“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

繋がりあう世界2 発酵と酵素

築93年を経た木造の我が家が、私の小樽での治療所である。さてこの家を掃除してみると、これがもう笑っちゃうほどに小さき生物達の足跡をたずねる旅になる。

いたるところに蜘蛛の巣あり!四隅はもちろんのこと、戸棚の表面にもうっすらと。ちょっと高みを見渡せば、手の届かぬところのソコカシコに。この作品を作ったであろう蜘蛛の姿はいっこうに見当たらぬ。一体何処へ?

わらじ虫達はどこから湧くのかわからないが、春の陽気に誘われて我先にという感じでこぞって水場にお出ましになる。臭いで存在を知らしめるカメムシ。彼らとは戦わずに友達になることにした。ああ、いるなと目視する程度の関係で。

ムカデ、クロアリ、ケムシ、ダンゴムシゲジゲジ。。そして蜂は時おり軒下に巣も作る。

どんなに掃除しようとも、ヤツらには敵わない。よかろう!好きにしてケロ!っと、私は匙を投げて、こう思う。

私は自分の所有物としてこの家に住んでいる気になってはいるが、果たしてここは誰のものなのだろう?彼ら小さき者達は、家賃も払わずにのうのうと住んでいるではないか。そして私は、あたかも彼らのシモベのようだ。窓をあけて風を通したり、食べカスを残したり、室温を調節したり。この家の主人は、実は彼らなのかもしれない。。

 

そんな風に考えてみれば、自分の身体も細菌や微生物達に場を提供する家であるとも言えるのではないか。

我が家のソコココに作られた蜘蛛の巣をとりのぞきながら思う。私の口腔も腸管も皮膚も見知らぬ者たちの痕跡がいたる所にあるのだろうと。預かり知らぬ者達、つまり微生物が、細菌が、今話題のウイルスたちが、ひしめき合って住みついているに違いないのだから。

 

今回は、微生物たちの働きが我らを助けてくれるということに焦点をあててみたい。

COVID-19にも効果ありとされている発酵食品を作り出す発酵とは?

そしてそこに含まれる酵素とは?

これらについて掘りさげてみたい。

  

さて、この発酵とは、酵素とは、一体どういうものなのだろう?

ズバリ!発酵とは、ある食品が微生物の力によって別の食品になること。

こうしてできあがった発酵食品には、酵素と呼ばれるタンパク質が含まれている。

酵素とは、細胞がエネルギーを作る、ホルモンを出す、生命活動に関する指令を伝達するといった活動において、さらに栄養の吸収・燃焼・排泄などの分野において、生化学的変化を促進する触媒(仲介役)の働きをするタンパク質なのだ。

ざっくり言ってしまえば、酵素とは仲介役として働くタンパク質のこと。

 

ここから酵素についての説明を少し。

1 酵素の種類

酵素には、消化酵素代謝酵素と呼ばれる2種類の体内で作られる酵素(体内酵素)と、食べ物から摂取する食物酵素(体外酵素)とがある。

⒈ 体内酵素

①消化酵素は、食べ物を消化するために必要とされる。デンプンにはアミラーゼ、タンパク質はペプシン、脂肪はリパーゼという酵素で消化されるように、食べ物を食べても消化酵素がなければ栄養として取り込めない。

代謝酵素には、呼吸・筋肉・細胞分裂、神経の伝達、体温や血圧の調整などをスムーズにさせる働きがある。何かを見ても、香りをかいでも、美味しいものを食べても、神経の伝達があってはじめて視覚に、嗅覚に、味覚に訴えることができるのだ。自律神経による内臓の働きも、筋肉の弛緩と収縮も、呼吸や血圧調整も、つまり生体に必要なあらゆる働きにこの酵素が関わっていると言ってもよい。

⒉ 体外酵素

食物酵素といわれ、ローフード(非加熱の食品や 生の野菜や果物)に含まれる消化酵素のこと。食物に元々備わっている酵素であり、食べるだけで人の酵素として取り込める。(例:早とりしたバナナやアボカドは、時間の経過とともに食べ頃になっていく。このように自然と熟し自ら消化する力が備わっている)

 

2 酵素の消費

体内で作られる酵素は消化と代謝に分配される。ゆえに消化に使われる酵素量が多くなれば代謝に配分される割合は減少する。少食にすると消化に使われるはずの酵素が少なくなり、その余剰分が代謝に回るので代謝があがるのだ。つまり若返る!あるいは消化を助けてくれる食物酵素を体外から取り入れれば、体内にある消化酵素の浪費が減って代謝力がアップ。代謝があがると、あらゆる生命活動に活力を与えることになる。

 

3 酵素の特徴

①  触媒の働きをする(注:触媒とは、仲介のこと)。

メシベとオシベとの間を行き交うミツバチが仲介して受粉し、種の存続が成り立つ。このミツバチのように、A + B = C の生化学変化の間(マ)を繋ぐ働きをする。

②およそ5000種類もあるといわれている酵素。そのひとつの酵素は、ある特定の仕事しかしない。ある鍵穴には特定の鍵だけがはまるというように。よって、たった一つの酵素が欠如するだけで病気にもなりうる。それゆえ、酵素ドリンクを作る場合、単体の材料で作るより複数の種類を含む方が、より酵素の力は充実する。

③熱に弱い。酵素が働くのに最適な温度は32℃〜40℃。多くの酵素は45℃を超えるとタンパク質が熱変性をおこし、触媒能力を失うとされる(例外もあり)。それゆえローフードは、食物酵素を壊さずに体内に取り入れることができるために注目されている(注:ローフードに凝ってる人の中には、冷えが体内に入っていて体質に合わない場合もあるので極端な食生活には要注意!)。

