“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

身体感覚を開く6 観察と実験

 私がお会いした患者さんたちの中には、90歳をこえてなおイキイキと生活を楽しんでいらっしゃる方たち(以下、総称して「人生の達人」という)がいる。ある時私は気がついた。彼らには共通する観察眼があると。自らを観察する力が秀でている。観察の「観」とは、ある一定の時間を必要とする。肉眼で「見る」といった瞬発的な動作とはちがい、ゆっくりと自己のうちに落としこみ熟成させるのだ。人生観、世界観の「観」でもあるように。

 

 今回は、人生の達人の観察がどのようなものであるかについてお伝えしたい。

 

 人生の達人は言う。「駅でホームに向かう時、階段をつかうかエスカレーターに乗るかで、その時の体調がわかる。ふっと身体が階段にむかう時は体調がいいなと思うし、エスカレーターを選ぶ時はちょっと疲れているのだと思う」と。これが日々の体調バロメーターになるそうだ。

 おもしろいのは、「足腰を鍛えるために、駅では必ず階段をつかう」、あるいは「必ず2段ぬきであがる」という方たちとの対比だ。彼らは、日々の健康状態にそれほど気をくばることなく、目的と手段を決めている。このスポ根的なやり方は、体力増強に一定の効果をもたらすだろう。しかし人生の達人は、このようなやり方を好まない。

 人生の達人は言う。「その日のタバコの味で今日の自分がわかる。燻らす煙が心地よくて美味しいと思う時とマズイ時と、その差ははっきりわかる」と。タバコで健康状態を診断するのも、これまた粋(イキ)ではないか。

 人生の達人は言う。「耳が遠くなって人の話が聞きづらくなった。でも人によって聞きとりやすい声とゼンゼン何を言っているかわからない声がある。またTVで何人もが同時に話すとテンデわからない。昔はなんでも聞こえた・・。いろいろ聞き分けられる耳の機能ってのは、なんとすばらしかったのだと今さらながら感心している」と。

 人生の達人は言う。「持ってるズボンの丈が、右足だけ少し長くなった。右のお尻の筋肉が痩せてしまったからだ。老化というのは、筋肉が縮んでいくことなのだなぁ・・」「ちょっと筋トレをやってみた。何歳になっても筋肉ができてくるなんて驚きだ。身体ってのは、すごいね」と。

 人生の達人は言う。「自分の歯が一番といわれ、85歳をすぎた私に入れ歯はない。歯医者ご推奨のとおり全部自分の歯だ。確かになんでも食べることができる。しかし歯を磨くのもめんどくさいような具合の悪い時に、入れ歯ならカパッとはずせる。誰かに洗ってもらうことができるだろう。今となっては入れ歯が羨ましい。何事にもいい面があるものだねぇ」と。

 

 このように人生の達人は、老いを観察しながら「順調に年を取ってる」と私に告げる。そこには、加齢にあらがうこともなく観察を楽しんでいるかのような姿がある。しかも気負うことのないニュートラルな状態でいるため、その時々の反応がはやい。たとえばタバコがまずければ、もう吸わない。疲れていたと感じたらスグ休む。〇〇しなければならないといった決め事が少なくて、きわめて自由度が高いようにみえるのだ。

 

 また観察から気づきが生まれ、その正誤を確かめようと実験がはじまる。つまり観察が極まれば、実験へといきつく。そしてそこに独自の健康法が生まれるのだ。

 いちはやく風邪の状態を察したら、少食にして早寝するとか、

 ちょっと風邪がこじれたら、果物を食べてビタミンを補うとか、

 風邪になりそうな時は、ネッカチーフを首に巻いて寝るとか・・。

 私が提案するまでもなく、達人たちは細かい健康法をすでに生活に取りいれていたのだ。どれもほんのチョットの努力で、できることばかり。達人たちは、その小さな実験のプロセスをも観察し、自らの身体の手ごたえを味わっている。こうして気づかぬうちに、自己の身体感覚が開かれていくのだと思う。いつしか身体は自分の大切な一部となり、ヨリドコロとなる。このワガモノと感じられる身体を味わえたとき、病気への不安はもとより、さまざまな怖れからも開放されるのだろう。そしてチョットしたことにオジケづかない堂々とした自分があらわれてくるのではないだろうか。

 

 最強の健康法は、観察と実験にちがいない。

 

 そしてあくなき観察こそ、人生の達人の極意なのだと私はひそかに思っている。

 

 (後記)

 よく患者さんから、もっと元気になるのに何かいい健康法はありますか?と聞かれます。そのさいに私は、まずは温めることですと無難に答えています。しかし私が最も伝えたい健康法は、観察と実験。あまりにわかりずらいので、滅多に言えません。

 あるとき私は、ひとりの患者さんから「アーツ(私の治療所)は、治療所というより実験ラボのように思えますよ」といわれました。難病指定をわずらうその方は、長い年月をかけて観察眼をつちかい、私が提案するやり方のほとんど全部を実験してくださいました。その結果、彼女はとても元気にイキイキ生活しています。きっと達人の域へと向かっているのではないかと思います。私は、こういう患者さんたちに恵まれていて幸せです。と同時に、多くの人たちに言いたいです。

 観察あれ!と。

 私自身も、実験がいきすぎて亡くなってしまった華岡青洲の妻や西医学の西勝造先生のようにならないように気をつけつつも、観察眼をみがいていきたいです。

 

イタリア、ナポリの街角にて撮影。