“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

勝手に陰陽論19  クールネックリング

 スカッとさわやかコカ・コーラ。このキャッチフレーズを覚えていらっしゃる方も多いのではないかと思う。さて、この愛されて100年以上の歴史を誇るコカ・コーラだが、このコカとはコカイン由来だということをご存知だろうか。常習性のあるコカインが使われていたのが昔の話だとしても、今も砂糖がふんだんに使われているという点でコーラの持つ中毒性には変わりがない。なぜ身体に悪いとされるものは、ときに美味しく感じられて魅力があるのだろう。身体によい食べ物や正統な健康法はどこか嫌厭されて、しらずしらずに人はイケナイことになびいてしまう。東洋医学がなかなか市民権を持てないことの理由として、私は時々このことについて考えてきた。この世は、まっこと禁断の魅力に満ちている。タバコ、お酒、激辛、砂糖、クスリ、レトルト食品・・。

 エネルギー的な視点でながめてみると、生命体はエントロピー増大の法則に支配されているという。これは、生命体のみならず生活や経済といった営みをもふくむ万物に関わる法則で、「秩序あるものは、ほおっておくと無秩序で複雑な方向へと必ずむかう」というもの。つまり整頓された部屋は必ず散らかるし、覆水は盆にかえらない。そして生命体は、生まれおちてから必ず死へと向かうのだ。このように考えてみると、私たちの身体が秩序を壊していく方向に向かうのは自然のことのように思えてくる。この破壊(クラッシュ)は、再生(ビルド)のいしずえとなり、クラッシュ&ビルドを繰り返しては細胞は新陳代謝をとげている。このウネリを重ねつつも大きな流れではクラッシュへと進み、さらにもっと大きな視点でみるなら、これもまたビルドへの始まりとなる。小さな波がある方向へと切れ目なくつづき、極まってそのベクトルは反転し、いくえにも重なりあう世界に影響を与えつづけるという陰陽の世界だ。

 日々の生活の中でも、この小さなクラッシュへと向かう商品は市場へ出回っている。そしてクラッシュへと導くものが商品化されると、ビルド関連の商品よりもずっと速くチマタにあふれる感じがする。レンチン食材があっという間に世に広がったのに対し、5本指ソックスが市民権を得るまでには少なくとも15年はかかったように思うのだ。

 

 今回は、この酷暑の夏に流行っているクラッシュへと導く商品、クールネックリングをとりあげて考えてみたい。

 

 この夏のはじめに、行きかう人を見ていたら気づいてしまった。犬の首輪みたいなものを、あの人もこの人もつけている。調べてみるとクールネックリングというもの。溶けない氷(スマートアイス:融点が高く27℃〜28℃)を使っているので、長時間にわたり冷感を得ることができ、小さなお子様からお年寄りまで使用できる熱中症対策グッズだそうだ。ここ数年はやっていた保冷剤を入れて冷やすアイスネックバンド(水に浸して軽く絞るタイプもある)の進化形ともいえる。

 紫外線による顔のシミも気になるから日傘もいるし、顔にかく汗も不愉快なので小型扇風機も持たなければならない。すると両手が塞がってしまうではないか。そこでクールネックリングは便利なのかもしれない。しかし私は、厄介な年になるだろうと予測した。首を冷やすとロクなことがないからだ。

 東洋医学では、首・手首・足首は絶対冷やしてはいけないとされている。されているというより、実際ダメだ。おやめください!

 さすがに長年の私の患者さんたちはよくわかっていて、「みんな首輪みたいなものを巻いて歩いている。どうなのですか」とか「どうしてああいうワッカが流行るのでしょうね」と言う方たちが多い。しかし「ちょっと試してみたら頭痛になった」という方も。また「頭が重くて仕方ない」「手の痺れがひどい」とか「寝違えた」という患者さんたちもいる。それぞれの症状は首を冷やしたためと気づかないかもしれないが、原因は明らかだ。みんなアノ首輪を使っていたか、保冷剤で首を冷やして寝てみたという。

 ではなぜ首を冷やすといけないのか。首は組織を守るべき脂肪が少ないのに、太い頸動脈が通っている。そのため首を冷やすと一気に冷えがまわる。頸椎と頚椎の間からは神経が出ていて両腕に枝分かれして伸びている。そのため首を冷やせば、そこに流れる血液や神経の働きが鈍くなり、円滑にエネルギーが回らなくなってしまう。

 手首や足首と同様、頚椎を含む背骨は関節である。関節は筋肉の束である腱が付着している箇所であり、肉厚の筋肉で守られてもいない。つまりそもそも関節は外界の刺激を受けやすく動脈に与える影響が大きい場所となる。人体のすべての関節は、エネルギーが漏れやすい場所であると同時に冷えが入りやすい。冷え切った冷凍食品の売り場で、肘や膝が痛くなった経験のある方もいらっしゃるかと思う。

 そういえば子供の頃、スキーに出かける時には必ず祖母が私の背中に乾いたタオルを入れてくれた。背骨を冷やしてはいけないと。運動をして汗をかいて背骨が冷えるのを防ぐためにタオルを入れたのだ。首から仙骨までの1本の背骨ラインは自律神経が通っている。ここを冷やしてしまうと身体全体の機能が狂いはじめる。また猛暑中で働く土方の人たちは、手拭いを首に巻いていた。汗で冷える首を守っていたのかもしれない。

 

 熱中症にならないための、暑さ対策として首を冷やす商品、クールネックリングとやら。しかし考えてもみてほしい。そもそも熱中症の本体は、自律神経失調症なのだ。これは、身体にそなわっている自律神経がコントロールを失って暴走することだ。体温調節機能が乱れ、汗の調整が効かなくなり、吐き気や頭痛に苦しみ、不整脈や動悸が起こって、めまいに見舞われるというようなさまざまな症状がある。結果、深刻な内臓へのダメージがある場合まである。熱中症で亡くなる方は、自律神経失調症重篤なケースといえる。だとしたら、自律神経の働きにダメージを与えるクールネックリングは、熱中症対策として適切なのだろうか。

 暑いから冷やせばいいというほど、身体は単純ではない。氷入りの飲み物をのめばのむほど消化器が冷える。そして、その機能は低迷して食欲不振となり夏バテは悪化する。また冷えをキャッチした身体は体温をあげようするため、熱くなって汗が出る。その結果体内のミネラル分を放出してしまって消耗しやすい。逆に暖かい飲み物をとったら体温を下げようと身体は働くのだ。暑い時に温かい飲み物をとった方が身体が落ちつくのである。

 

