“ 伽藍堂 Garaando ”

〜 さかうしけいこ が語る東洋医学の世界 〜

東洋医学各論13  五行からみる食養生と薬膳

色彩豊かな秋が深まって冬に向かっていくと、外界の景色は次第に色褪せていく。こんな季節にあって、橙色に輝く柿を見かけるとなんとなく嬉しい。枯れていく風景の中で力ある暖色系のオレンジ色は、元気を与えてくれる。

秋はやっぱり柿でしょ!

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺、でしょ!?

 

というわけで、今回は季節と食べ物、そしてそれらと身体との関係性を東洋思想の五行という概念を用いて説明し、東洋医学の「医食同源」「薬食同源」について考えてみたい。

 

五行についてはこちらを参照。

garaando.hatenablog.com

 

医食同源」とは、医療と食事のどちらも生命を維持し健康を保つために大事であり、オオモトは同じとする考え方。バランスの取れた食事は病気の予防や治療に欠かせない。食事の恩恵を得て積極的に体調を整えようとするのが食養生だ。

さらに食べ物には身体の不調を治す薬効があり、薬と食事もモトは同じとするのが「薬食同源」。この薬効を十分に活かし、体調の改善をめざす食事を薬膳という。

 

古代中国の伝説上の人物に「神農(しんのう)」と呼ばれる、農耕と医薬の神様がいる。この神農が書いたとされる中国最古の薬学書「神農本草経(しんのうほんぞうきょう):前漢末〜後漢中期」には、365種の植物などについての薬効が書かれ、食べ物を3つ(上品じょうほん、中品ちゅうほん、下品げほん)に分類している。

上品:身体を丈夫にする日常的に用いられる無害の食品。石薬(せきやく)と呼ばれるミネラルや、ハトムギ、ゴマ、ミカン、クコ、ナツメ、人参など。

中品:滋養強壮、虚弱体質の改善や養生に用いるもので、上品よりも少し副作用の可能性があるもの。クズ、ホオズキ、マオウ、センキュウ、ウメ、トウキ、クチナシなど。

下品:毒にも薬にもなる薬性を持ち、病気の治療のため短期的に用いるもの。トリカブトケイトウレンギョウ、ダイオウなど。

また古くは皇帝の食事を管理する「食医(しょくい)」は、「疾医(しつい:内科医)」や「瘍医(ようい:外科医)」より重要視されていたほど、病気の治療や健康な身体づくりに食事が重要とされてきた。

 

では一般に漢方的な食事療法と言われるものは、どんなものなのだろう。

まずは食物の性質を知ることからはじまる。基本は以下の2点。

 

まず1点目。その食物は身体を冷やすのか、温めるのか、それともどちらでもないのかと考えてみる。

これらは、程度により以下のように分類される。

 (冷)→  (やや冷)→   (どちらでもない) ← (やや温)←  (温)

実際には、ざっくり身体を冷やすか温めるかで食品を選ぶと良い。夏野菜であるきゅうりやトウガンには身体を冷やしたり潤したり排毒するといった効果がある。生姜やニンニクは身体を温め、代謝を促進する。冷やす食物には消炎・鎮静作用があるため高血圧やのぼせなどに向き、温める食物には代謝をアップさせる作用があるので、冷え性や貧血に良いとされる。

ただし同じ食材であっても調理法によって、この性質は変化する。たとえば大根。大根は 寒 の性質で身体を冷やすが、煮ると 平 へと変化し生姜を加えると となる。

単一の食材の性質を見極め、あるいは他の食材と合わさったり、料理方法によって変化する性質を踏まえた上で、今の自分には温める食事が適切なのか冷やす方が好ましいのかを選ぶのだ。

 

