポイントを抑えながらも周りに拡がる、あの感覚のことだ。

 

鍼灸学校時代、クラスメイトが名人と噂された先生に質問したことがあった。

「鍼が上手くなるために最もすべきことは何ですか?」

その先生は答えた。「本物の芸術に触れなさい」

私はこの言葉が忘れられず、自らの治療所の名前をアーツと名づけたのだ。

 

鍼と芸術。

ともに響きとなって体感するという点において、

私の中でこの両者が繋がりあった。

 

(後記)

先日、ライアーという楽器を使って治療なさる方が、私の背中で音を奏でてくださいました。その時、弦が弾かれる音とともに振動となった響きは、私の体内の奥深くをめぐりました。

音や波動の治療効果も面白いなぁと思って、しまってあったチベタンボールを鳴らして空間に響かせたり、音叉やトーニングといった音を使っての治療方法を自分に試して遊んでいるうちに、モネの睡蓮を見た時の体感が蘇ってきたのです。

 

悲しいことにTVなどからは、1ミリも響かない政治家たちの言葉が聞こえてきます。

見事なまでに、およそ響かない。人との会話、コミュニケーションがこんなにも響き合わない世界に未来はあるのだろうかと思ってしまいます。

 

悲しいことであれ、嬉しいことであれ、その響きを感じてみたい。 

こう、私は思っているのですね。

 

我が人生に響きあれ!

 

私と同じように望む方がいたとして、まだ鍼を体験したことがないのであれば、鍼治療オススメしちゃいます。(あ、治療家は私じゃなくとも!)

  

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紅海に面するエリトリアの都市、マッサワにて撮影。 

(戦争の傷跡が色濃く残る都市、マッサワ。マッサワの凪(ナギ)のように穏やかな海と戦禍ですっかり荒れはてた街。廃墟に漂う寂寥と時が止まったかのような空気感が、当時の私に随分と響きました。)

 

 

 身体感覚についての参照記事

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 ハリについての参照記事

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繋がりあう世界2 発酵と酵素

築93年を経た木造の我が家が、私の小樽での治療所である。さてこの家を掃除してみると、これがもう笑っちゃうほどに小さき生物達の足跡をたずねる旅になる。

いたるところに蜘蛛の巣あり!四隅はもちろんのこと、戸棚の表面にもうっすらと。ちょっと高みを見渡せば、手の届かぬところのソコカシコに。この作品を作ったであろう蜘蛛の姿はいっこうに見当たらぬ。一体何処へ?

わらじ虫達はどこから湧くのかわからないが、春の陽気に誘われて我先にという感じでこぞって水場にお出ましになる。臭いで存在を知らしめるカメムシ。彼らとは戦わずに友達になることにした。ああ、いるなと目視する程度の関係で。

ムカデ、クロアリ、ケムシ、ダンゴムシゲジゲジ。。そして蜂は時おり軒下に巣も作る。

どんなに掃除しようとも、ヤツらには敵わない。よかろう!好きにしてケロ!っと、私は匙を投げて、こう思う。

私は自分の所有物としてこの家に住んでいる気になってはいるが、果たしてここは誰のものなのだろう?彼ら小さき者達は、家賃も払わずにのうのうと住んでいるではないか。そして私は、あたかも彼らのシモベのようだ。窓をあけて風を通したり、食べカスを残したり、室温を調節したり。この家の主人は、実は彼らなのかもしれない。。

 

そんな風に考えてみれば、自分の身体も細菌や微生物達に場を提供する家であるとも言えるのではないか。

我が家のソコココに作られた蜘蛛の巣をとりのぞきながら思う。私の口腔も腸管も皮膚も見知らぬ者たちの痕跡がいたる所にあるのだろうと。預かり知らぬ者達、つまり微生物が、細菌が、今話題のウイルスたちが、ひしめき合って住みついているに違いないのだから。

 

今回は、微生物たちの働きが我らを助けてくれるということに焦点をあててみたい。

COVID-19にも効果ありとされている発酵食品を作り出す発酵とは?

そしてそこに含まれる酵素とは?

これらについて掘りさげてみたい。

  

さて、この発酵とは、酵素とは、一体どういうものなのだろう?

