“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

東洋医学概論4 身体感覚を開く

あなたの座右の銘は何ですか?

そう聞かれた時を夢みて、わが座右の銘を決めてみた。かけだし鍼灸師時代の25年以上も前のことだ。その後ずっーと今の今に至るまで、ただの一度も誰からも聞かれたことがないです、ハイ。

私の座右の銘は「押してもダメならひいてみな!」なのにね。

 

先日そのことを思い出していたら、気づいてしまった。

なんと「押してもダメなら引いてみな!」は陰陽の法則だということに。

押し(外に向かう陽)てもダメなら引いて(内に向かう陰)みな!

というわけで、どちらか一方だけにリキンで上手くいかない時は、反対側でバランスとりな!と言っているのだ。

陰陽微妙に合わさってうまくいくのさと。

やはり、世渡り上手の金科玉条なるセリフ。

 

ところで、みなさんは  On the Job Training、略してOJT をご存知だろうか。

これは、企業の新人教育の際、職業訓練を行う手法のひとつである。

実際の業務を行い、動きながら身につける。

自分の経験を振り返っても、やりながら学び覚えるという方法は効果が著しいように思う。

子供が言葉を覚える方法も、まさにこれなのだ。

私がこのOJTという言葉をはじめて知った時、我が座右の銘「押してもダメなら引いてみな!」と共通の何ものかを感じた。

 

どちらも、身体を使ってやってみるという手法といえる。

体感も伴って進み、壁に当たると立ち止まって考え、臨機応変に別の動きをとる。

すると、なんとなくわかってくる。

理屈は動きとともに身体に落とし込まれて理解され、我らは実務を身につける。いわゆる体得だ。

 

さて、そもそも「わかる」「理解する」というのは、どういうことなのだろう。

 

わかるとは「分かる」「解る」と表記されるように、分けて分解して、そのエッセンスをあぶり出し、理性的にわかるということでもあるようだ。

西洋医学の力は、この「分析」にあるのだと思う。

分類され画像に映し出されて、

あるいは数値に置き換えられて、

視覚的に客観的にアタマで「ワ・カ・ル」世界。

まさに「百聞は一見にしかず」どおり、視覚に訴える分析は圧倒的な力を持つ。

身体の中を分け入っては細部に焦点を当てて、見えない世界を可視化させ、さらに客観視させる。

 

一方東洋医学において「分かる」というのは、「五臓六腑にしみわたる」あるいは「腑に落ちる」といった個人の身体感覚を伴う主観的なものだ。

<注:五臓とは肝・心・脾・肺・腎といった実質臓器を指し、六腑とは胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦(「さんしょう」といい、東洋医学特有の概念。これについてはまたいつか!)といった中が空気や水分が通ることのできる管腔臓器をいう。>

つまり内臓の隅々にまで行き渡るリアルな体感、それを通じてワカルというわけだ。

また東洋医学には、心(感情・精神)と身体とは分かつことができないものとする、「心身一如」という概念がある。(注:西洋医学では精神と肉体とを切り離す、デカルトが提唱した心身二元論の立場をとる)

心と身体は切り離せないのだから、感情(心)にも身体感覚を伴う。

怒った時は、頭に来て(頭に血がのぼり)、ハラがたち(腹直筋が筋張る)、ハラワタが煮え繰り返る。

嬉しい時は、ハートが開き、胸が高鳴り、脈が速くなる。

驚いた時は腰が抜け、恐ろしい時は身の毛がよだつ。

悲しい時は胸がふさぐのだ。

  

現代は、頭の理解(分析)がいき過ぎてしまい、アタマと身体との繋がりが弱く、

身体の感覚が鈍くなり、繊細な感情の感受も乏しくなってきた感じがする。

 

臨床での私と患者さんとのやり取りを例に挙げてみる。

・運動はしてますか?ーテレビでとにかく歩けと言っていたので、毎日5,000歩は歩いていますが、足りないみたいですね。本当は何歩がいいのですか?

・よく眠れますか?ー睡眠はアプリで測っています。レム睡眠ノンレム睡眠の繰り返しを4回していて時間も6時間。睡眠状態の管理もできているので大丈夫です。

・気になるところはありますか?ー体脂肪率は20%なのですが、体重は今のままで筋肉量を増やしたいんですよね。あ、プロテインは取ってます。

・病気のための減量はどんな感じですか?ーレコーディングダイエット(食べた物を記録するダイエット法)をしていたので、食品のカロリーはわかっています。今は糖質制限をしていますが、血液検査の結果はまぁまぁ良くなりましたね。

 

このように数量で測られる世界に、身体感覚を問う余地はない。

 

また私が民間療法を勧めてみると、

「それってエビデンスは、あるのですか?」と言われることもある。

エビデンス。ああ、悲しい響き、エビデンス

受け継がれる伝統療法ではダメなのだ。数値に置き換えられたデータこそが必要となる。

エビデンスも確かに大事だと思うし、必要性も感じる。しかし、エビデンスを求める人の中には、それこそが唯一の正解であるかのようにとらえる人もいる。One of them なのに。。

 

少し前までは、

「ワタシテキには、〇〇なんですよぉ〜」とか

「ワタシって、そういう人なんですよぉ〜」と言っていたではないか。

それが自分の身体に関することになると、

エビデンスがないことは、あんまり・・」と。

なぜに、ここだけ客観的になる?

なにかと求めてやまない「自分軸」。今ここでそれを発動させないでどうするの??

だって身体こそ、とっても個体差があるのだよ!

とツッコミたい所を、何度自らをグッと抑えたことだろう。

 

そしてエビデンスにこだわっているとこんな事も起こる。

痛みがあって病院へいった患者さん達が医師から言われたという。

「レントゲンで見るとすっかり治っている。おかしいね、痛くないはずだ。」とか、

「気のせいでしょう。心理的なものだと思いますので、心療内科へ行ってみますか?」とか、とか。。

でも本人達は、本当に痛いし、気のせいなんかではないと訴える。

 

敏感な方は、エーテル体(注:人体はその外側に幾つかのエネルギーの層をまとっており、肉体に一番近く、表皮の5mm位外側で感知できる層のエネルギー体をさす)の損傷も痛みとして感知する。私の臨床例でも、当人の訴え通りにエーテル体が傷ついている場合が多い。たとえデータに上がってこなくとも(注:メンタルの影響で痛みがでる場合ももちろんあり)。

また経絡(身体にある気の通り道)の流れも知らない方が、その走行どおりに痛みを感知していることも何度もあった。これは明らかに気のせいではないのだ。

  

治療する側もされる側も身体感覚を開いていくことは大事なのではないだろうか。

身体感覚を開いていくことは、

自己の拠り所としての身体をリアルにワカルようになる唯一の方法であり、

このプロセスをぬきにして真の健康はあり得ない。

 

そして身体感覚を開くためには、

頭で考えてばかりいないで、身体を動かしてみる。

するとエネルギーの流れが変わりはじめ、何かが起こる。

そうやって身体を使いながら、起こってきたことを通して

肉体に、自分の感情に、意識を向けるのだ。

まさに On the Job Training !