 スカッとさわやかとは程遠い、こんな暑い夏と出会ってしまったこの際だ。クーラーで冷えきった首をさらに冷やすのではなく、蒸しタオルで温めたなら、自分はどう感じるのか。そして冷たい飲み物のかわりに温かい飲み物にしたら、本当にふきだす汗がおさまってくるのだろうか。これらを試すのにも、もってこいの季節になった。

 

(後記)

 時代はクラッシュへ向けて急速に舵を切った感じがあります。長びく戦争、社会でおこる凶悪な犯罪、見たこともないような山火事や豪雨といった大規模な自然災害、記録更新の猛暑・・。普段の私の生活においても、小さなクラッシュを見つけて修正していくなら、世の中で起こることの速度を遅らせることができるのでしょうか。それともクラッシュ極まり、ビルドへとベクトルの転換を待つのでしょうか。そんなことを考えながら、記事を書きました。とりあえず、自分の身体が痛いとか苦しいとかが嫌な方、首を冷やすのはやめてくださいね。

 

エジプト、カイロの街をのぞみつつラクダを撮影。ラクダは、脂肪でできたコブを背中に作って背骨をまもっている。残念ながらコブは見えません。

 

自律神経についてはこちらを参照

garaando.hatenablog.com

 

東洋医学各論19 紫雲膏

 先日、ドクダミの手作り酵素をいただいた。白い花が可憐なドクダミには、強烈な香りがある。しかし酵素となったドクダミは、その花の姿を彷彿とさせる清楚で安らかな香りを放っていた。う〜ん!いい香り!生花から酵素への醸造過程でいったい何がおこっているのだろう。自然界の草花には、扱い方によって引き出すことができる、思いがけない力が眠っているのだなぁと感心する。

 もともとドクダミは毒だしの妙薬。別名を「十薬」とよばれる。十種類の薬を合わせたほどの力を持つのだから、薬効が強い分だけ使い方も知らなくてはならない。体力があって肉食の人には向くが冷え性の人は要注意。おできや鼻詰まりなどエネルギーがあまってコモる症状に使われるのだ。

 このように自然界において薬効をもつ草花、木肌や木の根などを加工(乾燥など)したものは、生薬(しょうやく)と呼ばれている。この生薬を数種類合わせて作ったものが漢方薬となる。例えば生姜(生薬名:ショウキョウ)は、桂枝湯や葛根湯のほか多くの漢方薬に使われている。この単体の生薬が他のいくつかの生薬と組み合わさり、それぞれの分量が厳密に配分されて、漢方薬ができあがる。古来からこの配分バランスは変わることなく今に受けつがれている。多くの成分を含んでいるため、ひとつの漢方薬でいくつもの症状に対応できる。古代中国の経験的医術から生まれた漢方薬は、体質に合わせた全体的治療をめざすものといえる。これに対して西洋薬は、原則的に単一の人工的に化学合成された物質でできており、特定の症状やひとつの病気に強い効能を発揮する。西洋薬はつぎつぎに新薬ができるので、今まで使われてきた薬がなくなることも多い。

 ここで中国医学の基本は、気の医学であることを思い出してほしい。薬を飲むことを「服用する」とか「内服する」といった表現が使われている(「一服盛る」まであり!)。これは、薬効のある木肌や植物の根や鉱物を服のポケットなどに持っている(服に用いる)だけで効果があったからだ。それはちょうど「おふだ」を身につけたり、天然石のブレスレットをお守りにするように。漢方薬の煎じる匂いがダメという人もいるが、コトコトと煎じることで部屋いっぱいに広がるあの香りが、生薬の気を充満させて、その場にも、そこにいる人全員にも影響を与える。煎じることで薬効が増す漢方薬は、徹頭徹尾「気」の世界のもの。薬の成分に加えて自然界の気が身体を治す、こういった漢方薬のアプローチは、西洋薬のそれとは、もともとコンセプトが違っている。

 

 今回は、生薬からできた漢方外用薬である軟膏、「紫雲膏(しうんこう)」をご紹介したい。

 紫雲膏は、江戸時代の外科医 華岡青洲 の処方による、消炎、鎮痛、止血、殺菌、肉芽形成促進といった作用をもつ、皮膚の特効薬である。

 さてここで、印象的だった私の臨床例をいくつかあげてみたい。

 <症例1:肉芽形成効果> 

 当時30代後半の女性。20代後半で乳がんをわずらい、オペ、抗がん剤放射線といった3代療法を受ける。当時の治療法は今と違い、乳房は筋肉を残すことなく切除され、放射線によって表面はケロイド状になっていた。術後8年を経過したある日、洗濯物をとりこもうと腕をのばしたら、脇の下の胸に近い部分(オペ&放射線によって皮膚が薄くなっていた所)が裂けてしまう。皮膚科へ行き薬を処方されるも直径2センチほどの傷口がふさがらず、滲出液で洋服まで汚れガーゼを当てて対処する。著名ながんの専門医のところへ相談すると、「これは薬では塞がらない。背中の皮膚を移植をするしかない」と告げられる。オペを考える間にも紫雲膏をつけてしのいでほしいと伝える。厚めにしっかりフタをするように塗ってガーゼで押さえるようにしていたら、滲出液が出なくなって皮膚が奥から再生されはじめ1か月弱で完治し、オペは不要となった。

<症例2:鎮痛効果(打身・切り傷)>

 当時40代後半の女性。階段から落ちて左顔面を強打。打身、切り傷および内出血で左顔面が腫れてお岩さん状態に。顔面の痛みを取りのぞき、傷の修復をすべく紫雲膏を塗る。痛みがおさまるので毎日塗っていたら、日に日に改善され半月後にはほぼ完治。鏡をみると、左側にあったはずのシミまで消えており、右側にくらべて明らかに色白の綺麗な肌に。その後、右側のシミとりにも使用するようになった。

<症例3:鎮痛・消炎効果(陰部の痛み)>

 これは数人の方に共通したケースをまとめての報告となる。婦人科系のがんの放射線治療による皮膚炎が発症した場合。患部に発赤、びらん、肛門部に発赤。排尿・排便時ごとに疼痛あり。ステロイドのぬり薬を出されるも、皮膚の薄い部分がカチカチになって改善している感じがなく、痛みと不安がある。紫雲膏をすすめてみたら、硬くなっていた部分が改善し痛みが減って効果が著しい。常備薬として手放せなくなった。漢方外用薬である紫雲膏は植物製剤であり、添加物や化学薬品も使っていないので、刺激も少なく長期にわたる使用もOK。

 また原因がはっきりしない陰部の痛みや不快感にも解毒、抗菌、消炎作用があるので、多くの患者さん達から絶賛されている。肛門部の粘膜にも力を発揮するため、痔(いぼ痔による疼痛、肛門裂傷、出血、脱肛)の特効薬でもある。

