“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

雑考9 自分のパターン

 その時、母ヒサコは梨を食べていた。人は忘れられない出来事の折には、その状況の細部を妙に覚えているものだ。私の電話にでた母は、梨を食べていたのだ。話の合間に聞こえつづけるシャリシャリという音、そして口にモノを入れて話す時のこもった声。これらは、私のセッパツマッタ悩みに水をさした。母の食べてる梨は、幸水だろうか?豊水だろうか?私は、そんなことが気になりだした。

 

 さて、その時の私の悩みとは、お金にまつわることである。田舎から都会へ出て一人暮らしをしている人には、ずっと払いつづけなければならない家賃にタメイキをついた経験が少なからずあるのではないだろうか。

 就職を経て鍼灸師となり、フラフラといろいろな仕事をしながら鍼灸治療をしてきた私が40代になったある時のこと。ふと、ずっ〜と払いつづけてきた家賃がバカらしく思えてきた。いっそ小さな中古マンションでも買って、そこに住みながらヒッソリ治療しようか。こう考えて不動産屋さんへ相談しにいくと、ローンの利率が段階別に書かれている紙を渡された。一番下にある最も利率の高いローンのところに赤線が引かれていた。どうやら私が該当するらしい。「え?貧乏人が一番高い利率なんですか?」と私。「はい、申し訳ないですが、そうなります。どこか大手の企業にお勤めになっていらしたら・・。あるいは看護師さんでしたら、利率も安くて即決できるのですが・・。サカウシ様の場合は、保証人など、いろいろな審査も必要となります。」そうか・・、身分によってこんなに差があるのか!チョットやソットの違いではない利率表を見つめていたら、なんだかバカバカしくなってきた。そしてその時やっと、世の中の仕組みが身にしみてわかった気がした。真面目に働きつづけ、滞納することなく家賃を払いつづけて幾星霜。しかし世間様に通用するのは、肩書きってヤツなんだな・・。当たり前のことなのかもしれないと思いつつ、私はどっぷりと疲れを感じた。

 そしてあろうことか私は、この事実を金融界の大御所の患者さんにチョット愚痴ってみた。ずっと私を応援してくださっていたその方は、不条理な世の中をいまさらながら訴える未熟な私の話を聞いた後に、おっしゃった。「そうか、そうか。もしあなたが本当にマンションを買いたいと望み、意中の物件を見つけたなら、その時は私が保証人にもなって力になる」と。ありがたかった。もうその言葉だけで充分だ、充分すぎる、うぅ・・。

 さらに、この一連の流れを知った私の患者さんは言った。「牛ちゃん(私のこと)はね、形になるものに大きなお金を使うことがあんまりなかったのかも。いくつもの学校へ行ったり、旅したり・・。バッグとか車とかではなかったでしょ?最初に形になる買い物がマンションじゃ、チョット無理があったかもしれないね」と。そのとおりだった。さすが、長年の私の患者さん。わかってらっしゃる。私には私の流儀ってものがあるのだ。私は形のないものにこそ、大きなお金を使えるタイプだ。

 しかも私は計画してもその通りに物事が進んだことがなかった。自然に起こってくることがシリトリのように繋がって、私の進むべき道ができてきたように思う。その私に未来設計を強いるローンは似合わない。さぁここで、自分の考え方を変えるのだ。そうだ、家賃を筋トレをする時に使う負荷だと思おう。筋トレの負荷が筋肉をつくるように、家賃は私を鍛えてくれるに違いない。ならば喜んで払っていこう。

 こうして私はすっかり元気になって、チョット広めの家に引越した。気分は上々だった。

 

 しかし・・。しかしだ。いつも問題は、さらに強固になって螺旋をえがいて戻ってくる。その時は突然やってきた。それまでは同僚と2人で治療所をやっていたため、半額の家賃負担ですんだ。それがある時、1人でやることになってしまったのだ。これにより私は、自宅と治療所との完全なるダブル家賃!を払わなくてはならない。その上、私は高齢の両親とすごしながら治療もしようと思い、故郷小樽にもマンションを借りていた。えっ?!いくら筋トレの負荷といっても、ト、トリプル家賃!!

 どうなんでしょ。いくらなんでも、どうなんでしょ。しかも仕事も忙しく、引越しとか大きなエネルギーを使うだけの体力も気力もないままルーティンをこなすのが精一杯!誰か〜、この流れを止めてください。助けてください。私は本当にトリプル家賃を払うことができるのですかー??なぜこんなことに?!いったい私はどうなるの?!

