“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

勝手に陰陽論15 陰極まりて陽、陽極まりて陰

街を移動していると気がつく事がある。

「足先がドアに挟まれないように注意」。電車内でドアに張られていた標語が目に止まった。

その上には「戸袋に注意」という表示がある。実際に子供が腕を挟まれているのを見たことがあるので、危険なのだなぁと思うようになった。駅構内では「電車とホームの間が空いています」というアナウンスが聞こえる。私の身近で3人ほど電車とホームの間に落ちた人達がいて、中には大怪我をした人もいるのだから、私も特別に注意を払うようになった。

他にも「電車が来るから白線の内側へ下がれ」だの「こちら側のドアが開きます」といったアナウンスや表示による至れり尽せりの危険警告があるが、これはそもそもどうなのだろう?ずっと以前から疑問に思っていた。

そして先日見かけた「ドアに挟まれないように足先に注意」との文言。

自分の足がドアに挟まれることすら、言われないとダメなのか。

ああ!身体感覚よ、ナゼにここまで弱まれり?!

 

「昭和がだんだんおかしくなってきている」。こう、良き日の昭和に想いを馳せながら、憂いを込めて語ってくださった恩人がいる。

「安全・清潔・効率」、この3つの徹底によっておかしくなったと。

 

安全については、冒頭にあげたように、電車内や駅構内での注意喚起の文言がどんどん目につくようになった。昭和における高度成長のスピードとともに。

また食の安全においては、賞味期限やら消費期限の日付に、いつしか私も注意を払うようになってしまった。この背景には、昔よりも加工食品が驚くほど増えたということもあるだろう。日本の食品添加物や農薬の使用量は世界で群を抜いて驚くほど多い。しかしこういった食品の背景には目をつぶる一方で、とりあえず賞味期限にだけは妙に敏感な人々が多い気がする(添加物や農薬を気にする人も私の周りには多いですが、一般的にはまだまだ少数だと思います)。

 

清潔という視点で見てみると、日本が他国と比べて飛び抜けていると思えるのはトイレだ。私が訪れたことがある国々と比べて、日本ほどトイレが綺麗なところはない。各国のトイレ事情については、文化や風土の違いをまざまざと感じるのだが、日本のトイレにはウオッシュレットや便座シートもある。清潔さにかけては世界一だ、間違いない。

そのうえ除菌剤や消臭剤、さらには芳香剤が次々と市場に出回り、より清潔であることが求められてきた。たとえそれがケミカルで作られた過度な防衛であったとしても、清潔とは、まごうことなきヨキコトのように。

チマタではデオドラントな汗ふきシートやスプレーなるものも随分と店頭に並ぶようになった。口臭予防もリステ○ンやモンダ○ンといった殺菌系から舌苔除去サプリなど多様である。ついでにチョッコっと歯もホワイトニング。

潔癖なまでに徹底され続ける清潔志向。

 

そして効率について考えてみる。

そもそも効率とは、達成されるべき仕事量 と 要したエネルギー量 との比率であり、

エネルギーの消耗が少なく目的を達成することが、効率良いとされる。

最近よく聞かれる「コスパ」という言葉は、経済効率がイイということで、お得感比べに用いられる。損得勘定ベースのモノサシは、どんどん増えている気がする。あげく「忖度する社会」の土壌ができてしまったのではないだろうか。

経済効率のみならず、仕事や勉強などにおいても効率は求められる。

「結果よければ全てよし!」「勝てば官軍!」とでも言われるかの如く、プロセスよりも結果が重要となる。

こうした時代背景の中で、時短に特化した電子レンジは家庭で欠かせないものとなり、今やレンチン料理のレパートリーの多さには驚くばかり。時短であってなお引けを取らない料理を目指して。

さらに効率という名のもとに、人間の育まれるべき能力や営みも切り捨てられた。

例えば、効率よく目的地へ迷わず到着できるために開発されたカーナビ。事前の道調べもいらず、どこをどう走っているのかわからなくても、目的地にたどり着ける。しかし人間の空間認知能力やら土地鑑、迷いながらも到着できた喜びといった感情や不測の事態に対する耐性、こういった様々な感覚は鈍磨するのだ。

スーパーのレジにバーコードが導入される以前、私はレジうち名人とも思われる人を発見した。見事なまでの指さばき。商品をみるや否やキーの上の手は踊り、目と右手と左手、これらが全く別々に動きながら、あっという間に合計金額を叩き出す。あまりの凄さに「お見事!」と声をかけるようになった。すると彼女は満足そうにいつも笑っていた。自分の職業における誇りだったのだと思う。その彼女の技をもう見ることもなくなった。

 

経済発展とともに長い時間をかけて、重要視されてきた安全と清潔と効率。

終戦直後の社会は、危険がそこここに溢れ、不衛生で、効率があまりにも悪かったのだろう。

目指したのは、安全で清潔で効率のイイ社会。

世界最貧国であった敗戦時の日本から、JAPAN  AS  NO.1と言われるまでに経済成長した昭和の時代に、安全・清潔・効率へと向かうベクトルは一向に速度を緩めなかった。ある程度それが達成されたにもかかわらず。

 

安全を求めて予防線を張られると、危険が迫っていることが感知できなくなる。

清潔を目指して潔癖なまでに消毒し尽くすと、かえって感染症にかかりやすい身体になってしまう。また清潔という側面にだけ囚われると、不安が増大し何度も手洗いをしたり消毒をくりかえす脅迫性障害といった心の病を発症することもある。

効率を上げることだけに懸命になると、速ければ、安ければ、成果が上がれば・・と手段を選ばず、プロセスを楽しめない。また効率を求めるあまり、ミスが許されず人間関係もギスギスとしてきて、かえって事がうまく回らなくなり生産性が落ちる。

 

このように突出した一方向だけを追い求めて極に達すると、その特質は反転してしまう。

陰極まりて陽となり、陽極まりて陰となるのだ。

しかも画一化された一方向へ振り切ることによって安心を求めるが、実は不安が増大する。これさえやれば大丈夫!徹底すれば大丈夫!と自らに言い聞かせて、偏執的になってしまう。

 

安全を求めていたのに、危機管理能力はかえって育たない。

清潔を目指していたのに、抗生物質が効かない菌が出現してしまった。

効率を上げるために完璧で間違えないコンピュータに置き換えられ、自分の居場所がなくなった。

 

人間が自分の感覚を疑うことのなかった時代が遠のいていく。

危険を察知しながらも、自らの足で歩く。

腐ったものは、匂いを嗅いでわかる。口に含んでおかしい時はすぐに吐き出せる。

効率が悪くても、無駄と思えることにも楽しんで没頭できる。

 