 その他数えきれない報告があるのだが、特に火傷や床ずれに威力を発揮する。そのほか湿疹やアトピー性皮膚炎(ただしゴマ油のアレルギーがある方はNG)、手や足のひび割れ、口内炎、ものもらい(眼球は NG)、あせも、かぶれ、ただれ、びらん、しもやけ、ニキビ(面疔:就寝時に厚めに塗る)といった化膿性のできものなどにも効果がある。

 こうしてみると紫雲膏には、皮膚の奥から再生させていく力があるのがわかる。患部の血行を促進して潤いを与え、炎症を鎮めるといった効能があり、赤くなる皮膚の病い全般に効くというものなのだ。

 

 ではここで、紫雲膏の成分である5種類の生薬をみてみよう。

 <当帰(トウキ)> セリ科の植物トウキの根で、血行改善の薬効があり、婦人科系疾患によく用いられる。皮膚を潤し、排膿して傷口の肉芽形成をうながす。

 <紫根(シコン)> ムラサキ科の植物ムラサキの根で、解毒、解熱、抗菌、抗炎といった効果があり、肉芽形成をうながす。

 <ゴマ油> ゴマ科ゴマの種子からできた脂肪油で、上記2つの漢方をゴマ油で抽出。ゴマ油には抗酸化作用がある。

 <ミツロウ> 蜜蜂の巣からとれたロウを精製したもので、保湿作用がある。

 <豚脂:ラード> イノシシ科ブタの脂肪。

ゴマ油、ミツロウ、ラードは軟膏基材として用いられている。

 

 卓効の薬、紫雲膏。一家にひとつ!オススメしたい。

 

(後記)

 みなさんは、漢方薬と聞いてどんなイメージをお持ちでしょうか。

 私の患者さんたちの印象は、「長く飲まなきゃ効かない」とか「効き目はイマイチ」とか「副作用はないからずっと飲んでも大丈夫」といった回答が多いです。しかしこれは大きな誤解。漢方薬には即効性のあるものもあり、体質に合っていれば効果も大きいです。薬である以上副作用もあります。

 まだまだ正確に伝わりきれていない漢方薬の力を、紫雲膏という外用薬をとりあげて書いてみました。

 「もしも魔法の薬があったとしたら、その名は紫雲膏」、このキャッチフレーズを私が作ったほどに、惚れこんでいます。あ、前回記事で書いた私の頭の傷もこの薬のおかげで完治した次第です、ハイ。

 

アフリカ大陸、モンバサ(ケニア)のツァボ国立公園にて草食動物のキリンを撮影 

 

繋がりあう世界5 エネルギー医学(フラワーエッセンス)

 澄んだ深い青色の空のもと、しあわせな1日になる条件は整っていた。風がひどく強いことをのぞけば。私は庭にでて、ザ・庭師のK氏から樹木のことを聞いていた。「木はね、家と競争するんだよ。張りあって注目をあびようと頑張るんだ。だからこの木の先端はどんどん伸びて茂る。その茂みの中にある枝は陽もあたらなくて発育が悪い。木の背丈を低くするために伸びている枝を切って発育の悪い枝だけを残すとしたら、エネルギーがいきなりさがって枯れてしまうことがある。だから長い枝をまず少し切る。陽がはいるスペースを作って小さい枝を育てつつ、何年かをかけて長い枝を切っていくんだよ」と教えてくれた。木は家をライバル視するような、そんな繋がりがあることに私は驚き、また大枝と小枝も影響しあっているのだと感心した。

 私が家の中にはいろうと歩きだした時、突風が吹いた。私は衝撃を感じて、訳もわからずうずくまる。5mの高さはあるジュラルミン製のハシゴが私の額と頭に倒れてきたらしい。無意識に頭を押さえた手をみると血がべっとりとついた。やってしまった。。私は、おそるおそるケガしたと思われる部分に手をかざして大丈夫と唱えつつ仰向けになって思った。「こんな時にレスキューレメディがあれば。ああ!レスキューレメディがあれば・・」と。

 

 レスキューレメディは、数多いフラワーエッセンスの中のひとつである。フラワーエッセンスとは、細菌学者であった英国の医師エドワード・バック氏(通称バッチ博士)が開発した精妙な植物のエネルギーを転写させた抽出液のこと。これは肉体と感情、そして精神といった生命体の全システムに触媒として働く。これを舌下にたらす、耳の内側に塗布する、身体の一部にスプレーするといった方法で、人体に取りいれることができる。すると肉体と感情とのバランスが取られメンタルをふくむ人体の全システムに働きかけて、生命体としての統合がはかられるという。

 たとえばタンポポダンディライオン)について考えてみよう。タンポポは、キク科の多年生の野草。春先になると、アマタの舌のような花びらが溢れるように広がり発色するかのような黄色を放つ。咲きおわると球状の白い綿毛をつけて軽々と風にのり、その種子は飛散される。このようにタンポポを観察すると、その形状や特性からも拡散し放出させるエネルギーが強いことがわかる。また開花前の乾燥させたものを蒲公英(ホコウエイ)といい、漢方薬として用いられる。これには解熱、発汗、利尿といったコモッタものを開いてながす作用がある。

 こうしたタンポポの持つエネルギーからできたフラワーエッセンスには、硬くなったものを開放する力があるため、こむら返りといった筋肉の痙攣などに有効とされる。また古い痛みや恐れの感情を筋肉にため込んでいる場合にも、それらを解放する助けとなる。私の父が子供の頃、走りつかれた時にタンポポの花をもいでは足にこすりつけていたという。こうすれば足が楽になると友人が教えてくれたそうだ。ダンディライオンタンポポ)のマッサージオイルがなかった時代にも、こういった自然から得た知恵が生きていたのだ。

 このように植物には、その植物の持つ特性があり独自のエネルギーがある。

 この沢山の植物の中から5つの花のエッセンスを組み合わせたものがレスキューレメディと呼ばれるものだ。これは事故や怪我のショック状態、緊張やパニックの時などに用いられ、感情と精神のケアをすることで肉体との統合をはかることができるもの。また愛犬くんや愛猫さん達のパニックや興奮、不安にも用いられるもので、世界中で最も人気のレメディである。

 さて、こういったフラワーエッセンス(レメディ)。今ではロフトや生活の木といった店舗で買えるほど身近になっている。しかしこれは、エネルギー医学が基礎にあるということをどのくらいの方達がご存知だろうか。例えばアトピーや胃炎、潰瘍性大腸炎などは、感情的な問題がまずあって、それが肉体に症状として表れたケースが多い。自己の内面が病気という形をかりて表出されるのである。ひとくちにストレスと片づけられてしまう感情やメンタルは、人体とどういう関係になっているのだろうか。エネルギー医学では、これらの心身相関を説明することができる。

