信じる力。
それはしばしば現実を変えてしまう。
今回は、その具体例をご紹介したい。
それは偽薬(ニセグスリ)。
これを飲んで得られる効果をプラシーボ(プラセボ)効果と呼ぶ。
砂糖でできたアメ玉であっても、この病気の特効薬だと信じて飲んだ場合、ホンモノの薬と同じような効果があるという。
使う側の心理ひとつで、アメ玉が薬に化けるというのだ。
へぇぇ。。砂糖玉を薬だと信じるだけで効果があるのか。。
随分昔の話になるが、私が働いていた治療所では「医道の日本」という鍼灸師むけ月刊誌をとっていた。
ある時、その雑誌にプラシーボ効果についての研究発表(確か筑波大の研究だったと思う)が載った。その内容をオボロゲではあるがザックリ要約するとこうだ。
「ホンモノの薬よりも効き目は落ちるけど、偽薬も効果ありだよ。そしてホンモノよりマシだけど、同じような副作用もあったよ。(肝臓の各種検査数値、腎臓の各種検査数値記載のデータ表添付)。よってプラシーボ効果は本当だよ!」
私はこれを読んで驚いた。
はて??副作用??
砂糖玉で薬と同じような副作用まで出るのだろうか?
そして偽薬は有効で副作用もなし!となれば偽薬の役割があるけれど、副作用があるとなれば、そもそも偽薬の意味はあるのだろうか。。
この薬は効くと思って飲んだ場合、患部に薬効が及ぶのはわかる。
ストレスで胃に穴まであけちゃうことができる人間だ。
メンタルが肉体に及ぼす影響は、ダイレクトに作用するに違いない。
ここまではわかる。
でも、砂糖玉を飲んだだけで副作用もあるわけ?
どうなの??
(補足:偽薬の場合、この薬はこれに効く!とわかって飲むのだと思いますが、副作用は調べてみないとわからないことが多いのでは?よって薬の効き目は信じることができても、副作用については知らないので信じるかどうかといった前提が成り立たないと思うのです。つまり、信じることで効果を発揮する偽薬では、副作用が起こるとは考えにくいと思った次第です。)
すると友人が仮説を話してくれた。
臓器(陰)どうしがシステムとして繋がり(陽)あっているとしたら、どれかの臓器が回復するために、一時的に他の臓器の機能(陽)をダウンさせる必要があるのではないかと。
(ちょっとおさらい:陰とは、内に向かい集約する力を持って物質をつくり、目に見える。陽とは、外に向かい発散する動的な力を有する。目に見えない流動するエネルギーを指し、機能、関係性、繋がりを生む。)
今は肝臓君(陰)が元気になる時だから、僕たち腎臓らに回るエネルギー(陽)を肝臓君へ回してあげよう!というチームプレーかも??
つまり、肝臓が(薬のおかげであれ何であれ)良くなろうとする場合、一時的に腎臓の機能を低下させるのではないか。
その場合、数値だけを個別に取り出して正常値と比べると副作用とカウントされるかもしれない。しかし、実は薬がダイレクトに影響したのではなく自然の摂理だったのではないか?
どうだ!!
これを検証できるスベの何ひとつも持たない私たちが、ただこっそり考えたのだ。
どこまでが副作用と言えるのか?
どれほど身体の中での臓器や器官どうしがつながりあっているのか?
