“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

東洋医学各論11  経絡(けいらく)

ふと幼い頃の風景が浮かんでくることがある。

先日も懐かしの遊び、炙(あぶ)り出しを思い出した。みかんの絞り汁で紙の上に絵を書いて乾かす。火で炙ると滲(にじ)みながらも秘密の絵がぼんやりと浮かびあがる、炙り出しを。

 

こんな事を思い出したのも、その日の治療で目にしたもののせいかもしれない。人体の表層に炙り出され目に見える形に姿を現したライン、東洋医学でいうところの経絡(けいらく)。それが、患者さんの手から腕に浮かびあがっていたのだ。

彼は、手から腕にかけての湿疹が治らないと言った。

診てみると大腸の経絡の流れに沿って、まさにツボの位置に見事に湿疹が並んでいる。

「大腸に問題があるかもしれない。思い当たることは?」と尋ねてみると、

「実は、もともと大腸が弱い。以前にオペもしているし。。。」とのことだった。 

 

f:id:garaando:20210422103241p:image 左図:大腸の経絡ラインにできた湿疹

 右図:大腸の経絡図 (部分)とツボの位置

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大腸の経絡図(全体)。は体内の、は体表の流れ     

 

 

今回は、この経絡について掘りさげてみたい(太字は東洋医学の用語)。

 

東洋医学は 気の医学 と言われている。

両親から受け継がれ成長・発育を促す根源的な生命力を先天の気といい、

飲食物からの栄養(地の気)と 呼吸によって得られる酸素(天の気)とを合わせたものを後天の気という。

この 先天の気 と 後天の気 とが合わさって真気(しんき)となり、これこそが生命活動の原動力となる。

この真気がめぐる通路を経絡(けいらく)と呼び(注:「」ケツと呼ばれる栄養分も経絡をめぐります!)、この経絡上の要所に360余りの経穴(けいけつ。ツボのこと)がある。アナと書いてツボなのだから、ツボは通常ちょっと凹んでいる。そしてそこは、気が出たり入ったりしてエネルギー調整をしている場所となる。

つまり経絡とは、スパイダーマンの網の目のように全身を巡っているラインのうち縦のライン(注:横のラインは脈絡といい、経絡と脈絡を合わせて経脈という)を指し、気血(きけつ)の通り道のことをいう。

五臓六腑に心包(しんぽう:「心(しん)」を覆う外膜。東洋医学独自の概念で、実体のない臓器とされている)を加えた六臓六腑は、それぞれの臓腑をまとう経絡を1本づつ持ち、合計で12本となる。それぞれの流れは途切れることなく繋がっていき、身体全体に循環輪を形成する。ここでは基本となる14本の経絡ラインを紹介したい。

 

<循環輪を構成する12本の経絡>

1肺経:肺を調節 → 2大腸経:肺経と協力して大腸を調節 →   3胃経:胃を調整し、消化吸収を調節 →   4脾経:胃経と協力して消化吸収を調節 →   5心経:大脳と心(しん)を調節 →   6小腸経:心経と協力して小腸を調節 →   7膀胱経:膀胱を調節し、腎経と協力して生殖や老化に関与 →   8腎経:腎を調節し、生殖や老化に関与 →   9心包経:心(しん)を調節 →   10三焦五臓の働きに必要となる熱や水分を運搬 →   11胆経:肝経と協力して胆を調節 →   12肝経:肝および血液を調節  →   1肺経に戻る

これら12本の経絡は、それぞれの内臓を巡る体内を走るラインと、体表を走るラインとが繋がってできている。<例:肺経のライン 体内の上腹部から始まり大腸と肺を通り喉を巡って腕のつけ根のツボ(中府:ちゅうふ)から体表へ現れ、腕を降って親指先のツボで終わる。手首で枝分かれして人差し指から大腸経へとつづく>

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肺の経絡図。は体内の、は体表の流れ

 

督脈(トクミャク)と任脈(ニンミャク)>

督脈と任脈とは会陰から頭頂を結び躯体の正中線を一周する経絡で、これは気功の小周天の巡りとなる。後面を督脈といい、前面を任脈と呼ぶ(督脈:背面の経絡を監督し、任脈と協力して脳を調整、任脈:妊娠にも関与)。

 

督脈と任脈は12本の経絡とも繋がっており、12本の経絡に督脈と任脈の2本を加えて、基本となる経絡のラインは全部で14本となる。

 

ふぅぅ。。言葉で説明するには、大変に難しい。

そこで、他人様の動画を拝借することに。。

人体には気の通り道なるラインが繋がりあって、こんなシステムがあるよ!というイメージを持っていただけたら。。

 

 12経絡のラインがわかりやすい動画(ネットから拝借)

www.youtube.com

 

 体表の経絡ラインが体内の内臓や器官と繋がっているという動画(ネットから拝借)

 

気の通り道であり、身体全体に張り巡らされたネットワークである経絡のことをイメージしていただけただろうか。

東洋医学においては、気の流れの滞り、気の過少や過剰こそが病気の原因とされている。

そして経絡上に気の異常は現れる。経絡は臓腑を巡っているので、経絡の異常は臓腑にも影響を与えるし、臓腑の病いは経絡上のツボに湿疹や腫れ、しこりとして表現されることも多い。

 

体表に現れる湿疹なども、単なる皮膚の疾患というだけではなく内臓の疾患の表現として捉えてみて欲しい。

痒みを伴う蕁麻疹や湿疹がではじめたら、掻く前にちょっと我慢して、それがラインのように繋がっているかどうか確かめてみる。掻きはじめてしまうと、湿疹の数も増え掻いたところからラインが無数にできて全体的に盛り上がってしまったりするため、問題ある経絡を特定しづらくなるのだ。

経絡のライン上に湿疹が出ているのを発見できたら、その経絡に関係する臓腑こそ治療が必要だとわかってくる。あるいは経絡の異常を整えると、臓腑の疾患も癒えていくのである。