 

 人体は目にみえないエネルギーが重なりあって呼吸する有機体。しかも自分をとりまく環境とも密接に繋がってエネルギー交換をしている。これがエネルギー医学の基本となる。

エネルギー体としての身体

 ではオーラと呼ばれるエネルギーを見てみよう。まずは肉体があり、その次はエーテル体とよばれるレイヤーがある。エーテル体は肉体を浸し、それよりも5ミリくらいはみでる大きさになる。鍼灸の経絡やツボはここにあるという。実際にツボを探す時に、肉体を押すよりも少し手を浮かして探るとその位置がわかりやすいのだ。エーテル体は肉体と近い働きをするため、手術で臓器を摘出した場合、肉体の臓器がなくなってもエーテル体で再建することができる。

 さらに感情界へとつながる。感情や精神というのは自己の内面という言い方もできるので、内側にある感じがする。しかし私たちは、他人がどういう精神状態かは見るだけで感じとることができるのだ。怒っているなとか、悲しいことがあっただろうなとか、ドンヨリしてるなとか・・。これはその人が外側に発しているものをキャッチしているのにちがいない。

 つづいて精神界、アストラル界、エーテル・テンプレート、天空界ボディ、ケセリックボディへとオーラは拡がっていく。我らは、自己のさらに拡大された形のエネルギーを次々とまとっていて、これが層のような構造をつくりだしている。この各レイヤーの呼び名は、神智学やアーユルベーダなどの学派によって異なっているものの、人体は肉体的レイヤーから霊的レイヤーへと層をなして繋がっているという点で一致している。このようにとらえてみると、感情をケアすることで肉体に影響を与えることができるし、肉体を元気にすると精神が癒されるという心身相関がわかりやすい。

 

 もし事故の直後にレスキューレメディを使うことができたなら、肉体と感情とが統合されて外傷の治りは格段に速くなるのだ。他人がケガしている場面に出くわした時には、レスキューレメディを当人の舌下に数滴たらしてあげるという使い方もできる。またレメディを持っていなかったとして、ショックが感情や精神にどれほど大きな影響を与えるのかを知っていれば、深い呼吸をして自分自身を落ちつかせることの重要性がわかるのだ。

 

 自らをエネルギー体としてとらえはじめたなら、繋がりあう世界をより深く感じることができるだろう。自然界の植物がその持てるエネルギーで我らを癒してくれていることも、天体の動きや天候といった環境のすべてが、とぎれることなく人体に影響を与えつづけていることも不思議ではなくなる。我らをとりまく一切のものが、時にたおやかに時に強力に繋がりあっているのだ。

 

 全体性への希求。エネルギー医学の核心はここにある。

 

(後記)

 アマゾンの密林から4人の子供達が生還したニュースには、本当に驚きました。食べられる植物をみわける能力や身を守る知恵にも・・。自然界の中で生き抜く力に憧れます。私もケガくらい自分で治せるようになりたいとずっと思っていたので、今回の私のケガも自ら治せる範囲だと確認した後、実験をしてみました。それにしてもレスキューレメディは肝心の時にいつも手元にありません。

 ケガの直後、私は仕事の予定が入っていたことに気づきました。しかしサスガに無理だと思いキャンセルさせていただくことに。ところが電話が繋がりません。下を向いてメールを打つと携帯が血だらけになるので、やむなく写真を送って状況を説明することに。あまりに怖い写真じゃ申し訳ないので、顔はタオルで拭きつつも。頭の血は出た方がいいので、乾いたタオルで押さえずに濡れたのを使って止血しないよう心がけました。目に血が入ってあけられなくなった時には、ボクサーの鬼塚勝也辰吉丈一郎薬師寺選手と畑山選手といった歴代チャンピョンの死闘の試合が次々に浮かんできましたね。いきおい私の気分はボクサーになったかのように・・。

 次の患者さん達にもどういうわけかリスケお願いの電話が繋がりません。もう遠くから車で向かってらっしゃると思い、仕事がちゃんとできるかどうかを確認した後、自分で仕事をするモードに切り替えました。ザ・庭師のKさんが、「この傷だったら腫れるよ」と心配してくださったので、止血しない方針に加えて冷やすことにしました。流れる血はぬれタオルで拭きながら、保冷剤で冷やす作戦に。ほっかぶりで治療するのもどうかと思い、オシャレな帽子をかぶってカモフラージュすることにしました。フジコヘミング風に!

 とってもおかしな格好での治療です。白衣を着つつも布製の帽子をかぶっているのですからね。しかし皆さまはお優しい!誰も何もおっしゃらずにいつもどおりに振るまってくださいました。ご迷惑をおかけした皆さま、イデタチを不審に思われた皆さま、この場をかりてお詫びいたします。

 あれから2週間、ここがジャングルだったら自力で治せ!と言いきかせつつ思いつく限りのことをして、ほとんど完治しました。ツキノワグマのような小さな傷が頭にあるだけで。

 ケガをした時に、ショック状態を軽減する術を身につけるのは、とっても大事だとあらためて思った次第です。

 

 

小樽、自宅近くのジャングル?でイワミツバ(茎は食べられる)を撮影

身体感覚を開く6 観察と実験

 私がお会いした患者さんたちの中には、90歳をこえてなおイキイキと生活を楽しんでいらっしゃる方たち(以下、総称して「人生の達人」という)がいる。ある時私は気がついた。彼らには共通する観察眼があると。自らを観察する力が秀でている。観察の「観」とは、ある一定の時間を必要とする。肉眼で「見る」といった瞬発的な動作とはちがい、ゆっくりと自己のうちに落としこみ熟成させるのだ。人生観、世界観の「観」でもあるように。

 

 今回は、人生の達人の観察がどのようなものであるかについてお伝えしたい。

 

 人生の達人は言う。「駅でホームに向かう時、階段をつかうかエスカレーターに乗るかで、その時の体調がわかる。ふっと身体が階段にむかう時は体調がいいなと思うし、エスカレーターを選ぶ時はちょっと疲れているのだと思う」と。これが日々の体調バロメーターになるそうだ。

 おもしろいのは、「足腰を鍛えるために、駅では必ず階段をつかう」、あるいは「必ず2段ぬきであがる」という方たちとの対比だ。彼らは、日々の健康状態にそれほど気をくばることなく、目的と手段を決めている。このスポ根的なやり方は、体力増強に一定の効果をもたらすだろう。しかし人生の達人は、このようなやり方を好まない。

