“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

番外編  声(後編)

 「今すぐ一緒に鍼灸学校へ行って、入試要項をもらってこよう」と、ヨウちゃんは言った。「鍼灸師になろうかなぁ〜」と私が軽い気持ちでちょっと呟いただけなのに。ぼんやりと思った私の未来は、先細りする真っ暗なトンネルのようだった。お金はどうしたらいい?家賃だって必要だ。仕事はどうなる?新しい職場も探さなくてはならない。ましてや将来、ちゃんと成りたっていくのだろうか?考えればキリがなかった。手をひかれてシブシブ学校へ向かう途中にヨウちゃんが言った。「まずは受けてみて。落ちたら縁がなかった。受かったらその時、その後を考える。これでいいじゃない?」と。

 

 鍼灸学校でのはじめての授業の時のことだ。東洋医学概論の、その先生は言った。「いい治療家になるためには、” 気 ” がわからないとダメだ。気を感じる手を作りなさい。それには太極拳が一番だ」と。すると私の前に座っていたイクちゃんがクルッと後ろをむいて「私ね、明日から太極拳を習いにいくの」とだけ言い、また前を向いた。太極拳・・。私には縁があるとは思えなかった、あの太極拳。中国での景色が私の頭の中をめぐりつづけた。授業が終わる頃には、イクちゃんの背中をつついて「私も連れてって」と言っている自分がいた。太極拳のクラスで、はじめて先生について雲手(ウンシュ)という腕を回す動作をした時の驚きは忘れられない。「あれ、いやだ。私、これ知ってる・・」。

 

 ある日のこと、「光の手」(バーバラ・アン・ブレナン著)という本が私の手もとに届いた。「買ってはみたが読みきれない。読んでもらえる人にあげたい」と友人がプレゼントしてくれたのだ。どうやって食い繋いでいたかわからぬほど貧乏だった鍼灸師の私には、到底買えなかったであろう上下2巻で合計6,000円ほどもする本だ。そしてそこには、まさに私が求めていた世界について書かれていた。アメリカには、この本を教科書にして見えない世界を教える学校があるという。それは羨ましかったものの、同時にひどく怪しげにも思えた。

 あれは、その本のことをすっかり忘れてしまっていた頃だった。修行先の治療院の昼下がりに、私は「医道の日本」という治療家むけの、たいそう真面目な雑誌をパラパラとめくっていた。するとバーバラ・アン・ブレナン来日という広告が目に飛びこんできたのだ。しかも髪をなびかせてニッコリ微笑むバーバラの写真つきで。

 

 ここはアメリカのニュージャージ州にあるBBSH(バーバラ・ブレナン・スクール・オブ・ヒーリング)。2年生の私は、過去世のトラウマにアクセスする過去世ヒーリングの授業に出ていた。ネイティブアメリカンの先生が主導するその授業は、大ホールに同学年全員が集められ、アストラル界という一種異様な空間を作りあげていた。多くの生徒たちが床に仰向けに寝た。地中から突きあげられるようなドラムの音は、響きをともなって私の背中を、身体を、そしてホール全体を振動させている。ひとつひとつの細胞に眠っているであろう遥か昔からの記憶。それらがゆっくりと紐解かれて呼びおこされるような、圧倒的な迫力に満ちていた。さらにそこには魂が故郷へと導かれるような懐かしさすらあった。何人もの人たちが絞りだすような低い唸り声をあげはじめ、身体がよじれるように動きだしだ。その異様な空間は、私が子供の頃に感じていた世界そのものに違いなかった。

 痛い!突如私は、自分の左胸に鋭いナイフが突き立てられているのがわかった。ありありと、ココにココに刺さっている。誰か!はやく助けて!苦しい!声が出ない。。微かな呻き声と涙とが混じりあいながら、そばにいる人たちに助けを求めるもわかってもらえない。とその時、体格のよいネイティブアメリカンの先生が長い髪をたなびかせて遠くからゴンゴンと走ってきて、そのナイフをガッシリ掴んで一気に抜いた。「はやく抜くのだ。このナイフを!」と言いながら。そして抜いた箇所に先生は手をあてた。私の傷口は、温かくやわらかい流体物で満たされていった。本当にこういう世界があるのだと呆然とした私は、疲れはてていつの間にか眠ってしまった。

 

 ダナンの海は深い緑色だった。来てみたかった国、ベトナムに私はいる。それまで私は治療三昧の日々を送っていた。鍼をはじめとする様々な方法を通して、身体が持つ潜在力を自分の所へきてくれた患者さんたちに伝えたい。いやもしかしたら自分が人間の持つ可能性を確かめたかったのかもしれない。私は治療に没頭した。しかしどこかで自分のことを、後輪がパンクしたまま走りつづける自転車のように感じていた。仕切りなおしたかった。ちょうどその頃に師匠が、太極拳を教えながら治療するクルーとして世界一周の船に乗って少し休んできたらどうかと勧めてくださったのだ。

 こうしてクルーとして船旅に出ることにした私は、寄港地のダナンに着いた。そこからミーソン遺跡へと向かう。そこは古代チャンパ王国の聖なる遺跡。ベトナム戦争時にアジト壊滅をめざし、アメリカ軍によって爆撃をうけたところでもある。ジャングルのような森林に囲まれた、人里はなれた聖地。ここにも攻撃は容赦なかった。赤茶色のレンガで壁面がデザインされた建造物の多くが、無惨にも破壊され修復もされずそのままだった。太陽が直接照りつけるような晴天だったせいなのか、暑い!しかもただの暑さではない。湿気が執拗にまとわりつくのだ。たぶん、この湿度にアメリカは負けたのだ・・。木々の緑は光をあてたように輝き、鮮やかに濃淡を際だたせていた。風のかすかな摩擦音とミーンミーン、チチチ・チチチと単調に鳴きつづける虫たちの声がこだまする。時がとまりつづけているかのような遺跡にあって、自然は呼吸していたのだ。太陽は照りつけ、草はのび放題で虫がうるさいほどおかまいなく鳴いている。じっとりとする湿度がある。私は草の生えた土に腰をおろして、吹きぬける風を感じながら目を閉じた。

 

 「飛んでごらん」。この言葉に誘われて、私はどこまできたのだろう。ジリジリと肌を焦がすような暑さの中で、頬をかすめる風が心地よかった。

 

ベトナム、ミーソン遺跡にて撮影

 

前編はこちら。

garaando.hatenablog.com