野性への希求。

自然へ帰れ。

こんな言葉が頭に浮かぶ。

 

「昭和の良い時代というのは、少なくとも人間が主役であった」と私の恩人はいう。

人間が主役だった時代。。

我らは人間性をどこまで明け渡して、どこへと向かっているのだろう。

 

今、まさにコロナウイルスが流行している時に、

安全であること

清潔を求めること

効率を図ること

これらはどういうことなのかと、改めて問われている気がしている。

   

(後記) 

終戦記念日に、今までとこれからをコソコソ考えていました。

現在の私は、いまだかつてない程、手をきれいに洗って毎日を過ごしています。

その一方で、あまりにも行き過ぎの除菌や消毒・滅菌対策を危惧し、ワクチンさえできれば大丈夫という報道にも大いに疑問を持っています。またコロナは大したことはないとする風潮にも、自分のみたくないものは見ないとする「正常化バイアス」が働いている危険性も感じます(本当にそうであるなら嬉しい限りなのですが)。

あらゆることにそうかもしれないと思いつつ、でもはっきりとはわからない。このわからないという感覚をゆるゆると持ちこたえつつ、自分の感覚がある一方向へ行き過ぎないようにと注意しながらも、いろいろな資料を見たり、意見を聞いたりしています。

 

ほぼほぼでいい。

これは私が東洋思想から学んだことです。

ともすれば極端に走りがちな今の社会状況にあって、様々な問題がある中で揺れ動きながらも考え続けて、また楽しみも見つけて、ほぼほぼで暮らしていきたいなぁと思っています。

 

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野性味溢れる文豪パパ・ヘミングウェイの小説「老人と海」の舞台となった港町、キューバのコヒマルにて撮影

 

陰陽論についてはこちらも参照

garaando.hatenablog.com

 

東洋医学各論6 津液(しんえき)

至福の時といえば、みな様にはどんな経験がおありだろうか。

私にとってのそれは、メキシコへ旅した時でのこと。

マングローブの林が生い茂る水面。ひとたび何かを浸してみれば、どんな物でも中身まで透き通ってしまいそうな、そんな限りなく透明な薄いグリーン色の世界。そこでは優しい風が水面を揺らす度に、太陽の光がビーズのような微細な粒となってキラキラと輝いていた。

私はそこに両手両足を伸ばして、仰向けに浮いた。身体の力を抜いて、抵抗をできる限り手放した。ただ風の流れだけに身を任せられるようにと。コゥーッというような大気の、あるいは風の、たちこめるように響いている低い音。木々の擦れ合う音。耳元で聞こえる波の音。水に耳が浸かった時には一瞬にしてモワ〜ンとコモってしまい、スローモーションで聞こえる重い音。天空に響く野鳥たちの鳴き声。これらが混ざり合った様々な音は、耳でキャッチするのと同時に振動となって身体にも響いた。

自然がかもしだす音は、気づいてみれば相当にうるさい。それなのに随分と心地がいいのだ。太陽の熱がじんわりと身体を包みこむ。すり抜ける風の涼しさと水の柔らかさがありがたい。目を閉じてみればマブタの裏が太陽の光で赤く見える。全身で感じることができる陽気に満ちた世界。

重力の楔(クサビ)を解きながら、大自然の中で浮かんでは流され、流されては浮かんでいた。自分がひとつの細胞であり、大きな流れの一滴(ひとしずく)になったような、まさに忘我の体験だった。

 

「身体は水袋なんですよ」ずいぶん昔に太極拳のO先生から教えていただいた。

水が詰まった皮袋が我らの身体。骨はそこに浮いているのだそうだ。

確かに人体は、胎児で体重の約90パーセント、新生児で約75パーセント、子どもで約70パーセント、成人では約60〜65パーセント、老人では50〜55パーセントが水で満たされているという(どんどん少なくなることにガックリしますぅ。。)。

 

この身体の大部分を占める水分は、東洋医学の重要な基本概念をなし、津液(シンエキ)と呼ばれる。今回は、この津液についてお伝えしたい。

 

西洋医学においては細胞が変性することによって病気になるという細胞病理説をとるのに対して、東洋医学では体液病理説をとり、病気の原因は体液の不足・偏り・滞りにより、その流れが阻害されたことによるとされる。

体液とは、血(東洋医学ではケツと呼び、血液を指す。母乳も血に含まれる)と津液(シンエキといい、血以外の全ての体液をいうが、血を構成する原料にもなる)からなる。

つまり津液は、体表においては髪や肌を、顔では口・鼻・目を、体内においては五臓六腑を潤す。また関節内に巡っては動きを円滑にし、骨髄・脳髄をも満たすのだ。

(補足:津液には西洋医学でいうリンパも含まれるため、リンパドレナージュといったマッサージの技法や脳脊髄液を扱うクレニオセイクラルの手技は、津液を扱う療法といえる。)

さらに津液は(ヨダレ)、(鼻水)、(ツバ)(注:五液という)といった代謝物を生む。これらの五液はそれぞれ内臓の働きと対応しており、涙はの液とされる。汗は、涎(ヨダレ)は、涕(鼻水)は、唾(ツバ)はに対応している。

そして体内での仕事を終えて余った津液は、腎で処理され最終的に尿として排出される。

<五液の例:「汗はの液」とは?津液の漏出である汗のかきすぎは、津液の一部から生成される血にも影響を与え、その血に関連する臓器は心となる(心臓は「血脈・血を主る」とされている。心ついてはまたいつか!)。よって汗のかきすぎは心臓にも負担をかける>

  

さて体内の水分であり、飲食物の栄養分から生成される津液。これが、どうなると病気になるのだろうか。

①津液の不足

栄養が不足すると、また不摂生な飲食により消化能力が低下すると、あるいは炎天下での作業や運動により過剰な水分が消耗すると、はたまた大汗によって水分が体外へ排出されると、津液は不足する。症状としては、口や喉、目や鼻が乾き、顔や髪の毛のツヤがなくなり、肌のシワが増え、たるむ。便秘にも。熱中症のように命の危険に晒されることもある。

②津液の滞り

胃や脾、肺といった津液を運搬する臓器が弱ると、あるいは腎などの水分代謝の働きをする臓器が機能低下したなら、行き場のない津液が余ってしまう。これは「湿(シツ)」となり、この湿は周囲の熱を奪って身体を冷やし、その湿は固まって「痰(タン)」となる。これを「痰湿(タンシツ)」といい、湿の邪気が様々な病気を発症させる。湿邪と関連する病には、むくみ、リウマチ、気管支喘息、関節炎、アレルギー性鼻炎、五十肩、コムラカエリ、湿疹や帯状疱疹といった水泡を伴うものなどもある。湿の性質は重濁であるため、病状も重くてだるい、疲れやすく眠い、痛だるいといった長引いてなかなかスッキリしない症状となる。治療としては、温めて湿をさばいていく方法をとる。

