患者さん達から「太極拳って武道なのか」と聞かれることがある。太極拳は、楊式(ようしき)、陳式(ちんしき)、呉式(ごしき)などの流派がある武術だ。それぞれの流派の「手型・歩型・身型」には、それぞれの特徴がある。こういった型の決まった動作や技を連続的につなげたものを「套路(とうろ)」という。最も一般的な「簡化24式太極拳」とは、伝統的な太極拳の特徴的な要素をとりだし初心者でも学びやすい形として24の動作で構成された套路のことだ。これにより武術的側面よりも健康を増進させるという目的が一般に広まった。この24式の他にも48式、88式、99式といった数多くの動作がつらなった套路などがある。武術色の強いものとしては剣や棍、刀や槍などの武器を持つものがあり、剣を用いた26式太極剣や36式太極剣、刀を使った46式太極刀、扇を持つ22式、24式太極扇などもある(注:ザックリの説明です。孫式太極拳の形意拳や八卦掌などについては、またいつか)。うぅ、どんなに覚えたとしても、ワンコ蕎麦のように新たな套路が次々とおしよせるではないか。
そもそも私は、この套路を覚えることが苦手だった。多くの方が太極拳に挫折してしまうのは、24式でさえ覚えることがむずかしいからだと思う。套路を身体で覚えるまでには、動きながら次の動作を考えなくてはならない。頭を使うと途端に身体はマリオネットのようにぎこちなくなる。どっぷり身体の中にはいることができない。こうしたもどかしさを感じていたので、私は立禅(りつぜん)や站椿功(たんとうこう)といった立ったまま動かずに特定の姿勢を保って気をめぐらす訓練方法の方が好きだったのだ。
太極拳は好きだが套路を覚えることは苦手。そんな私だったが、年月を重ねてみると、いつしか頭を使わずとも身体が動くようになり、そうなってみると身体感覚が変わっていった。太極拳をしていると、タガが外れたように身体が弛んでアクビが出る。末端の毛細血管が開きはじめ指先がピリピリしてくる。足裏が、浴室の窓にはりついているヤモリのような足になる。土ふまずの凹んだ部分がふくれて足裏全体が吸盤のようにピタッと床に密着するのだ。足裏の感覚だけが明確になり、自分の境界がぼやけはじめ身体がドラエモンのように膨らんでボワボワになってくる。そしてこれはたまにしか起こらないのだが、熱いお湯のようなものがツツツッと足に流れるのだ。熱い、確かに熱い。一体これは何なのだ!と思いつつ、だんだんと忘我の境地に入っていく・・。(注:これは私個人の感覚にすぎないです)
さてこの型というもの、形でもありフォルム(構造)とでもいおうか。この型を重んじる姿勢は、柔道、剣道、弓道、合気道といった武道や茶道、華道、書道、香道といった「道」の文化に共通しているのだろう。徹底的に型を身体に覚えこませたうえで、身体の動きにまかせていれば何かが起こってくる。あるいは段階をふんで所作をかさねるうちに、身体に落としこまれていく何か。動きや形といった外から見えるものを通して、実は内部に繰りひろげられていく呼吸や身体感覚。あるいは精神。このような内発的なものが伴ってはじめて「道」と呼ばれるものが完成するように思う。こういう世界は、写経や読経にも通じるように思う。写経をする場合、できあがったものは結果に過ぎない。それよりも、写経をすることによって達することのできる精神や身体の状態、これらを伴っていたかどうかの方が重要に思える。
ある時、太極拳の名人の演舞を見にいった時のことだ。前評判をさんざん聞かされていたので、どんなにすごい動きなのかと私の期待はふくれあがっていた。表演がはじまって驚いた。それはあまりに淡々としていたのだ。風のようでもあり、水の流れのようでもあった。無駄な動きがなく、余分なものがそぎ落とされていた動きだった。綺麗だと思った。その時に私は初めてオーソドックスという言葉の、本当の意味がわかった気がした。そして個性的であることの方が、オーソドックスなものよりも優れているように感じていた自分に気づいた。没個性はつまらないと。そう、勝手に思いこんでいたのだ。
何事においても基本の型は大事なのだとあらためて思う。その型を踏むことによってはじめて、みえてくる世界がある。歌舞伎役者の18代目中村勘三郎は言った「型があるから型破り、型がなければただの形なし」。この言葉を借りれば、型を極めたうえで型をやぶってはじめて個性が煌めくのだろう。よほどの天才をのぞくとして、私のような凡才は地道に型を覚えて身体に落としこまなければならないのだ。
さてこのたび、せっかく肉体を持って生まれてきたのだから、身体を動かす喜びをもっと享受したいと思う。私は太極拳と出会えて良かったと思う。そしてありがたいことに、この太極拳をめぐる旅に終わりはない。
(後記)
もうすぐ体育の日なので、太極拳をとりあげて「型」について書いてみました。

「さぁ手を伸ばしてつかんでごらん」と勝手に命名した銅像(カラスつき)を撮影。本当の表題は「野に躍る」@小樽体育館





