“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

勝手に陰陽論20 伽藍堂

 すべての荷物が運びだされた40平米弱の、その部屋は驚いたことに小さく感じられた。ガラ〜ンとしてたにもかかわらず・・。手伝いに来てくださった方たちも「あれ、意外に小さいですね。もっと広いと思っていたら・・」とおっしゃっていたのだから、私だけの感覚でもないのだろう。

 治療室をここ阿佐ヶ谷ではじめて約25年、ほぼ四半世紀。その間に延べ約4万人の方たちにお越しいただいた。ちっぽけな隠れ家のような、この場所に。伽藍堂となった治療室にひとり座って、ぼんやりと思った。鍼灸師、あるいは治療家という仕事のことを。

 鍼灸学校に通っていた2年目に、私は友人に治療のモデルになってほしいとお願いした。マッサージや指圧のつもりが、鍼をやってほしいとその友は言った。「え?ハリだよ、ハリ!資格もとってなければヘタクソだよ」と言う私に、「いいよいいよ」と彼女は素肌を差しだしたのだ。自分だったら、絶対にできない。こんなに人を信じることはできやしない。彼女の器の大きさを見せつけられると同時に、こうやって実験台になってくれた人の上に自分の技量が磨かれていくことを忘れないようにしようと思った。

 治療家という立場での他人との出会いは、それまで経験したことがない種類のものだった。初対面なのに、病歴や家族歴、痛みや苦しみにくわえ身体的悩みといった、いわば自分の隠しておきたいプライベートを、信頼できるかどうかもわからない人間に、いきなり打ちあけるのだから。誰かに密着して取材するジャーナリストであっても、信頼を得て話を聞けるようになるまでに相当の時間が必要なはずだ。普通ではありえない出会いだと思う。そして私は、一見、元気そうに見える方にも実にさまざまな痛みや苦しみを持っていることを知ったのだ。またおよそ病は、他の病と比べることができない、特有の痛みや辛さを持っていることも知った。私は、それまで出会った学校での知人や友人、職場での同僚、時々しか顔を合わせないアノ人やコノ人のことを考えてみた。なんとなくウマが合わない人たちや自分が嫌いだと遠ざけていた人にも、何かしらの痛みや悩みがあったのだろう。自分が今まで決めつけていた世界は、とてもとても小さいものに違いなかった。

 老若男女の患者さんたちが語る「今」は、未知の魅力にあふれていた。大企業に勤めるお偉いさん、社長業の方、さまざまなサラリーマンやOL、自営業の人、ロスジェネ世代のフリーターや派遣社員、学校に行かない子供、介護のために辞職された方、会社を離れて模索する人、子育て中の専業主婦、スポーツ選手、ダンサー、料理人、職人さん、夜勤の人、あるいは母・妻・会社員の3役をこなす女性・・などなど。仕事や立場、環境などが違う人たちが語る現状は、私の想像をはるかにこえた世界だったのだ。病にあっては、命に関わる病気、生まれながらの障害、どうしても治らない慢性病、膠原病やアレルギー、ケガや事故などの痛みや苦しみを教えられた。さまざまな立場からのナマの声は、切実で真実にあふれていた。私は、何度も世界が違ってみえた。

 患者さんは2台あるベッドの片方に横たわる。カーテン越しに聞くとはなしに聞こえてくるもう一人の患者さんの声は、同じような立場であれ、まったく違う立場であったとしても、どこか客観的視点に人を誘導するのだろう。名前も顔も知らない他人のプライベートにまつわる痛みは、聞いている人をソッと優しく包みこむのだと思う。苦しいのは自分だけではないと。ましてその全部の話を聞いていたのは、この私だ。それでも、こうやってみんな生きている。あるいは死してなお誰かと繋がっている。私は、明らかにみんなに救われた。