ズバリ!発酵とは、ある食品が微生物の力によって別の食品になること。

こうしてできあがった発酵食品には、酵素と呼ばれるタンパク質が含まれている。

酵素とは、細胞がエネルギーを作る、ホルモンを出す、生命活動に関する指令を伝達するといった活動において、さらに栄養の吸収・燃焼・排泄などの分野において、生化学的変化を促進する触媒(仲介役)の働きをするタンパク質なのだ。

ざっくり言ってしまえば、酵素とは仲介役として働くタンパク質のこと。

 

ここから酵素についての説明を少し。

1 酵素の種類

酵素には、消化酵素代謝酵素と呼ばれる2種類の体内で作られる酵素(体内酵素)と、食べ物から摂取する食物酵素(体外酵素)とがある。

⒈ 体内酵素

①消化酵素は、食べ物を消化するために必要とされる。デンプンにはアミラーゼ、タンパク質はペプシン、脂肪はリパーゼという酵素で消化されるように、食べ物を食べても消化酵素がなければ栄養として取り込めない。

代謝酵素には、呼吸・筋肉・細胞分裂、神経の伝達、体温や血圧の調整などをスムーズにさせる働きがある。何かを見ても、香りをかいでも、美味しいものを食べても、神経の伝達があってはじめて視覚に、嗅覚に、味覚に訴えることができるのだ。自律神経による内臓の働きも、筋肉の弛緩と収縮も、呼吸や血圧調整も、つまり生体に必要なあらゆる働きにこの酵素が関わっていると言ってもよい。

⒉ 体外酵素

食物酵素といわれ、ローフード(非加熱の食品や 生の野菜や果物)に含まれる消化酵素のこと。食物に元々備わっている酵素であり、食べるだけで人の酵素として取り込める。(例:早とりしたバナナやアボカドは、時間の経過とともに食べ頃になっていく。このように自然と熟し自ら消化する力が備わっている)

 

2 酵素の消費

体内で作られる酵素は消化と代謝に分配される。ゆえに消化に使われる酵素量が多くなれば代謝に配分される割合は減少する。少食にすると消化に使われるはずの酵素が少なくなり、その余剰分が代謝に回るので代謝があがるのだ。つまり若返る!あるいは消化を助けてくれる食物酵素を体外から取り入れれば、体内にある消化酵素の浪費が減って代謝力がアップ。代謝があがると、あらゆる生命活動に活力を与えることになる。

 

3 酵素の特徴

①  触媒の働きをする(注:触媒とは、仲介のこと)。

メシベとオシベとの間を行き交うミツバチが仲介して受粉し、種の存続が成り立つ。このミツバチのように、A + B = C の生化学変化の間(マ)を繋ぐ働きをする。

②およそ5000種類もあるといわれている酵素。そのひとつの酵素は、ある特定の仕事しかしない。ある鍵穴には特定の鍵だけがはまるというように。よって、たった一つの酵素が欠如するだけで病気にもなりうる。それゆえ、酵素ドリンクを作る場合、単体の材料で作るより複数の種類を含む方が、より酵素の力は充実する。

③熱に弱い。酵素が働くのに最適な温度は32℃〜40℃。多くの酵素は45℃を超えるとタンパク質が熱変性をおこし、触媒能力を失うとされる(例外もあり)。それゆえローフードは、食物酵素を壊さずに体内に取り入れることができるために注目されている(注:ローフードに凝ってる人の中には、冷えが体内に入っていて体質に合わない場合もあるので極端な食生活には要注意!)。

④多くの酵素(エンザイム)は補酵素コエンザイム)という有機化合物(ビタミン類とミネラル類)がないと働かない。またビタミン、ミネラルも酵素がないと働かないという相互依存関係がある。果物や野菜を材料にした手作り酵素ドリンクには、コエンザイムも豊富に含まれているのでオススメ。

⑤消耗品であるため、補充が必要。

 

つまり酵素とは、

人体の生命活動の間(マ)を繋ぐものであり、

活動のためのエネルギーを作り出す代謝を担っているのだ。

 

間(マ)を繋ぐものである酵素

四季折々の食物を材料にして、旬の酵素を作りながら、

 私はそこに、微生物から繋がっている自然界の循環する世界を見る。

 

<おまけ:日本が誇る 発酵食品>

生のカツオにカビ(微生物)が発生してできるカツオ節

ぬか漬け、梅干し、海苔、納豆、魚の干物、昆布、干し椎茸、

醤油、みりん、酢、日本酒、酵素玄米、味噌

海外ではワイン、ヨーグルト、チーズなど。

 