 人生の達人は言う。「その日のタバコの味で今日の自分がわかる。燻らす煙が心地よくて美味しいと思う時とマズイ時と、その差ははっきりわかる」と。タバコで健康状態を診断するのも、これまた粋(イキ)ではないか。

 人生の達人は言う。「耳が遠くなって人の話が聞きづらくなった。でも人によって聞きとりやすい声とゼンゼン何を言っているかわからない声がある。またTVで何人もが同時に話すとテンデわからない。昔はなんでも聞こえた・・。いろいろ聞き分けられる耳の機能ってのは、なんとすばらしかったのだと今さらながら感心している」と。

 人生の達人は言う。「持ってるズボンの丈が、右足だけ少し長くなった。右のお尻の筋肉が痩せてしまったからだ。老化というのは、筋肉が縮んでいくことなのだなぁ・・」「ちょっと筋トレをやってみた。何歳になっても筋肉ができてくるなんて驚きだ。身体ってのは、すごいね」と。

 人生の達人は言う。「自分の歯が一番といわれ、85歳をすぎた私に入れ歯はない。歯医者ご推奨のとおり全部自分の歯だ。確かになんでも食べることができる。しかし歯を磨くのもめんどくさいような具合の悪い時に、入れ歯ならカパッとはずせる。誰かに洗ってもらうことができるだろう。今となっては入れ歯が羨ましい。何事にもいい面があるものだねぇ」と。

 

 このように人生の達人は、老いを観察しながら「順調に年を取ってる」と私に告げる。そこには、加齢にあらがうこともなく観察を楽しんでいるかのような姿がある。しかも気負うことのないニュートラルな状態でいるため、その時々の反応がはやい。たとえばタバコがまずければ、もう吸わない。疲れていたと感じたらスグ休む。〇〇しなければならないといった決め事が少なくて、きわめて自由度が高いようにみえるのだ。

 

 また観察から気づきが生まれ、その正誤を確かめようと実験がはじまる。つまり観察が極まれば、実験へといきつく。そしてそこに独自の健康法が生まれるのだ。

 いちはやく風邪の状態を察したら、少食にして早寝するとか、

 ちょっと風邪がこじれたら、果物を食べてビタミンを補うとか、

 風邪になりそうな時は、ネッカチーフを首に巻いて寝るとか・・。

 私が提案するまでもなく、達人たちは細かい健康法をすでに生活に取りいれていたのだ。どれもほんのチョットの努力で、できることばかり。達人たちは、その小さな実験のプロセスをも観察し、自らの身体の手ごたえを味わっている。こうして気づかぬうちに、自己の身体感覚が開かれていくのだと思う。いつしか身体は自分の大切な一部となり、ヨリドコロとなる。このワガモノと感じられる身体を味わえたとき、病気への不安はもとより、さまざまな怖れからも開放されるのだろう。そしてチョットしたことにオジケづかない堂々とした自分があらわれてくるのではないだろうか。

 

 最強の健康法は、観察と実験にちがいない。

 

 そしてあくなき観察こそ、人生の達人の極意なのだと私はひそかに思っている。

 

 (後記)

 よく患者さんから、もっと元気になるのに何かいい健康法はありますか?と聞かれます。そのさいに私は、まずは温めることですと無難に答えています。しかし私が最も伝えたい健康法は、観察と実験。あまりにわかりずらいので、滅多に言えません。

 あるとき私は、ひとりの患者さんから「アーツ(私の治療所)は、治療所というより実験ラボのように思えますよ」といわれました。難病指定をわずらうその方は、長い年月をかけて観察眼をつちかい、私が提案するやり方のほとんど全部を実験してくださいました。その結果、彼女はとても元気にイキイキ生活しています。きっと達人の域へと向かっているのではないかと思います。私は、こういう患者さんたちに恵まれていて幸せです。と同時に、多くの人たちに言いたいです。

 観察あれ!と。

 私自身も、実験がいきすぎて亡くなってしまった華岡青洲の妻や西医学の西勝造先生のようにならないように気をつけつつも、観察眼をみがいていきたいです。

 

イタリア、ナポリの街角にて撮影。

雑考7 マップヘイター

 あれは、いつのことだったか。「話を聞かない男 地図が読めない女」という本がはやったのは。男女の脳の使い方の違いに着目した内容だった記憶がある。最近になって私は、ハタと気づいてしまった。わが母ヒサコ(87歳)は、話も聞かないし地図も読めないということに。

 

 今回は、母の観察からはじまった生命体をめぐる考察についてお伝えしたい。

 

 母は、私の話を聞かない。だけどおしゃべり。私は長年にわたって、その母のコミュニケーションを観察してきた。たとえば私との会話。「お母さん、今日は忙しかったの?」などと聞いたとする。すると「今日は図書館へ行って、かえりに買い物でもしようかと思って歩いていたら、フキノトウが空き地に芽ぶいていた。取ろうかな・・と考えたけどやめて。今度とってきたら天ぷらにするか味噌を作るか、どっちがいいだろうか?そしたらバッタリ〇〇さんに会って・・」とエンエンと続くので、私が口をはさむ余地もない。また息つぎをねらって何か言ったところで耳が遠いので無視されることがほとんどだ。しかも母の声は、その時の気分によってツンザクように大きい時もあれば、蚊の鳴くように消えいりそうな時もある。

 母から「ねぇちょっとちょっと、こんなことがあったのよ」と言われたら、私は「うん。でもその話、長い?」と返すことにしている。こうしてワンテンポをおけば、話がすこしだけ要約される。

 ついに私は、この母の話ぶりを「走馬灯話法」と名づけた。時々、興にのってはなす母に「お母さん、いま走馬灯話法にはいっているよ」とお知らせすることにしたのだ。

 さて、この走馬灯話法には特徴がある。まず①主語がない。つぎに②そぞろなるままに途切れない。③話題はつぎつぎに変わる。また④話し手は聞き手に注意をはらうことがないため、⑤聞き手が必ずしも目のまえの人物でなくてもよい。さらに⑥結論めいたものがない。このうち3つ以上該当した場合には、走馬灯話法となる。

 また私は、母の人間関係でなされる会話にも注目してきた。とうとうある時、「お母さんたちの会話って、おもしろいね。なんかおたがいに別の話をしていてもフンフン話しているし、絶妙なバランスで成りたっているように思うんだ」と告げてみた。