④多くの酵素(エンザイム)は補酵素コエンザイム)という有機化合物(ビタミン類とミネラル類)がないと働かない。またビタミン、ミネラルも酵素がないと働かないという相互依存関係がある。果物や野菜を材料にした手作り酵素ドリンクには、コエンザイムも豊富に含まれているのでオススメ。

⑤消耗品であるため、補充が必要。

 

つまり酵素とは、

人体の生命活動の間(マ)を繋ぐものであり、

活動のためのエネルギーを作り出す代謝を担っているのだ。

 

間(マ)を繋ぐものである酵素

四季折々の食物を材料にして、旬の酵素を作りながら、

 私はそこに、微生物から繋がっている自然界の循環する世界を見る。

 

<おまけ:日本が誇る 発酵食品>

生のカツオにカビ(微生物)が発生してできるカツオ節

ぬか漬け、梅干し、海苔、納豆、魚の干物、昆布、干し椎茸、

醤油、みりん、酢、日本酒、酵素玄米、味噌

海外ではワイン、ヨーグルト、チーズなど。

 

 (後記)

私は、手作り酵素を学びはじめてマル5年がすぎました。この5年間、ほとんど途切れることなく酵素を作り続け、今も教室に通って学んでいます。

正直こんなに作り続けるとは思っていなかった。微生物の世界は一体どうなっているのかという興味に誘われつつ、ただただ面白くて、その上美味しいので酵素を作り続けちゃいました。

外気温や室温といった温度管理はもちろんのこと、保存方法や時間の経過によって味がどんどん変化してしまう酵素。また同じ場所で同じ材料で一緒に作った仲間であっても、一人一人味が違う。

また何度も酵素を作っている場所で作ると美味しくできあがる。これはパンを酵母菌からおこして作るとか、味噌を手作りする場所にも当てはまります。家の中に酵母菌や麹菌が既に住みついていて、協力してくれるのだと。

こう言った微生物の世界は、土の中にもあって、自然界の成り立ちを支え、循環する生命を生み出しているのだと思います。

 

今の私たちの生活は、

一方で微生物の力を借りて作られる発酵食品を推奨し、酵素を体内に補充して健康を気遣う。

納豆がいいだの、ワインがいいだのと。

その一方で

巷には滅菌された、いつまでも腐らない加工食品があふれ、

我らの身体は、抗生物質によって胃や腸の細菌は撲滅され、

食生活においては、腸内細菌の繁殖に必要な繊維質の摂取は減少しています。

農薬や食品添加物の問題も真面目に議論すらされずに。。

チョイチョイとご都合主義で取り入れられる自然派志向 と アンドロイド的なまでに行き過ぎる潔癖志向。この振れ幅のあまりの大きさにいつも私は戸惑ってしまいますが、こういう割合の上に今の食文化は成り立っているのだと思います。

   

さらに残念なことに私の世代は、修復不能なまでに自然を壊してしまいました。

次世代の人たちのために私が何かできることがあるとすれば

自然界の一部としての身体を回復することのお手伝いだと思います。

 

そして私自身も、微生物たちの世界を感じることで、

生命とは何かという問いを考え続けていきたいなぁと思っています。

 

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 酵素ジュースの材料の一部。自宅にて撮影。

 

関連記事。 

garaando.hatenablog.com

 

勝手に陰陽論17  見方によって世界は変わる

ファンというのは、なんてありがたいのだろう。

患者さん達の話をきく度に、こう思ってきた。そしてその熱狂ブリは、いつも私を幸せにさせてくれる。

モータースポーツの F1世界選手権を欧州へ観にいくためだけに働いている気がする。

羽生結弦選手(ゆず君)を追っかけて海外への応援にもできるだけいく。

東方神起のコンサートでは、どしゃぶりの雨にずぶ濡れになり凍えながらも、同じ苦しみを分け合った忘れえぬ体験だ。

布施明のファンクラブに入っていて、長年アキラをこよなく愛してきた。たとえ森川由加里と結婚しようとも、その愛は変わらない。とかとか。。

 

先日も若手俳優のファンの方と、こんな会話になった。

「彼がTwitterで最近ウイスキーを好きになったとつぶやいたとたん、プレゼントが殺到した。画像でどんなウイスキーが贈られているのか調べてみると、なんと12万円もするのがあったのよ。」

「じゅ、じゅ、じゅうにまん?!そ、それは?」

サントリーの山崎ですよ、ヤ・マ・ザ・キ!」

 

12万のウイスキーをプレゼントかぁ。。しかもまたしてもヤマザキ

 

実は、私とヤマザキとの間には数十年前からの因縁がある・・と勝手に思っている。

 

皆さまは覚えていらっしゃるだろうか。

1990年代日本のバブルが崩壊した後の話だ。

テレビCMに流れた、心に染みわたらせるかのように男性の声で厳(おごそ)かに語られた、あの秀逸なコピー、

「何も足さない、何も引かない」を。

ちょうどその頃、私は自らの座右の銘を考えあぐねた末に決定したばかりだった。

「押してもダメなら引いてみな」に。

TVから流れくるCMで、そのキャッチーなコピーをはじめて聞いた時の私の気持ちは、今もはっきりと覚えている。

「強気だな、ヤマザキ・・」

 

押したり引いたりしている風見鳥のような私と、足しも引きもしない泰然自若なヤマザキ

その頃から私は、こそっとヤマザキの強気に注目していたのだ。

 

そして近年、東京と小樽との2拠点生活をしている私は、自らの不甲斐なさを痛感することが何度もあり、密かに我が座右の銘を変更しようかとさえ考えていた。

2拠点を往来する生活は、移動が多い。

移動時間中に、せっかく5時間も6時間もあるのだから、あの本読もう〜!