 

そう、ちょっことだけ押して、ダメなら引けばいい。

 

 

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ブラジル、リオデジャネイロコパカバーナビーチにて撮影 

(なお、本文における患者さんとのやりとりですが、多くの方に共通する例を、まとめて編集した形で記載。特定の方を想定したわけではありません。)

勝手に陰陽論10 内と外

ここ数ヶ月、制服姿の学生で占められる長蛇の列が日に日にのびる店がある。

タピオカドリンクの販売店だ。

タピオカとは、熱帯地方で栽培されるイモの一種であるキャッサバを原料とし、その根茎から作ったデンプンのこと。

流行りに乗っているのは、真珠大であることからタピオカパールと呼ばれる粒々入りのミルクティー(中国語表記:珍珠奶茶)。モチモチ感のあるゼリーのような球状のタピオカがデザート感をかもしだす。

 

先日、このドリンクを飲んでみた。

パール大のタピオカをミルクティーと一緒に吸い上げるためのストローは、なるほど随分と太くて頑丈だ。プラスチック製品が問題とされる昨今で、このストローは今後どういう材質になっていくのかと考えずにはいられない。

ストローのことをぼんやり眺めていたら、ふと人間もストローみたいだなと思った。

人間も筒(ツツ)あるいは管(クダ)であるという意味で。

 

人間は皮膚によって外界との境界を形成し、個体としての自己を保っている。

ストローのような、あるいはトーラス(下図)と呼ばれる位相で人体をとらえてみると、

外界と接しているのは皮膚だけではない。

口から肛門までの筒状の管を形成する呼吸器や消化器も、外から入ってくる空気や水分・食料の通り道なのだから、外界と接していることになる。

 

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          エネルギーの基本形態とされるトーラス図(ネットから拝借)

 

<発生学的ザックリ補足:上の図から受精卵を想像してほしい。卵の外側を占める外胚葉からは皮膚組織が、内胚葉(上記の図では中心がくり抜かれた部分の周辺。空気・水・食物の通過する部分の周り)からは呼吸器と消化器が発生し、そして外胚葉と内胚葉の間にあるツメモノ的役割の中胚葉からは身体を保持するための筋肉や骨格、結合組織が生まれる。>

 

人間を太い筒、あるいは管と見立てた場合、その外側と内側は表裏の関係にあたる。

陰陽論でいうなら、外側(表)は陽であり、内側(裏)は陰となる。

 

陰陽論による人体の見方

陰とは、内や下に向かうエネルギーを有し、重さや静けさを生む。女性は陰。

陽とは、外や上に向かうエネルギーを持ち、軽さや動きを生む。男性は陽。

人体の部位でいうと、動物が四足歩行している姿勢(よつんばい)で太陽が当たる部位、すなわち背側が陽。太陽が当たらない部位である腹側が陰となる。

立位で太陽に近い上半身は陽で、下半身は陰。

闊達に動くことができる四肢は陽で、躯体は陰。

体表は陽で、内側である肌肉・筋肉・骨は陰。

臓腑でいうならば部位においても形態においても、臓は陰で腑は陽となる。

(補足:臓とは肝・心・脾・肺・腎の五臓を指し、実質臓器である。腑とは胃・小腸・大腸・膀胱といった内部が腔となっている管状の器官で空気や水あるいは養分の通り道となる)

さらにその位置でみるならば、五臓の中でも心・肺は陽で、肝・脾・腎は陰に分けられる(『素問』金匱臓真言論による)。

さらにさらに心は心陽・心陰に、腎は腎陽・腎陰に分けられる(補足:このように陰陽のそれぞれがさらに陰陽に分けられることを「陰陽可分」という)。

以上をふまえても、「脚は陰ですか?陽ですか?」という命題は成り立たない。

上半身・下半身の視点で見れば脚は陰であり、

四肢・躯体の区分においては陽になるのだから。

このように視点によって陰陽の属性は変化する。

見方によって世界が変わる、これが陰陽論の本質のひとつなのだ。

 

さて、筒状の管である人間に話を戻す。

人体を個体ならしめている皮膚である外側(表)と 口から肛門までの内側(裏)。

これらはともに外界と接している。

外側の皮膚は自己としてのバウンダリーの役目を持って外界と接しており、内側の呼吸器・消化器は、空気・養分・水分の通り道として外界に開くことができるから。

 

内と外、裏と表の視点で病気を観るなら、喘息(内)とアトピー性皮膚炎(外)との関係があげられる。

喘息が収まっているとアトピーが出て、アトピーが良好である時は喘息を発症するというケースは非常に多い。

どちらもククリとしてはアレルギーの病。

喘息を治すのに皮膚の乾布摩擦が効果的なのは、皮膚(外・表)を鍛えると気管支や肺(内・裏)も強化できるから。

 

人体の内と外、裏と表は繋がっている。

それゆえ人体は、総体として有機的に働く、ひとつの膜(マク)とも言える。

(補足:陰と陽とを内と外といった対立概念として分析することはできるが、総体として分けることができないことを「陰陽可分不離」という)

 

人体の外部を形成する表皮は、汗で体温を下げたり、皮膚呼吸を行って、外部と内部との調整をはかる。

 

人体の内側を構成する部分は、必要に応じ、口や肛門を開いて内部を外界につなげる。

 

外の世界に対して、

時に閉じ(陰)、時に開く(陽)。

閉じつつも開き、開きつつも閉じるのだ。

 

呼(は)いて吸(す)う。

食べて排泄する。

 

受け取っては与える。

インプットしてはアウトプットする。

 

守りつつ変わリ、

取り入れつつ、保つ。

 

外界から個別化された人体は、

内と外とが繋がりあって、

ひとつの膜となり、

新陳代謝という生命体としての機能を果たすのだ。

 

 

 <後記>

人体が筒状の管であり、内側も外界と繋がっている。

このことは私に鍼灸学校時代の病理の授業を思い出させました。うる覚えなので得意のザックリでいいますが、血管は、管ではあるが閉じたり開いたりできる。つまり透過性があるというのです。身体のどこで出血しても血小板が飛んでいって血を固めて止血します。それは、血管内にいる血小板が必要に応じて血管外へ移動することができるから。

血管の壁が開く!  