 

自然はいつだって循環輪を形成している。

循環しながら変化することが生命体の基本なのだから、

我らの肉体にも循環するエネルギーの流れがあって不思議はないと思うのだ。

 

人体が有するネットワークシステムである経絡。

目に見えず実態もわかりづらい経絡が、炙り出しの遊びのように時々姿を現すことがある。

 

<後記>

気とか経絡とかはあるのですか?と、今まで何度聞かれたことでしょう。

言葉を尽くして説明しようとしても、これがまた難しいのです。

なんせ、死体を解剖しても気や経絡は見つからない。

西洋医学では、身体は臓器や器官の集合体であり、徹底した分業システムで成り立っているとみるので、死亡した身体を解剖して分析します。ゆえに生命力を失った死体と向き合う解剖学をベースに発展してきたのだと思います。

一方東洋医学は、気こそすべての始まりであるのですから、観察対象は生きている人間です。臓器や器官は解剖学的部分であると同時に、気の器であり場でもある。そして身体それ自体が内部に有機的繋がりを持つ場となるのです。

見つめるべきは死体か生身の人間か?そもそも出発点に大きな隔たりがあるものを、どちらかのモノサシで測ること自体に無理があるのではないでしょうか。

また気や経絡が物質として科学的に解明されたり、〇〇波や〇〇線に還元できると証明されたところで、それが全体像を網羅するかどうかも疑問となるわけです。

 

あるやなしやと考えても全くもって不毛だなぁとガックリしながらも、

私が日々の施術の中で実感している経絡というネットワークの面白さを、なんとかわかってもらうことはできないものかと時々考えていました。

経絡の流れを整えることで癒えていく身体を確認するごとに。

あるいは実際に皮膚に炙り出された経絡のラインを見る度に。

 

身体には、こんなネットワークシステムが実は隠されているんだよ!とお伝えできたら、嬉しいです。

 

 

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 滲(にじ)んでしまった写真、サンフランシスコ市庁舎を撮影

(今回の症例は患者さんの承認を得て掲載)

 

気については、こちらも。

garaando.hatenablog.com

雑考2 時について

「ベランダに転がっていた球根を植えてみたの」と友人は、2つの小さな鉢を見せてくれた。その友人を訪ねる度に、それぞれの鉢からは芽が出て背丈が少しづつ伸びていった。とうとう1つはヒヤシンスの可憐な白い花が咲いた。もう1つは背丈も小さくいまだ花が咲かない。それを見て私は、こっちの方は時が満ちていないのだなぁと思った。

 

ギリシャ神話では、時を司る神様にはクロノスとカイロスがいるという。

クロノスとは、メトロノームのように均一に過去から未来へと刻まれる物理的で客観的な直線的時間、この時間を司る。クロックの語源でもある。

一方カイロスは、今でいう「ゾーンに入る」とか「フローに入る」といった言葉で表現されるところの、直線的時間とは異質な、内的で主観的な時間(トキ)、これを司るとされる。

 

私は時々、このクロノスとカイロスの事を考えることがある。それは余命宣告をされた方に関わる時だ。

宣告どおりに命が尽きることもあれば、余命宣告を過ぎても命果てることもなく、そのうちに病気の進行がそのまま止まってしまう、あるいはあったはずの病巣がなくなってしまったケースにも幾つか出会った。

何がどうしてこのような違いが起こるのか、さんざん検証してみたし、今もそれをわからないながらも続けている。

ただいつも思う。まだ生命果てるその時ではなかったのだと。

 

生・長・盛・老・病・死といった生命体のオオモトをなす時の流れ方は、カイロスが仕切っているのではないだろうか。

日常で刻まれる時間のうち、特に誕生や死といった瞬間は神聖で特別な気持ちを味わう。

無機質に刻まれる時間に、一陣の生(ナマ)の風を伴ってカイロス神が舞い降りるのだ。

 

人が生まれるも 死ぬも

赤ちゃんが歩きだすも 言葉を話しはじめるも

子供の歯が生え変わるも 

木の実がみのるも

花が咲くも

種が落ちるも

 

人間が決めた善悪や図りごとを超えて

カイロス神が降りたもう。

 

原因と結果が短絡的に結びつけられ、

何事も管理できると、ともすれば思いあがる人間に、

カイロス神の存在は私には救いに映る。

 

クロノス神が与えた時間を我らは生きるしかない。

するとある時、カイロス神が我らの頭上に舞い降りるのだ。

 

単調にも思えるかもしれない日常の中で、

1日24時間と決まった一定量の時の中に、

流れ方の異なる時が訪れる。

 

私の今いる空間が、いつもとは別の流れと交叉している。そう、感じられる時でもある。

 

 (後記)

時や時間について、いつもボンヤリながら考えてきました。私の仕事では、患者さんとのお付き合いが長い年月に渡ることが多いので、その方達の人生の断片を見せていただくことになります。自分にも当てはまるのですが、時(トキ)との関わり方によって、人生の変化の速度が変わっていくように感じています。

 

カイロス神は、チャンス(好機)や偶然を司るとも言われています。

「チャンスの神様には前髪しかない」という言葉は、ギリシャ神話のカイロス像がモデルだそうです。この意味は、チャンスは後から捉えることはできないというもの。

 

チャンス、タイミング、シンクロニシティといった時の妙技を逃さぬためにも、

日々大事に時を過ごしたいなぁと思うこの頃です。

 

それにしても神話って、面白いです。

それこそ時を超えていますしね。

 

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 インド、チェンナイにて撮影 

 

 同じ空間に重なりあう世界がある。ちょうど5年前の記事です。もし良かったら!garaando.hatenablog.com

 

 

東洋医学各論10  衛気(えき)

ここ数年の私は、滅多にテレビを見ない。

時折テレビで話題の政治家たちを拝見する機会があると、その内容よりも気になることがある。

お化粧を落としたこの知事の素顔は、ホントはどんな??