いやいやあの本ではなくて、こっちの本の気分かもしれない。文庫だからちょっこっと忍ばせて、これも入れておこう!だって、5、6時間もあるのだよ。

と毎度2、3冊の本を携帯し、キャリーケースにもいろいろな資料を詰めて、ずっしり重くなってしまった荷物を恨めしく思いながらも出発する。

なのに電車に揺られるや早々に眠りに落ちる。飛行機の中でこそ悠々と過ごせるに違いないと思っているのだが、読んでいた本が手からすり抜けるほどに爆睡してしまう。

結局、1冊の本も読めずに呆気なく目的地に到着する。

帰る時も、今度こそ5時間も6時間もあるのだよ!と思って、同じように2、3冊の本を携帯して荷物を担ぐ。行きは失敗したけど、帰りはきっとうまくやれるに違いない。

しかし。。またしても寝落ちして、いつしか目的地に到着している。

1ページたりとも目も通さなかった本やら資料やらを荷物から取り出す時の、あの気持ち。

ガックリきますよ、自分に。こんなはずじゃなかった。

いったい何度繰り返したことだろう。

自分を知らない自分に呆れはてて、押してもダメなら引いてみな!とばかり、1冊も携えずに出発したこともある。するとこういう時だけ、なぜかスッキリと頭は冴えわたり、手持ち無沙汰この上なし。なんて天邪鬼なのでしょうね・・。

そんなわけで、荷造りするたびに重い気持ちになる。

押すのか?引くのか?と迷う優柔不断な自分に・・。押しても引いてもダメなのかと弱気な自分に・・。

ああ!もっと決断力のある揺るぎない自分になりたい!

 

そんなわけで、

自己価値のある、迷いのない態度に実は憧れてもいたのだと気がついた。

そしてマウント感満載の態度をほこるヤマザキをググってみる。

するとヤマザキには、12万で驚くなかれ、24万、165万、220万、そしてな・な・なんと5700万のモノ(送料無料、木箱付き)があった。イチ・ジュウ・ヒャク・セン・マン・ジュウマン・・・と何度数えても、5700万。

いくらなんでも、どうなんだろう?? ウイスキー一本こっきり(700ml)に人生を丸ごと賭けるような、この値段。。

どう思われますか?みなさま!

ま、趣味人というかファンというかマニアとかいわれる人とっては、こだわるモノに対してはプライスレスになるのだね。でもこんなことを知ってしまったら、12万円のウイスキーがいきなり安く思えてきた。

安いじゃないか!12万!

 

ここに至り、相対の世界が見えてきた。

12万円のヤマザキは高いか?安いか?実はこの命題は成り立たない。

今の私にとっての、このウイスキーにかける12万円は、安いのか高いのか?となるのだ。

私のようなシモジモの者にとってはやっぱり高いが、帝国ホテルのバーなんかで毎晩飲んでいる方達にとっては安いのだろう。なんせ世界は広いのだ。

仮にそんな人が事業に失敗して借金まみれになったりしたら、12万のウイスキーなど高嶺の花となるかもしれない。

つまりヤマザキの12万円が安いか高いかは、その人の人生観により時期により状況により、その判断は変わるのだ。

 

またアメリカは西か東か?この命題も成り立たない。日本から見て東であるが、欧州から見て西だからである。

 

安価と高価、東と西、南と北、上と下、右と左、善と悪、吉と凶、さらには生と死でさえも

およそ二項対立する概念は、

それぞれを比較した上で分析することはできるが、一方だけを取り出すことはできない。

ある局面での分析が別の視点に立ってなされる時、

その二項対立する概念の意味は、反転してしまうことも多い。

 

この世は相対の世界。

どこに視点を置くかによって双極が入れ替わり、

見方によって世界が変わるのだ。

  

(ま、そうは言っても12万のヤマザキを一瞬安く感じた感覚は、正気に戻るとマタタクマに消え去りました・・。)

 

<陰陽論の解説>

古代中国思想の構成要素である陰陽論。これは陰陽という自然界の運動と変化をつかさどる基本原則であり、あらゆる日常の栄枯盛衰の自然摂理を説いている。

陰陽論というと、とかく陰と陽とに対立要素として分類することに重きが置かれている感じがする。しかし陰陽論には、その他にも重要な本質がいくつかあり、そのひとつが相対の世界を表現していることだ。

 

 陰陽論については、こちらを参照。

garaando.hatenablog.com

 

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(後記) 

今回は、身近なところの相対の世界を書いてみました。

実は私たちは、見方によって変化する不確かな世界に住んでいるのだと思います。

 

だからこそ、ファンの人たちが放つ

揺るぎない情熱に

その無償の愛に

好きという絶対的な確信に 

私は生への歓喜を感じるのだと思います。

ファンって、本当に素敵ですね!これからもその熱狂を応援していきたいです。

 

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小樽、 精霊たちのいる森にて撮影。

なお文中の会話については患者さんの了承を得て掲載。

  

 わが座右の銘については、こちらも。

garaando.hatenablog.com

 

 

 

勝手に陰陽論16  気 (キ)と 物(モノ)

私の好きなフレーズのひとつに「 気 動じて 物 生ず」というのがある。

気が動けば自ずから物が形づくられる、という意味だ。

 

今回はこの 気(キ)と 物(モノ)との関係を人体の五臓六腑の五臓に当てはめて、陰陽論で考えてみたい。

 

陰陽論についてはこちらを参照 

garaando.hatenablog.com

 

garaando.hatenablog.com

 

陰陽の視点で考えてみると、

気:キ は外へと拡散する動的エネルギーを有する陽であり、目に見えず、

物:モノ は内へと集約されて物質(実体)を形づくる陰であり、目に見える。

 