ど、どこまでフレキシブルで、自由なの?!

これは、私にとって驚きでした。

 

そして思いました。

無意識の世界(陰)の素晴らしさを。

意識や知性というシバリがないところで、淡々と反応する自律性の匠(たくみ)を。

行こうか行くまいか、やるのかやらないのかと迷っては動けない自分の意識の世界(陽)の浅薄さを。

 

いっそ無意識に委ねて、おまかせ上手な人間になれたなら。。

身体と係わる仕事をしていると、意識や知性の限界みたいなものを時折感じます。

ただの膜(マク)になって原初のエネルギーで満たされたなら、それは最高の治療なのではないかとさえ思うのです。

 

身体から学ぶことは、尽きることがありません。

  

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「アドレア海の真珠」といわれる、クロアチアドゥブロヴニクにて撮影

(注:タピオカドリンクについては、身体への危険性も言われていますので、ご用心あれ!)

 

勝手に陰陽論9 黒

わが故郷、小樽。その小樽へ帰る楽しみのひとつに、余市にあるゲストハウス「はれるや 」さんで開かれるバーベキューパーティがある。

はれるやのママさんをはじめ、プロの料理人たちによる選りすぐりの食材の、素材を生かした粋な品々。そして惜しげなくバンバン栓が抜かれる、入手困難と噂高きナチュールワイン。

優しい夜風に吹かれ、バックに流れる音楽に身体を軽く揺らしながら、近場の人たちとポツポツと話しては、バーベキューをつまみワインを少し。。夕暮れ時から終電までの間、そこここで焚かれる火に燻される私は、いつもとは流れ方が違う時を、ちょっぴり酔いながらも堪能する。

 

それにしても、バーベキューが美味しい。ママさんにそういうと「極上の備長炭なのだ!」と。

そうか、炭によってもこんなに味が変わるんだ。。。

 

今回は、炭焼きが美味しいわけを考えつつ、炭の色でもある「黒」の特質について考えてみたい。(注:炭には黒炭と表面に白い灰のつく白炭がありますが、ここでは黒色として扱います。)

 

木を燃やすと白色の灰となり、灰は2度と燃えない。炭は、空気と結合できない状態(蒸し焼きなど)で木を燃やして(黒炭は400℃〜700℃、白炭である備長炭は1000℃以上)作られるという。木の中の水蒸気やガスが抜け落ち 、炭素だけが残って黒色の炭となる。

炭は、ガス火の4倍以上の赤外線を発し、深部へと浸透することができる輻射熱によって安定的に表面を均一に素早く焼き上げ、うま味成分を食材の中にギュッと閉じ込めることができるという。

 

炭は木の持つ雑多な要素を除きさり、炭素というエッセンスのみを内包する。そしてその炭で調理された食材も、その食材の持つうま味を内蔵する。

また炭には不純物を吸引して離さない力があるため、脱臭、浄水、浄化などにも役立つ。

このように凝縮されたエッセンスを内側に封じ込める力を有する物質は、黒い色を呈する。

あらゆる色を混ぜてできる黒色は、あまねく色のエッセンスをその内に納めており、陰陽論でいうところの「陰」を象徴する。

(ちょっとおさらい:陰とは内に向かって集約される力で、凝集して形を作り安定する。陽とは外に向かって拡散する力で、放出して流れや動きを生む。色はあらゆる色を含む白に象徴される)

 

一般的に黒(ブラック)といえば、とかく悪いイメージになりやすい。

最近では「〇〇会社はブラックだって!」とよく聞くようになった。労働条件が悪い会社をさして、ブラック企業という。

勝負の世界では、白星は勝ちを、黒星は負けを意味する。

犯罪においては、白は潔白で無罪を表し、黒は有罪。

白はでビンゴ!  黒は X でブーって感じ。。

黒は闇を象徴的に表すため、「未来は真っ暗」と言ったなら、それは絶望を意味する。

また恐れ、孤独、沈黙などもイメージされる。

 

こういった暗いイメージの一方で、こんな意味もある。

・威厳、神聖

正装の場面で用いられる黒(タキシードや喪服)は、厳(おごそ)かで神聖な意味あいを帯びる。

・高級、派手、上級

私が中華料理を習っていた頃の話であるが、先生に「中国では黒は派手な色とされていて、椎茸や黒キクラゲといった黒の食材はとても大事に扱われる」と習ったことがある。白キクラゲより黒キクラゲの方が高級品になると。ナマコも中国では「黒いダイヤ」と呼ばれ高値で取引されている。

また武道において黒帯は、白帯より上の階級を表す。

・安定、落ち着き、静寂

灯りを消して真っ暗な中で寝る方が、薄明かりの光が灯された部屋で寝るよりも、圧倒的に眠りは深く、身体が休まる。深い闇(黒)が人体に深い安定と落ち着きを与える。

 

このように黒は、恐怖、脅威、敗北、邪悪といった暗いイメージと

威厳、神秘、高級、安寧といった肯定的な側面とをあわせ持つ。

 

エネルギーの視点から黒を捉えると、

ブラックホールのように強烈な吸引力で、

ギュっと内に向かってエッセンスを封じ込める力を持つ。

それゆえ囲碁碁石は、黒のサイズが白より大きく作られているそうだ。同じサイズだと肉眼では黒が小さく見えてしまうから。

またファッションでは、ボトムを黒にした方が白っぽい色よりも脚がスリムに見える。

これらは、黒色の持つ内に向かって閉じ込めるエネルギーが働いているためだ。

 

あらゆる色を混ぜてできる黒。

地味にも派手にもなりうる色。

邪悪にも神聖にも。

恐怖にも安心にも。

 