顔色の悪い老齢のこの方は、本当にツラの皮が厚いの??皮膚も厚いの薄いの??

鉄面皮に見えるこの方だから、全く噛み合わない答弁を繰り返すことができるわけ??

 

ツラの皮が厚くて鉄のように硬いというのは、外界からの干渉を跳ねとばす防衛機能が旺盛であることの象徴のようだ。

 

今回も、人体の皮膚について東洋医学の視点から触れてみたい。

 

前回の記事で示したように、皮膚は自己を個体ならしめ外界との境界をつくる役目が最も大きい。我らは皮膚によって自己を外界と区別し、境界線を引く。

どこまでが自分の内部でどこからが外部なのかといった境界線を。

外部との様々な情報やエネルギーの交換をしながら、生命体として維持できるようにと内部を守る役目が皮膚にはある。

気の医学と言われる東洋医学では、この皮膚の表面に、さらに皮膚を守る気があるとされる。そしてそれは防衛の衛の字を用いて、衛気(えき)とよばれている(以下、東洋医学用語は太字で記載)。

<注:この衛気は、経絡(体内にめぐっているとされる気のライン)や血管の外を流れる気であり、体表を覆い外邪から内部を守る働きがある。これに対して経絡や血管の中を流れる気で全身に栄養を運ぶ働きをもつ気を営気(えいき)という。>

 

この体外と体内については、この記事を参照

garaando.hatenablog.com

 

粘膜や表皮を保護する気である衛気

この衛気が希薄になると、外邪(外部にある邪気:風・寒・暑・湿・燥・火といった過剰に強い性質を持つ気)に対抗できずに、外界からの刺激(日光、寒湿冷、静電気など)やアレルゲン(ダニ・細菌・ウイルス・ほこりなど)に反応しやすい。

アトピー、敏感肌、乾燥肌は皮脂膜が薄く、角質層の水分やセラミドが不足しているため皮膚のバリア機能が低下しているといえる。そしてこのバリア機能の一端が、まさに皮膚の表面を覆う衛気なのだ。

 

また人間は起きて活動している時は、外部への注意が払われており、外に向かって気を張っている(交感神経優位)。就寝時は、内部へと気が向かう。こうして内臓の自律的活動へエネルギーが注がれ外へ向かう気は手薄となる(副交感神経優位)。寝る時には毛布や布団をかけるのは、手薄になった体表を保護し外界からの異物の侵入を防衛するためなのだ。この毛布や布団の役割を衛気と考えてみるとわかりやすいかもしれない。

普段の私やあなたは、目にはみえないどんな毛布や布団を身にまとっているのだろう。

目の詰んだ毛布や弾力があって厚みのある布団のような衛気を帯びている人は、免疫力が強いのだ。

 

衛気の充実。これは健康を守るうえで大切になる。

この視点で見てみても、

消毒のしすぎや洗いすぎで手が乾燥してカサカサしたり、薄くなったり、はたまた指先が逆剥けで痛むのは、衛気が希薄になった状態であり免疫を弱めてしまう。

酵素や麹といった発酵食品を手作りすると、皮膚がしっとりして手がプクプクになる経験がある方も多いと思う。発酵食品が免疫力をアップするというのは、微生物の力をかりて生命体を生き生きとさせ、ひいては気の充実を図ることができるからなのだ。内と外との観点からみても、胃や腸の粘膜(内)の健康はとりもなおさず表皮(外)にあらわれるのだから、消化器の内膜が健康になると、適度な潤いがあって弾力のある外皮が形成されて、身体全体の免疫力があがるのである。

 

 衛気(えき)と呼ばれる 気 。

それは、地球にオゾン層があるように、身体の表面を覆い我らを外敵から守ってくれている。

 

 

<おまけ:臨床例>

熱感と痒みを伴う発疹ができるという蕁麻疹。

数時間で症状は消えるが繰り返す。掻いたらミミズ腫れになる。

蕁麻疹の原因のひとつに気虚(えききょ:衛気が乏しい)があげられる。そのため皮膚の抵抗力が低下がする。日光・寒冷・温熱刺激、発汗などの影響を受けやすく、疲れがたまる夜にでやすく寝ると治っていることも多い。

衛気を充実させるためには?自然のリズムに合わせて暮らし、食生活を見直し、太陽を浴びて陽気のバリアをまとい、疲れをとることが大事。これでも症状が改善されない時は、漢方薬の力を借りるなどがオススメ。

 

(後記)

今回は、衛気という気のバリアで外敵の侵入を防ぐという防衛力について書きました。

これは健全な防衛という意味で衛気を取り上げたのですが、メンタルが絡んだ過剰な防衛というのもあります。 鉄面皮 とか ツラの皮が厚い という言葉で表される防衛は、健全とは言い難いと思います。

このことについて説明を少し。

精神分析フロイトの弟子であるウィリアム・ライヒは、感情的抑圧が身体の一部分を硬直させ、筋肉の鎧をつくるという心身相関に着目しました。つまり筋肉を硬くして防衛する。この背景には感情的抑圧があると。

さらにライヒの弟子アレクサンダー・ローエンが、バイオエナジェティックスというボディサイコセラピーの先駆けとなる治療方法を打ちたてました。これは、防衛によって筋肉に閉じ込められ、流れを止められてしまった生命エネルギーを回復させるメソッドです。

 

 バイオエナジェティックスについては、こちらも参照

garaando.hatenablog.com

  

防衛は、自分と自分自身との関係、自己と他者との関係といった、さまざまな関係性をめぐる重要なテーマだと思います。

 

自分を守るために必要である防衛。

これがともすれば過剰となり、

あるいはそもそも自分の境界がわからずに、自己と非自己を見分けるバウンダリーが曖昧となって、

自己免疫不全というアレルギー系の疾患の原因にもなってしまいます。

 

