“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

東洋医学各論1(気の作用:波動)

小樽の春は遠い。

そう感じた、今年の2月の極寒の日のことだ。

私は、灯油が入ったポリタンクから携帯ストーブに灯油を入れようとして、手動のポンプを取り出した。そして、にぎりこぶし大の赤色の部分(材質はポリエチレン)をギュッと握りつぶして、空気を押し出す。握りを緩めるごとにポリタンクへと垂直に伸びたノズルをつたって灯油がくみ上げられる。再度赤色部分をギュッと握りしめて、もうひとつの蛇腹のノズルを通って携帯ストーブに灯油が入るという仕組みだ。

 

シュポシュポ、シュポシュポと手で握りしめては放す。

繰り返すこの動作で、手は疲れ腕はだるくなった。

うぅ。。なんてことだ。

心臓よりもちょっとだけ小ぶりなサイズの赤いポンプ部分をぐっと握っては放しながら、私は考えた。

血液のポンプとされている心臓のことを。

 

たったこれだけの作業でこんなに疲れるのに、

血液を全身にめぐらすというポンプの役割を背負った心臓は、

どれほど疲れるのだろうか。

 

さらに思う。

微弱とも思える鼓動で、

トントンという可愛らしいほどの、

とるに足らないような脈拍を打つという動きだけで、

手の先や足の指の先の先まで、

はたまた重力に反して頭頂にまで、

血液を送っていけるものなのだろうか。

 

どうなの?

本当にポンプなの?

何か他に仕組みはないの?

 

今回のお話は、心臓の拍動だけで末端まで血液をくまなく送ることができるという Wonder からはじまる。

 

そういえば。。 

「心臓が足の先まで血液を送るのも、波動なんですよ。怒ったら全身に血が回りそうなのに、一瞬にしてカーッと頭にだけ血がのぼって足は冷える。あれも波動。」と、尊敬する A 医師はおっしゃっていたではないか。

( A 医師は、中医学の神髄を実にわかりやすく私に教えてくださるステキな先生です。脈や舌を診るだけで、病状から性格、果ては生活態度に至るまでのほとんどを言い当てられてしまうため、まるで占い師にみてもらったかのようだと、私の患者さん達の間で評判です。)

 

さて、その波動とやら。

つまり、波の動きということだ。

湖面に投げた石を中心にして、だんだんに水面に広がる同心円の波紋。。。

このようにして、心臓から次々と血液が末端へ波及するのではないだろうか。

 

メトロノームのような規則正しいリズムで、

脈拍という振動で、

はたまたそれを信号にして、

波動が起こり、血液を全身に巡らせる。

 

ひとつの波が次の波に伝わっていき、またさらにその先へと続く波の動き。

この動きをおこさせるエネルギーが、東洋思想でいうところの「気」だとしたら。。

 

そして実際、東洋医学の古典である「難経」、「素問」という文献に波動を起こさせるにピッタリの気の作用が記されているのだ。

 

まずは、気の作用の全体像をみてみよう。

(相変わらず偉そうですが、またまたザックリと言ってのけます!)

 

気の作用は、以下の5つに分けられる。これらは、それぞれ独自の性質を持ちながらも、協力しあって生命活動を行っている。

 

①推動(すいどう)作用:おし動かす

マクロな視点では成長・発育を促し、ミクロな視点では血・気の運行を行い(なんと気を動かすのも気!)、生理・代謝活動を活発にするのだよ!

<例:気虚(気が少ない状態)になると、この作用が後退し、成長・発育が遅れ、血行が悪くなり、体液が停滞し、むくみがでる。>

 

②温煦(おんく)作用:温める

体温調節、体温維持を行うよ!

<例:この作用が減退すると、四肢が冷える。>

 

③防衛作用:防衛する

肌表を保護し、外邪を排除するよ!(注:外邪とは、外部から皮膚を通じてはいる病気の原因となるものを指す。)

<例:この作用が機能しなければ、寒さが身体に入りこみ風邪をひく。>

 

④固摂(こせつ)作用:漏出を防ぐ

体液(汗や尿など)の流出を防ぎ、血液の血管外への漏出を阻止するよ!

<例:この作用が十分でないと、汗がとまらず消耗したり、冷える。また生理が止まらない。尿失禁する。>

 

⑤気化作用:物質を転化させる

消化吸収を促し、気・血・リンパ液などを作るよ!(なんと気を作るのも気!)

<例:この作用が弱くなると、新陳代謝が落ちる。>

 

ソコココにある気は、ただフルフルしているだけではなくて、集まってはこんな仕事もしているのだ。

 

さて、ポンプの役割をはたす心臓に係わる気の作用としては、①の推動作用があげられる。

字の如く、推して動かす。

 

まさにひとつの波が次の波に到達し、さらにその波がその次へと伝播する様が浮かぶ。

 

そして、これは身体の内部に限ったことではない。

 

なかなか踏み出せなかった最初の一歩。一端踏み出してみると、そこから先はトントン拍子に事がはこびだす・・。 

または

そんなに怒っている自覚もなかったのに、なぜだか怒りがどんどん湧いてきて、抑えることができなくなってしまった・・。

他愛ない小さな嘘が発端で、事が大きくなってしまい、当惑している・・。

あるいは

株価が、あれよあれよという間に暴落したり・・。

何気ない商品が大ヒットしだしたり・・。

世の中の流れが、どうにも不吉な方向へと加速されたり・・。

 

予期せぬ連鎖反応の裏には、気の推動作用が働いて、波動をおこしているように思えてくる。

 

“ 雰囲気 ”といわれるようにある種ボンヤリと曖昧で、

“ 移り気 というようにウツロイやすいほどの、

吹けば飛んでいってしまうような、

おぼろげな存在である “ 気 ”

 

しかしそんな気が集まりだし、ウズが生まれ、流れとなる。

流れは力となり、次々にドミノ倒しのようにつながって、

新たな現実を創りだす。

あたかも意志を持っているかのように。

 

そのように考える時、

取るに足らないほどの些細な事柄の重要性がみえてくるはずだ。

そして波動がひとたび起きたなら、境界や限界だと思えた現実の壁を、軽々と飛び越えて、事象がつながれていく・・。

 

もし何か夢をかなえたいのなら、何度も何度も自分の意図を確かめ、毎日の生活の小さな行いからそこに気(エネルギー)を集め、継続させるのだ。

反対にぼんやりフルフルしていると、大きなウズに取り込まれ、なぜこんなことになったのかと立ち上がった現実を前に立ちつくすことになる。

 

ほんの小さなひと押しが、次々に伝播して、思いもよらない処へと導かれるのだから。

 

ポンプで灯油を入れてただけの私も、いつの間にか、こんなことまで考えてしまったのである。

  

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インド、チェンナイにてインド洋を撮影

 

 気について知りたい方は、こちらの記事も!

garaando.hatenablog.com