黒色に象徴される陰陽論における「陰」には、善悪の2元論をはるかに超えて、清濁併せ吞むというような強い力が込められているかのようだ。

 

陰の力。

男女の性別でいうなら、女性を指し、母性はここから生まれる。

天と地でいうなら、大いなる地球の大地であり、

空と海でいうなら、生命が誕生した海。

 

闇が得体の知れない奥深さを感じさせるように、

漠とした深遠さの中で際だつ強さを持った陰の世界は、なんとも果てしがないように思えるのだ。

 

 

<おまけ>

民間療法

日本には、黒炒り玄米茶、梅の黒焼き、ナスのヘタの黒焼きといった黒炒り、黒焼きにする文化がある。ミネラルや成分、エネルギーを含み、その食材のエッセンスを安定した形で収蔵するもの。黒の持つ力に想いを馳せつつ、ぜひ一度お試しあれ。

黒炒り玄米茶ー腸内の有害物質を排泄、腸内環境の改善、免疫力や肝・腎機能アップ

梅の黒焼きー疲労回復、風邪の予防、解毒や抗酸化の作用、冷え性改善など

ナスのヘタの黒焼きー虫歯、歯槽膿漏、歯肉炎、痔

  

<後記>

 ブログを読んでくださる患者さん達のもっとも多い感想は、これです。

「陽が良くて陰が悪いと思っていました。でも、そうではなかったのですね・・」と。

そうなのです。

陰の世界の奥深さと果てしなさの上に、躍動し輝ける陽の世界がある。

陰陽を善悪という2元論ならしめているのは、たぶん解釈の問題。

人間の性格上の欠点が長所にもなりうるように、見方や解釈によって逆転するのです。

そこに陰の世界がある。ただ、それだけ。

そこここで目にする黒色を通して、ちょっとだけでも陰の世界の深みへと堕ちていっていただけたなら嬉しいです。 

 

 

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 メキシコ、トゥルム。満月のもとで瞑想したカリブ海の浜辺にて撮影

 

東洋医学各論4 腎2(腎精)

友人からローズオイルをいただいた。

数多のバラの中でも「香りの女王」と呼ばれるダマスクローズの精油を。

フタを回してみると、一瞬にして視界に鮮やかなピンク色のバラ園が広がる。

柔らかくも包み込むように芳香を放つオイル。

この1mlを蒸留抽出するのに、朝摘みした上質なバラの花弁、2000枚以上が必要だそうだ。

ディズニー映画「アラジンと魔法のランプ」の大魔王がぎゅーっとぎゅーっとダウンサイズされて魔法のランプに押し込まれ、必要な時にその封印が解かれヒュルヒュルと頭上いっぱいに蘇る。

そんな映像がふと頭をよぎった。

 

精油の精、エッセンシャルオイルのエッセンスとは、こんな感じに濃密に凝縮されているものなのだろう。

その生命体の持つ真髄であり、根本でもある精。

 

花や植物には、放つ香りがある。それによって我らはその精を感じることができる。

では人間の精は、どのようなものなのだろうか。

 

以前の記事(東洋医学各論3 腎)で東洋医学における腎には、泌尿器として老廃物を尿にしてデトックスする働き以外に、成長・発育、生殖、老化といった機能も含まれると書いた。またその記事の中に「腎精」についてもちょっと触れている。

 

garaando.hatenablog.com

 

今回は、東洋医学の根幹をなす用語の解説も含みながら、人体の精についてお伝えしたい。

 

腎、ふたたび。。

東洋医学では、先天の本(ホン)と呼ばれる腎。その最も大きな役割は「精を蔵する」ことだとされる。そして腎に蓄えられる精を「腎精」と呼ぶ。

 

その腎精とは、どのようなものなのだろう。

父母の精が合わさって先天的に親から子へ受け継けつがれたものを「先天(せんてん)の精」という。

これに対して自分自身で作り出すことができる「後天(こうてん)の精」というのがある。これは、脾(西洋医学脾臓とは異なり、ここでは消化吸収の臓器)の消化・吸収といった働きにより飲食物から得られた滋養、エネルギーをもとに作られるエッセンスである。

そして、この「先天の精」と「後天の精」を合わせたものが「精」となり、腎に貯蔵され「腎精」となる。

(注:腎精には広義と狭義があり、広義においては「先天の精」と「後天の精」を合わせたものをいい、狭義では腎に蓄えられた成長・発育や生殖の源である「先天の精」だけを指す。ここでは広義の腎精での説明。)

 

「先天の精」は有限であり徐々に枯渇していく運命にあるが、「後天の精」によって絶えず補充されて、成長・発育、そして生殖といった生命体の基本的活動のオオモトとなる。

ここにどんな飲食物を選び、どのように食べて消化吸収しているのかということの重要性がある。先天の精を十分に補充するためには、後天の精の質を上げて上質で充分な精を作る必要があるからだ。

腎精は生命活動の基盤となるのだから、病気の治癒には欠かせない。

それゆえどのような病気であれ、それを治すには食事の見直しを抜きにはできないのだ。

病弱な子供に精をつけさせるため、特別な食事が与えられるケースも多い。

  

臨床例をあげるならば、

アトピーや喘息という病気を持った子供は、「先天の精」が弱いと判断できる。

しっかり身体に良い物を食べて消化吸収力をアップさせると、良くなっていく場合もある。また夜尿症も、キチンと食べることができるようになって治っていった症例もあるのだ。

不妊症の患者さんが胃腸を整えたら、懐妊した例もいくつかある。

 

高齢者でお元気な方というのは、健啖家(なんでも好き嫌いなく、たくさん食べる人)で胃腸が丈夫な人が多い。これは加齢とともに枯渇していく先天の精を後天の精で補っていると言えるのだ。

 

腎に受け継がれた「先天の精」 と  脾によって作り出される「後天の精」。

これらが合わさり人間の精ができあがり、

腎に「腎精」として貯蔵され、

必要に応じてその封印が解かれる。

 

「あなたはあなたの食べた物でできている」という文言を見かけるが、「あなたは両親から受け継いだものと食べたものが合わさってできている」ということもできる。

 