次に2点目。その食べ物はどんな味がするのだろうかと考えてみる。

酸っぱいのか、苦いのか、甘いのか、辛いのか、鹹(塩辛い)のか。これらの味は五味と言われ(陰陽五行論五行による分類:下表参照)、それぞれの味は特有の五臓六腑へ影響を与える。酸味は肝と胆の、苦味は心と小腸の、甘味は脾と胃の、辛味を肺と大腸の、塩辛いは腎と膀胱の、それぞれの働きを助けるとされている。

    <五行による関連性>

五行 | 木  火  土  金  水   

五味 | 酸  苦  甘  辛  鹹   

五臓 | 肝  心  脾  肺  腎   

五腑 | 胆   小腸   胃  大腸  膀胱 

さて味はどのように身体へ作用するのだろうか。

味:梅やレモンに代表される酸味は、筋肉を引き締め身体を活性化する。汗や尿、鼻水など排出量を抑える働きがあるため、多汗、下痢、頻尿、鼻水が止まらない時に効果を発揮。取りすぎると、身体が硬くなる。

味:ゴーヤや苦瓜といった夏野菜に多く含まれる苦味は、体内の余分な熱や水分を排出し、消炎する作用がある。便秘や胃もたれに効果的。取りすぎると、肌が乾燥し冷える。

味:人参やカボチャに代表される甘味は、緊張を緩める作用があるので、痛みを和らげる。体力不足を補い、滋養強壮にも役立つ。疲労回復、胃の痛みに有効。取りすぎると、骨が脆くなる。

味:唐辛子や生姜などに含まれる辛味は、気血(きけつ)の巡りをよくし、体温をあげる。発汗・発散作用があるので、風邪の初期症状に有効となる。興奮しやすくなる傾向がある。また取りすぎると、あるいは自分の体質に合わないと冷えるので要注意。

味:塩辛い味のこと。醤油や塩、牡蠣など代表される塩味には、固まりをほぐす作用あり。便秘や首・肩の凝りに効果あり。取りすぎると、血がドロドロになり高血圧になる。

 

このようにその食物が身体を温めるか冷やすかという視点と五味の視点から食物をとらえることが食養生や薬膳の基本となるのである。

 

また「身土不二」と言われるように、

身体(身)と環境(土)は、分かつことができないほど密接な関係がある。

ここでいう環境(土)には、食物はもとより、自らが暮らす土地の気候や風土、さらに季節の変化が含まれている。

五行の観点から、季節と食材との関連性を探ってみたい。

五行 | 木  火  土  金  水   

五季 | 春  夏   土用   秋  冬  

五気 | 風  暑  湿   燥    寒  

は、春一番といった突 風 が吹き、木の芽が伸びて、のびやかに広がるエネルギーが満ちてくるため、体内も気の流れを良くする食べ物が良い。香菜、セロリ、春キャベツなど。

は、暑 さが旺盛となってくるので、熱を冷まして夏バテを防止する食べ物が必要となる。きゅうり、トマト、苦瓜など。ただし、熱を冷ますために、冷たい飲み物や生のものをとりすぎると胃腸が冷えてしまい、消化吸収できずに夏バテ悪化となるので要注意。

土用とは、立春立夏立秋立冬の前の18日間をいい、次の季節へ移る変わり目の期間をいう。特に養生が必要な期間であり、湿 度も高い時期である夏土用のウナギは有名。

は、徐々に寒くなり、空気が乾 燥 しはじめる季節となる。この季節に実る梨、柿、ブドウといった果物は、乾燥を補う。また滋養にとんだ長芋もこの季節が旬。

は、寒 さが厳しいので、身体を温める食材を。鳥肉、にら、生姜など。

 

その土地で自然にできた食物をその時々に食べること。

ただそれだけで自らの身体への恩恵を受けられるのだ。

このことは、

私たちが自然との関係性の中で生かされているということに他ならない。

 

自分をとりまく自然の中に自らの身体があり、

自分と自然との様々な関係性の中のひとつが食物である。

さらにその食物のひとつひとつにエネルギーがあり、

それらが調理方法や組み合わせによっていろいろな味となり、作用となって、

我らの五臓六腑に、筋肉や器官に、さらには感情にまで影響を与えているのである。

 