これを踏まえた上で、五臓六腑の五臓について考えてみる。

西洋医学でいうところの五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓)は実質臓器(広義のモノ)を指すのに対し、東洋医学では実質臓器に加えてその臓器による働き(広義のキ)を含む。よって西洋医学五臓には、臓の字がついているが、東洋医学のそれには肝・心・脾・肺・腎と臓の字がない。

腎を例に考えてみると、腎臓という実質臓器は目に見える形の実体(モノ)である。そして腎臓が持つ生命力を発動させるための働き(キ)には、成長、発育、生殖、老化といった分野がある。その働きゆえ、腎は、骨・歯・耳・生殖器といった器官とも関連が深い。

腎と東洋医学でいう時、これら腎にまつわる器官との関係性にも目を向ける。つまり、腎臓という臓器そのモノに加えて、関係器官を繋ぐ働きをも含む機能全般を網羅する。

腎 = 腎臓本体 (モノ)+ 腎にまつわるすべての働き(キ)となる。

実質臓器は実体(モノ)であり、目に見える陰。

その働きは 動的なエネルギー(キ)であり、目に見えない陽。

この陰と陽が合わさってはじめて生命活動が営まれる。

 

腎については、こちらを参照! 

garaando.hatenablog.com

 

気の医学 といわれる東洋医学において、五臓の捉え方においても気の重要性がみてとれる。

 

気動いて、物生ず。

目には見えないエネルギーが、モノを生む。

自然界における生命エネルギーが、物を、形を、実質臓器を作り、そしてそこに生命力が宿る。

 

意図や意識が何事においても重要なのは、それが現実を作ってしまうから。。

  

その一方で、キ(陽)がモノ(陰)より大事なわけではない。

物質、形といったモノがなければ、そのキ(エネルギー)を感じることができない。

私たちは、陰であるモノの力を借りなければ、その本質がわからない。

スィーツを食べてはじめて、その甘さを味わうことができる。

芸術作品を見ることによって、そこに宿る作者の情熱を感じることができるし、

感謝の気持ちも言葉によらなければ、伝わらないことも多い。

 

形あってはじめて、届くものがある。

  

また目には見えない技術もそれを表現するためには、道具や実体を必要とする。

スキーというスポーツもスキー板という道具がなければ、その楽しさは味わえない。

音楽においても楽曲があって、それを奏でる演奏家たちの技量がわかるのだ。

 

そこに気が動いて、モノが生じる。

そしてモノによってはじめて、目にはみえない世界が広がっていく。

 

陰と陽。

身体という乗り物と精神。

肉体と身体感覚。

言葉と意味。

芸術作品と才能。

これらが合わさって、さまざまな営みが生まれるのだ。 

 

この陰と陽との関係性に目を向けると、

気というエネルギーのありかが見えてくるのかもしれない。

 

 

(おまけ:五臓六腑における臓と腑との関係)

五臓の臓とは、字のとおり蔵するという意味合いの、貯める器。内側にためこむ陰。ここにはその臓器が持つポテンシャルが貯蔵されている。

六腑の腑とは、胃や腸に代表される中空の器官で、流し動かす器官である。外部へと押しだす陽。

内臓である五臓六腑も、陰陽の力が合わさって機能している。

 

(後記)

気(陽)とモノ(陰)との関係は、相反するものでありながら、コインの裏表のようなもの。どちらか一方が欠けても成り立たず、一方だけを取り出すことはできません。

このように考えてみると、気であれモノであれ、いずれか一方へのアプローチであっても全体に影響を与えます。

モノを整理することでエネルギーの流れを変える断捨離のようなモノから入る方法論 と

意図や意識を高めて現実を変えていくキから入る方法論。

どちらも真なり。。

 

色即是空、空即是色。

 

気とモノとの間に結ばれる関係性に気づいていくことは、

単なる方法論ではなく、真理の追求に繋がるのではないかと思っています。

 

 

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人形作家 石田節子氏の作品「桜花」。 自宅にて撮影

東洋医学各論11  経絡(けいらく)

ふと幼い頃の風景が浮かんでくることがある。

先日も懐かしの遊び、炙(あぶ)り出しを思い出した。みかんの絞り汁で紙の上に絵を書いて乾かす。火で炙ると滲(にじ)みながらも秘密の絵がぼんやりと浮かびあがる、炙り出しを。

 

こんな事を思い出したのも、その日の治療で目にしたもののせいかもしれない。人体の表層に炙り出され目に見える形に姿を現したライン、東洋医学でいうところの経絡(けいらく)。それが、患者さんの手から腕に浮かびあがっていたのだ。

彼は、手から腕にかけての湿疹が治らないと言った。

診てみると大腸の経絡の流れに沿って、まさにツボの位置に見事に湿疹が並んでいる。

「大腸に問題があるかもしれない。思い当たることは?」と尋ねてみると、

「実は、もともと大腸が弱い。以前にオペもしているし。。。」とのことだった。 

 

f:id:garaando:20210422103241p:image 左図:大腸の経絡ラインにできた湿疹

 右図:大腸の経絡図 (部分)とツボの位置

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大腸の経絡図(全体)。は体内の、は体表の流れ     

 

 

今回は、この経絡について掘りさげてみたい(太字は東洋医学の用語)。

 

東洋医学は 気の医学 と言われている。

両親から受け継がれ成長・発育を促す根源的な生命力を先天の気といい、

飲食物からの栄養(地の気)と 呼吸によって得られる酸素(天の気)とを合わせたものを後天の気という。

この 先天の気 と 後天の気 とが合わさって真気(しんき)となり、これこそが生命活動の原動力となる。

この真気がめぐる通路を経絡(けいらく)と呼び(注:「」ケツと呼ばれる栄養分も経絡をめぐります!)、この経絡上の要所に360余りの経穴(けいけつ。ツボのこと)がある。アナと書いてツボなのだから、ツボは通常ちょっと凹んでいる。そしてそこは、気が出たり入ったりしてエネルギー調整をしている場所となる。