健全な防衛 と 健全なバウンダリー

この繋がりあう世界にあって、

これは私にとっても大きな課題のひとつだなぁと感じています。

 

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ベネズエラ、ラ・グアイアとカラカスの間にそびえたつアビラ山のふもとを撮影

 

気については、こちらも参照

garaando.hatenablog.com

 

身体感覚を開く 皮膚

私の好きな映画のひとつに、個性派女優ウーピー・ゴールドバーグ主演の「天使にラブソングを」のコメディ作品がある。この映画の中で修道女になりすました彼女が、爪をたてて黒板を引っ掻き、その強烈な不快音によって騒がしい生徒達を黙らせるシーンが冒頭にある。私はこの時の鋭く耳障りな音を聴く度に、とたんに鳥肌がたち背筋がゾワゾワっとする。まるでこの不快音を、身体全体をあまねく覆う皮膚が認識し、反応しているかのように感じるのだ。

そして思う。

 

はたして音は、耳という感覚器を通じて脳で反応しているだけなのだろうか。

このゾワゾワ感はなんなの??

 

マジックで字を書く時のキュキュという音、ガラスをひっかく音、発泡スチロールの擦れあう音。。こういった音を想像しただけでなんとも不快な身体感覚を味わう方も多いと思う。

 

今回は、人間の五感(視・聴・嗅・味・触)の中で、触覚の感覚器官でもある皮膚について考えてみたい。

 

皮膚は「第2の脳」とも「第3の脳」とも言われはじめた(注:「第2の脳」を消化器とする説も多い)。これは、脳との関係性に着目して皮膚の働きを探っていくと新たな可能性が見えてきたからだ。

 

そもそも発生学(多細胞生物が受精卵から生体になるまでの過程を研究する学問)の視点からみると、皮膚は脳と同じ外胚葉由来だ。

外胚葉から分化するものとしては、皮膚(表皮・毛・爪・皮膚腺を含む)、脳(脊髄・末梢神経を含む)、そして感覚器(視・聴・平衡・味・嗅覚器)があげられる。つまり、皮膚と脳(神経)、および感覚器は同根なのである。

 

発生については、こちらも参照 

garaando.hatenablog.com

 

それゆえ、皮膚には脳の働きと似た機能があってもおかしくない。実際に赤ちゃんは生後7、8ケ月まで感覚神経が未分化で、皮膚への刺激で脳が活性化されるため、スキンシップが重要となるのだ。

そもそも人間には、多細胞生物になるまでに、アメーバに代表される単細胞生物が合わさって進化してきたという長い歴史がある。

このような単細胞生物は、皮膚(外膜)が生命体としてのかなりの機能を担っていたのではないだろうか。視・聴・嗅・触といった外界からの刺激に対する反応器官も未分化のままに、皮膚とおぼしき膜(マク)が一切を引き受けていたに違いない。

 

さて、ここで人体の皮膚の機能について考えてみる。

皮膚は自らを個体ならしめ、外界との境界を作る役割がある。自己の境界を明確にした上で、生命体として己の内部を守らなくてはならない。つまり防衛機能が、皮膚の役割として最も重要となる。こうして内部から外部への体液の流失を防ぎ、外界からの刺激に対してバリアを張ってコントロールする。

 

また防衛するためには、外界からの刺激に対して敏感でなくてはならない。そこで感覚機能も重要になる。この感覚は皮膚感覚とも言われ、触覚、痛覚、温冷感覚など皮膚にある受容体によって知覚される。

こうして外界が暑すぎる時は発汗して体温を下げたり、水分量を調節をしたり、寒さを感じる時にはブルブル震えて熱をうみ出したり、体内を調節するセンサーの仕事をしながら外敵に対して防衛する。

 

さらに、皮膚には色を識別する能力があることがわかってきた。

つまり目をつぶったまま色紙を手で触り、その色を当てることができるのだという。実際に私は脳認知学者のワークショップで、視覚障害がある方達が手で紙を触っただけで、いとも簡単に色を識別する場面を見せてもらったことがある。

 

これはエスパーみたいな怪しい話に聞こえるかもしれないので、もう少し身近な例で考えてみたい。ちょっと自分の好んで着る洋服の色を思い浮かべて欲しい。

暖色系を好み赤やオレンジ系の洋服が多い人や寒色系が好きでブルーや黒の洋服しか持たない人もいる。自分があまり着なれない色の洋服を着た時に、なんとなくソワソワとして落ち着かない経験はないだろうか。

これは人体のエネルギー体とも絡む話なのであるが、皮膚が持つ色の知覚機能とも関連している。

  

さらに! 

子供は頭を撫でられたり、抱っこされたりすると安心する。

またある空間にいるだけで心地よく感じることもあれば、悪寒がしてムシズが走ることも身の毛がよだつ時もある。

直接的に触れ合うのであれ、雰囲気を感じるのであれ、肌感覚から喜びや不安、恐怖などの感情が引き起こされる。つまり、皮膚は感情とも深い関連があるのだ。

加えて、皮膚にはセロトニンドーパミン、そしてアドレナリンといった脳内物質を受け取る受容体も備わっているため、幸福感や快感、高揚感といった感覚も生まれる。

なんとなく肌が合うというのが人間関係の相性を見るのに役立つのは、身体感覚に基づいていて感情にも訴えるからなのだ。

 

このように私たちは、計りしれないほどの膨大な情報を皮膚から受け取っている。

 

ならば。。

さあ、感受せよ!

言葉にならない感覚を。

意識せよ!