副作用の定義自体が問われる大発見!に違いない。だがきっと、この是非が証明されることもなければ、薬の副作用の定義がひっくり返されることもないだろう。
ただ考えてみても欲しい。
風邪をひいたら絶食すると速く治るということを。
動物は、具合が悪いと絶食をする。
消化に使うエネルギーを、不調を治すために集中させるためだ。
そのことを彼らはわかっている。(補足:私たち人間も、何か内臓の不調があれば、絶食すると確実に治りが速いです。)
身体を治すために内臓たちは、そのエネルギーを自ずと使い分けて連携しあっているのではないか。
またステロイドとして知られている副腎皮質ホルモンの働きはどうだろう。
事故などで大出血した場合や大打撃を受けた時、生命を維持するために必要最小限の働きだけを優先し、他の機能をシャットダウンさせる。このために自らの身体から自然に分泌されるホルモン、それが副腎皮質ホルモンであり、化学(バケガク)でいうところのステロイドだ。
身体の活動量を全体的に抑え、低め安定をめざし、なんとか生命は保持される。
それゆえ皮膚のターンオーバーといった特段生命維持に必要のない機能は一時的に停止される。こうしてステロイド剤はアトピーといった炎症性の皮膚疾患を軽減させることができるのである。この他のアレルギーや膠原病といった免疫異常のように過剰に亢進する力もクールダウンさせるのだ。(注:副腎皮質ホルモンの働きは、この他にも多様にあります。)
このように身体の各部位は、独自の働きもしながらも、他の器官との関係をも築いている。
臓器は臓器どおしを結び合う。相対的な力学を持って。
生命の危機に際しては、生命体総体として緊急指令システムが作動して最優先活動にのみ焦点を絞り、その他の活動は自動的にフリーズさせる。
すべては、より大きな秩序の中で結ばれている関係性の自律的活動。
つまり、身体の各組織や臓器は、
その物質(陰)として個別に存在するのでもなく、
あるいはある役割のためだけに活動しているのでもなく、
その様々な関係性において幾重にも繋がりあって機能(陽)しているのだ。
この視点にたって病気を眺めてみる。
皮膚に表れるような表層(陽)の症状は、単に皮膚の問題だけではなく、もっと奥の深い場所(陰)へ病が進むのを食い止めるためのものかもしれない。
一病息災(ひとつぐらい病気がある方が健康に気をつけ長生きするという意味)という言葉通り、ひとつの病が表われている状況は必ずしも悪くはない。
ひとつの症状や痛みがやっと取れたら、また別の症状やら痛みが出現するといった不定愁訴の場合も、根本の問題は特定の部位にあるのではなく、メンタルとか自律神経といった別のシステムの問題を表現していることも多い。
アングルをひいて眺めてみると
個別に存在しているように見える様々なモノ(陰)やコトが関係しあい
勝手に蠢(うごめ)いているかのごとき小さな動き(陽)で繋がりあって
別世界がたちのぼってくる。
繋がりあう世界
信じる心と身体も
臓器どうしも
組織どうしも
部分とより大きな部分も
より大きな部分とさらに大きな部分も
表層に現れる病気と深層におよぶ病気も
移動する痛みどおしも
身体と性格も
病気と健康も
そしてホンモノとニセモノも
身体の内部が繋がりあっていて、
その繋がりに流動性があるならば、
タルミがあれば緊張があり、凸があれば凹がある。
ならば
病気や不調がすべて治るというのは、目指さなくてもいいのかもしれない。
まぁまぁの所でよしとする。
この鷹揚(おうよう)さこそ、健康の秘訣なのかもしれないと思うのだ。
<解説>
今回の陰陽論ですが、「陽の動きによって陰が生きてくる」という例えでもあり、
信じる力、関係性や機能、そういった目に見えないもののエネルギー(陽)が物質世界(陰)を変化させるというお話です。この逆もまた真なりです。人間も肉体という器(陰)があり、そこに目に見えないエネルギー(魂とか霊とか、あるいは気:陽)が入って初めて生命体たりうるのです。陰がなければ陽が動くこともできません。
このような陰と陽が相互に依存しながら、助け合ったり利用しあうことを、「陰陽の互根・互用」と言います。
<後記>
プラシーボ効果は、意識や心とも関連していて、これは量子物理学で証明されるのではないかと思います。興味深い量子物理学ですが、ドイツの理論物理学者であるヴェルナー・ハイゼンベルグが「観測者と観測される対象とは完全に切り離せない関係にある」と発見したそうです。つまり物質を見ている人がいるだけで、実験の結果が変わってしまう。物質と人間とが関係しあうのだと。
またミクロの世界においては、物質世界にあるものすべてが密接に繋がっているとも。ミクロの世界までいくと想像するしかないのですが。。
ただ、患者さんの身体に手を当てていると、ハガネのように感じられた深部にある固まった組織が、ある時からその細胞たちと繋がった感じがしてきます。すると少しづつ熱が行き交うようになり、小さな粒子たちが微かに揺れ出す。
この繊細な微振動を私が感じると細胞たちが次々に花開くように、開いていく感覚があります。鍼にしても、施術した場所の固まった細胞は、徐々に開いていく感覚があり、鍼を介して繋がった細胞たちは刻一刻と変化します。
この感覚のせいなのか、あらゆる物質も繋がりあい関係しあっているというのは、私にとっては、多分そうなのだろうなと素直に思えるのです。
イタリア、ナポリにて撮影