 (後記)

私は、手作り酵素を学びはじめてマル5年がすぎました。この5年間、ほとんど途切れることなく酵素を作り続け、今も教室に通って学んでいます。

正直こんなに作り続けるとは思っていなかった。微生物の世界は一体どうなっているのかという興味に誘われつつ、ただただ面白くて、その上美味しいので酵素を作り続けちゃいました。

外気温や室温といった温度管理はもちろんのこと、保存方法や時間の経過によって味がどんどん変化してしまう酵素。また同じ場所で同じ材料で一緒に作った仲間であっても、一人一人味が違う。

また何度も酵素を作っている場所で作ると美味しくできあがる。これはパンを酵母菌からおこして作るとか、味噌を手作りする場所にも当てはまります。家の中に酵母菌や麹菌が既に住みついていて、協力してくれるのだと。

こう言った微生物の世界は、土の中にもあって、自然界の成り立ちを支え、循環する生命を生み出しているのだと思います。

 

今の私たちの生活は、

一方で微生物の力を借りて作られる発酵食品を推奨し、酵素を体内に補充して健康を気遣う。

納豆がいいだの、ワインがいいだのと。

その一方で

巷には滅菌された、いつまでも腐らない加工食品があふれ、

我らの身体は、抗生物質によって胃や腸の細菌は撲滅され、

食生活においては、腸内細菌の繁殖に必要な繊維質の摂取は減少しています。

農薬や食品添加物の問題も真面目に議論すらされずに。。

チョイチョイとご都合主義で取り入れられる自然派志向 と アンドロイド的なまでに行き過ぎる潔癖志向。この振れ幅のあまりの大きさにいつも私は戸惑ってしまいますが、こういう割合の上に今の食文化は成り立っているのだと思います。

   

さらに残念なことに私の世代は、修復不能なまでに自然を壊してしまいました。

次世代の人たちのために私が何かできることがあるとすれば

自然界の一部としての身体を回復することのお手伝いだと思います。

 

そして私自身も、微生物たちの世界を感じることで、

生命とは何かという問いを考え続けていきたいなぁと思っています。

 

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 酵素ジュースの材料の一部。自宅にて撮影。

 

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勝手に陰陽論17  見方によって世界は変わる

ファンというのは、なんてありがたいのだろう。

患者さん達の話をきく度に、こう思ってきた。そしてその熱狂ブリは、いつも私を幸せにさせてくれる。

モータースポーツの F1世界選手権を欧州へ観にいくためだけに働いている気がする。

羽生結弦選手(ゆず君)を追っかけて海外への応援にもできるだけいく。

東方神起のコンサートでは、どしゃぶりの雨にずぶ濡れになり凍えながらも、同じ苦しみを分け合った忘れえぬ体験だ。

布施明のファンクラブに入っていて、長年アキラをこよなく愛してきた。たとえ森川由加里と結婚しようとも、その愛は変わらない。とかとか。。

 

先日も若手俳優のファンの方と、こんな会話になった。

「彼がTwitterで最近ウイスキーを好きになったとつぶやいたとたん、プレゼントが殺到した。画像でどんなウイスキーが贈られているのか調べてみると、なんと12万円もするのがあったのよ。」

「じゅ、じゅ、じゅうにまん?!そ、それは?」

サントリーの山崎ですよ、ヤ・マ・ザ・キ!」

 

12万のウイスキーをプレゼントかぁ。。しかもまたしてもヤマザキ

 

実は、私とヤマザキとの間には数十年前からの因縁がある・・と勝手に思っている。

 

皆さまは覚えていらっしゃるだろうか。

1990年代日本のバブルが崩壊した後の話だ。

テレビCMに流れた、心に染みわたらせるかのように男性の声で厳(おごそ)かに語られた、あの秀逸なコピー、

「何も足さない、何も引かない」を。

ちょうどその頃、私は自らの座右の銘を考えあぐねた末に決定したばかりだった。

「押してもダメなら引いてみな」に。

TVから流れくるCMで、そのキャッチーなコピーをはじめて聞いた時の私の気持ちは、今もはっきりと覚えている。

「強気だな、ヤマザキ・・」

 

押したり引いたりしている風見鳥のような私と、足しも引きもしない泰然自若なヤマザキ

その頃から私は、こそっとヤマザキの強気に注目していたのだ。

 

そして近年、東京と小樽との2拠点生活をしている私は、自らの不甲斐なさを痛感することが何度もあり、密かに我が座右の銘を変更しようかとさえ考えていた。

2拠点を往来する生活は、移動が多い。

移動時間中に、せっかく5時間も6時間もあるのだから、あの本読もう〜!