目にはみえぬ変化を。

 

身体の声を聴くとか、

身体感覚を開くということは、

こうした訓練を積み重ねていくプロセスのことなのだ。

 

 

(後記)

今回は、身体のエネルギー体(注:身体には肉体の他にエーテル体、アストラル体、メンタル体などと呼ばれるエネルギーの身体をいくつもまとっています。いわゆるオーラというのはこれらの総称)とも絡む内容を、皮膚の機能に焦点をしぼって書いてみました。

 

以前、マヤ文明のシャーマンのガイドでメキシコを旅したことがあります。その彼が天から降りてくる情報をキャッチする時、決まって彼の腕はgoosebumps(鳥肌)になっていたのです。

 

シャーマンは、肌でも受信するんだ。。。

 

私は、毎日患者さん達の肌を診ながら治療をさせていただいており、皮膚についてはいろいろと思うところも多いのですが、このシャーマンの鳥肌はとても印象に残りました。

そしてさらに皮膚の持つ可能性を感じたのです。

 

私も自らのアンテナに磨きをかけるべく、 

雪色に染まる原っぱに立った時、

新緑が眩しい森の道端で、

あるいは緊急事態宣言中で誰もいない飲み屋街のネオンの下、

 

私をとりまく世界の色やテクスチャを

皮膚でキャッチしようと

仁王立ちになって

一人そっと目を閉じてみます。


 

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 東京阿佐谷にて撮影

 

東洋医学各論9  病気の原因と身体感覚

北国では、一夜にしてその景色が変わる朝が来る。

吐く息がほのかな煙のように拡がる朝。カーテンを開けてみると、葉っぱを落としきった裸ん坊の木々がおりなす、昨日までの乾いた土気色の風景が、発光するような雪色に染められる。

とうとう冬だ。また冬の到来だ。はっきり言葉にならないまでも、踏み出した季節のはじまりを、ある種の覚悟をもって全身で感じるのだ。私は、雪の持つ美しさや温かさを喜びつつも、生活の大変さに身も引き締まる、ひどく複雑な感覚をいつも味わう。

 

自然はある時、ハッキリと五感に訴えるほどの変化を示す。

人体は小宇宙なのだから、私たちの身体にもこのように際立った兆しが現れる時がある。

病(ヤマイ)こそ突然発現するのではなく、徐々に進む変化の中で極まるのである。

 

例えばある日、

くしゃみをした途端にギックリ腰になった。

突然膝関節が痛み出して、歩けなくなった。

関節のひどい痛みでリウマチと診断された。

胃潰瘍から胃穿孔となって救急車で運ばれた。

難病の指定を受けた。

突発性難聴になった。

命に関わる病名を告げられた、などなど。。

 

ある日突然、災難に襲われたように感じる病気だが、これは何が起こっているのだろう。

 

東洋医学では、病気の原因を外因内因不内外因の3つに分けている。(以下、東洋医学の専門用語は太字で!)。

 

外因とは、自然界の気候の変化が原因となるものをいい、風・寒・暑・湿・燥・火といった6つの自然界にもある気(六気という)の過不足によって生まれる、風邪寒邪暑邪湿邪燥邪火邪といった病邪をさす。これらは外部から身体にダメージを与える。

猛暑の夏は暑の過剰により、冷夏は暑の不足により、それぞれ不調をもたらす。

外部からやってくる病邪は、我らの身体の口や鼻さらに体表から入りこみ、免疫力が弱っている場合に病気となる。

またこういった邪気は、単独ではなく複合的にやってくることが多い。冬であれば、寒邪燥邪の双方にみまわれて風邪をひく。

 

内因とは、持って生まれた体質(虚弱、風邪をひきやすいなど)に加えて、喜・怒・思・憂・悲・恐・驚の7つの感情(七情という)をいう。これら七情の行き過ぎがストレスとなって内臓を傷め、疾病に至らせるとされる(例:喜びすぎは不眠を、怒りすぎは脳溢血を招くこともある)。

 

不内外因とは、外因や内因にあてはまらない生活習慣をさし、働きすぎ、運動の過剰および不足、偏食・過食・少食、ケガ、性生活の乱れなどをさす。

 

このように病気の原因は、常に身近な、見すごすことができるほどの小さなコト。

これら小さきコト達が集まって、ある閾値(いきち)を超えた時に人は発病する。

例えばギックリ腰といった急激な腰痛。

このウラには必ず、寝不足・疲労・冷えがある。

反対に言うなら、寝不足・疲労・冷えがあっても、閾値を超えない範囲で気づいて改善することができれば、酷い痛みや症状を避けられるのだ。

極まらせない。

極めない。

 

さてどうしたら、極まってきた身体に気づけるのだろう。

(極まった時にのみ気づくこともあるが、これについてはまたいつか!)

これは、自らの身体を感じる能力を磨くしかない。

「身体の声を聴く」、あるいは「身体感覚を開く」と言われるように。

 

参照記事

garaando.hatenablog.com

 

最近になって私は、このように身体と向き合うためには知るべきことがあるのだと気づいた。

それは、身体の細部へと視線を落とせば落とすほど、実は複雑であるということだ。

外邪である気候の変化に直接さらされるのは、外界との境界をなす皮膚であり、自己の末端である。

夏の猛烈な暑さも、秋に起こる口や鼻の乾燥も、冬に感じる震えるような寒さも、直接さらされるのは末端や細部なのだ。冷たいビールで冷えわたる胃の粘膜も細部。。

この身体の末端や細部こそ、生命活動を絶え間なく動かしている現場なのだ。

 

その現場に向かって、私はハリを打つ。

表皮から体内へ侵入したハリは身体にとっては異物なのだから、細胞たちはこの異物に対処するために動き出す。細胞たちが締まってくる時もあれば、波紋のように拡がって緩む時もある。ハリ先から感じられる細胞たちの動きは、とても微妙だ。

人により、季節により、環境により、病気の深さにより、メンタル的要因により、細胞たちの反応は、いちいちまるで違う。

そう、現場はいつだって複雑なのだ。

 

例えば会社で上司の機嫌が悪いだけでも、緊張が増し仕事の効率は落ちる。

天気がいいだけで、サクサクと仕事がはかどる。

そんな思ってもいないような様々な条件によっても、現場は影響をうけている。

 

身体の最前線で働く細胞達は、微細なことに影響されながら、互いに複雑に絡み合って働いている。

冬の寒さに備えて精一杯準備していたとしよう。

ああ!それなのにご主人様は、突然沖縄のビーチへと旅に出たりするのだ。

まさに現場を無視したトップダウンの決定!

