机の上に一冊の本がある。
友人が長い年月をかけて制作にかかわり、私に送ってくれたものだ。
表題は「宮沢賢治の元素図鑑」(桜井弘著、豊遥秋写真協力 / (株)化学同人)。
賢治は、幼い頃に「石っこ賢さん」とよばれたほどの石好きで、植物や昆虫を採集しながら、農学や化学を通して自然を学ぶサイエンティストとなっていく。
のちに彼が、「私は詩人としては自信がありませんけれども、一個のサイエンティストと認めていただきたいと思います」と述べるほどの。
賢治作品に散りばめられた彩りあふれる鉱物と、そのエレメントである元素。これらを解説し、新たな切り口で作品の魅力に迫ることができる1冊である。
「石っこ賢さん」かぁ。。そしてサイエンティスト。。
私を魅了し、神秘的な世界へと誘う「よだかの星」「風の又三郎」そして「銀河鉄道の夜」といった作品たち。確かにあれらも、自然科学への造詣なくしては、生まれえなかったのかもしれない。。
そう思って、パラパラとページをめくっていく。
すると。。
童話や詩といった文学作品から浮かび上がる、
ある種幻影的な宮沢賢治の世界観。
その輪郭が、妙にくっきりと際立ってくる感じがした。
石、鉱物、元素、化学、自然科学、さらに宇宙や異次元へとつながる連鎖。
そしてこれら理系の分野とは、対極とも思える情感あふれる文学作品たち。
一見相反するような分野が、実は相補的に組み合わさって、さらに完全無欠の世界を創り出しているように感じたのだ。
また作品のテーマが善悪や生死といった光と影に象徴されているものの、暗闇をみすえて仄(ほの)かに浮かびあがる光が、私に天への憧憬を呼びおこさせる。
私は、“ 石っこ”の中に、彼の作品の中に、そして彼自身の中に、古代中国思想でいうところの陰陽の世界をみたのである。
そしてこの本のご縁をかりて、ここに中医学の基礎となる陰陽論について、概要をお伝えすることにした。思いきってザックリと!
(その深淵さゆえに、なかなか書き出せなかった「陰陽論」に、やっと挑戦します!)
1 陰陽のはじまり
古代中国思想の重要な構成要素である陰陽論は、「呂氏春秋」、「周易」、「管子」、「素問」、「太極図解」などの文献に記されている。
それらによると、陰陽は太極*から生まれたとされる(*太極とは、混沌たる?あるいは静謐なる?宇宙のはじまりの状態をいう。太一とも呼ばれ、究極の一(イチ)を示すとされる。量子物理学でいうところの物理量の基本単位である1(イチ)であるが、「一(イチ)にして全」という世界観を持つ。ううぅ。。難しいですな。なので説明は、あえなくここまで!)。
2 陰陽の概念
陰陽とは、自然界の運動と変化をつかさどる基本原則である。
つまり、
諸行無常(変化しないものはない。変化しないものはただひとつ、変化しないものはないという法則のみ)のこの世にあって、
生命体の誕生から死へと向かうプロセス、
あらゆる日常の事象や現象の発生・盛衰・消滅といった一連の流れ、
こういった栄枯盛衰の自然摂理であり、総則といえる。
3 陰陽の特質
① 対立 陰陽は互いに対立した性質をもつ。
<例:天地、上下、内外、生死、遅速、明暗、雌雄など>
孤陰・孤陽はなく、完全な中立もない。
<例:太陽(陽)がのぼって日中となり、沈んで月(陰)が出ると夜になる>
(注:陰陽は要素として分析することはできるが、取り出すことはできない。 ココ、ポイントです!)
② 相対 陰陽は、それぞれがさらに陰陽に分けられる(陰陽可分)
<例:男性(陽)は精子(極陰)を、女性(陰)は卵子(極陽)を有し、
陽の中にも陰が、陰の中にも陽がある>
(注:またどこに視点をおくかによって陰陽がいれかわる。
ココもまた、ポイントです!また別の記事で!)
③ 統一 相反する2つの極が、ある結果をなす(相互依存)。
<例:精子(極陰 )+ 卵子(極陽)→ 受精卵となり、生命が誕生する>
陰陽は互いにひきつけあい、はねつけあう。<例:男女関係!>
④ 転化 陰極まれば陽、陽極まれば陰。
一方の極限に達した時や一定の条件下で、もう一方の極に反転する。
<例:健康を心配しすぎると病気になる。発熱(陽)で悪寒(陰)がする>
(注:これら①〜④の他の具体例については、おって別の記事で!)
上記1〜3をざっと踏まえた上で、もっとも大事な陰陽の本質について押さえていただきたい。
陰とは、
集約され、凝縮される方向(下・内)へと向かう、
右まわり(ペットボトルのキャップを閉める)のエネルギーを指し、
「水」に代表される「寒」や「静」の性質で、
色はあらゆる色を混ぜた「黒」に象徴される。
陽とは、
放出し、拡散される方向(上・外)へと向かう、
左まわり(ペットボトルのキャップを開ける)のエネルギーを指し、
「火」に代表される「熱」や「動」の性質で、
色はあらゆる色を含む「白 」に象徴される。
さらに
陰は、
その内へ向かって凝集するエネルギーから、
物質的で量的な性質を帯び、目に見える。
陽は、
その外へ向かい発散するエネルギーから、
機能的で動的な性質を持ち、目に見えない。
<例:手を握るという現象は、
手という目にみえる肉体部分(陰)+ 握るという目にみえない運動機能(陽)
とで説明される>
ざっとおわかりいただけただろうか。
“ 気 ”と同様、陰陽もまた、不可視の世界を探る視点を与えてくれる。
ひとつに見える事象に、実は相反する方向性を持ったエネルギーが内包されているのだ。
そして
それぞれに際立った陰と陽がより深く濃密に融合する時、
その事象に与えられたエネルギーは最大となり、
異次元への扉が開く。
鍵穴に鍵がカチッとはまり、クルっと回転してドアが開くかのように。
宮沢賢治が、
美しくも遠い天空の世界だけを見上げていたのではなく、
足下にある石やそれを構成する元素にまで視線を落としていたからこそ、
あるいは
凝縮された小さな石の中に、拡がる宇宙をも見いだしていたからこそ、
彼の作品たちが
いつまでも天に煌めく星のごとく、
または鉱物を燃焼させた時に放つ炎の色のごとく、
輝き、発色しつづけているのではないだろうか。
<おまけ>
宮沢賢治を魅了した石について。
石の目にみえる部分、元素や鉱物といった材料の部分は陰となり、
それら材料を集めて、石の形をキープしつづけるといった動的な力は陽となり、
この陰陽があわさってはじめて石として存在できるのである。
アルゼンチン、ブエノスアイレスのパンパにて撮影