いやいやあの本ではなくて、こっちの本の気分かもしれない。文庫だからちょっこっと忍ばせて、これも入れておこう!だって、5、6時間もあるのだよ。

と毎度2、3冊の本を携帯し、キャリーケースにもいろいろな資料を詰めて、ずっしり重くなってしまった荷物を恨めしく思いながらも出発する。

なのに電車に揺られるや早々に眠りに落ちる。飛行機の中でこそ悠々と過ごせるに違いないと思っているのだが、読んでいた本が手からすり抜けるほどに爆睡してしまう。

結局、1冊の本も読めずに呆気なく目的地に到着する。

帰る時も、今度こそ5時間も6時間もあるのだよ!と思って、同じように2、3冊の本を携帯して荷物を担ぐ。行きは失敗したけど、帰りはきっとうまくやれるに違いない。

しかし。。またしても寝落ちして、いつしか目的地に到着している。

1ページたりとも目も通さなかった本やら資料やらを荷物から取り出す時の、あの気持ち。

ガックリきますよ、自分に。こんなはずじゃなかった。

いったい何度繰り返したことだろう。

自分を知らない自分に呆れはてて、押してもダメなら引いてみな!とばかり、1冊も携えずに出発したこともある。するとこういう時だけ、なぜかスッキリと頭は冴えわたり、手持ち無沙汰この上なし。なんて天邪鬼なのでしょうね・・。

そんなわけで、荷造りするたびに重い気持ちになる。

押すのか?引くのか?と迷う優柔不断な自分に・・。押しても引いてもダメなのかと弱気な自分に・・。

ああ!もっと決断力のある揺るぎない自分になりたい!

 

そんなわけで、

自己価値のある、迷いのない態度に実は憧れてもいたのだと気がついた。

そしてマウント感満載の態度をほこるヤマザキをググってみる。

するとヤマザキには、12万で驚くなかれ、24万、165万、220万、そしてな・な・なんと5700万のモノ(送料無料、木箱付き)があった。イチ・ジュウ・ヒャク・セン・マン・ジュウマン・・・と何度数えても、5700万。

いくらなんでも、どうなんだろう?? ウイスキー一本こっきり(700ml)に人生を丸ごと賭けるような、この値段。。

どう思われますか?みなさま!

ま、趣味人というかファンというかマニアとかいわれる人とっては、こだわるモノに対してはプライスレスになるのだね。でもこんなことを知ってしまったら、12万円のウイスキーがいきなり安く思えてきた。

安いじゃないか!12万!

 

ここに至り、相対の世界が見えてきた。

12万円のヤマザキは高いか?安いか?実はこの命題は成り立たない。

今の私にとっての、このウイスキーにかける12万円は、安いのか高いのか?となるのだ。

私のようなシモジモの者にとってはやっぱり高いが、帝国ホテルのバーなんかで毎晩飲んでいる方達にとっては安いのだろう。なんせ世界は広いのだ。

仮にそんな人が事業に失敗して借金まみれになったりしたら、12万のウイスキーなど高嶺の花となるかもしれない。

つまりヤマザキの12万円が安いか高いかは、その人の人生観により時期により状況により、その判断は変わるのだ。

 

またアメリカは西か東か?この命題も成り立たない。日本から見て東であるが、欧州から見て西だからである。

 

安価と高価、東と西、南と北、上と下、右と左、善と悪、吉と凶、さらには生と死でさえも

およそ二項対立する概念は、

それぞれを比較した上で分析することはできるが、一方だけを取り出すことはできない。

ある局面での分析が別の視点に立ってなされる時、

その二項対立する概念の意味は、反転してしまうことも多い。

 

この世は相対の世界。

どこに視点を置くかによって双極が入れ替わり、

見方によって世界が変わるのだ。

  

(ま、そうは言っても12万のヤマザキを一瞬安く感じた感覚は、正気に戻るとマタタクマに消え去りました・・。)

 