 

 不安で押しつぶされそうになった私は、ついに母に電話した。だってこんなこと、他人には言えやしないもの・・。

 

 電話を受けた母は、梨を食べながら言った。「世の中をよ〜く見てごらん(シャリ:梨を食べる音)。お金っていうのは、稼ぐとか稼がないとかで回っているんじゃない。何をしているのだかわからない人でもいつも優雅に暮らしている人は、いつだって優雅だし(シャリ)、巨額の借金とみごとな返済とを繰り返している人もいる。いっつも働きづめでギリギリで暮らしている人は、何をしてもギリギリだしね(シャリ)。どうやら世の中は、なるように回っているよ。だからこれは家賃うんぬんの問題ではなく、ケイコのあり方の問題だ。いつもギリギリでもやり遂げてきたのだから、絶対に大丈夫!必ず払える!自信を持ってやりなさい!」。

 なんですか??コレ?ケナしているの?ハゲましているの?ホメてるの?私はどんどん興醒めになって、母が食べてる梨の種類が幸水でも豊水でもどうでも良くなった。どうせ今の私には”幸”も”豊”も縁がない。

 電話を切って、私は思った。母ヒサコは、自分のことはとても近視眼的なのに、なけなしの俯瞰力を結集して時々私にぶつける。優しい言葉のひとつでも期待した私が間違っていた。相手が悪かった。悔しいけれど、言われたことはチョット当たっているかもしれない。そして私は、自分のパターンについて考えはじめたのだ。

 そういえば私には気になるパターンがまだあった。学生時代から私は他の学校へも行くダブルスクール派だった。就職しつつも中国語の夜間学校へ週3回で通っていたある時、自分の習性に嫌気がさして年上の従姉妹にこう言った。「私はいっつも学校へ行っている。もうこれを最後にする。もっと別の人生があるはずだ」と。すると彼女は間髪いれずに「いるいる!そういう人。そういう人はね、ずっ〜と、ずっ〜と学校へ行くよ」と言った。「え〜!!そんなことはない。もうこれで本当に終わり!終わりだってば!」

 しかし・・。私はその後、働きながら鍼灸学校( 月〜土の18時〜21時10分 )に3年間かよい、その後も学校と名のつくところへ膨大な時間とお金、つまりエネルギーを注ぐことになる。新たな学校へ通いはじめるたびに、従姉妹の言葉が呪文のように思いだされた。「そういう人はね、ずっ〜と、ずっ〜と学校へ行くよ」と。本当だった。悔しいけれど、いまだに学校とは縁がある・・。

 

 今になって思う。私の悩みの根本は、家賃でも学校でもなかったのかもしれない。

 費やしたお金や時間を見てみると、自分のパターンが浮かびあがる。何に対して、どんなふうにエネルギー(お金や時間)を注いでいるのか。恋愛がその人の病理を浮きぼりにするように、エネルギーを注ぐところに自分のもっとも根深いパターンが潜んでいる。そしてこれが、今ある自分の現実を、良きにつけ悪きにつけ、つくりあげているのだ。

 

 家賃を払うこともなくなり、今までのような真剣さで学校に通うことからも解放されたとして、私はいったい何に対して、どんなふうにエネルギーを注いでいくのか。これからの自分が楽しみでもあり、不安でもある。

 

(後記) 

 最近になって、どうやって家賃を払ってきたのですかと聞かれることが多くなりました。そこで自分の経験を書いてみることにした次第です。開業した治療家にとって、家賃問題はとても切実なことであり苦労を笑い話にして、仲間うちでは話題にあがります。また治療家でなくともお金や時間の使い方というのは、自分を知るヒントに溢れているので、心身の健康にとっても重要なテーマといえるでしょう。

 私は、家賃を払うことで、確実に鍛えられました。足かせがあったからこそ、仕事を継続してこれたとも思います。そしてその先にはじめて見えてきた風景と出会えたような・・。また、なるようになると楽天的にもなった!案ずるより生むが易しの諺を体感した感じです。このように良かった面もありますが、もっと楽な道もあったようにも思います。結局こんな風にしかできなかったのだなぁ。。と。さすがに、トリプル家賃は、早々にダブル家賃に変更しましたが。

 それにしても自分の根深いパターンを変えるというのは、むずかしいなぁと思います。そのパターンに気づくことが、まずもってむずかしい。私は、ハッキリ言ってくれた人がいて良かったのかもしれません。

   

アフリカ大陸のナミビア、登っても登っても砂に足がとられるナミブ砂漠にて撮影