さて、その「腎精」の働きとは、どういうものなのだろうか。

腎精の主な仕事は、

①成長・発育を促す。

ゆえに不足してくると発育不全や老化となる。

②一定の年齢に達すると、天癸(てんき:生殖能力に関わるホルモンのような物質)を作り、生殖機能に関わる。

ゆえに腎精不足が原因で性欲・性機能減退や不妊症にもなる。精力減退という言葉も、腎精不足という意味である。

③腎陰・腎陽をうむ。

腎精は陰陽が分化する前の丸ごとの生命力の本質である。ここから陰陽に分かれ、他臓器の陰陽を生む。つまり、人体にまつわる陰のオオモトは腎陰であり、陽のオオモトは腎陽となる。こうして生まれた諸臓器の陰陽は、拮抗したり相補的関係になったりしながら生命活動を繰り広げるのだ。

つまり腎精は、陰陽未分化状態のエネルギーのバッテリーともいえる。

④髄を生じ、脳を満たす。

髄には脳髄、脊髄、骨髄、歯髄があり、人体の根幹をなす。それゆえ腎精不足は健忘症、骨密度の低下・骨粗鬆症となり、歯も抜ける。歯は「骨余(こつよ)」と言われ、骨髄と関係がある。また骨髄からも血が作られるが、髪は「血余(けつよ)」と呼ばれていて、腎精が不足すると髪の状態が悪化し、抜け毛、白髪になる。

精神という言葉にも「精」が使われているように、脳との関わりも深い。

 

「精をつけなきゃ!」と、病気の時、体力・精力減退を感じる時、元気が欲しい時に思うのだが、この言葉の元々は「腎精をつけなきゃ!」なのだ。

 

我らの「腎精」が

アラジンと魔法のランプの大魔王が現れた時のように

自らをすっぽり包み込んだなら

それぞれの人生はどんな彩りの花を咲かせてくれるのだろう。

 

 <おまけ>

 今回は「精がつく」食材を少し。ネバネバ系の納豆、オクラ、山芋、自然薯など。ビタミンEを含むウナギ、アボガド、ナッツ。亜鉛を含む牡蠣、ゴマなど。

これからの季節、土用の丑の日にはウナギで目減りする腎精の補充を是非とも!

 

 <後記>

腎のことを書き始めたら、まとめきれない程いっぱい、いっぱいお伝えしたいことがありました。

また追ってお伝えすることと思いますが、

東洋医学で基本概念である自然治癒力とは、腎精の充実がなくては始まらないのです。

また老化にまつわる全ての病気が腎精の目減りによるもの。

耳が遠い、白髪になる、目が見えなくなった。。

骨粗鬆症などはカルシウムの補充にのみ目がいきがちですが、

同時に腎精をチャージすることがとても大事です。

これは、様々な老化現象にももれなく当てはまります。

 

病気は部分的に表現されてはいるものの、同時にオオモトの流れがあるとする東洋医学の見方が少しでもお伝えできたら嬉しいです!

 

 

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腎の色とされる黒をバックに、自宅にて撮影。

(自然界のものを5要素に分類する五行論という中国思想において、腎は黒色の性質に象徴される)

 

勝手に陰陽論8 繋がりあう世界

信じる力。

それはしばしば現実を変えてしまう。

 

今回は、その具体例をご紹介したい。

それは偽薬(ニセグスリ)。

これを飲んで得られる効果をプラシーボ(プラセボ)効果と呼ぶ。

砂糖でできたアメ玉であっても、この病気の特効薬だと信じて飲んだ場合、ホンモノの薬と同じような効果があるという。

使う側の心理ひとつで、アメ玉が薬に化けるというのだ。

 

へぇぇ。。砂糖玉を薬だと信じるだけで効果があるのか。。

 

随分昔の話になるが、私が働いていた治療所では「医道の日本」という鍼灸師むけ月刊誌をとっていた。

ある時、その雑誌にプラシーボ効果についての研究発表(確か筑波大の研究だったと思う)が載った。その内容をオボロゲではあるがザックリ要約するとこうだ。

「ホンモノの薬よりも効き目は落ちるけど、偽薬も効果ありだよ。そしてホンモノよりマシだけど、同じような副作用もあったよ。(肝臓の各種検査数値、腎臓の各種検査数値記載のデータ表添付)。よってプラシーボ効果は本当だよ!」

 

私はこれを読んで驚いた。

はて??副作用??

砂糖玉で薬と同じような副作用まで出るのだろうか?

そして偽薬は有効で副作用もなし!となれば偽薬の役割があるけれど、副作用があるとなれば、そもそも偽薬の意味はあるのだろうか。。

 

この薬は効くと思って飲んだ場合、患部に薬効が及ぶのはわかる。

ストレスで胃に穴まであけちゃうことができる人間だ。

メンタルが肉体に及ぼす影響は、ダイレクトに作用するに違いない。

ここまではわかる。

でも、砂糖玉を飲んだだけで副作用もあるわけ?

どうなの??

 (補足:偽薬の場合、この薬はこれに効く!とわかって飲むのだと思いますが、副作用は調べてみないとわからないことが多いのでは?よって薬の効き目は信じることができても、副作用については知らないので信じるかどうかといった前提が成り立たないと思うのです。つまり、信じることで効果を発揮する偽薬では、副作用が起こるとは考えにくいと思った次第です。)

 

すると友人が仮説を話してくれた。

臓器(陰)どうしがシステムとして繋がり(陽)あっているとしたら、どれかの臓器が回復するために、一時的に他の臓器の機能(陽)をダウンさせる必要があるのではないかと。

(ちょっとおさらい:陰とは、内に向かい集約する力を持って物質をつくり、目に見える。陽とは、外に向かい発散する動的な力を有する。目に見えない流動するエネルギーを指し、機能、関係性、繋がりを生む。)

今は肝臓君(陰)が元気になる時だから、僕たち腎臓らに回るエネルギー(陽)を肝臓君へ回してあげよう!というチームプレーかも??

つまり、肝臓が(薬のおかげであれ何であれ)良くなろうとする場合、一時的に腎臓の機能を低下させるのではないか。

その場合、数値だけを個別に取り出して正常値と比べると副作用とカウントされるかもしれない。しかし、実は薬がダイレクトに影響したのではなく自然の摂理だったのではないか?

どうだ!!

これを検証できるスベの何ひとつも持たない私たちが、ただこっそり考えたのだ。

どこまでが副作用と言えるのか?

どれほど身体の中での臓器や器官どうしがつながりあっているのか?