( 注:東洋医学では、気の種類として正気と邪気があり、邪気が正気に勝ると病気を引き起こすとされる。邪気には、風邪、寒邪、暑邪、湿邪、乾邪、火邪、陽邪、陰邪などがある。)

  

全身を潤す力を持つ津液

目指すべきは津液の巡りが良くて、水ハケの良い身体なのだ。

このためには、生命活動のオオモトであり血を作ったり巡らせることができるが必要となる。

気によって作られたは、血の流れに乗ってさらに気を全身へと運ぶ。

こうした気の力を借りて、飲食物の栄養分から津液は生成され全身を巡り排出へと導かれる。

つまり水ハケの良い身体は、気・血・津液の相互の協力が不可欠となる。

 

気については、以下の記事を参照。 

garaando.hatenablog.com

 

garaando.hatenablog.com

  

夏の酷暑に見舞われる近年、熱中症には水と塩分を取るようにと注意喚起されるようになった。

高齢者の認知症には、とにかく水を飲むようにと言われ、1日2ℓを測って勧められるケースもある。膝から下が浮腫んだ高齢者の方は、「水を飲め、飲めと言われるから頑張って飲んでいたら足の浮腫がひどくなった。心臓の先生からはあんまり飲みすぎるなと言われる。1日どの位飲んだらいいのか?」と聞かれることがある。

これは答えが難しい。

脱水症状は確かに怖いし、水分は必要だ。

しかし水が脳に溜まって水頭症になってしまい、よく転ぶようになる高齢者もいれば、

飲んだ水分がうまく巡らずに、足や手、顔といった部分が浮腫んでしまい、なんとも身体が重だるくなったり、関節が痛むこともある。

私たちの身体は、時、場所、天候、性格、体質、そして遺伝。。あらゆるものが関係した中で成り立っているのだから、その時の体調や内臓の状態などにより、水分の必要量は変化する。

また適切な水分量を取ったとしても、巡りが悪ければ湿邪となって新たな不調を生んでしまうのだ。

従って、ただ水分を補給するだけではなく、津液の巡りがよく水ハケが良い身体が求められる。

 

さて水ハケの良い身体になるには、どうしたらいいのだろう。

 

もちろん鍼灸治療や各種ボディワークも有効ではあるが、今回は私の勝手なオススメを紹介したい。

変幻自在に形を変え、流れながらも万物の中で最強の力を有するという水。

この水に丸ごと浸ってしまえという戦略で、 題して「朱に交われば赤くなる作戦!」。

 

作戦1 WATSU(ワッツ)

究極のアクアセラピーと言われるWATSU(ワッツ)。

これは、1980年にハロルド・ダール氏が生み出した水中ボディワークで、経絡の概念を盛り込んだもの。”Water Shiatsu"を略してWATSUと名付けられた。セラピストの誘導に従って行う水中の瞑想ともヨガとも言われる。

作戦2 フローティング・タンク

潜在能力の開発にも効果ありと言われるフローティング・タンク。アイソレーション・タンクとも言われ、アメリカの脳生理学者ジョン・C・リリー博士によって1950年代に発明された。光や音が遮られたタンクと呼ばれる空間に、皮膚温設定の高濃度エプソムソルト水が浅く張られている。強い浮力のある水に1時間以上浮かぶことで重力から解放され、無意識の世界を漂うような経験ができる。心理療法代替療法としても注目されている。

作戦3 入浴

最後にWATSU も 何とかタンクも行けないわ〜という方には、毎日簡単にできる入浴で。

身体を芯から温める目的のお風呂ではあるが、入浴には温熱作用だけではなく、水圧効果と浮力の効用があることを忘れてはならない。水圧が加わることで、体内の血液やリンパ液の流れが良くなり、浮力があるため脱力が簡単にできる。ただお風呂に浸かるだけではなく、ちょっと浮いてみる。

 

生命の根源である水。

その無限の力の波動の中で、

余分な筋肉の緊張を捨て去り、

不要な防衛の鎧を脱いで、

胎児の頃の遠い記憶をたどるように、

水袋であったはずの身体になってみる。

その時、きっと体内にも水のスムーズな流れができるに違いない。

 

流れる水の波動を身体に転写して、流体としての身体を呼び覚ます。

このことに憧れるのは、私の、あの至福の体験が忘れられないからなのかもしれない。

 

(後記)

先日お世話になっている中医学のお医者さんにお会いしてきました。日本のコロナ感染者は他国と比べて重傷者がまだ少ない。それは、お風呂の習慣のおかげとのこと。

お風呂で汗をかくと、肺の熱を出すことができる。肺に熱をためているとコロナが重症化するリスクが上がるそうです。汗をかく、熱を逃す。その意味で便秘もしないことが大事です。

また私が調べたところによると、 COVID-19は「湿邪」が特徴的な疫病です。その後の変異もあるでしょうが。。

感染が拡がっているコロナウイルスですが、どうぞシャワーだけの習慣の方、予防もかねてゆっくりお風呂に入って水の恩恵を受け取り、汗を出して湿邪を一掃してくださいね。

水分代謝がどれほど病気と深く関わっているのか、改めて考えていただけたらと思います。

 

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メキシコ、シアン・カアン生物圏保護区にて撮影

シアン・カアンとはマヤ語で「天空の生まれた場所」

東洋医学概論5 虚実

「あなたを花にたとえて、その絵を書きなさい。」

これは、私が入学したいと思った学校の申請書に書かれていた一文である。エネルギーワークを学ぶため、日本で8年ほど通った学校の。

困った。。好きな花はいろいろあれど、自分がどんな花かなんて考えたこともなかったから。しかも絵なんてね。

彼女はヒマワリ🌻のように明るい人だとか、あの人の抜きんでた存在感はまるで大輪の牡丹の花のようだとか思っていたのに、自分のことはサッパリわからん!と気づいた時でもあった。 

あれ以来道端で花を見つけると、人間だったらどんな人に例えられるのだろうと時々思うようになった。

 

東京の冬から春に咲く椿には、ハッとさせられる美しさがある。まだ新芽も膨らまず、裸ん坊の木々の枝だけが伸びている。そんなモノトーンに近い色彩の有栖川公園で、椿が放つ、力ある赤色はひときわ目立った。多少肉厚ながらも小ぶりな深緑色の葉っぱ。その茂る葉の合間から飛び出すように輝く赤色。そして突然、首からポトンとそのままに落ちて散る花、椿。