つまり経絡とは、スパイダーマンの網の目のように全身を巡っているラインのうち縦のライン(注:横のラインは脈絡といい、経絡と脈絡を合わせて経脈という)を指し、気血(きけつ)の通り道のことをいう。

五臓六腑に心包(しんぽう:「心(しん)」を覆う外膜。東洋医学独自の概念で、実体のない臓器とされている)を加えた六臓六腑は、それぞれの臓腑をまとう経絡を1本づつ持ち、合計で12本となる。それぞれの流れは途切れることなく繋がっていき、身体全体に循環輪を形成する。ここでは基本となる14本の経絡ラインを紹介したい。

 

<循環輪を構成する12本の経絡>

1肺経:肺を調節 → 2大腸経:肺経と協力して大腸を調節 →   3胃経:胃を調整し、消化吸収を調節 →   4脾経:胃経と協力して消化吸収を調節 →   5心経:大脳と心(しん)を調節 →   6小腸経:心経と協力して小腸を調節 →   7膀胱経:膀胱を調節し、腎経と協力して生殖や老化に関与 →   8腎経:腎を調節し、生殖や老化に関与 →   9心包経:心(しん)を調節 →   10三焦五臓の働きに必要となる熱や水分を運搬 →   11胆経:肝経と協力して胆を調節 →   12肝経:肝および血液を調節  →   1肺経に戻る

これら12本の経絡は、それぞれの内臓を巡る体内を走るラインと、体表を走るラインとが繋がってできている。<例:肺経のライン 体内の上腹部から始まり大腸と肺を通り喉を巡って腕のつけ根のツボ(中府:ちゅうふ)から体表へ現れ、腕を降って親指先のツボで終わる。手首で枝分かれして人差し指から大腸経へとつづく>

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肺の経絡図。は体内の、は体表の流れ

 

督脈(トクミャク)と任脈(ニンミャク)>

督脈と任脈とは会陰から頭頂を結び躯体の正中線を一周する経絡で、これは気功の小周天の巡りとなる。後面を督脈といい、前面を任脈と呼ぶ(督脈:背面の経絡を監督し、任脈と協力して脳を調整、任脈:妊娠にも関与)。

 

督脈と任脈は12本の経絡とも繋がっており、12本の経絡に督脈と任脈の2本を加えて、基本となる経絡のラインは全部で14本となる。

 

ふぅぅ。。言葉で説明するには、大変に難しい。

そこで、他人様の動画を拝借することに。。

人体には気の通り道なるラインが繋がりあって、こんなシステムがあるよ!というイメージを持っていただけたら。。

 

 12経絡のラインがわかりやすい動画(ネットから拝借)

www.youtube.com

 

 体表の経絡ラインが体内の内臓や器官と繋がっているという動画(ネットから拝借)

 

気の通り道であり、身体全体に張り巡らされたネットワークである経絡のことをイメージしていただけただろうか。

東洋医学においては、気の流れの滞り、気の過少や過剰こそが病気の原因とされている。

そして経絡上に気の異常は現れる。経絡は臓腑を巡っているので、経絡の異常は臓腑にも影響を与えるし、臓腑の病いは経絡上のツボに湿疹や腫れ、しこりとして表現されることも多い。

 

体表に現れる湿疹なども、単なる皮膚の疾患というだけではなく内臓の疾患の表現として捉えてみて欲しい。

痒みを伴う蕁麻疹や湿疹がではじめたら、掻く前にちょっと我慢して、それがラインのように繋がっているかどうか確かめてみる。掻きはじめてしまうと、湿疹の数も増え掻いたところからラインが無数にできて全体的に盛り上がってしまったりするため、問題ある経絡を特定しづらくなるのだ。

経絡のライン上に湿疹が出ているのを発見できたら、その経絡に関係する臓腑こそ治療が必要だとわかってくる。あるいは経絡の異常を整えると、臓腑の疾患も癒えていくのである。

 

自然はいつだって循環輪を形成している。

循環しながら変化することが生命体の基本なのだから、

我らの肉体にも循環するエネルギーの流れがあって不思議はないと思うのだ。

 

人体が有するネットワークシステムである経絡。

目に見えず実態もわかりづらい経絡が、炙り出しの遊びのように時々姿を現すことがある。

 

<後記>

気とか経絡とかはあるのですか?と、今まで何度聞かれたことでしょう。

言葉を尽くして説明しようとしても、これがまた難しいのです。

なんせ、死体を解剖しても気や経絡は見つからない。

西洋医学では、身体は臓器や器官の集合体であり、徹底した分業システムで成り立っているとみるので、死亡した身体を解剖して分析します。ゆえに生命力を失った死体と向き合う解剖学をベースに発展してきたのだと思います。

一方東洋医学は、気こそすべての始まりであるのですから、観察対象は生きている人間です。臓器や器官は解剖学的部分であると同時に、気の器であり場でもある。そして身体それ自体が内部に有機的繋がりを持つ場となるのです。

見つめるべきは死体か生身の人間か?そもそも出発点に大きな隔たりがあるものを、どちらかのモノサシで測ること自体に無理があるのではないでしょうか。

また気や経絡が物質として科学的に解明されたり、〇〇波や〇〇線に還元できると証明されたところで、それが全体像を網羅するかどうかも疑問となるわけです。

 