副作用の定義自体が問われる大発見!に違いない。だがきっと、この是非が証明されることもなければ、薬の副作用の定義がひっくり返されることもないだろう。

 

ただ考えてみても欲しい。

風邪をひいたら絶食すると速く治るということを。

動物は、具合が悪いと絶食をする。

消化に使うエネルギーを、不調を治すために集中させるためだ。

そのことを彼らはわかっている。(補足:私たち人間も、何か内臓の不調があれば、絶食すると確実に治りが速いです。)

身体を治すために内臓たちは、そのエネルギーを自ずと使い分けて連携しあっているのではないか。

 

またステロイドとして知られている副腎皮質ホルモンの働きはどうだろう。

事故などで大出血した場合や大打撃を受けた時、生命を維持するために必要最小限の働きだけを優先し、他の機能をシャットダウンさせる。このために自らの身体から自然に分泌されるホルモン、それが副腎皮質ホルモンであり、化学(バケガク)でいうところのステロイドだ。

身体の活動量を全体的に抑え、低め安定をめざし、なんとか生命は保持される。

それゆえ皮膚のターンオーバーといった特段生命維持に必要のない機能は一時的に停止される。こうしてステロイド剤はアトピーといった炎症性の皮膚疾患を軽減させることができるのである。この他のアレルギーや膠原病といった免疫異常のように過剰に亢進する力もクールダウンさせるのだ。(注:副腎皮質ホルモンの働きは、この他にも多様にあります。)

 

このように身体の各部位は、独自の働きもしながらも、他の器官との関係をも築いている。

臓器は臓器どおしを結び合う。相対的な力学を持って。

生命の危機に際しては、生命体総体として緊急指令システムが作動して最優先活動にのみ焦点を絞り、その他の活動は自動的にフリーズさせる。

すべては、より大きな秩序の中で結ばれている関係性の自律的活動。

 

つまり、身体の各組織や臓器は、

その物質(陰)として個別に存在するのでもなく、

あるいはある役割のためだけに活動しているのでもなく、

その様々な関係性において幾重にも繋がりあって機能(陽)しているのだ。

 

この視点にたって病気を眺めてみる。

皮膚に表れるような表層(陽)の症状は、単に皮膚の問題だけではなく、もっと奥の深い場所(陰)へ病が進むのを食い止めるためのものかもしれない。

一病息災(ひとつぐらい病気がある方が健康に気をつけ長生きするという意味)という言葉通り、ひとつの病が表われている状況は必ずしも悪くはない。

 

ひとつの症状や痛みがやっと取れたら、また別の症状やら痛みが出現するといった不定愁訴の場合も、根本の問題は特定の部位にあるのではなく、メンタルとか自律神経といった別のシステムの問題を表現していることも多い。

 

アングルをひいて眺めてみると

個別に存在しているように見える様々なモノ(陰)やコトが関係しあい

勝手に蠢(うごめ)いているかのごとき小さな動き(陽)で繋がりあって

別世界がたちのぼってくる。

 

繋がりあう世界

信じる心と身体も

臓器どうしも

組織どうしも

部分とより大きな部分も

より大きな部分とさらに大きな部分も

表層に現れる病気と深層におよぶ病気も

移動する痛みどおしも

身体と性格も

病気と健康も

そしてホンモノとニセモノも

  

身体の内部が繋がりあっていて、

その繋がりに流動性があるならば、

タルミがあれば緊張があり、凸があれば凹がある。

ならば

病気や不調がすべて治るというのは、目指さなくてもいいのかもしれない。

 

まぁまぁの所でよしとする。

この鷹揚(おうよう)さこそ、健康の秘訣なのかもしれないと思うのだ。

 

<解説>

今回の陰陽論ですが、「陽の動きによって陰が生きてくる」という例えでもあり、

信じる力、関係性や機能、そういった目に見えないもののエネルギー(陽)が物質世界(陰)を変化させるというお話です。この逆もまた真なりです。人間も肉体という器(陰)があり、そこに目に見えないエネルギー(魂とか霊とか、あるいは気:陽)が入って初めて生命体たりうるのです。陰がなければ陽が動くこともできません。

このような陰と陽が相互に依存しながら、助け合ったり利用しあうことを、「陰陽の互根・互用」と言います。

 

<後記>

プラシーボ効果は、意識や心とも関連していて、これは量子物理学で証明されるのではないかと思います。興味深い量子物理学ですが、ドイツの理論物理学者であるヴェルナー・ハイゼンベルグが「観測者と観測される対象とは完全に切り離せない関係にある」と発見したそうです。つまり物質を見ている人がいるだけで、実験の結果が変わってしまう。物質と人間とが関係しあうのだと。

またミクロの世界においては、物質世界にあるものすべてが密接に繋がっているとも。ミクロの世界までいくと想像するしかないのですが。。

ただ、患者さんの身体に手を当てていると、ハガネのように感じられた深部にある固まった組織が、ある時からその細胞たちと繋がった感じがしてきます。すると少しづつ熱が行き交うようになり、小さな粒子たちが微かに揺れ出す。

この繊細な微振動を私が感じると細胞たちが次々に花開くように、開いていく感覚があります。鍼にしても、施術した場所の固まった細胞は、徐々に開いていく感覚があり、鍼を介して繋がった細胞たちは刻一刻と変化します。

この感覚のせいなのか、あらゆる物質も繋がりあい関係しあっているというのは、私にとっては、多分そうなのだろうなと素直に思えるのです。

 

 

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 イタリア、ナポリにて撮影

 

東洋医学各論3 腎

春が来た。(来たの?本当に?異常に寒い。。2019年4月末@東京)

北国では雪がとけ、長い冬を土中で過ごした種子や球根が芽吹いて花を咲かせる季節が、また巡ってきた。

 

さて、このタネのように生命体のエッセンスを内包している臓器が、我らの身体にもあるとしたら?