ああ、これは(ジツ)の花だと思った。東洋医学における虚実(キョジツ)という概念でいうならば。。

 

今回は、東洋医学の基本概念の一つである「虚実」を取り上げてみたい。

とはエネルギーであるところの「気」が充実している状態をいい、

とはそれがウツロで虚しいことを指す。

それならばの方がより優れていると皆さんは思うかもしれない。

しかし事はそう単純ではないのだ。

気には「正気(正しい気)」と「邪気(ヨコシマな気)」の2種類があるのだから。

中国最古の医学書である『素問』の通評虚実論に「邪気盛んなればすなわちし、精気奪わればすなわちす」とあるように、とは邪気が旺盛な状態を指し、とは精気(正気)が衰弱した状態をいう。ただし、には邪気もあるが正気も衰退していないため、邪気と闘う力も備えている。対しては正気が不足しているものの邪気も少ない。

鍼灸治療では、邪気が旺盛であるの病状に対してはし(シャ:風穴を開けて流す。主に鍼を使う)、正気が不足しているの状態に対してはす(ホ:足りないものを与えて補う。主に灸をすえる)。

 

には、良かれ悪しかれスピードとパワーがあり、がパワーを持つには時間がかかる。

が現実に対応する具体的な力を持つ世界だとすると、は虚飾や虚構も含めウワベの世界となる。またが現実を表すなら、は夢や理想といった不可視の世界とも言える。

そして世の中には虚業実業と呼ばれる職種がある。

虚業とは堅実性に欠けを伴わない事業をいい、実業とは生産性を伴って経済に寄与する事業をいう。虚業は、実業と比べて揶揄されることも多いが、私はどちらも同じように必要だと思っている。

例えば宝飾や芸能関係、自己啓発セミナーなどは虚業にあたるのかもしれない。一方実業は、物づくり、農業、工業といった汗水流す実態が伴ったものだ。

実質生活を支える実業とメンタル面を支えている虚業という括り方をしてみれば、

どちらも重要であり、善悪もない。

人はパンのみにて生くるにあらず!と、預言者モーゼが言っていたように。

 

話を花に戻す。

 

チューリップは赤やオレンジ、黄色といった暖色系が多い。暖色は周りに熱を与えるエネルギーを持つ。美しい形のチューリップは時の経過とともに花弁はどんどん開く。イナバウアー的姿をとりヒトデのような形を経ては散ってゆく。熱量と力強さを備えたの花だ。

 

またシルクのようにキメ細かく艶やかな花弁が幾重にも重なり、ずっしりとした存在感を感じさせる牡丹は、豪華そのもの。その気品あふれる芳香は、周りに存在を知らしめる強さを持っている。そして華麗に咲き誇ったら、途端に花弁が崩れはじめボトッと頭からまるごと落ちる。宮崎アニメ、風の谷のナウシカ巨神兵が崩れ落ちるかのように。これはの散り際に思える。人間においてもの体質の人が心筋梗塞などである日突然倒れるのにも似て。。

 

このようなの性質の強い花と比べて、わすれな草の散り際は対照的だ。微動だにせず佇んでいるかのようで、花の先が微かに茶色に変色し始めていて、ゆっくりと目立たなく枯れていく。気がつくとドライフラワー化しているのだ。花の色も寒色系のブルー。寒色は静寂と落ち着きを与える。わすれな草や桔梗といった寒色系の花は、楚々とした儚げな美しさがあって、の世界を表現している感じがする。の体質の人の病気としては肺結核のように長患いするようなものが多い。

こんな風に観察してみると、とはどちらが優位というものではないことがご理解いただけるかと思う。

(お断り:この花の虚実の分類は、私の独断であり、ザックリと勝手に虚実論を展開しています。)

 

また人体における虚実で、ヒョロっと長身というのはに分類される。

痩せていて身長が高くの体質だった場合、体型は年齢を経てもあまり変化しないことが多い。

それゆえ強い肉体を誇るプロレスラーであってもジャイアント馬場はどこかの感じがする。(ジャイアント馬場って知っていますか?ついでにアンドレ・ザ・ジャイアントは?古くてすみません)

とは、小粒であったとしてもピリリとパンチがきいていて、マリが跳ねる感じなのだ。

正しい気が満ちて邪気のない理想的なの状態というのを人体で示すならば、それは赤ちゃんのお尻。

柔らかくも、押せば跳ね返す力を持つ弾力を備えたお尻を想像して欲しい。

一方老人のお尻は、ほっぺのあたり(大臀筋や梨状筋)がペシャンとしてハリも力もなくなる。今まではいていたズボンの丈が長くなるのは、これらの筋肉が萎えてきたためだ。このお尻の状態がの典型といえる。

 

このように今の肉体の状態、病の種類、人間のタイプや各人の人生そのものも、虚実の視点で捉えることができる。

 

植物は、多様な種類がすぐに見分けられる。

胡蝶蘭 と スズランは一目見て違いがわかる。

バラ と スミレも。

タンポポ と かすみ草も。

人間もきっと植物ほどの種類や個性があるのだと、臨床していて思う。なのに身体的な形態が似通っているし、肌の色も植物ほどのバリエーションはない。このため、多少の身長や体重の違いがあるくらいでは、そのタイプの違いの見分け方がずいぶんと難しい。

自分は虚か?実か?

典型的なタイプを除けば、虚と実とが混ざりあっているケースが多いから、簡単には判断できかねるのだ。

単に分析して枠にはめるのではなく、自分や世界を虚実という視点で見てみると面白いのだと思う。

 

さて、あなたを花にたとえるなら、どんな花なのだろう? 