 すると母は、小鼻をちょっと膨らましながら力をこめて言った。

 「私たちはね、耳も聞こえなくなっているからフンフンと適当に相槌をうって、なんとなく話すのよ。これをアンデコンデ噺(ばなし)というの。アンデといえばコンデと答える。コンデといえばアンデというの。とりあえず、こうやってえんえんと終わらない。この繋がりが必要なの。いい?これこそが人間関係では大事なことなのよ」と。

 私を見すえての、めずらしく説得力あふれる母の言葉に、私は自分の弱点をつかれた気がした。確かに!私は、こういった会話がダメなのだ。アンデコンデこそ、現世を生きぬく世渡り術にちがいないのに。そしてすぐに生命体の核心について書かれた「動的平衡」という本、その著者である福岡伸一ハカセが提唱するマップラバーとマップヘイターという概念が頭にうかんだ。<注:マップラバー、マップヘイターについては「世界は分けてもわからない」(福岡伸一著:講談社現代新書)に記載されています>

 

 マップラバーとは、地図をみて自分の立ち位置を理解するタイプで、俯瞰力があり設計能力が高い。原因と結果をフローチャート式に考えられる分析脳をもつ。いまや国民的大スター、マンダラチャートで有名な大谷翔平選手に代表されるだろう。いっぽうマップヘイターとは、地図というもの自体がそもそも苦手で、やみくもに又は直感的に、歩きだしてしまうタイプ。理性的であるのとはほど遠い反面、状況におうじて変わり身がはやい。

 鳥瞰的に全体をとらえつつ効率的な働きができるマップラバー と 自己をとり囲む身近な関係性の中で道なき道をオラオラ進むマップヘイター。福岡ハカセによると、人体の60兆個もある細胞の動きはマップヘイターで成りたっていて、それぞれがうごめいた結果として、全体に調和の取れた生命活動がくりひろげられているという。

 つまり生命体の基本活動は、全体における自らの役割すら知らないマップヘイターが担っているというのだ。

 私は、福岡ハカセのこの理論を読んだ時、マップヘイターに憧れた。それというのも私は、どちらかというとマップラバー。鍼と出あって、分析脳を手ばなし細胞さんたちに身をゆだねる生き方をめざしてきたはずだった。しかしオノレの習性はそう簡単には変わらないのだろう。会話のひとつにすら、その人の個性というのは滲みでてしまうのだと母の言葉で気がついた。

 こんな身近にナマミのマップヘイターがいた!そして走馬灯話法もアンデコンデ噺も、マップヘイターならではの特徴といえるのではないか。

 さらに考察を深めてみる。料理においても、母はマップヘイターの片鱗をのぞかせていた。調理における地図であるレシピ。これを彼女はほとんど気にしない。先日は、残っていたダイコンをバター焼きにしたと聞いて、私は驚いた。さすがにその組み合わせはないでしょう?!い、いくらなんでも。。それってどういう味だった?と聞く私に、母は深くうなずきながら低い声でゆっくりと言った「マコトに美味しかった」と。どうなの?美味しいの?なんなの?この自己肯定感?!

 よくよく考えてみれば、のこり物で食事をつくるという作業は、現実を受けいれる力強さがある気がする。自らの手のとどく範囲内で、テキトーにやり過ごしていく。高望みもなしに。

 とりあえず手あたりしだいに材料を使ってみるといった料理ができる母。マップヘイターには、枠をはずした自由な発想があるのだろう。そしてたとえその結果がいかなるものであったとしても、受けいれる強さをも備えている。

 

 この軽快さと安定感って、なんだかちょっと羨ましい。しかし私に走馬灯話法やアンデコンデ噺ができるだろうか。

 地図も道しるべもなしに、やり過ごすことができるマップヘイター。そこへと向かう私の道のりは、まだまだ遠い。

 

(後記)

 毎日の生活のほんの取るに足らない習慣や身体を使っておこなうこと(歩く、話す、食べる、考える・・)のクセの中にも、その人ならではの個性がつまっています。今回は、身近な母を題材にして、時々ぼんやり考えていたことをまとめてみました。こころよく?掲載を承諾してくれた母。こういうコダワリのなさもマップヘイターならではかと思います。

 

 

ベネズエラ、ラグアイアにて撮影

 

参考記事:マップヘイター的な方法

garaando.hatenablog.com

 

東洋医学各論18  瘀血(オケツ)

 北国では、季節のうつりかわる様がはっきりと目にみえる。雪どけの季節になると、太陽の熱と地熱とが、すっぽりと街をつつんでいた固い雪をアッという間に溶かして、赤や青といったカラフルな色のトタン屋根やアスファルトの道が現れて、街の模様が一変してしまう。うず高く雪に覆われていた木々は、それでもなお、その小さな枝を天にむけて伸ばしていたのだ。終わることのない時の流れは天地を動かしつづけ、それにつれて風景もうつろいゆく。春のおとずれは、私たちが確実に巡りの中にいることを教えてくれる。家の外に出てみると、目にうつる雪の総量が日に日に小さくなっていくのだが、いつまでも雪が取りのこされている場所がある。そこは日陰だったり、道の端っこだったり、小道だったり、曲がり角だったり、くぼみだったり。自然がおりなす些細な加減によって、街のあちこちに見うけられる雪の残骸たち。風の流れにもさらされず太陽の熱にも見はなされ何かしら溜まっている、明らかにそんな場所に、それらはあった。

 

 今回は、人体において、このような流れが悪い場所、その場所にたまってしまった血液に焦点を当ててみたい。東洋医学では、この血液を瘀血(オケツ)という。

 

 瘀血とは、血液としての生理的な機能をうしない、局所に停滞していて行き場のない血液をいう(血管外に漏れでた血液をも含む)。流れが悪く、粘度が高い状態のドロドロの血でもある。

 

 西洋医学では、血栓ができるのを防ぐために血液をサラサラにする薬が使われている。これは、狭心症脳梗塞といった生命にかかわる病気の原因にもなるため、血圧や血液の状態には注意が払われているのだ。東洋医学では、血液には滋潤(滋養し、潤わせる)作用と栄養作用とがあるとされている。身体のすみずみまで酸素と栄養、さらに潤いを運ぶことによって身体に生命力がみなぎる。しかしドロドロの血である瘀血(オケツ)が全身にまわり停滞しはじめると、いろいろな組織や臓器に沈着する。こうして行き場を失った瘀血は、全身に影響を与える慢性疾患やさまざまな病気の引き金になるのである。

 たとえば血液の流れが悪くなっただけで、酸欠になって栄養も届かず、内臓や脳の働きも鈍る。潤いも少なくなって皮膚はツヤを失い、シミやアザができ、肩こりや関節炎もひきおこす。以下は、瘀血が一因となる疾病である。