今回は、人体の臓器についてのお話である。

 

まずは東洋医学でいう「臓器」の概念を少し。。

西洋医学において「臓器」というと、解剖学的な特定の部位を指す。

肝臓、心臓、脾臓、肺(臓)、腎臓といった具合に。

東洋医学でいう肝・心・脾・肺・腎(五臓六腑の五臓)は、解剖学的な臓器を指すのはもちろん、さらに各々の臓器が持つ機能的働きをも含んでいる。

(例:東洋医学でいうところの「腎」は、解剖学上の腎臓のみならず、成長・排泄・生殖といった機能も含まれる)

これは臓象学説とも言われ、古代の解剖知識に加えて、生理・病理の現象を観察した結果生まれた概念でもある。

器という身体の内側(陰)の活動異常は、必ず外側(陽)に現として表れるとし、その関係性に着目した。(例:肝臓が悪いと爪に縦じわがはいる→肝と爪は関連する)

また「人体は小宇宙」と言われるように、宇宙の構造はまるごと人体に反映されているという。それゆえ自然界の構成要素である水や太陽の光がなければ種子が育たないように、人体における構成要素であるところの各臓器は、それぞれにとって必要不可欠であり、部分として切り離すことができない。

このように東洋医学には、臓器や器官は互いに連携しあう上に、心と身体も影響しあって、更に人体内部のみならず外部(自然・家庭・社会)環境とも関係してはじめて、生命活動がなりたっているという視点がある。

(補足: この関係性を特に示しているのが、五行という思想である。古代中国の思想である五行論では、自然界や人体は、「木・火・土・金・水(モク・カ・ド・コン・スイ)」に象徴される5つの要素に分けられる。五臓六腑の五臓の「肝」は木に、「心」は火に、「脾」は土に、「肺」は金に、「腎」は水に相当している。有機体として不断に変化する生命活動において、それぞれの臓器や器官は繋がって影響を与えあっていると考え、それらの間(マ)をつなぐ役割の重要性に着眼したともいえる。)

 

では、本題。

植物のタネに匹敵する臓器。

それは、ソラマメにも似た形の「腎」。

 

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解剖学的な腎臓の形と位置(図はネットから拝借)

 

東洋医学における「腎」は、「先天(センテン)の本(ホン)」と呼ばれ、両親から受け継がれる潜在力を有していて、生命活動のオオモトとなる。

まさに発育と成長、生殖、排泄、老化といった一切の生命活動の基盤となり、その生命エッセンスを凝縮して内臓している臓器といえる。

それゆえ植物でいうならタネであり、地球でいうなら生命が誕生した海である。また種火として腎をとらえるなら、地球の核であるマグマとも言えるのかもしれない。

 

解剖学的に見ると2つある「腎」は、父方、母方のそれぞれを比喩的に表し、その2つの「腎」からエネルギーが流れる下方の真ん中に生殖器がある。

父母から引き継がれ、誕生したこの肉体。さらに自分の「腎」から流れるエネルギーは生殖器を通して次世代へと繋がれ、遺伝情報という形で生命の連鎖が続く。

 

こうして命の根源が「腎」へと受けつがれ、成長・発育を促すのだ。

また泌尿器としても、水分代謝を司り老廃物を出すというデトックス機能によって、生命は維持される。

やがて腎精(腎に宿るエネルギー。詳しくはまたいつか!)が衰えてくると、肉体は老化しはじめ、物忘れ(脳)が増え、骨密度も低下し骨粗鬆症にもなり(骨)、足腰が弱くなる。歯はグラグラし(歯は骨余といい骨の仲間)、白髪になって耳も遠くなる。

排尿・排便困難も起こる(肛門も腎と関連している。臨終期には「腎」の力が失われ、尿も便も出なくなり毒素が全身に回る)。

 

このように人の一生は、タネが発芽して成長し花や実をつけ、次第に枯れて朽ちていくのと同様に、「腎」に統括されているとも言える。

 

そしてそのタネの潜在力や生命エッセンスが十分に生かされるか否かは、環境によるところが大きい。

どんなに立派な種子であっても、水や養分が十分でなければ、発育不全だったり発芽しない。

臓器における環境とは、他の臓器との関係の中でも育まれる。

「腎」に滋養を届けるのは、食物を消化する能力を持つ臓器の「脾」である。(注:脾の概念は西洋医学脾臓と異なる。ここではザックリ消化吸収の働きをする臓器として理解していただきたい)

つまり「腎」の持つ潜在能力は、栄養を消化・吸収する能力のある「脾」の働きに助けられて、花開くのだ。ここに「腎」と「脾」との関係の重要性が見えてくる。

 

 

十分な素質を持って生まれてきているのに、不摂生をして病気を患っている。

本来弱く生まれついているけれども、その潜在力を存分に生かして元気だ。

ほどほどの体力があるので、もっと潜在力があるとは考えたこともない。

胃腸が丈夫で消化能力がもっとあったら、もっといろいろできるのに・・。

メンタル面の影響が大きく、ストレスが腎臓を痛めている。。

 

一体自分は「腎」に授かったポテンシャルをどれほど生かしているのだろうか?

どうなの?

自分のケースを考えてみるが、これがまたなんとも難しい。

 

春蒔きのタネを見かけるにつけ、我が「腎」の働きについて考えてしまうのだ。

 

(おまけ)

腎のセルフケアとしては、なんといっても早寝で上質の睡眠をとり、内向するタネの世界(陰)に戻ることがオススメ。

また腎臓は毛細血管が密集してカタマリとなった臓器。加齢とともに細い血管はどんどんサボっていく傾向にあるので、血行がよくなる状況を作ることが大事。

つまり、腎臓を直接温めること。

オススメは、コンニャク湿布。大きめのコンニャクを7、8分ほど茹でて乾いたタオルで包み、背中から腎臓の部位に当てて温める。これ、とっても気持ちいいので疲れた時に是非お試しあれ!

さらに臨終の方への最後にできる民間療法は、腎臓に手を当てて温めてあげること。

またいつかセルフケアで書けたら!

 

(後記)

ザックリ東洋医学の腎のとらえ方について書いてみました。

「腎」は、尿の濾過・排出に関わっているだけでなく、発育・成長、生殖機能や老化現象とも密接に関連しています。まずはココカラ!