 

(後記)

ひと昔前までの銀行マンは、堅い職業とみなされていたと思います。お金という現実的なものを扱う実業のように思われていたのではないでしょうか。巷で実業家と呼ばれる人は、イコールお金を稼げる人で、現実的な力が強いと私が思っていたからかもしれません。しかし、今や金融界は実質経済との乖離もみられキャッシュレスの時代になってきました。お金という現実的側面は薄れ、仮想通貨なるものも出現!こうなってくると、銀行業務って実業なの?虚業なの? 私はサッパリわからなくなっています。時代によって虚実も変化するのかもしれません。

 

今回は、東洋医学の基本概念である虚実を、思いつくままに取り上げてみました。ここでは体質や病勢といった厳密な違いには触れず、ザックリこんな概念があるよ!という風に考えてもらえたらと思っています。

 

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小樽公園にて撮影。

 

東洋医学各論5 肝

春になると肝臓が動きだす。

草木が芽吹きだし、小さな蕾が膨らみだすように。

冬眠していた動物たちが目覚めるように。

エネルギーを貯蔵する性質を持ち、冬に活躍する腎。その腎から、伸びやかに拡がる力を持つ肝へとバトンが渡された。

季節のめぐりに呼応して、我らの体の中で主役となる臓器も移りかわるのだ。

 <注:東洋医学で「肝」といった場合、西洋医学でいう肝臓の概念とは異なる。西洋医学では、肝臓という解剖学的な部位である実質臓器を指すが、東洋医学においては、実質臓器の他に肝臓に関わる機能をも含んでいる。それゆえ「肝」には東洋医学独自の解釈である①蔵血作用②気の運動や循環といった巡りを調節する疏泄(ソセツ)作用が含まれている。>

 

古代中国思想で人体は小宇宙と言われるように、宇宙のリズムがそのまま人体にも当てはまる。1日の中でも巡りくる時間に応じて特定の内臓の動きが活発化し、季節においても主役となる臓器が移り変わる。春は肝、夏は心、土用は脾、秋は肺、冬は腎といった流れで、生・長・化・収・蔵といったリズムを作り出す。(注:土用とは、立夏立秋立冬立春の直前約18日間をいう。)

 

また陰陽論で臓器を見てみると、

押し進める力の推動作用、温める力の温煦(おんく)作用をもつ陽の気の臓器と

栄養・滋潤作用をもつ陰の気の臓器とに分けられる。

この視点で分類するならば、

肝・心・肺は陽の働きを持つ臓器であり、

腎・脾は陰の臓器となる。

(補足:陽とは、上・外へと向かう拡散されるエネルギーを指し、「火」に代表される「熱」や「動」の性質を帯び、外部へ押し進める力と持つ。陰とは、下・内へと向かって凝集するエネルギーをいい、「水」に代表される「寒」や「静」の性質を有し、内部を育む。)

  

自然界において、肝は流れゆく風 や しなやかに枝を伸ばす木 に象徴される。

時に激しさを持ち、変化を促す風に。

大地に根をはって陰の滋養を享受し、天に向かって自由闊達に枝葉を拡げていく樹木に。

そして肝を象徴する色は、青。

(補足:草や木の葉色、新緑色である蒼 や  緑、青緑である もアオと読むのであるから、緑色をも含む青としてとらえるのが良いと思う。)

 

春になると()、春一番が吹き()、草木が伸びて()、新緑が輝く()。。

 

このように考えるとき、肝が有するエネルギーの性質が見えてくる。

軽やかに進み、躍動し、発散し、上昇し、拡張する。

 

身体の部位においては、動きを作り出すことのできる筋肉(腱や靭帯も含む)に肝の働きをみる。 

 

そして肝の蔵血機能には血液を貯蔵し、血流量を調整し分配する作用があるため、

肝の異常は、、あるいはに現れる。

は肝血不足で栄養不良となり、縦皺がはいり脆くなる。変形したり、色・つやが悪くなる。

は血行不良による痺れや震えがおこり、あるいは腰痛で腰を曲げられないなどの屈伸不可になることもある。

は血行不良で、充血、視力低下、かすみ、ドライアイに。肝が清浄な子供の白目部分はきれいな青色を呈する。

(注:肝と目の繋がりは気の通り道である経絡からも読みとれる。肝の経絡は足の親指から目を通り頭頂へと向かう。下図参照。)

岡本一抱の「十四経絡発揮和解」より厥陰肝經之圖 」(ネットより拝借)

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更にそれぞれの臓器には、特定の感情が対応するとされており、肝はりと結びつきやすい。

誰しも怒った時は、気が上昇して頭にくる!(参照:上図の経絡図。肝の経絡の流れは下から上へ向かう)   外に向かって発散し、爆発的で熱量を帯びる。これは肝の持つエネルギーの性質と類似している。

伸びやかで、陽気なメンタルが保たれ、決断力・行動力が充実している時は、肝の状態が良好であると判断できる。

一方、肝の疏泄作用(ソセツ作用:気の運動や循環といった巡りを調節する作用)が失調すると感情が変わりやすくなる。この作用が亢進すると興奮状態になりやすく怒りっぽくなり、ついに爆発!!

もし、それだけのエネルギーが停滞し内側へこもったならば、抑鬱状態となり動くことが億劫になる。一般的な鬱(ウツ)病も、実は肝との関わりも深い。

 

さらに 東洋医学では、「」と「」は表裏の関係にあるという。

(補足:「肝胆相照らす」というのは、極めて親しくつき合うという意味で、肝と胆の結びつきの強さが理解できる。)

またそれぞれの内臓には、生命活動に必要な行いを統括する力が備わっており、

「肝より謀慮いづ」「胆より決断いづ」とされている。

つまり考慮する肝 と 決断する胆 とが連携して実行力が生まれるのだ。

 

このように肝の特質を見ていくと、肝気旺盛な人のタイプが見えてくる。

筋肉が発達していて肉づきが良く、行動的。気が上がりやすく上半身がガッシリしていて肩幅が広い。頭皮は硬く頭髪は薄くなりがち。目力あり。エネルギーに溢れ、決断力や実行力があるため、リーダーとしての素養がある。陽気で、スピーディ。人を巻き込み現実を変えていく力がある。一方でうまくエネルギーを使いこなせない場合は、怒りやすく、気分にムラがある。移り気。浮気性で、わがままにもなる。

 

自分が肝気旺盛なタイプでなかったとしても、

もし優柔不断でなかなか行動できない時があったなら、

それを自分の性格と決めつけずに、

単に肝と胆が弱っている状態なのかもしれないと考えてみてはいかがだろうか。

 

(おまけ)

肝と関連あるもの:

自然界においては 木・春・風・青。

人体においては 爪・筋・目・胆。

  

 (後記)

木の芽どき。季節がめぐり陰から陽への流れに切り変わる時です。春先になると、その変化の大きさに体調を崩すとかメンタルがダメという方も多い季節。

今年は、この動きだすエネルギーが外へと向かう時期に、Stay Homeと言われ著しく行動に制限を加えなくてはなりませんでした。

この自然のリズムに反する行動が、心身に与えている影響はどれほど大きいのでしょう。行動を自粛しなくてはならなかったとはいえ。。

ただでさえ言葉にならないような複雑な感情を抱えているであろうこの状況の中で、モヤモヤを他人にぶつけたり自分を攻撃したりしないために、理解して欲しいと思います。身体のエネルギーが外へ向かう季節なのだということを。

安全な方法で運動をしたり、いつもよりゆっくりお風呂に入って汗をかき、創造的な遊びを見つけて、エネルギーを発散する循環を何かしら工夫して欲しいと思います。たとえ行動範囲が小さくとも、ネ!