(後記)

ローフード(生食)がブームだった頃、徹底したローフードで身体が冷えきってさまざまな症状が出ている患者さんを何人か診せていただいたことがあります。それはそれは、季節も自分の体質も無視した徹底したローフードでした。

(注:ローフードとはRAW(生) FOOD(食)のことで、火を通さない食事のこと。美容や健康、ダイエットにも効果ありとされ、ビタミン、ミネラル、酵素などが効率的に摂取できるとされる)

その時に私は、情報によって食べる、あるいは単一の基準にのみに従って食べる、といったことの弊害について考えました。

 

現代栄養学では、タンパク質、脂質、炭水化物、ビタミン、ミネラルといった栄養素とカロリー計算によるエネルギー量を中心に食品を分析しています。このため塩分を制限し、栄養素のバランスを考え、カロリー計算することによって食事を管理します。さらにオーソモレキュラー療法といった細胞レベルの栄養を扱う分子栄養学なども盛んになってきました。

しかし、コエンザイムQ10α-リポ酸、最近では若返り成分NMN(ニコチンアミド・モノ・ヌクレオチド)といった成分が次々と注目されるように、食品やその効能については未知のことも多く、更なる成分がこれからも発見されていくように思います。

漢方の食養生においては、食品を栄養素によって分析する手法は取りません。人類の歴史や文化の中で育まれてきた食物の効用を、それぞれの体質や症状によって、また移り変わる季節に応じて、受け取っているのです。

 

また私は、厳密なマクロビオティックを信仰しているお母さんのお子さん達にも出会いました。彼らは、甘い物を禁じられて育てられたお子さん達でした。

砂糖は確かに毒なのかもしれません。

ただ子供は甘さが大好きです。

くりかえし甘さを感じることによって幸せの感覚を追体験しているようにも感じます。

あまりに厳格に甘さを禁じられて育つお子さんは、

なんとなく感情の発達が乏しく、安心感などが希薄な気がします。

味覚による感情の発達への影響もあるのではないかと想像します。

 

自分には、どんな食べ物が基本的に向いているのか。

どんな偏食傾向(激辛好き、甘々好きなど)があり、それは何か感情と結びついていないだろうか。

自分を探るツールとしても、食事に目を向けることは面白いと思っています。

 

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トルコ、イスタンブールのエジプシャンバザール(スパイスマーケット)にて撮影

 

東洋医学概論6 陰陽五行論

猛暑に見舞われた今年の夏の小樽。秋の紅葉は今年もまた綺麗だろうと期待した。夏の暑さが厳しい年に、木々は綺麗に紅葉すると記憶していたからだ。しかし我が家近隣の紅葉の美しさはイマイチだ。そこで紅葉が美しくなる条件を調べてみた。

夏に十分な日照時間と適度な雨量があり、秋に昼夜の寒暖差が大きいことが決め手となるらしい。

季節に応じた太陽の光・熱・日夜の気温差・湿度といったいくつもの条件が必要なのだ。

さまざまな要素が絡みあいながら時を刻み続ける。ひとつの微細な変化が各要素に波及して更なる変化を絶え間なく生むのだから、秋と言っても一度として同じ秋は来ない。

変わるということ。決して止まることのない流れ。このことは東洋哲学の基本をなしている。

この常に移り変わるということを念頭において、同じく東洋思想の基本である陰陽五行論、とりわけ五行論について、今回はザックリと書いてみたい。

 

陰陽五行論とは、陰陽論と五行論とが合わさったもの。陰陽論は、古代中国における儒教の経典であり、占いの理論と法則を説いた「易経(えききょう)」という書物の中心思想である。一方五行論は易経より後の時代にできた、中国古代の歴史書である「書経(しょきょう)」の中の思想。この双方が組み合わさって陰陽五行論と呼ばれ、この自然界の成り立ちや変化の法則、あるいは複雑な事象を理解するための方法を説いている。