・高血圧(ドロドロの血を流すため血圧が↑)、動脈硬化高脂血症

・肩こり、冷え性

・血管神経性の頭痛

・ねんざ、打撲などの外傷による内出血からの疼痛

アトピー性皮膚炎、慢性蕁麻疹、湿疹

・神経痛、関節炎(リウマチ)、関節痛(四十肩、五十肩など)、筋肉痛

・動脈炎、静脈瘤、血管炎

不妊症、生理痛(内膜症、チョコレート嚢腫など)

・腫瘍、前立腺肥大

・肝炎、肝硬変

・慢性腎炎、浮腫、ネフローゼ

・不眠、健忘症、認知症 などなど

 

 瘀血の治療方法のひとつに、吸い玉(カッピングとも拔缶:バッカンともいう)という民間療法がある。これは、陰圧にしたガラスのカップが皮膚を吸引する方法で、私の友人はオクトパス・アッタクと名づけた。その名のとおりタコの吸盤が吸いつくような肌感覚がある。瘀血が皮膚の表面に浮上してきて赤黒い痕ができる。こうして血液に動きを与え、再吸収されやすい状態となる。

 また臨床では関節痛や腰痛などで、鍼を抜いた後に赤黒い血がポトポトと出てくることがある。すると疼くような痛みがスッと取れることが多い。これは、瘀血が痛みの原因になっていたことを示す。(注:故意に血液を抜く瀉血:シャケツという手法は禁止されている)

 

 さてここで瘀血の自己診断法を紹介したい。当てはまることが多ければ瘀血度が高い。

<  舌 >舌の色が暗赤色で、紫色の斑点がある。裏側の静脈が黒紫色。

<  唇 >唇の色が紫っぽい箇所がある。黒紫の斑点もまばらにある。

<歯茎>歯茎の色が暗赤色。

<  顔 >顔色が黒ずんでいる。目にクマができる。シミ・ソバカスが多い。

<皮膚>ざらざらのサメ肌で硬い。潤いがない。下肢静脈瘤がある。アザができやすい。

<生理>経血が黒ずんでいる。塊が混じる。生理痛がある。

<筋肉>首、肩、背中などに凝りがある。

<痛み>関節痛(リューマチを含む)がある。手足がしびれる。頭痛がある。

<その他>内臓に腫瘍・ポリープがある。手足が冷える。物忘れが多い。

 

 では生活の中で瘀血を予防するにはどうしたらいいのだろう。

 まずは食事。肉食に偏った食生活で血管の老化が進むため、和食がオススメ。特にイワシやサバといった青魚や、血液をサラサラにする玉ねぎやニラなどの野菜などが良い。

 次に運動。筋肉を動かして新陳代謝をあげて、血行を促進し血液の流れを改善することが重要となる。それには無理のない範囲での散歩、ストレッチ、筋トレなどが良い。また自分で動くことが困難な場合は、指圧・マッサージなどもオススメ。

 忘れてならないのは、メンタル面。血流を良くするためには気の流れがスムーズであることが大事なので、過度の緊張状態はなるべく避けて、集中と解放のバランスがとれるように、生活面で工夫をする。

 最も簡単な手法は、なんといっても温めること。シャワーですまし、冷えたビールを飲むという生活スタイルは、見直しが必要である。ゆっくりお風呂に入る習慣をぜひともお勧めしたい。(なお体質によりさまざまな瘀血のタイプがある。これについては、またいつかの記事で!)

 

 私たちの体内には、春になってもなかなか溶けない雪の残骸のように、固まってしまって動くことさえままならない古い血の塊が、血管が細くなっていたり曲がりくねっている場所にあるのだ。あるいは血管の外に漏れだして、さまざまな器官を圧迫したりしながら行き場を失っている。

 我らの身体が大自然の巡りと呼応しながら、小川にサラサラと水が流れるような、そんな自然な形で体内に血液がまわっていたら、日常的に感じる不調は確実に減っていくだろう。

 

 ある日私は、なかなか溶けない雪の塊をスコップでほんのちょっとだけ砕いてみた。すると、その雪は数時間後には溶けてしまったのだ。何もしないでおいた雪は相変わらず、そこに居つづけたのに。ちょっとだけ手をかけることで、驚くほど速く雪は溶けていった。

 これを見て私は思った。真っ当な健康法というのは、大きな流れに乗るように細胞たちの背中をひと押しすることなのだと。薬剤や高圧の蒸気で雪を溶かしきるというのではなく、塊に少しだけ切れ目を入れておくというような感じの、ほんのひと押しでいいのだ。

 

(後記)

 日ごろ、患者さん達から血圧の薬を飲むべきかどうかといった相談をよく受けます。こう心配する一方で、数値が正常の範囲内になったならば、全面的に安心していらっしゃる方も多いです。薬だけで身体をコントロールし、数値だけを判断基準とするならば、生活の見直しや改善を通じて、自らの身体との親和性を高める機会も失っていくでしょう。

 血液にはどんな作用があって、血圧が高いとはどういうことなのか?血液がドロドロだと何が起こるのか?こういった問題意識が大事だと思います。また曲がりくねった血管という場所の条件によっても血栓ができやすくもなるし、血管外にあっても身体のさまざまな所にも実は血液の残骸はいます。こういった知識を合わせたうえで、検査結果の数値を参考にしてほしいです。

 自然の中には、私たちの身体と呼応する叡智がたくさんあります。それにちょっと気がつくと、おのずと自己の身体に対して行うべき方法が見えてくる気がします。今回の記事で、東洋医学でいう瘀血(オケツ)という概念を、少しでも理解していただけたら嬉しいです。

 

メキシコ、ユカタン半島にてセノーテを撮影。セノーテとは、古代マヤの言葉で聖なる泉を意味する。この地点から岸壁を越えて潜っていくと大きな地下洞窟がある。

 

雑考6 時と記憶

 我が家の上空にマイナス25度の寒気団がやってきた。木枠にはめられた平坦な窓ガラスは、万華鏡でうつしだされる模様にも似た、透明な雪の結晶が重なりあい、その厚みを増す。外は八甲田山のような猛吹雪だ(いったことはありません)。

 私は用があって、凍えそうな世界に勇気をふるって飛びだした。風雪が容赦なく視界をせばめる。足下だけを見つめるのが精一杯だ。歩道であるはずの道は雪ですっぽり埋もれている。膝下がズボッと雪に埋まるのを避けるため、他人の足跡の上に自分の足裏をのせて、両サイドに積もっている雪に触れないように、狭い1本道を綱わたりのようにソロソロと歩く。すると、同じ道をこちらへ向かってくる人がいた。こんな時に出あう人々は、たがいに声をかけあう。少しづつ身体をずらしあってすれ違った。用をおえて帰途になると、吹雪はおさまっていた。大雪に覆われてしまった歩道部分に、細いながらも深い溝が1本だけ続いている。何人にも行き来されたであろうその道は、来た時よりもしっかりと踏み固められ、幅が少し太くなっていた。