このような決定を私たちは幾度となく無意識に繰り返しているのではないか。

 

生命体の細部や末端は、繊細で複雑である。

このことをもっと意識したとしたら、自らの身体にもう少し感謝できるのだと思う。

こうして自己の身体を労われた時、身体感覚も開いていくのではないだろうか。

 

 

(後記)

「真理とは何なのでしょう」

8年以上にわたり教えを受けた私の師は、この命題にこう答えました。

「真理とは、流れる川のようなもの」

 

私は「真理はシンプル」という言葉にずっと疑問を持っていました。

どうなの? 本当にシンプル? なの??

 

一瞬たりとも止まることのない現場における、様々な要素が絡み合う複雑さ と

トップダウンで全ての枠組みを変えてしまう思いつきのようなシンプルさ。

この対立的構造が今の社会の随所に見えてくる感じがしています。患者さん達から話を聞く度に。。

現場と行政、労働者と組織。

そしてさらに広がるであろう社会的弱者と上級国民といった格差社会

 

こういった社会現象は、どのように自分の身体に反映されているのだろうかと探ってみたところ、末端や細部の複雑さが見えてきました。

我らの身体の中にも、生命体細部の複雑さ VS 頭による支配的短絡さ の構造があるなっと。

 

今回は、病気の原因を示し、細部の複雑さに目線を落とすことについて書いてみました。

自力で免疫力を高めることが求められる今、何かのお役にたてたら嬉しいです。

そして細部は複雑であるからこそ、ちょっとしたケアで身体はどんどん変わります。

今まで散々不摂生してきた方、アルコールやタバコをやめられない方、自らの内に恐れを秘めて健康について諦めている方、そんな皆様は、まずは身体を温めることから始めてみてくださいね。結構楽しいと思います。

 

私が治療家としてずっとモットーにしてきたのは、現場主義です。

私にとっては、臨床ですね。

この繊細で複雑な現場で働けることがありがたいなぁ〜と、特に今年は思いました。

これからも私の現場である、臨床を大事にしていきたいです。

 

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メキシコ、シアン・カアン生物圏保護区にて撮影。川がカリブ海に合流する地点。

garaando.hatenablog.com

東洋医学各論8 肺

憂いあふれる和風美人画の作者、竹下夢二。

彼の描く女性像は、色白の瓜実顔で髪の毛が多めの痩せ型。そして独特の情感に溢れている。

背丈はスラッとしているから声帯も長いはず。それゆえ声は低くたぶん小さい。このようなタイプの女性がもし病いを患うとしたら、肺結核かなと勝手に想像してしまうのだ。

 

今回は、外見に表れる特徴から体質を読み取って病と結びつける東洋医学的な解釈を、肺という臓器を取り上げて探ってみたい(以下、東洋医学の専門用語や注目すべきは太字で記載)。

 

<注:中医学には臓象学説といわれる考え方がある。これは器という身体の内側(陰)の活動異常は、必ず外側(陽)の現に表れるとし、その関係性に着目するもの。具体的には実質臓腑である肝・心・脾・肺・腎(五臓)は、それぞれ胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦(六腑:)と経絡が通るルート)を通じて関係しあってシステムが作られている。肺は大腸と、それぞれ経絡のルートで通じ合い、表裏の関係となる。さらに肺は呼吸器であるからと繋がっており、皮膚呼吸という視点で見れば皮膚および皮膚上に生えるうぶ毛(あわせて皮毛と呼ぶ)ともシステムを形成している。中医学で肺という場合、肺という実質臓器の他に生理や病理といった働きを含むシステム全体をさす。これは、肺という解剖学的な臓器のみを示す西洋医学とは異なる点である。>

 

肺の主な役目は、気をつかさどること。これには①呼吸の気と②全身の気があり、両者2つの気をつかさどるとされている。

 

清気を吸って不要な濁気を吐く。この動作を行うと横隔膜が上下し、胸腔と腹腔とで「昇降(しょうこう)」と呼ばれる活動が始まり、身体全体へ気を巡らせることができる。

このことは、肺が単に酸素と二酸化炭素の交換だけをしているのではなく、呼吸のリズムによって全身へを巡らす循環も担っていることになる。

 

心(シン)が血液のポンプであるなら、肺は呼吸というリズムを生み出すことによって気のポンプを作ると考えてもいい。

 

気が全身へと巡れば、心(シン)の血液運搬を助け、さらに津液(シンエキ:血液を含む体内の水分の総称)の運搬や排泄と関わり、尿や汗もコントロールする。このように肺は、呼吸によって大気から気の材料になる清らかなる気を取り入れ、さらに呼吸のリズムによって昇降という物理的運動を起こし、気を全身に巡らせて全身の新陳代謝を促し、その結果として水分代謝を促進させる。それゆえ、肺には水分の巡りをよくする働きが含まれる。肺が機能低下になると、呼吸不全や咳の他、痰やむくみ、鼻水が出てくるのも、水分代謝と関わっているからなのだ。

 

呼吸についてもう一度考えてみる。

呼気(吐く)の動作は、上と外に向かい(これを中医では、宣発:センパツという)、吸気(吸う)のそれは、下と内に向かう(粛降:シュッコウという)。

この上にあがり外へと向かう力である宣発が起これば、体表にある津液という水分をめぐらし、栄養を運んで皮膚に湿いを与えることができる。

身体の表面である皮膚が正常である場合には、外界と接する境界線(バウンダリ)を形成する。これにより外界からの攻撃に対して自己の内的世界を守り、排泄すべきものは汗となって発散しながらバリアを作り、防衛機能をアップさせる。したがって肺がきちんと働いていると風邪をひきにくくなるのだ。