 

陰陽論は、ひとつの世界あるいは事象を、陰と陽とに象徴されるエネルギーで理解しようとする試み。陽は太陽であり光、陰は月であり影。つまり物事を光と影との視点から解釈しようとするものである。

陰陽論については、過去記事を参照していただきたい。

garaando.hatenablog.com

 

陰陽論に対して五行論(五行説ともいう)は、5つの要素に象徴されるエネルギーに基づいて、自然界のあらゆるものを理解しようとする試みと言える。

互いに影響しあう、5つの象徴的要素:木・火・土・金・水(もく・か・ど・ごん・すい)。これら5つの要素は、それぞれ固有の性質を持っている。この5つの要素間での関係性に着目して、様々な現象を読みとく手法が五行論だ。

自然界で目にする木・火・土・金・水。

五行論で重要なのは、実際の木や土や水といった物質ではなく、それぞれの5要素が持つエネルギー(気)に着目するということである(ココ、ポイントです!)。ここでも東洋思想の基本である、気の思想が生きている。モノではなくてキ、物質ではなくてエネルギーにまずは視線が注がれる。

 

では、それぞれのエネルギーはどのようなものなのだろう。

木:樹木に象徴されるように、伸びやかに上や外へと拡がっていくエネルギー。

火:炎に象徴されるように、熱を帯び上へと向かうエネルギー。

土:大地に象徴されるように、滋養を与え育むエネルギー。

金:金属や鉱物に象徴されるように、重厚で、錬金術の如く変容させるエネルギー。

水:水や川に象徴されるように、潤いを与え冷やしつつ下へと流れるエネルギー。

 

これら各要素は、助長(相生・ソウセイ)と抑制(相克・ソウコク)という関係の中で互いに影響しあっている。

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相生関係とは、木が燃えて火がおこり、火から灰を生じて土となり、土の中には鉱物ができ、鉱物から鉱水を生じて、その水が木を成長させるといった、生み・育てるといった助長させる関係のこと。風が吹けば桶屋が儲かる風な流れだ。この流れは好ましいように思えるかもしれない。しかし、どんどん膨張する循環輪の先に待っているのは爆発。バブル経済がいつかは弾けるように、好循環だけでは世界は成り立たない。

相克関係とは、木は根をはって土を侵食し、土は水を堰き止め、水は火を消し、火は金属を溶かし、金属製の斧は木を斬り倒すといった、抑制し、牽制し合う関係のこと。

これら相生関係と相克関係とがあるからこそ、それぞれの要素が互いに助け合い、あるいは1つの要素のエネルギーが突出しすぎないように歯止めをかけ、総体として調和を保つことができる。ザックリ言うと、それぞれの要素間にアメとムチ、あるいはアクセルとブレーキの関係があり、流れ動く世界の全体的バランスを保っている。

あたかもそれは呼吸しているかのように、吸気時(相生関係)には世界全体が膨らみ呼気時(相克関係)には縮むような生命の息吹きにも似ているように思える。

 

さて五行論であるが、自然界のあらゆるものが分類できるとされている。ここでは人体に関する例をいくつか取り上げてみたい(下図「五行色体表」を参照)。

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上図色体表の具体的な説明については、追って記事にしていきたいと思っているが、少しだけ説明を。

この表に示されるとおり、人体の各内臓はそれぞれ異なったエネルギーを持つことになる(末尾に臓器に関する記事を掲載するので、ご興味ある方は参考に)。

また青春、朱夏、白秋、玄冬(玄は黒の意味)という言葉で表現されるように、ある色と特定の季節には共通するエネルギーがある。

たとえば、青春。つまり青と春は同系列のエネルギーで、ともに伸びやかに広がるパワーを持つ。また青春時代は人生のスパンから見ても春にあたり、若くして躍動しはじめる時期となる。