あるやなしやと考えても全くもって不毛だなぁとガックリしながらも、

私が日々の施術の中で実感している経絡というネットワークの面白さを、なんとかわかってもらうことはできないものかと時々考えていました。

経絡の流れを整えることで癒えていく身体を確認するごとに。

あるいは実際に皮膚に炙り出された経絡のラインを見る度に。

 

身体には、こんなネットワークシステムが実は隠されているんだよ!とお伝えできたら、嬉しいです。

 

 

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 滲(にじ)んでしまった写真、サンフランシスコ市庁舎を撮影

(今回の症例は患者さんの承認を得て掲載)

 

気については、こちらも。

garaando.hatenablog.com

雑考2 時について

「ベランダに転がっていた球根を植えてみたの」と友人は、2つの小さな鉢を見せてくれた。その友人を訪ねる度に、それぞれの鉢からは芽が出て背丈が少しづつ伸びていった。とうとう1つはヒヤシンスの可憐な白い花が咲いた。もう1つは背丈も小さくいまだ花が咲かない。それを見て私は、こっちの方は時が満ちていないのだなぁと思った。

 

ギリシャ神話では、時を司る神様にはクロノスとカイロスがいるという。

クロノスとは、メトロノームのように均一に過去から未来へと刻まれる物理的で客観的な直線的時間、この時間を司る。クロックの語源でもある。

一方カイロスは、今でいう「ゾーンに入る」とか「フローに入る」といった言葉で表現されるところの、直線的時間とは異質な、内的で主観的な時間(トキ)、これを司るとされる。

 

私は時々、このクロノスとカイロスの事を考えることがある。それは余命宣告をされた方に関わる時だ。

宣告どおりに命が尽きることもあれば、余命宣告を過ぎても命果てることもなく、そのうちに病気の進行がそのまま止まってしまう、あるいはあったはずの病巣がなくなってしまったケースにも幾つか出会った。

何がどうしてこのような違いが起こるのか、さんざん検証してみたし、今もそれをわからないながらも続けている。

ただいつも思う。まだ生命果てるその時ではなかったのだと。

 

生・長・盛・老・病・死といった生命体のオオモトをなす時の流れ方は、カイロスが仕切っているのではないだろうか。

日常で刻まれる時間のうち、特に誕生や死といった瞬間は神聖で特別な気持ちを味わう。

無機質に刻まれる時間に、一陣の生(ナマ)の風を伴ってカイロス神が舞い降りるのだ。

 

人が生まれるも 死ぬも

赤ちゃんが歩きだすも 言葉を話しはじめるも

子供の歯が生え変わるも 

木の実がみのるも

花が咲くも

種が落ちるも

 

人間が決めた善悪や図りごとを超えて

カイロス神が降りたもう。

 

原因と結果が短絡的に結びつけられ、

何事も管理できると、ともすれば思いあがる人間に、

カイロス神の存在は私には救いに映る。

 

クロノス神が与えた時間を我らは生きるしかない。

するとある時、カイロス神が我らの頭上に舞い降りるのだ。

 

単調にも思えるかもしれない日常の中で、

1日24時間と決まった一定量の時の中に、

流れ方の異なる時が訪れる。

 

私の今いる空間が、いつもとは別の流れと交叉している。そう、感じられる時でもある。

 

 (後記)

時や時間について、いつもボンヤリながら考えてきました。私の仕事では、患者さんとのお付き合いが長い年月に渡ることが多いので、その方達の人生の断片を見せていただくことになります。自分にも当てはまるのですが、時(トキ)との関わり方によって、人生の変化の速度が変わっていくように感じています。

 

カイロス神は、チャンス(好機)や偶然を司るとも言われています。

「チャンスの神様には前髪しかない」という言葉は、ギリシャ神話のカイロス像がモデルだそうです。この意味は、チャンスは後から捉えることはできないというもの。

 

チャンス、タイミング、シンクロニシティといった時の妙技を逃さぬためにも、

日々大事に時を過ごしたいなぁと思うこの頃です。

 

それにしても神話って、面白いです。

それこそ時を超えていますしね。

 

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 インド、チェンナイにて撮影 

 

 同じ空間に重なりあう世界がある。ちょうど5年前の記事です。もし良かったら!garaando.hatenablog.com

 

 

東洋医学各論10  衛気(えき)

ここ数年の私は、滅多にテレビを見ない。

時折テレビで話題の政治家たちを拝見する機会があると、その内容よりも気になることがある。

お化粧を落としたこの知事の素顔は、ホントはどんな??

顔色の悪い老齢のこの方は、本当にツラの皮が厚いの??皮膚も厚いの薄いの??

鉄面皮に見えるこの方だから、全く噛み合わない答弁を繰り返すことができるわけ??

 

ツラの皮が厚くて鉄のように硬いというのは、外界からの干渉を跳ねとばす防衛機能が旺盛であることの象徴のようだ。

 

今回も、人体の皮膚について東洋医学の視点から触れてみたい。

 

前回の記事で示したように、皮膚は自己を個体ならしめ外界との境界をつくる役目が最も大きい。我らは皮膚によって自己を外界と区別し、境界線を引く。

どこまでが自分の内部でどこからが外部なのかといった境界線を。

外部との様々な情報やエネルギーの交換をしながら、生命体として維持できるようにと内部を守る役目が皮膚にはある。

気の医学と言われる東洋医学では、この皮膚の表面に、さらに皮膚を守る気があるとされる。そしてそれは防衛の衛の字を用いて、衛気(えき)とよばれている(以下、東洋医学用語は太字で記載)。

<注:この衛気は、経絡(体内にめぐっているとされる気のライン)や血管の外を流れる気であり、体表を覆い外邪から内部を守る働きがある。これに対して経絡や血管の中を流れる気で全身に栄養を運ぶ働きをもつ気を営気(えいき)という。>