このように肺と皮膚は呼吸という共通の役割を果たしている。

また下と内に向かう粛降は、気や津液および栄養を体内の下方へと運び、諸器官を滋養する。つまり呼吸により気を取り入れ、津液を体内の下(腎や膀胱)へと運び、津液の巡りを潤滑にする。

このように水分代謝のプロセスをみてみると、肺が汗や尿の出かたにも実は関わっているのである。

 

<臨床からの考察>

喘息(肺)とアトピー性皮膚炎(表皮)とは密接な関係が認められる。ともにアレルギーの病であり、喘息が発症している間はアトピーは起こらず、アトピーが酷い時は喘息は収まっているケースはよく見られる。これは排泄のパターンの現れ方の違いである。アトピーが良好になっていくには、汗がかけるような体質になることが大事だと臨床例を通して思う。津液の代謝を促進させ(ケツ)の不足を補うことが、喘息とアトピーどちらの治療にも必要なのだ。

 

 また肺は、大腸と表裏の関係にあるという。

これを経絡の流れで見てみる。

下2図は、肺と関連する経絡図。肺経 と 肺と表裏の関係にある大腸経

 は体表ルート、は体内ルート

矢印はそれぞれの経絡の流れる方向

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肺経のルート

上腹部から始まり大腸と肺を通り喉を巡り、腕のつけ根から体表に表れる。

肩の内側から腕の内側を下り親指先で終わる。手首で分岐して人差指から大腸経へと繋がる。 

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大腸経のルート

肺経の流れを受けて人差指から始まり合谷というツボを通り腕の外側を上って肩へ。

鎖骨下で体表と体内に分岐。

体内ルートは肺を通って大腸へ向かう。体表ルートは喉を上り反対側の小鼻の傍のツボで終わる。ここから胃経へと繋がる。

注:一般的には緑色の経絡の流れは顔面の対側の鼻の横へ。この図では同側の鼻の横になっている


このように、肺経と大腸経とは、経絡が通るルートの位置も腕の外側と内側で表裏をなしている。また肺の機能が低下すると津液の流れも悪くなり、大腸は乾燥して便秘になる。大腸に熱がこもれば、胸が苦しくなったり、咳が出たりという症状にもなる。大腸の汚れが肺とシステムをなす表皮に現れることも多い。

 

東洋医学でいう肺と関係ある病いには、西洋医学でいう呼吸器としての病いに加え、鼻の病いや嗅覚の異常、皮膚疾患、むくみ・排尿・発汗のトラブル、大腸にまつわる病気、免疫に関する感染症やアレルギーなどがあげられる。

 

気の医学であるとされる東洋医学において、

気をつかさどるとされる肺は、

実に幅広くその役割を担っている。

 

(おまけ)

肺と関連あるもの:

自然界においては 秋・燥・西・白

人体においては 大腸・鼻・息・皮毛・悲しみ(憂い)

 

(鼻呼吸のススメ)

この時期、良質の睡眠が免疫アップには欠かせない。

オススメは、睡眠時の鼻呼吸。

いびき・睡眠時無呼吸症候群の改善、風邪や感染症の予防、高血圧の予防にもなり、疲れやすさも改善される。

口にテープを貼って寝るだけ。縦ばりでも横ばりでも。慣れるのに数日かかる方も多い。続けているうちに慣れてきて、呼吸器のトラブルが軽減される。

市販のテープはいろいろあれど、ランニングコストもやすく接着剤の匂いもなく、アレルギーにも大丈夫なのは、このテープ。ぜひお試しあれ!

 

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秋の小樽。早朝に撮影

 

 

繋がりあう世界 腰痛

テレワークの推奨により、在宅で仕事をする人が増えた。

ある患者さんは、会社での自在に動く座り心地の良いイスではなく、自宅の小さなダイニングテーブルとイスで仕事をしなければならなくなった。

彼女はかなりのハードワークをこなしていて、慢性的に腰痛や肩・首の凝りがあり、それが高じて時々頭痛も発症していた。10年以上のおつき合いがあるのだが、そのハードワークぶりに私の治療はせいぜいお疲れをとる程度のものだったと思う。

ところがここ数ヶ月、彼女の身体は腰椎のねじれが改善され、肩こりも減ってきた。これは通勤や会社での、気づかぬうちに強いられる緊張がなくなったせいではないかと私は思っていた。しかし・・。

彼女は出社日に会社に行って、座り心地の良い大きなイスに座ったそうだ。自由に動けて快適であるが、足は床につかず忙しくなるとつい足を組んでいたことに気づいたという。一方自宅の小さなイスでは、スペースが狭すぎて足を組むにも組めず、足裏はしっかり床についたままで身動きできない。

 

彼女は腰痛が減った理由をこの小さなイスのせいではないかと話してくれた。

まさに!と私。なぜなら、他にもこういう症例が幾つもあったから。

例えば会社で席替えがあり、コックピット?のような狭くて身動きままならぬ場所に配置されたSさん。足を組むこともできず、電話にでるのも身体ごと向きを変えなければならない。恨めしく思いながら仕事していくうちに、腰痛が改善されてしまったのだ。

私達はこれをコックピットの恩恵と名づけた(注:コックピットに座ったことがないため、すべて想像です)。

 

なぜ足を動かせない狭いスペースだと腰痛が軽減されるのか?