 

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 春。小樽にて撮影

 

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雑考

小学生か中学生の頃に、考えていたことがある。

私が育った小樽の街では、市内の一定の区域内に住んでいる子供達が同じ小学校に通い、そこでクラス分けされる。小学校は確か1学年5クラス。1クラスでは男子が女子より少し人数が多い。私の学年だけではなく、兄の学年も5クラス。私の下の学年も5クラスで、どの学年も総生徒数はだいたい同じで、どのクラスも同じような男女比で。

そして中学生になると小学校とは別の区域割りとなり、その地域から集められた学生達が3クラスに振り分けられた。各学年はいつも3クラス。そして各クラスは男子が女子よりも少し人数が多かった。

不妊治療も男女の産み分けの手法もなかった時代のことだ。

いろいろな家族が自由意志で住む場所を決め、子供を産み、兄弟姉妹の数も制限はない。それなのに、ある地域区分で括ってみれば、小学校6年間や中学校3年間のその地域の同い年の子供の数はほぼ同数となり、男女比も大差がない。

これはどういう事なの??と、子供ながらに思っていたのだ。

 

神様とよんでいたかもしれない、大いなる力がそこにあると思った。

人間の手の届かないところに、見えざる秩序があると。

そしてその後に、

生まれ落ちた場所や空間、そして時刻で、その人の人生の全てが決まるというホロスコープというものの存在も知ったのだった。

 

こんなことを思い出したのは、今の私がゆるりゆるりと生活しているからだと思う。

今、コロナウイルスが拡大する中で、

密から疎へ

都会から地方へ

拡大から縮小へとどのように向かうのだろうかとボンヤリ思い続けている。

 

またスカイプでカウンセリングセッションを受けたり、zoomでのセミナーやミーティングなどに参加したりしながら、この状況下で初めて使いはじめたツールの便利さにも驚いている。

地方にいながらも繋がりたい人と繋がれる。

地縁で繋がるコミュニティ以外に、趣味や嗜好、あるいは志といった共通する方向性で繋がれるコミュニティもできるのだ。

これはありがたい。

地縁だけでは息苦しくなるような関係性も、方向性で繋がれる世界があれば救われる。

この地縁によるコミュニティと方向性によるコミュニティ、このバランスが取れれば新しい世界になると期待した。

 

ところが、ちょうどその頃に私は、

4月始めに発症して4日で劇的に治ったと思われた帯状疱疹の後遺症と思われる身体のダルさ、神経痛の痛痒さにじわじわと襲われた。

背中の幅広いところで5センチ、長さ細くなりながらも15センチという、見事にも思える帯状疱疹にかかるも、抗ウイルス剤である強アルカリの海洋深層水をph11の濃度にして患部に噴射することにより、アッという間に痛みが7割減。身体を動かす際のぎこちない動きもなくなり、いつも通りの行動ができるようになった。たった4日で皮膚はほとんど元どおりとなった。こんな簡単に治るのだ!私は嬉しかった。あの激烈な痛みの帯状疱疹がこれで治る。今後の治療にも活かすことができると。

私は力を得た。そしていきおい調子に乗った。

早々にいつも通りの生活に戻り、外出したり上述のようにスカイプやzoomでいろいろな人達と話したりした。

 

しかし。。その後に襲われた身体のダルさや重さ、そして虚脱感。寝たり起きたりとボンヤリ過ごしながら、だんだんと自分の間違いに気づきはじめた。

 

そもそも帯状疱疹という病は、疲れすぎて免疫が落ちた時に発症する。

ゆっくりと休養して英気を養うことが、ああ!大事なのに。

病が治りきらずに見切り発車で活動する患者さん達に、私はいつもこう言っていた。

「無理はしないで、ゆっくり休んでください」

「症状が取れることと病が治ることとは別ですよ」

「薬で表面だけ綺麗にしてもそれは対症療法で、根本的治療ではないのですから」

な〜んてね。

ごめんね、みんな!本当に、ごめんなさい!!

 

あれほど、

「1回で治る」とか「これさえあれば大丈夫」とか「奇跡の治療」といった文言も嫌っていたはずなのに。。(注:1回で症状が取れることもあれば、奇跡的なことも起こることもあるし、特効薬みたいなモノもあります。ただそこを目指して自己増長する治療家にだけはなりたくないと思っていたわけです、ハイ・・。)

目に見える症状をアッという間に変化させる力に、 私は足をすくわれた。

反省しつつ、ハリやお灸、あるいはビワエキスの湿布などをしてユルユルと免疫アップを図っていたら、小中学校の頃に考えていたことが思い出されてきたのだ。

 

効率が良くて、速くて、都合が良いものを、無意識に私は求めてしまっていた。

便利なものはあってもいいが、それに溺れてはいけないのだろう。

どこまでも人間様の都合の良いような世界ではなく、

私という我を超えた計らいの中に、新しい世界が見えてくるに違いない。

 

都会との対比としての地方ではなく、

田舎の、まだしも自然に囲まれた生活は、私の自我からくる不自由さや不満足さをも含めて、それだけで完璧な世界なのかもしれないなぁと思いはじめている。

  

(後記)

今、自戒を込めて治療の現場からすっかり離れてゆるゆると生活しています。近場の林を散歩してみると、雪が溶けて姿をあらわした湿った落ち葉たちが一面に広がっており、この落ち葉を足でしっかり踏みこんでみるとジワッと水分が滲み出てきます。落ち葉を通してどれほど大量の水がこの大地に染み込んでいったのでしょう。落ち葉の傍らには、芽吹く春の草や花が凛と天に向かって小さな背を正しています。何があっても循環している自然はすごいなぁといろいろ発見しつつ、この記事となりました。

 

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自宅付近の林にて撮影

気!流れる身体1 腕

アンティークな円錐ドーム型の鳥カゴを想像していただけるだろうか。

私は即座に、背骨と胸椎と左右12本ずつあるあばら骨とが接合してできる人体の骨格、すなわち胸郭を思い描く。内臓を納めて保護する、そんな場を作るための胸郭を。

今回は、この骨でできた鳥カゴが作りだす空間、そこに鎮座まします臓器(陰)と 鳥カゴの外で自由に動くことのできる手足(陽)ーこれらの関係について、経絡(けいらく)という気の通り道を踏まえて考えてみたい。

(注:経絡とは東洋医学でいうところの 気 の通り道のこと。気 の出入りする場所であるツボを、人々が電車を乗り降りする「駅」と例えるなら、経絡は気の通り道である「線路」といえる。)