<陰陽論の解説>

古代中国思想の構成要素である陰陽論。これは陰陽という自然界の運動と変化をつかさどる基本原則であり、あらゆる日常の栄枯盛衰の自然摂理を説いている。

陰陽論というと、とかく陰と陽とに対立要素として分類することに重きが置かれている感じがする。しかし陰陽論には、その他にも重要な本質がいくつかあり、そのひとつが相対の世界を表現していることだ。

 

 陰陽論については、こちらを参照。

garaando.hatenablog.com

 

garaando.hatenablog.com

 

 

(後記) 

今回は、身近なところの相対の世界を書いてみました。

実は私たちは、見方によって変化する不確かな世界に住んでいるのだと思います。

 

だからこそ、ファンの人たちが放つ

揺るぎない情熱に

その無償の愛に

好きという絶対的な確信に 

私は生への歓喜を感じるのだと思います。

ファンって、本当に素敵ですね!これからもその熱狂を応援していきたいです。

 

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小樽、 精霊たちのいる森にて撮影。

なお文中の会話については患者さんの了承を得て掲載。

  

 わが座右の銘については、こちらも。

garaando.hatenablog.com

 

 

 

勝手に陰陽論16  気 (キ)と 物(モノ)

私の好きなフレーズのひとつに「 気 動じて 物 生ず」というのがある。

気が動けば自ずから物が形づくられる、という意味だ。

 

今回はこの 気(キ)と 物(モノ)との関係を人体の五臓六腑の五臓に当てはめて、陰陽論で考えてみたい。

 

陰陽論についてはこちらを参照 

garaando.hatenablog.com

 

garaando.hatenablog.com

 

陰陽の視点で考えてみると、

気:キ は外へと拡散する動的エネルギーを有する陽であり、目に見えず、

物:モノ は内へと集約されて物質(実体)を形づくる陰であり、目に見える。

 

これを踏まえた上で、五臓六腑の五臓について考えてみる。

西洋医学でいうところの五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓)は実質臓器(広義のモノ)を指すのに対し、東洋医学では実質臓器に加えてその臓器による働き(広義のキ)を含む。よって西洋医学五臓には、臓の字がついているが、東洋医学のそれには肝・心・脾・肺・腎と臓の字がない。

腎を例に考えてみると、腎臓という実質臓器は目に見える形の実体(モノ)である。そして腎臓が持つ生命力を発動させるための働き(キ)には、成長、発育、生殖、老化といった分野がある。その働きゆえ、腎は、骨・歯・耳・生殖器といった器官とも関連が深い。

腎と東洋医学でいう時、これら腎にまつわる器官との関係性にも目を向ける。つまり、腎臓という臓器そのモノに加えて、関係器官を繋ぐ働きをも含む機能全般を網羅する。

腎 = 腎臓本体 (モノ)+ 腎にまつわるすべての働き(キ)となる。

実質臓器は実体(モノ)であり、目に見える陰。

その働きは 動的なエネルギー(キ)であり、目に見えない陽。

この陰と陽が合わさってはじめて生命活動が営まれる。

 

腎については、こちらを参照! 

garaando.hatenablog.com

 

気の医学 といわれる東洋医学において、五臓の捉え方においても気の重要性がみてとれる。

 

気動いて、物生ず。

目には見えないエネルギーが、モノを生む。

自然界における生命エネルギーが、物を、形を、実質臓器を作り、そしてそこに生命力が宿る。

 

意図や意識が何事においても重要なのは、それが現実を作ってしまうから。。

  

その一方で、キ(陽)がモノ(陰)より大事なわけではない。

物質、形といったモノがなければ、そのキ(エネルギー)を感じることができない。

私たちは、陰であるモノの力を借りなければ、その本質がわからない。

スィーツを食べてはじめて、その甘さを味わうことができる。

芸術作品を見ることによって、そこに宿る作者の情熱を感じることができるし、

感謝の気持ちも言葉によらなければ、伝わらないことも多い。

 

形あってはじめて、届くものがある。

  

また目には見えない技術もそれを表現するためには、道具や実体を必要とする。

スキーというスポーツもスキー板という道具がなければ、その楽しさは味わえない。

音楽においても楽曲があって、それを奏でる演奏家たちの技量がわかるのだ。

 

そこに気が動いて、モノが生じる。

そしてモノによってはじめて、目にはみえない世界が広がっていく。

 