これは、腰痛は腰だけの問題ではないからだ。

歩くという動作ひとつを取り上げてみると、

地面に足裏がついて、歩くために土を蹴り上げる。

その蹴り上げるための足裏の筋肉は、足首、ふくらはぎ、前脛骨筋、膝関節、大腿四頭筋、ハムストリング、股関節、腸腰筋、腰椎へとずっと連なって動くのだ。

合わない靴を履いて20分歩くだけで、腰痛はやってくる。

このように身体のひとつひとつの部分は、面々と連なり合って全体としてはじめて機能する。

 

膝に不具合がある場合、膝→股関節→腸腰筋→腰椎へと歪みは伝わって股関節痛や腰痛にもなる。ひいては身体全体の左右のバランスが崩れ、肩が凝ったり頭痛になったりもする。また逆も同様に腰が悪くて膝に痛みが出ることもある。

特定のある部分に痛みが出現したとして、根本の原因は他のところにある場合も多い。

和紙を綴じるコヨリを考えてみて欲しい。

ネジレをキツくするほど、まっすぐになる。

身体のある部分に小さなネジレがあると、身体は更にどこかをネジル。どこかをネジルと更にまた別のどこかをネジリながら、身体全体としてのまっすぐを目指すのだ。

身体は、部分と部分とが繋がりあいながら、それでも高みを目指す。作り出された歪みは、それがさらに極まるように時間をかけて進む。しかしそれは、生命体がバランスを保つための反応でもあるのだ。

 

足裏が床にぴったり着いていると、足裏から繋がる部分の筋肉の動きは最小限となる。

固定された下肢は、股関節の歪みを少なくし、腰椎に連なる筋肉の左右差をも軽減する。

こうして腰痛という症状が治まっていくケースも多い。

 

さて、ここで磯谷療法という治療法をご紹介したい。

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圧倒的臨床データが魅力!

これは、足首と膝下と膝上の3カ所を、それぞれ左右の足を揃えてギューとヒモで縛って下肢を固定して眠るというもの。この結果、膝や股関節、腰椎をはじめとする様々な不調が治っていく。

私がこの治療法を知ったのは、ずいぶん昔に数人の患者さん達がこの治療法で腰痛が治ったと教えてくださったから。その後に私は、小学校低学年の患者さんを紹介するため、先生のもとを何度か訪ねた。

それ以来私は、映画を観る時や飛行機に乗る時はマジックバンドを携帯し、こっそり両足首を束ねて縛っている。腰痛になりそうな時も、足首だけを簡単に縛って寝ている。

こうして自分の股関節の左右差を少なくするべく固定していると、腰痛が軽減するのだ。

  

さらに、ここで考えてみてほしい。

私達の何気ない癖や習慣というものがどれほど身体に影響を与えているかということを。

そして、そういった習慣や行動パターンを変えることがいかに難しいかということを。ほんのちょっとしたことであるにもかかわらずだ!

外的な強制的変化は、それがいかなるものであれ、身体の変化を余儀なく起こす。そしてそれは、それまでの自分の世界観をうち破るきっかけにもなる。

こんなことで長年の痛みが変わるんだ!という発見を伴って。。

 

また身体は絶えず動き続ける。

何かの症状は、様々に繋がりあう関係性の結果であって、微細な動きの連続の果てに表現されたもの。

外部環境がちょっと変化しただけでも、細胞達は、それまでとは違う有機的な繋がりを選んでいく。どんどん、選び続けていく。その結果、頑固だったはずの症状は変化する。

実は、いつでも選択している。無意識のままに。。

惰性に任せた選択をひとつ変えるだけで、そこから先は別の流れが待っている。

本当は、いくらでも変われるのだ。

 

こうして時折、

身体感覚を伴って、自分の身体の成り立ちを意識的に発見することができるのである。

 
 (後記) 

先日、中学・高校の仲良しだった友人と3、40年ぶりに再会して、ゆっくりと話す機会がありました。彼女は、中学時代の私の印象をこう言いました。

「不思議ちゃんだった。。今で言うスピリチュアルというか・・」と。

この言葉は、カウンターパンチのように私に響きました。

不思議ちゃん。。私が誰かを不思議ちゃんと思うことはあっても、自分が不思議ちゃんだと思ったことはなかった。。しかも私は、スピリチュアルにだけは見られたくないと、実は思い続けてきたのです。

だって、マッチ棒が何本も乗るほどの、まつ毛が長〜い綺麗なお姉さんに「ありのままでいいの」と言われても、なんだかなぁ〜って思っていたし。

あなたと私は過去世からの繋がりですとか言われても、どうなんでしょうか??と。

シンクロという言葉も、不用意には使わぬように極力注意してきました。

そして何より怪しい治療家と思われては、ハリの神様に申し訳ない!という想いがありました。

昨今のスピリチュアルに対する私の抵抗は、かなりのものがあったのです、ハイ。

 

でもね、ま、バレてたわけですね。

 

幼い頃からずっと私は、現実よりも見えない世界に興味があった。

興味なんてものじゃない、確信があった。

私がいるココは幻世で、真実は見えやしないと思っていたのですよ。

治療家になってからというもの、大手を振ってさらに不可視の世界にのめり込みました。気とかエネルギーとかを仕事で扱うのですからね。そうしていると、さらに面白い体験がいろいろ起こり続けて止まらない。

ま、いいですね。不思議ちゃんでも、スピでも。古い友人の言葉でスッキリしました。

きっと私の見えない世界への確信は、身体を扱わせていただいている今の私の仕事に役立っているのだと思います。たぶん。。

何かの症状をみても、その奥にあるナニモノカに目がいくのだと思うのです。

 

長年私を支えてくださっていた患者さん達も、こんな私を優しく見つめてくださっていたに違いありません。ありがとうございます。

自分についても発見した日々でありました。

毎日は、なんと発見に満ちていることでしょう。

 

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2020年3月6日、苫小牧市上空で飛行機の中から撮影したUFO

(なお、文中に登場する患者さん達の承諾を得て掲載)

 

 こちらの記事も参照

garaando.hatenablog.com

 

garaando.hatenablog.com