 

たとえばの話。

自分の腕は、身体の中でどんな役割をしているのかと聞かれた場合、

身体運動に関わると答える人が圧倒的に多いと思う。

もし腕が特定の内臓と関係しているといったら、多くの人に笑われるかもしれない。

 東洋医学では、腕は肺や心臓といった胸郭上部にある臓器との関連が深いのだ。

つまりそれぞれの臓器の身体における位置により、気の通り道である経絡(けいらく)の流れ方が決まる。腕に流れるのか、あるいは足と絡むのかが。

 

さてここで経絡の流れを説明する前に、東洋医学独自の臓腑概念である 「三焦(さんしょう)」と言われるものについて説明したい。

この三焦とは、五臓六腑の六腑中で最大の腑とされるものだ。人体の腕と脚を除いた躯体部分を3つに分け、それぞれを上焦・中焦・下焦という。これら3つを合わせた総称を三焦と呼ぶ。つまり、胸郭を頂点とし骨盤を底辺にした鳥カゴ全体を指すことになる。

(注:五臓六腑とは肝・心・脾・肺・腎、胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦をいう。臓は実質臓器で腑は中空の器官。)

ざっくり言うと、三焦は 水分の運行 と 気の昇降 を行い、臓器の腎・胃・肺と特に関係が深く、リンパ管系と解釈される場合もある。「焦」という字から熱量を表すエネルギーを示すという説もあり。躯体全体の場をあらわし、臓腑としての実態というよりは、そこでの機能として捉えた方が分かりやすい(う〜ん、分かりにくね!つまり、器官の形は見えねど、働きはあるという感じ。五臓五腑を納めている場と捉えると分かりやすいかも)。また五臓六腑は経絡を有しているので、三焦にも三焦経と呼ばれる経絡がある。

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上焦は横隔膜から上の空間部分を指し、肺や心臓を内包する(広義では頭顔面部も含む)。

中焦は横隔膜からヘソまでの脾や胃を含む空間となる。

下焦はヘソより下の小腸・大腸・膀胱などを含み骨盤までの空間をいい、肝・腎も含まれるとされる(広義では下半身全体を含む)。

 

上焦に位置する内臓、そこにまつわる気は腕へと流れ、さらに腕から臓器へと戻る循環を作り出す。

つまり、肺や心臓の経絡は腕へと流れている。

中・下焦にある内臓にからむ気は下半身をめぐる循環網を築いている。

ゆえに肝・腎・脾の経絡は足先から躯体へと昇って各々の内臓と繋がりつつ更に枝分かれして流れ、胃の経絡は足へとむかう流れを作る。

<補足:主要な12本の経絡には、それぞれ流れる方向がある。例:肝・腎・脾の経絡は足先から上へ向かう。肺や心の経絡は各臓器を通って手指の末端へと向かう。この方向を含む経絡の流れのことを「流注(るちゅう) 」と言う。>

こうして内臓は実質臓器のみの働きだけではなく、内臓が網羅する流れに生命エネルギーを載せて末端の手足をめぐることになる。

以下の経絡図を参照(岡本一抱の「十四経絡発揮和解」) 

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肺や心臓といった内臓が腕と関連していることをザックリ理解していただいた所で、

実際に腕と内臓がリンクしている臨床例を少し。

 ・職業柄腕を使う美容師さんが、慢性気管支炎の治療にみえた。腕の疲れがひどく、凝りも強い。常態化した腕の疲れを取っていくことで、咳が治っていく。これは、肺の経絡の流れが詰まっているケース。

・高血圧で狭心症の患者さんのケースでは、肩、首、腕がパンパンに張っていることが多い。特に左前腕内側の中央ライン上で、肘と手首の真ん中より2センチ位手首寄りの場所(ゲキモンという名のツボ)が、格段に硬くなっている。心臓疾患がある方には、大体共通してこのゲキモンに反応が出ている。腕全体の凝りと詰まりをとることが大事な治療になる。

・就寝中に気がつけばバンザイの格好をして寝ているらしく、朝起きると腕が痺れているという方の場合、起きてる時の姿勢が猫背気味で肺が圧迫されていたり、肩・首の凝りが強いことが多い。胸郭を開いたり、肩周りの筋肉を緩める姿勢を無意識ににとってしまう。しかしこの姿勢により更に腕が冷える→血液循環も悪くなって凝りを増す→肺や心臓の経絡が詰まる→腕がだるい→バンザイをすると腕の内側ものびて気持ちがいい→悪循環となる。

・肩や首の凝りは自覚しやすいが、腕の凝りは自覚が少ない。腕を十分に緩めることで、実は肩甲骨周りや首の凝りは相当楽になるケースが多い。肩甲骨の動きが良くなると呼吸が楽になり、心臓の働きも良くなって不整脈が改善されるケースもある。

 

このように肺や心臓の負担を減らすためには、まずは腕の凝りを取り、余計な力を抜いて気の流れをよくすることが大切になる。自覚ある一部分を揉んだり緩めたりしても、溜まっていた邪気の流れ処がなければ、また戻ってきてしまうのだから、その部分を含む流れを作らなくてはならない。

 

凝り(凸:陽)がとれて緩んでくると気が流れる。

力のないところ(凹:陰)にもエネルギーが廻りはじめる。 

目指すべきは、

気!流れる身体。

ここに免疫力が宿る。

 

鳥カゴの形をした人体の胸郭。

この場所にある臓器たち。

それらのそれぞれのエネルギーが手や足という外の世界へ飛び出しては、また戻ってくる。

 

ドーム型をした大聖堂では、日曜日ごとに礼拝が行われている。

そこに人々が集い祈っては、また日常へと返ってゆく。

鳥カゴに守られた臓器のエネルギーが巡る様にも似ているように、今の私には思える。

 

我らの身体内部に鳥カゴがあり、

それが大聖堂へと形を変えて、

身体の主要機関である内臓を守ってくれているとしたら。。

 

そんな風に感じてみるだけで、

神聖さに満たされて、

安心できる気がするのだ。

 

(自分でできる腕を緩める方法)

両膝をたて、仰向けに寝る。片方の腕を手の甲がお尻の下にくるように身体の下敷きにし、体重のかけ具合によって、または身体の向きを変えるなどして、圧迫し腕を感じてみる。両膝を伸ばしたり、腕の位置や肘の曲げ具合などを少しずつ変えてみるのも良い。

 

(後記)

三焦という東洋医学独自の概念は、なかなかわかりづらいと思いますし、説明も難しいです。ただ私は、場の概念も網羅した東洋医学の面白さとして、ずっと注目してきました。

身体は、物理的な道具としての側面と

エネルギー体として変容し得る場としての側面とを併せ持っています。

自らの「身体場」の管理者は、この私。

身体に対する信頼を強めていきたいと思っています。

 

どうか腕の凝りを取って、温めて、緩めて、肺や心臓を守り、免疫力を高めていただければ嬉しいです。 

 

新型コロナウイルスの流行が1日も早く収まりますようにと切に祈ります。

 

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トルコ、イスタンブールのブルーモスクにて撮影 。本文中の図はネットから拝借。

 

東洋医学の内容の理解のために、こちらも! 