陰と陽。

身体という乗り物と精神。

肉体と身体感覚。

言葉と意味。

芸術作品と才能。

これらが合わさって、さまざまな営みが生まれるのだ。 

 

この陰と陽との関係性に目を向けると、

気というエネルギーのありかが見えてくるのかもしれない。

 

 

(おまけ:五臓六腑における臓と腑との関係)

五臓の臓とは、字のとおり蔵するという意味合いの、貯める器。内側にためこむ陰。ここにはその臓器が持つポテンシャルが貯蔵されている。

六腑の腑とは、胃や腸に代表される中空の器官で、流し動かす器官である。外部へと押しだす陽。

内臓である五臓六腑も、陰陽の力が合わさって機能している。

 

(後記)

気(陽)とモノ(陰)との関係は、相反するものでありながら、コインの裏表のようなもの。どちらか一方が欠けても成り立たず、一方だけを取り出すことはできません。

このように考えてみると、気であれモノであれ、いずれか一方へのアプローチであっても全体に影響を与えます。

モノを整理することでエネルギーの流れを変える断捨離のようなモノから入る方法論 と

意図や意識を高めて現実を変えていくキから入る方法論。

どちらも真なり。。

 

色即是空、空即是色。

 

気とモノとの間に結ばれる関係性に気づいていくことは、

単なる方法論ではなく、真理の追求に繋がるのではないかと思っています。

 

 

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人形作家 石田節子氏の作品「桜花」。 自宅にて撮影

東洋医学各論11  経絡(けいらく)

ふと幼い頃の風景が浮かんでくることがある。

先日も懐かしの遊び、炙(あぶ)り出しを思い出した。みかんの絞り汁で紙の上に絵を書いて乾かす。火で炙ると滲(にじ)みながらも秘密の絵がぼんやりと浮かびあがる、炙り出しを。

 

こんな事を思い出したのも、その日の治療で目にしたもののせいかもしれない。人体の表層に炙り出され目に見える形に姿を現したライン、東洋医学でいうところの経絡(けいらく)。それが、患者さんの手から腕に浮かびあがっていたのだ。

彼は、手から腕にかけての湿疹が治らないと言った。

診てみると大腸の経絡の流れに沿って、まさにツボの位置に見事に湿疹が並んでいる。

「大腸に問題があるかもしれない。思い当たることは?」と尋ねてみると、

「実は、もともと大腸が弱い。以前にオペもしているし。。。」とのことだった。 

 

f:id:garaando:20210422103241p:image 左図:大腸の経絡ラインにできた湿疹

 右図:大腸の経絡図 (部分)とツボの位置

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大腸の経絡図(全体)。は体内の、は体表の流れ     

 

 

今回は、この経絡について掘りさげてみたい(太字は東洋医学の用語)。

 

東洋医学は 気の医学 と言われている。

両親から受け継がれ成長・発育を促す根源的な生命力を先天の気といい、

飲食物からの栄養(地の気)と 呼吸によって得られる酸素(天の気)とを合わせたものを後天の気という。

この 先天の気 と 後天の気 とが合わさって真気(しんき)となり、これこそが生命活動の原動力となる。

この真気がめぐる通路を経絡(けいらく)と呼び(注:「」ケツと呼ばれる栄養分も経絡をめぐります!)、この経絡上の要所に360余りの経穴(けいけつ。ツボのこと)がある。アナと書いてツボなのだから、ツボは通常ちょっと凹んでいる。そしてそこは、気が出たり入ったりしてエネルギー調整をしている場所となる。

つまり経絡とは、スパイダーマンの網の目のように全身を巡っているラインのうち縦のライン(注:横のラインは脈絡といい、経絡と脈絡を合わせて経脈という)を指し、気血(きけつ)の通り道のことをいう。

五臓六腑に心包(しんぽう:「心(しん)」を覆う外膜。東洋医学独自の概念で、実体のない臓器とされている)を加えた六臓六腑は、それぞれの臓腑をまとう経絡を1本づつ持ち、合計で12本となる。それぞれの流れは途切れることなく繋がっていき、身体全体に循環輪を形成する。ここでは基本となる14本の経絡ラインを紹介したい。

 