 多くの方たちの人生の断片を見せられた私は、治療室アーツを閉じるにあたり、できるだけ緩やかに移行したいと思った。12月いっぱいでの治療の終了予定は、コロナやインフルエンザで来られなかった人たちに会いたいために、引越し直前の2月中旬すぎまでのびた。患者さんたちの中には、オペの人も、検査結果を待っていてハラハラしている人も、ケガした人たちもいて、それぞれの人生がとぎれることなく流れている。このような流れにもできるだけ沿っていきたかった。

 保管不要となった膨大なカルテをシュレッダーにかけながら、一人一人のことを思った。佐渡に帰ってしまって連絡が取れなくなってしまった方、治療をつづけるうちに鍼の面白さにめざめて鍼灸師になった方、大病の後に連絡がとぎれた方、異国の地へいらした方、高齢で阿佐ヶ谷まで行けないとおっしゃった方、失恋のたびに治療にいらした方、気ままにフラ〜とあらわれては去っていく方・・。みんなみんな、どうしているのだろうか。(万一このブログを読まれた方で連絡してもいいかなぁと思われたら、以前の私のメルアドに連絡ください)

 

 訪れてくれた方たちの残り香が、濃密に詰まっていると感じられる治療室アーツ。

 目には見えないものの重さを確かめたくて、緩やかに丁寧にここを閉じたいと思った。

 約3か月におよぶエンディング作業ののちに、このブログタイトルと同じ ”伽藍堂” となったアーツに私は対面した。すべての荷物が運び出された空間は、思っていたのより、ずっとずっと小さかったのだ。それは、今まで何度も引越しを経験した私にとって、はじめての体験だった。

 なぜ小さく感じられるのだろう。私は、このことを陰陽論で考えてみた。

 陰とは、下や内に向かって凝集する力を持ち、集約されて物質的な構造を生み、形を作る。つまりアーツという治療室は、陰としての器となる。

 陽とは、上や外に向かって拡散する力を有し、動的なエネルギーと持つ。つまりアーツに出入りする患者さんは、陽の動的エネルギーとなる。

 この陰と陽は拮抗する。治療室としての器が大地に根ざすほどにしっかりすればするほど、その器にあった動的エネルギー(陽)である患者さんも多くなる。また治療とは自己の内へ内へと向かう作業だ。自分の身体との無言の対話。患者さんたちがこのように経験できたならば、治療室アーツが持つ陰のエネルギーはより深くなったと思う。さらに年月にも底支えされて、陰と陽とは濃密に混じり合っていく。

 治療室アーツは、実際のサイズをはるかに超えて機能していたように思えた。

 

(後記) 

 アーツを閉めるにあたり、目に見えるものにも見えないものにも、こんなにも暖かく優しく自分は支えられてきたのだと実感する日々でした。

 積まれたダンボールの中でも治療を受けてくださった患者さんたちに感謝します。また引越しの間際にお手伝いに来てくださった方たちには、見通しの甘い私を助けていただき、大変お世話になりました。次々と押しよせる難題に、それぞれのスキルを持った方たちが現れてくださり、綱渡りのように物事が進んでいきました。涙あり、笑いあり、驚きあり、安堵ありのドタバタ引越しにも、いい思い出だと語っていただき、ただただありがたかったです。ひょっこりいらしてくださった皆さま、声援を送ってくださった方たち、いつでも手伝うと申し出てくださった方たち、留守中にお越しいただいた方たちにも心から感謝します。

 またすべての患者さま皆さまとの出会いは、かけがえがありません。暖かく見守って励ましてくれた友人、同業の友人たち、漢方薬で私の患者さんたちを支えてくださる中医学の名医たち、太極拳の師匠、東洋医学の先生たち、そしてこれから優れた治療家になるであろう卵さんたち、今まで同様、今後ともよろしくお願いいたします。

 語りつくせない感謝をこめて。

 

 

阿佐ヶ谷駅前にて撮影。治療室アーツのビルが見える。