黄河が流れる中国において、黄は特別な色であり物事の中心をなす意味を持つ。

このように色のエネルギーは季節の特質をも表現している。そしてその季節がめぐり年月が重なって人生となる。人生においても思春期から青年期や壮年期、熟年期から老年期へといったそれぞれの時期もまた、色の持つエネルギーで特徴づけられる。つまり、青(思春期)→赤(青年期)→黄(壮年期)→白(熟年期)→黒(老年期)といった感じで。

 

さまざまな自然は、その様相を変えながら、めぐる。

めぐりつつ、変化をとげるのだ。

 

また、こういった五行のエネルギーは日常に入り込んでいるにもかかわらず、

あまりに身近すぎて意識していない。

あるいは意識しないほど当たり前に

すでに我らの生活に組み込まれているのだ。

 

陰陽論でいうと、

陽は中国語で阳と表記し日(太陽)を表す。

陰は中国語で阴と書き、月を表す。

日と月。さらに五行論の五行である木・火・土・金・水を並べ変えると、

日・月・火・水・木・金・土の1週間となる。

 

毎日は異なったエネルギーで満たされている。外界は、我らの内奥に通じながら、

今日もまたかけがえない1日がはじまる。

 

(後記)

前回、五臓六腑の「脾」を記事にして、5つ全ての臓器についてやっと書き終えました。

そしてずーっと書きたかった五行論を記事にすることができて、ホッとしています。

陰陽五行論なんていうと、難しそうに思えるかもしれませんが、身近なところのソコココに案外あるのだよ〜とお伝えできたら嬉しいです。

 

 

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太平洋に面するエルサルバドルのアカフトラにて撮影

 

各臓器についてはこちらを参照

garaando.hatenablog.com

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東洋医学各論12 脾

稲が実って田んぼ一面が黄金色に染まる季節がやってきた。先日、空高く晴れわたった青空のもとで、黄金に輝く稲穂の大地を見た。黄色い大地。そんな言葉が頭に浮かんだ。

 

今回は、黄色や土に象徴される人体の臓器、五臓六腑の五臓(肝・心・脾・肺・腎)のうちの一つ、東洋医学でいう 脾 について取り上げてみたい。(東洋医学独自の言葉は太字で記載)

<注1:東洋医学で 脾 という場合、西洋医学でいう脾臓の概念とは異なる。西洋医学では脾臓という解剖学的な部位である実質臓器を指すが、の医学である東洋医学では実質臓器に加えてその臓器が持つ機能を指す。肝・心・脾・肺・腎といった五臓の中で、特に脾は物質として捉えるとわかりづらく、摂食・消化吸収・栄養といった機能を司ると理解してもらいたい。西洋医学でいう消化器全体(胃と腸)の働きをコントロールしていると捉えるとわかりやすい。さらにその役割は広く、手足の動きも司り、水分代謝を担い、血液にも関与する。>

<注2:東洋医学には臓象学説といわれる考え方がある。これは器という身体の内側()の活動異常は、必ず外側()の現に現れるとし、その関係性に着目するもの。脾は、口や唇へと流れが繋がり(下図の経絡図参照)、肌肉とも関連がある。また脾()は、胃()と経絡のルートで通じあい、陰陽表裏の関係となる。つまり脾と胃とは、互いに密接に関連してシステムを形成している。>

 

 <十四経発輝(14世紀に書かれた中国の医学書)による脾経の流注経絡の流れ)>

  ー 体表のルート  体内のルート

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足の親指先内側のツボ<隠白・インパク>から始まり、内くるぶしを通って足の内側を上り、
大腿骨内側を通って腹腔へ入る。腹部で体表と体内に枝分かれする。
体内のルートは、脾と胃を通って胸の奥へ流れ、心の経絡である心経・シンケイと繋がる。
体表のルートは、胸へと上り、脇の下へと下行して<大包・ダイホウ>というツボで終わる。
さらにその枝分かれした流れは、体内に入って喉から舌に達する。