<循環輪を構成する12本の経絡>

1肺経:肺を調節 → 2大腸経:肺経と協力して大腸を調節 →   3胃経:胃を調整し、消化吸収を調節 →   4脾経:胃経と協力して消化吸収を調節 →   5心経:大脳と心(しん)を調節 →   6小腸経:心経と協力して小腸を調節 →   7膀胱経:膀胱を調節し、腎経と協力して生殖や老化に関与 →   8腎経:腎を調節し、生殖や老化に関与 →   9心包経:心(しん)を調節 →   10三焦五臓の働きに必要となる熱や水分を運搬 →   11胆経:肝経と協力して胆を調節 →   12肝経:肝および血液を調節  →   1肺経に戻る

これら12本の経絡は、それぞれの内臓を巡る体内を走るラインと、体表を走るラインとが繋がってできている。<例:肺経のライン 体内の上腹部から始まり大腸と肺を通り喉を巡って腕のつけ根のツボ(中府:ちゅうふ)から体表へ現れ、腕を降って親指先のツボで終わる。手首で枝分かれして人差し指から大腸経へとつづく>

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肺の経絡図。は体内の、は体表の流れ

 

督脈(トクミャク)と任脈(ニンミャク)>

督脈と任脈とは会陰から頭頂を結び躯体の正中線を一周する経絡で、これは気功の小周天の巡りとなる。後面を督脈といい、前面を任脈と呼ぶ(督脈:背面の経絡を監督し、任脈と協力して脳を調整、任脈:妊娠にも関与)。

 

督脈と任脈は12本の経絡とも繋がっており、12本の経絡に督脈と任脈の2本を加えて、基本となる経絡のラインは全部で14本となる。

 

ふぅぅ。。言葉で説明するには、大変に難しい。

そこで、他人様の動画を拝借することに。。

人体には気の通り道なるラインが繋がりあって、こんなシステムがあるよ!というイメージを持っていただけたら。。

 

 12経絡のラインがわかりやすい動画(ネットから拝借)

www.youtube.com

 

 体表の経絡ラインが体内の内臓や器官と繋がっているという動画(ネットから拝借)

 

気の通り道であり、身体全体に張り巡らされたネットワークである経絡のことをイメージしていただけただろうか。

東洋医学においては、気の流れの滞り、気の過少や過剰こそが病気の原因とされている。

そして経絡上に気の異常は現れる。経絡は臓腑を巡っているので、経絡の異常は臓腑にも影響を与えるし、臓腑の病いは経絡上のツボに湿疹や腫れ、しこりとして表現されることも多い。

 

体表に現れる湿疹なども、単なる皮膚の疾患というだけではなく内臓の疾患の表現として捉えてみて欲しい。

痒みを伴う蕁麻疹や湿疹がではじめたら、掻く前にちょっと我慢して、それがラインのように繋がっているかどうか確かめてみる。掻きはじめてしまうと、湿疹の数も増え掻いたところからラインが無数にできて全体的に盛り上がってしまったりするため、問題ある経絡を特定しづらくなるのだ。

経絡のライン上に湿疹が出ているのを発見できたら、その経絡に関係する臓腑こそ治療が必要だとわかってくる。あるいは経絡の異常を整えると、臓腑の疾患も癒えていくのである。

 

自然はいつだって循環輪を形成している。

循環しながら変化することが生命体の基本なのだから、

我らの肉体にも循環するエネルギーの流れがあって不思議はないと思うのだ。

 

人体が有するネットワークシステムである経絡。

目に見えず実態もわかりづらい経絡が、炙り出しの遊びのように時々姿を現すことがある。

 

<後記>

気とか経絡とかはあるのですか?と、今まで何度聞かれたことでしょう。

言葉を尽くして説明しようとしても、これがまた難しいのです。

なんせ、死体を解剖しても気や経絡は見つからない。

西洋医学では、身体は臓器や器官の集合体であり、徹底した分業システムで成り立っているとみるので、死亡した身体を解剖して分析します。ゆえに生命力を失った死体と向き合う解剖学をベースに発展してきたのだと思います。

一方東洋医学は、気こそすべての始まりであるのですから、観察対象は生きている人間です。臓器や器官は解剖学的部分であると同時に、気の器であり場でもある。そして身体それ自体が内部に有機的繋がりを持つ場となるのです。

見つめるべきは死体か生身の人間か?そもそも出発点に大きな隔たりがあるものを、どちらかのモノサシで測ること自体に無理があるのではないでしょうか。

また気や経絡が物質として科学的に解明されたり、〇〇波や〇〇線に還元できると証明されたところで、それが全体像を網羅するかどうかも疑問となるわけです。

 