「肝腎カナメ」と言われるように、腎の大切さがわかっていただけたら嬉しいです。

  

 

 

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ベトナム、ダナンにて撮影

勝手に陰陽論7 ハーモニー

さる雛祭りの日に、大好きな大好きな友人の偲ぶ会に参列させていただいた。

傑出したアーティストだった彼女らしさが溢れる素晴らしい会で、準備された方々の愛情の深さにも感銘を受けた。49日を経てもなお出席者の多くの方達が大泣きし、互いに彼女のかけがえのなさについて語り合った。

泣いて笑って、慈しんで、切なくて、会いたくて、会いたくて。。

帰り道の風景はとびきりだった。

彼女が描く絵そのままの、やわらかな色彩のグラデーションがのびやかに拡がる大空に、あまたの金色の糸が天から放たれては粉雪のごとくキラキラと舞いそそぐ。そんな夕陽の光に、私達を乗せた車が走る一本道はまるごと照らされた。

彼女に祈りを捧げるはずが、今もまた彼女に癒されているのだと気づいた瞬間だった。

あと50年もすれば、今日お会いした方たちの大半は確実に彼女と同じ世界に行けるのだと、柔らかで眩しいほどの神々しい光に包まれながら私は思った。

 

先日も友人が「僕らがいなくなっても、建物や道はそのままで、人間だけが入れ変わって街はあんまり変わらない。なんか変な感じだよね?」と、彼女を偲びながら話してくれた。

 

万物は流転する。

人もやがて死ぬ。

変わらぬものはないのだから、街や道も時を経て風化し変わっていくだろう。

変わる速度の速いもの(陽)と ゆっくり変わるもの(陰)。

今回は、その変化の速度の違うものどうしが結びついてできあがる世界のお話である。

<ちょっとおさらい:陽とは外に向かって発散し、それゆえ軽くなり動きを生じ、速く進む。陰とは内に向かって集中し、それゆえ重くなり量を産む。動きの速度は遅い。>

 

少し前になるが、ある方が話してくださった。何かの本の中に「100年以上続く企業の条件」が載っていたと。そしてそれは、企業理念があることだという。

彼は続けた。

「それを読んで思ったんだ。つまり、企業で働く人々は入れ替わるので、変化する動きのある陽とみなす。企業理念は時代により多少変わっていくだろうけど、その速度は遅い。だから中心軸を作る不動の陰。ゆっくりでしか変わらない企業理念と次々に交代していく会社のメンバー達。これらが組み合わさって初めて、100年以上続く企業が生まれる。どう?この解釈で正しい?」。

正しいも何も、素晴らしすぎるではないか!

私が教えてほしいくらいだと思いながらも、とても嬉しかった。

 

そして私は、鍼灸師になりたての頃の自分の経験を思い出した。

それはご縁あって大企業のオーナーさん宅へ初めて出向いた時のことだった。

ご挨拶をするなり、聞かれた。

「あなたの社訓は何ですか?」と。

「・・・・・」。

はぁ。。社訓???

だって私、流れ者のような鍼灸師だよ。会社もなければ、治療所もない。風来坊みたいなものだよ・・と、心の中で。

その方は、びっくりしている私に向かって容赦なく続けた。

「社訓がスラスラ言えないようではダメだ。社訓でなくてもいい。あなたの場合は、どういう仕事をしていくのかという柱を決めて、文章にして書き出してみたらいい。必ずやってみて欲しい」と。

しばらくその事を考え続けていた。ある意味ショックだったのだ。考えたこともなかったから。

どんな仕事をしたいのか?何をモットーにするのか?そもそも私は何がしたいのか?

自分の仕事の指針をシックリくるまで考えた末、紙に書いて、狭い部屋のベッドの横にその社訓とやらを貼ってみた。それは朝起きると必ず目に入り、歯磨きをしながらその文言を見つめて、私の1日がはじまるようになった。

 

あ、あれは陰陽の話でもあったのか?!(今さら驚く自分に驚きます!)

状況に応じてテンポよく変わりながら行動する自分(陽)と 

初心である変わらぬ軸に焦点を合わせる自分(陰)。

変化する状況に流されて生じるブレを、時々陰に立ち戻り、軸をたて直していたのだ。

 

この世界は、

ゆっくり回る大きな歯車(陰)と  回転の速い小さい歯車(陽)とが

噛み合って呼吸しているのだ。

  

この物質世界 と そこで生きている人間

企業理念 と その構成員

モチベーション と 行動

老人 と 若者

建造物のある街 と 人々

インフラ と 日常生活

社会構造 と 個人

地球 と 文明

 

そして、これらがうまく機能するのに最も大切なのは、

ハーモニー。

歯車が噛み合っていること。

 

適切なモチベーションは、行いに喜びを与える。

素直な若者は、老人の知恵や経験から成熟を学びたい。

素敵な街では、その街を愛する人々の息づかいが聞こえる。

大切にされる建造物には、その歴史を尊重する人々のマナザシが注がれる。

計画性のあるインフラが整ってはじめて、生活に活気があふれだす。

安全な社会であれば、善良な個人がのびのびとしていられる。

 

その一方で

あまりに陳腐な企業理念には、ついてはいけない。

滅びてしまった文明は、その土台となった地球と折り合いがつかなくなったのではないか。

再生が進まない土地や廃墟は、地球の営みと相入れない何かがあるのかもしれない。

つまり、歯車が噛み合わない関係は、どこにも行きようがないのだ。

 

陰と陽とが調和されて歯車が回りだすと

無意識に止めていた呼吸が深くなるかのように

ひとつひとつのパーツに息が吹き込まれ

システム全体が生命体として動きだす。

 

そこにいて

呼吸が楽にできるかどうか。

優しい息づかいを感じられるかどうか。

素直になれるかどうか。

身体がゆるむかどうか。

晴れやかに笑えるかどうか。

神聖さを敬えるかどうか。。。

 

調和がとれているというのは、こういうことなのだと思う。

 

  

<後記>

遺跡を訪れる時、そこで人間が生活していた遥か昔の時代に思いをはせ、止まってしまった時間へと旅をする。そんな感覚に浸るのが私は好きです。

はじめてピラミッドを訪れた時も、その巨大さに圧倒されながら、造られた当時の様子を想像してボーッと眺めていました。

しばらくすると、私はピラミッドから人々を見ている感覚になったのです。

建設されて以来、悠久の時が刻まれるその間、どれだけ多くの様々な人々が入れ替わり立ち代わりここを訪れたのだろうか。そしてその様を、このピラミッドは微動だにせず、幾世紀にも渡ってどれほど見つめてきたのだろう。。

それは、自分の小ささを見せつけられたような、気が遠くなる感覚でした。

ゆっくり変わるもの と 速く変わっていくもの。

このマッチングは、至る所で見られるのだと思います。

 

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エジプト、ギザのピラミッドにて撮影