 

さて東洋医学でいうには、どのような役割があるのだろう。

①消化によって得られる栄養分を全身の細胞へと送る。

私たちの身体は水分と食物を取り入れ、それらは混ざり合った状態で体内を巡っている。胃はこれらの飲食物を消化する。この消化によって得られる栄養分(この栄養分のことを東洋医学では水穀の精微スイコクノセイビと呼ぶ)を全身に運び、血管や細胞に活力を与えるのが脾の役割となる。

②栄養分から津液を作り、全身へ巡らせる。

脾は、飲食物の栄養(水穀の精微)から水分を取り出して津液シンエキ(身体の正常な水分の総称。細胞内の水分、胃液、涙、唾液、リンパ液、汗などを含み、体内や体表を潤す作用がある)を作り、全身へ送る。余分な水分は汗や尿となって排出される。

       津液については、こちらを参照garaando.hatenablog.com

③出血を防ぐ。

東洋医学は気の医学であるから、脾が有する気(脾気)には、血(ケツ・主に血液を指すが、血液に含まれる栄養分も含む)が血管外へ漏れるのを防ぐ作用がある。

脾の機能が低下すると出血しやすくなり、泌尿器に異常がないのに血尿になるとか、血便が出る、女性であれば不正出血が続くといった症状が臨床においてもみられる。

 

このように脾は飲食物からの栄養を取り入れ、それを全身へ巡らせ、水分代謝をつかさどるといった生命力に直結した力を生み出す。両親から受け継がれるところの、生まれながらに持つ生命エネルギー(先天の本センテンノホンという)は、腎が担う。そして後天的に飲食物から獲得できる生命エネルギー(後天の本コウテンノホンという)は脾の働きによるのである。自然界で言うなら、腎は種であり、脾は種を発芽させる土壌となる。

       腎についてはこちらを参照

garaando.hatenablog.com

 

では脾の機能低下はどんな症状をもたらすのだろうか。

脾と関連する器官とされる口に現れる症状では、味覚が鈍くなったり、甘味や苦味を感じたり、ねっとりしたりといった口内の異常となり食欲が落ちる。

また正常であれば涎(ヨダレ)は、口腔の粘膜を保護し内部を潤し嚥下や消化を促す役割があるのだが、不調になれば分泌が増し、ヨダレが口外に漏れてしまう。

口唇の色や艶は、全身の気血の充実度が見てとれるので、脾が運ぶ栄養が全身にいきわっているかどうかの指標となる。口唇の血色が悪く乾いている時は、脾の機能が低下している。

全身に栄養が運べず気血が不足すると、食欲不振・全身倦怠となり、やつれてくる。さらに津液の巡りが悪くなると、津液が滞ってむくんだり痰が出たりと水分代謝が悪くなる。その結果体内に湿が溜まり水はけの悪い身体となってしまうのだ。全身に栄養が回らない上、水はけの悪い身体になると、身体は重だるく疲れやすい。

 

ここで自然界に目を向けてみる。

地球上の土にもいろいろな性質がある。肥沃な土地、痩せた土地、粘土状の土、砂土など。

粘土状の土は水を弾いてしまう。砂土は水を通すだけで潤いや養分を保つことができない。

農作物がよく育つ肥沃な土地とは、スポンジのごとく雨を十分に吸収し、落ち葉や動物の糞尿などから栄養を得ることができる土地だ。この栄養を得るためには、落ち葉や糞尿を分解するために微生物が宿っていなくてはならない。つまり保水性がありながらも水はけが良く、通気性も備わっている土地のこと。

これは、そのまま人体にも当てはまる。

潤いつつも水はけがよく、栄養がいきわたって、呼吸する身体。

いくら自然な食品を食べても薬を飲んでもサプリメントを試してみても、

受け皿である身体の中の脾の機能が低下していると、その効用を受け取ることができない。

またどんなに食べても太らない人がいる一方、水を飲んだだけでも体重が増える人もいる。

この違いは、土の性質を持つ脾の働き方の違いによるのである。

 

