The Sense of Wonder。
(自然の不思議に息をのむ感性)
この言葉を知ったのは、鍼灸師になりたての頃だったと思う。
ふ〜ん。。とやり過ごしていた私だが、
その後の臨床を通して、人体の不思議に驚かされ続けることになる。
お医者さん達はいう。
「ここまで骨がずれたら、元には戻りません」
「神経が切れてしまったのだから、治すには繋げるオペしかありません」
「ホルモンがでないのですから、この薬は一生飲み続けなければなりません」
などなど・・。
しかし、それがそうでもないのである。
骨は筋肉を緩めれば、動く。
肩にたまったカルシウムが腕の神経を圧迫していても、時間の経過とともに細胞達が繋がる回路を探し出して修復し、運動制限や痛みがなくなる。
声帯の神経をオペで切ってしまい声が全く出なくなっても、1年半後にはカラオケで歌えるようになった。
数年にわたり滲出液がでて皮膚移植しなければ塞がらないと言われた損傷が、1ヶ月間毎日の民間療法で、完全に塞がってしまった。
卵管のつまりのため妊娠は無理だったはずが、懐妊した。
一生飲みなさいと言われた薬が出ていたが、身体の不調が減って薬を飲み忘れることが多くなった。そしていつの間にか飲まなくなってしまったが、検査結果は正常値のままキープできている。
などなど・・。
つまりどこかの部分が損傷していたり不具合があっても、他の細胞達が動きはじめたり、あるいは幾つかの機能がつなぎ合わさったりして、またはタイミングという要素が加わって、それを修復する形にまで持っていける場合がどうやらあるらしい。
鍼灸治療がいいとか、現代医学がどうこうと言いたいのではない。
身体がすごいのである。
患者さんの誰よりも、さまざまな症状をある程度の期間をかけて診せていただいている私こそ、
そのすごさに驚かされているのだ。
私が弱気になっている症状であっても、みごとな回復をみせてくれた症例も少なくない。
その度に私はどこを観て、何を決めつけていたのかと反省し、
同時に身体のすばらしさに、人間の可能性に驚く。
ああ、 Wonder な世界!
そしてその wonder の一端を紐解くであろうと思われる思想がここにもある。それが東洋医学の基礎となっている古代中国思想(哲学)だ。
森羅万象を観察することから、世界を読み解く古代中国思想には、大きな柱がいくつかある。ここでは東洋医学に関連するものをあげてみることにする。
(たいそう偉そうですが、思い切ってまたまたザックリいっちゃいます!)
①天人相応説
宇宙・自然界(天)にあるものは、人間(人)の身体にも同じようにあるよ(だから人間は小宇宙といわれているよ)!そしてそれらはミクロとマクロで繋がっているのだよ!
②気一元論(元気論)
有形(生命体や物質など)・無形(場や想念など)を問わず、万物は気(エネルギー)でできているのだよ!
そして世界は、気というエネルギーの変化で創られていて、変わり続けていくのだよ!
陰陽・五行という気(エネルギー)の法則に従って、世界は動いているのだよ!
<陰陽論 : 陰(ー)と陽(+)という相反する方向を示す二つの力が、ひとつの事象に内包されているーこの視点から、状態や状況を観察し、その本質を観る手法>
<五行論 : 木・火・土・金・水に象徴される固有の性質を持つ5つの要素が、互いに影響しあっており、その関係性から様々な現象をとらえる手法>
お気づきだろうか。
つまり、古代中国思想は、自然現象を観察することから、みえない世界とみえている世界の関係性や法則を説いているのだ(それゆえ、易・八卦、四柱推命、印相や家相、風水などもここから生まれているのです)。
みえている現実の裏にある不可視の世界を知ることは、
事柄を奥行きのあるものにする。
大自然も
生命体としての人体も
身体のみならず人間そのものも
我らがうごめくこの世の中も
多重的要素の集合体なのだ。
東洋思想は、
単に健康という分野にとどまらず、
より深い洞察を私に与えてくれる。
まずは自分の体質や性格を知る道しるべとして。
そして自己の特質を生かす生き方を探る道しるべとして。
すべては
矛盾だらけの自分をさらに知るために。
<後記>
この記事を書きながら、思いました。
知識や理性のみならず、the Sense of Wonder と言われるような感覚を持ち合わせてはじめて、東洋医学の真髄が腑に落ちるのだと。
そしてこの感覚は、生命への畏敬の念や人智を超えた世界があるという喜びにつながっているのだと。
あらためて思います。
the Sense of Wonder
なんとロマンに満ちたステキな響きなのでしょう!
エジプト、ギザのピラミッドにて撮影
(なお、本文での臨床の記述については、各人の承諾を得て掲載)