 

この体外と体内については、この記事を参照

garaando.hatenablog.com

 

粘膜や表皮を保護する気である衛気

この衛気が希薄になると、外邪(外部にある邪気:風・寒・暑・湿・燥・火といった過剰に強い性質を持つ気)に対抗できずに、外界からの刺激(日光、寒湿冷、静電気など)やアレルゲン(ダニ・細菌・ウイルス・ほこりなど)に反応しやすい。

アトピー、敏感肌、乾燥肌は皮脂膜が薄く、角質層の水分やセラミドが不足しているため皮膚のバリア機能が低下しているといえる。そしてこのバリア機能の一端が、まさに皮膚の表面を覆う衛気なのだ。

 

また人間は起きて活動している時は、外部への注意が払われており、外に向かって気を張っている(交感神経優位)。就寝時は、内部へと気が向かう。こうして内臓の自律的活動へエネルギーが注がれ外へ向かう気は手薄となる(副交感神経優位)。寝る時には毛布や布団をかけるのは、手薄になった体表を保護し外界からの異物の侵入を防衛するためなのだ。この毛布や布団の役割を衛気と考えてみるとわかりやすいかもしれない。

普段の私やあなたは、目にはみえないどんな毛布や布団を身にまとっているのだろう。

目の詰んだ毛布や弾力があって厚みのある布団のような衛気を帯びている人は、免疫力が強いのだ。

 

衛気の充実。これは健康を守るうえで大切になる。

この視点で見てみても、

消毒のしすぎや洗いすぎで手が乾燥してカサカサしたり、薄くなったり、はたまた指先が逆剥けで痛むのは、衛気が希薄になった状態であり免疫を弱めてしまう。

酵素や麹といった発酵食品を手作りすると、皮膚がしっとりして手がプクプクになる経験がある方も多いと思う。発酵食品が免疫力をアップするというのは、微生物の力をかりて生命体を生き生きとさせ、ひいては気の充実を図ることができるからなのだ。内と外との観点からみても、胃や腸の粘膜(内)の健康はとりもなおさず表皮(外)にあらわれるのだから、消化器の内膜が健康になると、適度な潤いがあって弾力のある外皮が形成されて、身体全体の免疫力があがるのである。

 

 衛気(えき)と呼ばれる 気 。

それは、地球にオゾン層があるように、身体の表面を覆い我らを外敵から守ってくれている。

 

 

<おまけ:臨床例>

熱感と痒みを伴う発疹ができるという蕁麻疹。

数時間で症状は消えるが繰り返す。掻いたらミミズ腫れになる。

蕁麻疹の原因のひとつに気虚(えききょ:衛気が乏しい)があげられる。そのため皮膚の抵抗力が低下がする。日光・寒冷・温熱刺激、発汗などの影響を受けやすく、疲れがたまる夜にでやすく寝ると治っていることも多い。

衛気を充実させるためには?自然のリズムに合わせて暮らし、食生活を見直し、太陽を浴びて陽気のバリアをまとい、疲れをとることが大事。これでも症状が改善されない時は、漢方薬の力を借りるなどがオススメ。

 

(後記)

今回は、衛気という気のバリアで外敵の侵入を防ぐという防衛力について書きました。

これは健全な防衛という意味で衛気を取り上げたのですが、メンタルが絡んだ過剰な防衛というのもあります。 鉄面皮 とか ツラの皮が厚い という言葉で表される防衛は、健全とは言い難いと思います。

このことについて説明を少し。

精神分析フロイトの弟子であるウィリアム・ライヒは、感情的抑圧が身体の一部分を硬直させ、筋肉の鎧をつくるという心身相関に着目しました。つまり筋肉を硬くして防衛する。この背景には感情的抑圧があると。

さらにライヒの弟子アレクサンダー・ローエンが、バイオエナジェティックスというボディサイコセラピーの先駆けとなる治療方法を打ちたてました。これは、防衛によって筋肉に閉じ込められ、流れを止められてしまった生命エネルギーを回復させるメソッドです。

 

 バイオエナジェティックスについては、こちらも参照

garaando.hatenablog.com

  

防衛は、自分と自分自身との関係、自己と他者との関係といった、さまざまな関係性をめぐる重要なテーマだと思います。

 

自分を守るために必要である防衛。

これがともすれば過剰となり、

あるいはそもそも自分の境界がわからずに、自己と非自己を見分けるバウンダリーが曖昧となって、

自己免疫不全というアレルギー系の疾患の原因にもなってしまいます。

 

健全な防衛 と 健全なバウンダリー

この繋がりあう世界にあって、

これは私にとっても大きな課題のひとつだなぁと感じています。

 

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ベネズエラ、ラ・グアイアとカラカスの間にそびえたつアビラ山のふもとを撮影

 

気については、こちらも参照

garaando.hatenablog.com

 

身体感覚を開く 皮膚

私の好きな映画のひとつに、個性派女優ウーピー・ゴールドバーグ主演の「天使にラブソングを」のコメディ作品がある。この映画の中で修道女になりすました彼女が、爪をたてて黒板を引っ掻き、その強烈な不快音によって騒がしい生徒達を黙らせるシーンが冒頭にある。私はこの時の鋭く耳障りな音を聴く度に、とたんに鳥肌がたち背筋がゾワゾワっとする。まるでこの不快音を、身体全体をあまねく覆う皮膚が認識し、反応しているかのように感じるのだ。

そして思う。

 

はたして音は、耳という感覚器を通じて脳で反応しているだけなのだろうか。

このゾワゾワ感はなんなの??