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勝手に陰陽論14 ダウンサイズ

どこか知らない国へ行ってみたい。

子供の頃から、そう思っていた。

 

最初に訪れたのは中国。トイレットペーパーの芯を抜いて潰しては、ペーパーのカサを小さくしてスーツケースに押し込み持参した。北京の語学学校に通いながら、そこを拠点に時々旅に出る。

1980年代の、100円ライターやシャープペンシルが中国へのお土産として喜ばれた時代で、人民幣と外貨兌換券の2種類のお金が流通していた頃の話だ。

中国で過ごしていた時、中華料理にはパワーが溢れていると何度も思った。

路地裏の屋台で食べる朝ごはん。立ちのぼる白い湯気に巻かれながら、お店の人もアルミの弁当箱を持って買いにくる人達も活気に満ち満ちていた。

昼食も夕食も。ふんだんに色とりどりの野菜や肉を使い、高温に熱した油で豪快に調理する。鍋やオタマなどがまるで楽器のような音を立て、中華鍋の上で食材が踊り、跳ねる。そこに料理人の大きな声も加わる。

このようにして出来あがったエネルギー溢れる食事。これを食べる人達は、いやでもパワーがみなぎるだろう。 

この溢れんばかりのパワーを持って、中国は爆発的な速度で変化したのだと思う。

 

あれから30年以上が経った。

 

90年代以降、中国の一般家庭にもテレビが広く普及しはじめた。多くの家では白黒テレビの時代をスキップしていきなりカラーテレビに。冷蔵庫や炊飯器といった電化製品も最新型が続々と。 カラオケセットまで。

私は鍼灸師を目指す前は中国関係の仕事をしていたから、中国の目覚ましい経済成長に比例して自分達の仕事量が爆発的に増え続けたので、その速度には多少実感がある。

日常においても、あらゆる物が made in China で溢れ、

2008年に開催された北京オリンピックをTVで見た時は、まるで違う国のように感じられた。その発展の速度に驚き、驚いている内に中国の大金持ちの数が日本の人口総数を超えていたのだ。

 

このように急速に物事が進むということ。これは中国の経済成長がずば抜けているとはいえ、日本においても、いや今やどの国であっても程度の差こそあれ、何事も以前より速く変化するようになったのではないか。コンピュータやネット、携帯などの普及によって。 

 

学生時代の試験の時には、友人のノートをコピーさせてもらっていた。コピー機をありがたいと思っていたが、今は写メがある。

講義も、携帯にあるボイスメモで録音できる。

速度が速いだけではなく、急激に外へと開かれていく。

知らない人と、あるいは距離的に絶対会えないような人とでも気軽に、かつアッという間に友達になれる。

世界で起きていることを、動画を通じて知ることができる。それもクリックひとつで。

調べ物をするのも便利になった。辞書も引かずに検索でわかる。引っかかる内容があれば次々に追っていって、しまいには何を調べていたのかを忘れるほどの情報が入る。

 

とにかく速い。その上簡単。

しかも身体感覚が全く追いつかないほど拡大された世界へと繋がれるのだ。

止まらない膨張。

  

あまりにも速く、急激に開かれていく変化は、何をうみ、何をなくしていくのだろうか。

それはある意味気楽で、生きやすさに通じる軽さをうむように思う。

関わりたくない人とは、簡単にブロックできるらしい。

身体感覚がない分、それほど感情をひきずらないのかもしれない。

こうしてさらに速度を増す。

その一方で手続きを大事にしない、いい加減さも生むだろう。

効率だけを求めるというような短絡さも。

 

速度が速いと粗雑になる。取りこぼしていくものに注意を払わずに、さらに進む。

軽快さも伴い、無感覚のままに。

 

人間が等身大の感覚を使っていた時代は、

もっとゆっくりとしたペースで、

丁寧に世界が回っていたのではないかと思う。

 

新型コロナウイルスが、国境という垣根を軽々と越えて世界中へ広がりつつある一件を見ながら、

時空間が30年前とは完全に変わったのだと、今更ながら思った。

 

どうだろう。

今やスピードも速く外へと拡大するといった陽の力が強すぎるのではないか。

この先に待っているものは、もしや爆発?!

規模を小さくし、

身体感覚の及ぶ範囲へとダウンサイズして、

丁寧に生きる。

そんな陰の力が大事に思えてきた。

(注:陽とは、外に向けて拡散するエネルギーを有し、火に象徴される「熱」や「動」の性質を帯び、軽さを生む。陰とは、内に向けて収斂するエネルギーを有し、水に象徴される「寒」や「静」の性質を帯び、重さを生む。)

 

では一体どの程度ダウンサイズしたいのかと考えてみる。

テマ(手間:手の間)とヒマ(すなわち時間)をかけ、空間を作り、かつ守る。

人間(人の間)が心地よく集い、分かち合うことができるようにと。 

この「間(マ)」を感じられる世界、これくらいでいいのではないだろうか。

 

他人へと感染する病いには、あの時あそこでといった「時空間」が問題となる。

何かしら「間」が問われているような気がする。

人との間、つまり関係性によって初めて人間性を保つことができる人間。その土台が、感染力を持つ病いによって揺さぶられている。

 

外に向かって過剰に膨れ上がった世界をダウンサイズして、自分にふさわしい間合いを取り直す。

そんな機会にしたいと感じている。

 

 

陰陽についてはこちらを参照!

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(後記)

今回は、前回の「勝手に陰陽論13−1 目からウロコが落ちる」の対として、「勝手に陰陽論13−2 知らぬが仏」を書くつもりでいました。しかし、今の新型コロナウイルス流行の最中にあって、「知らぬが仏」の持つ全き幸福感や世界観を書くのはどうにも気が乗らなくなりました。

また鍼灸を生業としている私は、東洋思想をはじめ、中医太極拳などに馴染みがあり、中国には思い入れがあります。

そこで、このところ気になっている中国をおり混ぜて、今感じていることを書くことにしました。

「知らぬが仏」については、またいつか書ける時がきたら!

 

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 中国、北京の胡同(hutong)にて撮影