先日思いがけない来客があった。物理学者であるその方は、”三方よし”という基準で行動してきたと話してくださった。 ”三方よし” とは、近江商人たちの間で受けつがれてきた商売の哲学であり、「売り手よし、買い手よし、世間よし」を指すそうだ。この方の祖先も近江商人だという。正直なところ、私の近江商人というイメージはあまり良くなかった。商売上手という言葉は、イコール損得勘定にたけているというように思えたし、経済というものがもっとも優先されてしまいがちな、この世の中にも辟易としていたからだ。さらにわが母ヒサコもまた近江商人の血をひく。誰とでもすぐに親しくなれる母ヒサコの現実味の強さに私は子供時代から気遅れしていたせいもある。しかし、この”三方よし”という言葉をはじめて聞いて、自分の中にある硬く錆びついていた、細いしめ縄の繊維がちぎれてほどけはじめた感じがしたのだ。あたかも体内にある、生気を失って滞ってしまった硬結(こうけつ)とよばれるコリが鍼の刺激によって緩みはじめたかのように。そうか、基本哲学が "三方よし" かぁ・・。そしてこれは、何も商売にかぎったことではないように思えてきた。
それからの私は、”三方よし” について考えている。東洋医学では、万物の源となる”太極”から”陰陽”という2つの概念が生まれたではないか。三方という立場に立ってみれば、いろいろな関係性に新しい光があたるように思えた。生と死、善と悪、○とX 、形至上(抽象世界)と形至下(物質世界)といった2項対立は概念でしかない。実際の生命体の営みにとっては、生か死かといった極だけではなくて、これらを繋ぐ ”間” のようなものが占める割合は大きい。両極である2項を両端にした1本の糸が横軸で伸び、さらに縦方向にはなだらかな山の形で "面" が立ちあがる。こうしてできあがった "間" に沿って平面の紙の上の概念が立体的に膨らんでくるように感じられた。バランスとは、これら相対する2項とは少し違う次元に生まれる"間" 、これを舞台に計られるのだろう。
さらに私は思った。身体の養生法として ”三方よし” が当てはまる訓練はないだろうかと。薬を飲めば必ず副作用があるように、身体においての "三方よし" が成り立つのかどうかと考えたのだ。こうして思いついたのは、呼吸。そう、誰でもいつでもしているはずの呼吸だ。あまりに身近すぎて取り立てて訓練することが少ないために、見過ごされることが多い。しかし呼吸が十分にその役割を果たした時にはじめて、呼吸の "三方よし" が生まれるのではないか。
また呼吸法は実に多岐にわたるため、ここではざっくりみなさんができる形でお伝えしたい。注意点は、舌の位置だ。口の中の天井部分(口蓋)に舌をベタッとつけて鼻から息を吸って口からゆっくり吐いて吐ききる。さらに横隔膜に注目しよう。息を吸うと肺が広がり横隔膜は下がる。吐く時には弛緩して横隔膜は上がる。この上下運動をすることによって、肋骨は広がる。横隔膜を意識できなくとも脇腹に両手の平を当てて肋骨が膨らむかどうかをチェックしてみよう。また今回は、腰痛や尿漏れといった尿トラブルの治療や予防、ポッコリお腹の改善も目指したいので、重力の負荷のある立位でおこなっていただきたい。
まず呼吸は、①酸素と二酸化炭素とのガス交換をする。次に②体内の自分の意思ではコントロールできないとされる自律神経にアクセスすることができる唯一の方法となる。アクセル役の交感神経とブレーキ役の副交感神経とのバランスを調整できる手段だ。さらに肺自体には筋肉がないため横隔膜が下がり肋骨が膨らんで胸郭が広がり、陰圧(空気が引っ張られる力)を作ることによって、肺に空気が入る。この動きは③インナーユニットの形成にもつながる。インナーユニットとは、体幹の深部筋である横隔膜・腹横筋・背骨についている多裂筋・骨盤底筋といった4つの筋から構成される部分を指す。季肋部(上腹部のみぞおち)から下腹部までの腹腔をすっぽり筒のように覆い、天然のコルセットとも言われているのだ。
このように呼吸は、①ガス交換②自律神経の調節③インナーユニットの形成を可能にする。①よし②よし③よし。
こうして呼吸の "三方よし" ができたなら、身体は変わりはじめ、さまざまな恩恵を受けることになる。深く、強く呼吸することで腰痛は改善されるだろう。一時流行した美木良介氏のロングブレスも、同じ原理だ。インナーユニットの中でも腰痛に深く関わる腹横筋は筋トレで鍛えることがむずかしく、呼吸で強く吐くことによってのみ強化される。私の経験だとウエストの厚みが薄い方は腰痛になりやすく、ズン胴の体型の方は比較的腰は強い傾向がある。慢性腰痛の人たちは、腹横筋を強くしてズン胴をめざそう。さらにこれはポッコリお腹にも効果がある。ペタ腹をめざすなら、ぜひ試してみるとよい。さらに中高年の悩みである尿や便のトラブルは、骨盤底筋との関わりが深い。この小さな筋肉を鍛えるためには、肛門を閉めるとか排尿時に一時的にとめてみるという方法が推奨されている。しかし、それよりも立位で腹圧をかけて鍛える方がはるかに強力だ。小さな筋肉だけを部分的に強化するよりは、一つのユニットとして関係する筋肉がこぞって強くなる方がいい。お年頃の方たちにはトライしていただいて損はないだろう。
このように単体の筋肉だけではなく、つながり合った形で複合的に動かすことでwin-winの関係を超えて、win-win-winの関係を作ることができる。
結局三方よしを実現するためには、視野を三方にまで広げることが必要となる。確かに "三方よし" は、何事にも当てはまる考え方にちがいない。
(後記)前回の記事で、おのずから深い呼吸になることを書きました。今回は、意識的に呼吸するという内容です。身体を良くするためにどうしたらいいのかといった相談をよく受けます。まずは冷えをとって次にしっかり呼吸するというのでどうでしょうか。
三方よし。この哲学は、関係性を大事にするものです。切り離されたパーツだけを見つめるのではなくて、繋がりをつくる関係性に重きを置く。分断がいたる所でみられる社会にあって、このような見方を随所に取り入れて行動できたなら、今私が見ている世界は、もう少し輝きをとりもどすような気がします。ちょうど杉並区長選挙で、対話を重んじる現職の岸本さとこさんが再選しました。久々、希望の光を見た気がしています。

台北の龍山寺にて撮影。ここには仏教や道教をはじめ民間信仰など多くの神々が祀られている。