 

マジックで字を書く時のキュキュという音、ガラスをひっかく音、発泡スチロールの擦れあう音。。こういった音を想像しただけでなんとも不快な身体感覚を味わう方も多いと思う。

 

今回は、人間の五感(視・聴・嗅・味・触)の中で、触覚の感覚器官でもある皮膚について考えてみたい。

 

皮膚は「第2の脳」とも「第3の脳」とも言われはじめた(注:「第2の脳」を消化器とする説も多い)。これは、脳との関係性に着目して皮膚の働きを探っていくと新たな可能性が見えてきたからだ。

 

そもそも発生学(多細胞生物が受精卵から生体になるまでの過程を研究する学問)の視点からみると、皮膚は脳と同じ外胚葉由来だ。

外胚葉から分化するものとしては、皮膚(表皮・毛・爪・皮膚腺を含む)、脳(脊髄・末梢神経を含む)、そして感覚器(視・聴・平衡・味・嗅覚器)があげられる。つまり、皮膚と脳(神経)、および感覚器は同根なのである。

 

発生については、こちらも参照 

garaando.hatenablog.com

 

それゆえ、皮膚には脳の働きと似た機能があってもおかしくない。実際に赤ちゃんは生後7、8ケ月まで感覚神経が未分化で、皮膚への刺激で脳が活性化されるため、スキンシップが重要となるのだ。

そもそも人間には、多細胞生物になるまでに、アメーバに代表される単細胞生物が合わさって進化してきたという長い歴史がある。

このような単細胞生物は、皮膚(外膜)が生命体としてのかなりの機能を担っていたのではないだろうか。視・聴・嗅・触といった外界からの刺激に対する反応器官も未分化のままに、皮膚とおぼしき膜(マク)が一切を引き受けていたに違いない。

 

さて、ここで人体の皮膚の機能について考えてみる。

皮膚は自らを個体ならしめ、外界との境界を作る役割がある。自己の境界を明確にした上で、生命体として己の内部を守らなくてはならない。つまり防衛機能が、皮膚の役割として最も重要となる。こうして内部から外部への体液の流失を防ぎ、外界からの刺激に対してバリアを張ってコントロールする。

 

また防衛するためには、外界からの刺激に対して敏感でなくてはならない。そこで感覚機能も重要になる。この感覚は皮膚感覚とも言われ、触覚、痛覚、温冷感覚など皮膚にある受容体によって知覚される。

こうして外界が暑すぎる時は発汗して体温を下げたり、水分量を調節をしたり、寒さを感じる時にはブルブル震えて熱をうみ出したり、体内を調節するセンサーの仕事をしながら外敵に対して防衛する。

 

さらに、皮膚には色を識別する能力があることがわかってきた。

つまり目をつぶったまま色紙を手で触り、その色を当てることができるのだという。実際に私は脳認知学者のワークショップで、視覚障害がある方達が手で紙を触っただけで、いとも簡単に色を識別する場面を見せてもらったことがある。

 

これはエスパーみたいな怪しい話に聞こえるかもしれないので、もう少し身近な例で考えてみたい。ちょっと自分の好んで着る洋服の色を思い浮かべて欲しい。

暖色系を好み赤やオレンジ系の洋服が多い人や寒色系が好きでブルーや黒の洋服しか持たない人もいる。自分があまり着なれない色の洋服を着た時に、なんとなくソワソワとして落ち着かない経験はないだろうか。

これは人体のエネルギー体とも絡む話なのであるが、皮膚が持つ色の知覚機能とも関連している。

  

さらに! 

子供は頭を撫でられたり、抱っこされたりすると安心する。

またある空間にいるだけで心地よく感じることもあれば、悪寒がしてムシズが走ることも身の毛がよだつ時もある。

直接的に触れ合うのであれ、雰囲気を感じるのであれ、肌感覚から喜びや不安、恐怖などの感情が引き起こされる。つまり、皮膚は感情とも深い関連があるのだ。

加えて、皮膚にはセロトニンドーパミン、そしてアドレナリンといった脳内物質を受け取る受容体も備わっているため、幸福感や快感、高揚感といった感覚も生まれる。

なんとなく肌が合うというのが人間関係の相性を見るのに役立つのは、身体感覚に基づいていて感情にも訴えるからなのだ。

 

このように私たちは、計りしれないほどの膨大な情報を皮膚から受け取っている。

 

ならば。。

さあ、感受せよ!

言葉にならない感覚を。

意識せよ!

目にはみえぬ変化を。

 

身体の声を聴くとか、

身体感覚を開くということは、

こうした訓練を積み重ねていくプロセスのことなのだ。

 

 

(後記)

今回は、身体のエネルギー体(注:身体には肉体の他にエーテル体、アストラル体、メンタル体などと呼ばれるエネルギーの身体をいくつもまとっています。いわゆるオーラというのはこれらの総称)とも絡む内容を、皮膚の機能に焦点をしぼって書いてみました。

 

以前、マヤ文明のシャーマンのガイドでメキシコを旅したことがあります。その彼が天から降りてくる情報をキャッチする時、決まって彼の腕はgoosebumps(鳥肌)になっていたのです。

 

シャーマンは、肌でも受信するんだ。。。

 

私は、毎日患者さん達の肌を診ながら治療をさせていただいており、皮膚についてはいろいろと思うところも多いのですが、このシャーマンの鳥肌はとても印象に残りました。

そしてさらに皮膚の持つ可能性を感じたのです。

 

私も自らのアンテナに磨きをかけるべく、 

雪色に染まる原っぱに立った時、

新緑が眩しい森の道端で、

あるいは緊急事態宣言中で誰もいない飲み屋街のネオンの下、

 

私をとりまく世界の色やテクスチャを

皮膚でキャッチしようと

仁王立ちになって

一人そっと目を閉じてみます。


 

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 東京阿佐谷にて撮影