“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

雑考8 居場所

 「この部屋はガランとしているね。落ちつかなくてどこかに行きたくなってしまう」と、友人は言った。本棚と机とベッド。私がOL時代に長らく借りていた部屋にはそれぐらいのモノしかなかった。いつでもどこへでも行けるように・・。こう思っていた気がする。ここではないどこかへ。このような今ある現実との不具合な感じは、子供時代からエンエンと続いていたように思う。

 鍼灸師となった同級生たちが早々に治療所を開いていくニュースを聞くにつけ、どうして治療所を持ちたいのか私にはサッパリわからなかった。ヘタクソがバレちゃうじゃないか!ひとたび下手と認定されたなら、その評判をくつがえすのは簡単ではないだろう。とりわけどこかにドンと居を構えることが苦手な私は、風来坊のままがいいと思っていた。憧れは、鍼箱ひとつを持って世界をまわるような暮らし・・。

 その私が、同じ研修所の仲間に誘われた。一緒に治療所をやらないかと。東洋医学の世界に入ってから12年あまり、研修先の治療所へ勤めるかたわら、さまざまなアルバイトをした。派遣での入力作業、自宅での翻訳、大きな病院の隣にある青汁スタンドでの店員などなど。そして自分の患者さんたちには、出張で治療をさせていただいていた。不安定さに自由をみいだし、今を生きてる感じは性に合っていた。しかし患者さんの数がふえるにつれ、さすがに疲れてきた私は、誘われてはじめて自分の治療所を持つことを真剣に考えたのだ。

 まずは大まかな場所を決めて物件を探す。仕事が終わってから、閉まっている不動産屋さんに貼り出されている情報を見ては、気になる場所へ行ってみたりした。いろいろ探したものの、これだ!というモノに出会わない。私は考えた。そもそも自分は本当に治療所を欲しいと思っているのか。いったいそこでどんな治療をしたいのか。今まで自分が受けた、さまざまな国での、これまた数多い施術を、そしてその多様すぎる治療所の数々を思いおこしながら・・。

 また治療所を開くうえでの条件を考えてみる。駅近だけど静かで、保証金や家賃が割安で、お灸の煙のことで近隣から文句が出なくて・・。でももっと大事な何かがある気がした。自分の治療に欠かせない何かが。日本で私が行った治療院にはどこでも蛍光灯がついていた。人工的な光の下での施術だ。そうだ、光・・。私の施術所の第一条件は、昼間は蛍光灯なしでも治療できること。何はなくとも陽の光!こう決めたら、自分がしたい治療の夢が広がっていき、まだ出会えていない治療所のイメージがどんどん具体的になっていった。

 しかし一方で、太陽光がサンサンと入り、駅近で、家賃も安く、お灸の匂いや煙の苦情もでない、静かな場所。こんなところがあるのかなぁ・・。あるわけないわぁ・・。と弱気になった。それでも私たちは、その後半年にわたり物件を探しつづけた。やっぱりあるわけない。そう思ってグッタリした私は、物件の情報を送ってくれる不動産屋の社長に泣きついた。彼とは私が青汁スタンドでバイトしている時に知り合った。私に患者さんを紹介してくださったり、大変お世話になっていた方に、私は言った。「いろいろ探しましたが、店舗契約の保証金も払えなければ、家賃も無理。もうダメです!」と。すると「そうかぁ。。全部ダメか。。じゃあね、このビルの上、使うかい?店舗じゃなくて住居の契約でいいよ。つまり保証金はなしで敷金と礼金で OK だよ」との返答。「え?!」という私に、駅前にあるビルの最上階の部屋の鍵を渡してくれたのだ。にぎやかで煩雑なアーケード商店街、その中にある小さくて怪しげな門が、そのビルの入り口だった。心もとないようなエレベータに乗って最上階へ。そして部屋のドアを開けると、光が飛びこんできた。ブワッと輝くような光が。商店街の喧騒とはかけ離れた静けさの中、陽の光にスッポリつつまれた部屋があったのだ。窓から景色をながめてみても視界をさえぎる建物もなく、あるのは伸びやかに広がる大空。下界をみわたせるような、まさに別天地だった。ここならお灸の煙で苦情を言われる心配もない。

 あれから24年。3人ではじめた治療室は、私ひとりだけが残った。声をかけてもらわなければ治療所を構えることはなかったかもしれないし、あの当時私ひとりでは到底借りることができなかった物件だと思う。東北の大震災で原発事故があった後、私は内装を変えた。こんな世界であっても治療を続けるのだと思って、私も出直しを誓った。フスマには、親友のヒロリンに “希望” へと向かうような絵を描いてもらい、”Blieve in your dreams"の文言を加えた。

 

 気がつけば私は、この治療室アーツにすっかり居ついてしまった。いつしか私には自分の居場所ができていた。

 

 I love my treatment room named Arts.

 

(後記)

 「ここの植物は元気ですね。私が行っていた治療所はすぐに植物が枯れたけど・・。そこの先生は患者さんたちの邪気で枯れてしまうと言っていたのに、アーツには緑がいっぱい・・」「ここは私のオアシスなの」「この治療所には世界観がある」などなど、多くの讃辞を皆さまからいただく今日この頃です。

 そしてアーツのことを考えていたら、思い出してきたことがあったので、今回の記事となりました。

 思いだしたのは、すべての条件がかなったような物件との出会いがあったこと。こんなことが起こるのだ?!それは持ち合わせた資金が少ない私には、奇跡にように思えたのです。さらにこの後も、確率で考えたなら宝くじが当たってもいいような奇跡が、次々と起こりました。出会いは奇跡。こう、私に実感させてくれた、すべての患者さんたち、友人、先生たちに、そしてその舞台となった治療室アーツに、しみじみと感謝しつつ書きました。

 

 

午前中の治療室アーツを撮影

 

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