 行きかう人のみんなが、ただただ前の人の足跡に重ねて歩く。こうして道がしっかりとできていくのだ。

 

 この道のように、私たちの脳や身体で起こる反応においても、刺激が繰り返されるごとに確固たるルートができていくのだろう。とりわけ記憶も。繰り返される刺激によってシナプスでの伝達がスムーズとなり学習機能も加わって、1本のラインがくっきりと浮かびあがる。

 

 今回は、私たちの心と身体の中にできあがる1本の道、そしてその溝の深さについて考えてみたい。

 

 皆さまは、インナーチャイルド(内なる子供)という心理学で使われる用語をごぞんじだろうか。大人になってなお、人は自己の内に子供を抱えている。子供のころの苦しい経験や痛みといった記憶が大人になってからの行動パターンに影響を与えるため、無条件に反応してしまい人間関係がスムーズにいかなくなってしまうのだ。このインナーチャイルドを癒して生きづらさを手放す手法は、チマタにあふれている。私自身もさまざまなワークを経験してきたが、最終的にたどりついた考えは、「この問題をあつかうには前提条件こそが大事」というものだった。

 何度も何度も眠っていたかもしれない子供時代の辛い経験にアクセスすることで、痛みが強固になってしまうケースがあるからだ。雪道の底面がより深く、より固められていくように。トラウマを手放すどころか、それがかえって自分の中に居ついてしまう。また無意識の経路が意識化されることで、さらなる物語が紡がれていく。伝言ゲームで最後の人には別のお話になるように、何度もそのことを考えるたびに味わったはずの傷が少しづつ変質しはじめ、ある人にとってはより強烈なトラウマになりうるのだ(注:記憶がぬりかえられたとしても、今の自分が思う過去こそが現実であるという見方もある)。意識化されない膨大な過去の記憶という広い広い雪原に、痛みへとつづく一本道に焦点があてられ、深く掘りさげられる。自らが開放されるワークとして成功するためには、この痛みに居つかない視点が自己の内に育っていること、あるいは育っていくことが必要だ。つまり、広大な雪原を見渡しつつ一本道を俯瞰できる力、言いかえればある程度成長した自我がなくてはならない。

 

 つぎに身体における一本の道について考えてみたい。

 活性酸素の研究をしていらっしゃる方から老化について教えていただいたことがある。年をとると腎臓の機能がしだいに衰える。これは腎臓を養う血管の中で毛細血管がだんだん働かなくなって、比較的大きい血管がバイパスとして血液を集約して働きだすというのだ。こうして大きな血管がなんとか腎臓の働きをまかなっていると、微細な血管はどんどんサボりはじめる。これが老化なのだそうだ(補足:活性酸素を除去することによってこの末梢の血管が息をふきかえし、腎臓本体への血液量が増えて腎臓の機能向上へとむかう。よって活性酸素の除去はアンチエイジングに直結する)。同じことは、心臓の冠状動脈にもいえるだろう。加齢とともに血管がつまりはじめ、バイパス手術やステントを入れて血管を守ることで心臓の働きを保とうとするのだから。つまり年をとるにしたがい全体のエネルギー量が少なくなってくると、身体も省エネに励む。そして、いつしか細かい血管はより大きな血管に統合されていくのだ。細い道は、その役割をより大きな道に託して埋もれていくことになる。

 

 北国では、粉雪が優しくチラチラと舞う時もある。開いた手の平のうえに舞いおりたなら、スウッと溶けて消えゆくような軽い雪が。このような雪が降りつづくと、浅い溝の雪道は、ふわっとしたベールに包まれてしまったかのように、いつしかその姿を消す。こうして溝が深く幅の広い道の輪郭だけが浮きたつのだ。道を人体での血管にみたてるなら、毛細血管がやがて衰え、大きな血管にその働きをまかせるのに似てはいないだろうか。

 

 こんなふうに思いつつ雪を眺めていたら、想像がひろがった。

 人は年を重ねるごとに、イマイマの記憶は忘れさるのに、子供時代の記憶はかなり鮮明に覚えている。なぜ直前の記憶よりも昔の記憶の方を覚えているのか。イマ と はるか昔 とを時間軸で比べてみると、イマからさかのぼる昔を直線で結ばれる距離ではかっていたことに気づいた。しかし時間というのは直線的な距離ではなくて、身体に刻まれた溝の深さで計られるものなのではないだろうか。

 

 時を重ねるごとに、何度も何度も掘りつづける記憶がある。その記憶は塗りかえられながらも再生をくり返す。大雪であっても、しっかりした一本の道ができあがるように。

 その一方で、簡単に雪に埋もれてしまうような記憶がある。そこへとつながる道の溝は細くて浅いために。

 

 雪原に大の字になって横たわれば、時は、天から降ってくる。雪の形をかりて。私の身体の細胞たちが作りだす大小さまざまな溝を埋めつくすように。

 深く刻まれた、太い溝だけは埋まらない。どんなに時が進んでても、私たち生命体の活動がそれを再生しつづけ、それにより終わることがないからだ。

 その一方で、浅い溝でなされる生命活動は、浅いがために流れが少なく淘汰されやすい。そこに時が雪となって降りつもり、その溝はしだいに形を失うのだ。

 そして我らの上に舞いおりた雪は、やがて水となって身体をつらぬき流れて、さらに水蒸気となって再び天へと昇る。こうして終わることのない時がまわりつづけていく・・。

 

 私たちは、天空という大伽藍の中にいる。ここでは、砂時計の砂のかわりに雪が舞いおりているのかもしれない。

 

(後記)

 ウクライナでの戦争がはじまって1年がたちました。トルコ、シリアでの大地震もあって。

こういう現実から逃避したいような気持ちもあって、2月はよく雪の中を歩きました。寒さが骨身にしみましたが、同時に落ちついた気持ちにもなりました。雪は魅力ありますね。雪の持つ絶大なる力を、少しでも伝えられたら嬉しいです。

 

思い出のスキー場、小樽天狗山を撮影。その頂上からは小樽港までもみわたせる。大雪の時にすっぽり雪に埋もれた街を、もう一度あの場所から見てみたい。

 

記憶については、こちらも。

garaando.hatenablog.com

 

大伽藍、夏バージョン。

garaando.hatenablog.com