あるやなしやと考えても全くもって不毛だなぁとガックリしながらも、

私が日々の施術の中で実感している経絡というネットワークの面白さを、なんとかわかってもらうことはできないものかと時々考えていました。

経絡の流れを整えることで癒えていく身体を確認するごとに。

あるいは実際に皮膚に炙り出された経絡のラインを見る度に。

 

身体には、こんなネットワークシステムが実は隠されているんだよ!とお伝えできたら、嬉しいです。

 

 

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 滲(にじ)んでしまった写真、サンフランシスコ市庁舎を撮影

(今回の症例は患者さんの承認を得て掲載)

 

気については、こちらも。

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雑考2 時について

「ベランダに転がっていた球根を植えてみたの」と友人は、2つの小さな鉢を見せてくれた。その友人を訪ねる度に、それぞれの鉢からは芽が出て背丈が少しづつ伸びていった。とうとう1つはヒヤシンスの可憐な白い花が咲いた。もう1つは背丈も小さくいまだ花が咲かない。それを見て私は、こっちの方は時が満ちていないのだなぁと思った。

 

ギリシャ神話では、時を司る神様にはクロノスとカイロスがいるという。

クロノスとは、メトロノームのように均一に過去から未来へと刻まれる物理的で客観的な直線的時間、この時間を司る。クロックの語源でもある。

一方カイロスは、今でいう「ゾーンに入る」とか「フローに入る」といった言葉で表現されるところの、直線的時間とは異質な、内的で主観的な時間(トキ)、これを司るとされる。

 

私は時々、このクロノスとカイロスの事を考えることがある。それは余命宣告をされた方に関わる時だ。

宣告どおりに命が尽きることもあれば、余命宣告を過ぎても命果てることもなく、そのうちに病気の進行がそのまま止まってしまう、あるいはあったはずの病巣がなくなってしまったケースにも幾つか出会った。

何がどうしてこのような違いが起こるのか、さんざん検証してみたし、今もそれをわからないながらも続けている。

ただいつも思う。まだ生命果てるその時ではなかったのだと。

 

生・長・盛・老・病・死といった生命体のオオモトをなす時の流れ方は、カイロスが仕切っているのではないだろうか。

日常で刻まれる時間のうち、特に誕生や死といった瞬間は神聖で特別な気持ちを味わう。

無機質に刻まれる時間に、一陣の生(ナマ)の風を伴ってカイロス神が舞い降りるのだ。

 

人が生まれるも 死ぬも

赤ちゃんが歩きだすも 言葉を話しはじめるも

子供の歯が生え変わるも 

木の実がみのるも

花が咲くも

種が落ちるも

 

人間が決めた善悪や図りごとを超えて

カイロス神が降りたもう。

 

原因と結果が短絡的に結びつけられ、

何事も管理できると、ともすれば思いあがる人間に、

カイロス神の存在は私には救いに映る。

 

クロノス神が与えた時間を我らは生きるしかない。

するとある時、カイロス神が我らの頭上に舞い降りるのだ。

 

単調にも思えるかもしれない日常の中で、

1日24時間と決まった一定量の時の中に、

流れ方の異なる時が訪れる。

 

私の今いる空間が、いつもとは別の流れと交叉している。そう、感じられる時でもある。

 

 (後記)

時や時間について、いつもボンヤリながら考えてきました。私の仕事では、患者さんとのお付き合いが長い年月に渡ることが多いので、その方達の人生の断片を見せていただくことになります。自分にも当てはまるのですが、時(トキ)との関わり方によって、人生の変化の速度が変わっていくように感じています。

 

カイロス神は、チャンス(好機)や偶然を司るとも言われています。

「チャンスの神様には前髪しかない」という言葉は、ギリシャ神話のカイロス像がモデルだそうです。この意味は、チャンスは後から捉えることはできないというもの。

 

チャンス、タイミング、シンクロニシティといった時の妙技を逃さぬためにも、

日々大事に時を過ごしたいなぁと思うこの頃です。

 

それにしても神話って、面白いです。

それこそ時を超えていますしね。

 

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 インド、チェンナイにて撮影 

 

 同じ空間に重なりあう世界がある。ちょうど5年前の記事です。もし良かったら!garaando.hatenablog.com