東洋医学における脾は、

植物や農作物を育てるために重要な役割を持つ土と同様の役割を担っている。

 

自らの身体は、どんな土にたとえられるのだろう。

 

(おまけ)

脾と関連あるもの:

自然界においては 土用(春夏秋冬の中での土用の期間で季節の変わり目にあたる)・湿・中央・黄色

人体においては 胃・唇・ヨダレ・甘味・肌肉・口・思(思考や思慮:ストレスがたまると消化器に異常をきたす)

 

(後記)

この記事を書きながら、ずいぶん昔に見た中国の映画「黄色い大地」を思い出していました。

その後中国へ行ってみると、湿度が高く木々がみずみずしい日本とは違って、中国の大地はナルホド本当に黄色だなぁと思ったことがあったのです。

先日私が見たのは、稲が実って田んぼ一面が黄金色に染まり、稲穂が輝かしく光ってたなびく黄色の大地。

同じ色であっても、土でも、ホントいろいろあるなぁ・・。

今回とりあげた脾は、他の臓腑と違って馴染みが少ないうえに東洋医学独自の概念なので説明が難しく、実はずっと先延ばしにしていました。でも見ちゃった!黄色い大地を。観念して挑戦してみた次第です。

願わくば、脾といえば土の性質だということだけでも伝わりますように!

 

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中国の西北部、黄土高原にて撮影。ここは日本に飛来する黄砂の発生地。

身体感覚を開く2 響(ひび)き

私が初めて印象派の画家クロード・モネの睡蓮を間近に見たのは、午後の日差しが心地よい、晴れわたった秋の日だった。そこはニューヨーク近代美術館、通称MoMA

話は、20年以上前にさかのぼる。当時の私は、通っていたアメリカのヒーリングスクールの授業を終えて、開放感いっぱいでMoMAに向かった。

 

正直、それほど美術とか絵画に興味があったわけではない。もっと正確にいうと、有名な絵とか見ても「ふ〜ん、なるほどね」というくらいだったのだ。

 

その私が、モネの睡蓮が展示されているホールに足を踏み入れると、その絵画の大きさの持つ迫力に驚いた。デカい!とにかくデカい!!

 

そして大柄の人間五人が大の字になっても仰向けで眠れるような、黒いシンプルなソファが作品の真向かいにドドーッンと置かれていた。

私はそこに座って、友人との待ち合わせ時間まで暇を潰すことにした。無駄に大きい低めのソファに座りながら、なんという巨大な作品なんだろう!と思いつつ。。

 

ジッとというよりも眺めるような感じでボンヤリと絵を見ていたら、絵の中の蓮が動き出した。いや、動き出した気がしたのだろう。そして飛び出す絵本のような感じで、ある部分が大きく見えたり他の部分が小さく見えたりしはじめた。

私はその絵の中の、たゆたうような世界に取り込まれると、まるで船酔いをしたかのようにボヤボヤとした体感を覚え、目がまわりだした。私は身体を支えることができずに片肘をつき、次に頭からうっ伏して、とうとう座っていたソファに天井を向いて倒れた。

 

パスポートやトラベラーズチェックといった貴重品を持っているのに、なぜにこんなところで無防備に寝てしまうのか・・おいおい私!!

そう思いつつもそこからたぶん10分くらいは意識混濁。混じりあう意識の中で、このソファは私のような人のためにあったのだと妙に納得したことを覚えている。

 

あの経験から私の絵を観る感覚は変わったのだと思う。

少し離れてボンヤリ観るようになった。そして自分の内部で起こってくる体感をみつめるようになった。

 

あえて言葉にするなら、響(ひび)きのようなものを察知するために耳をすます感じ。

 

そう、たぶん響き。。

 

たとえば境内の鐘がゴーンと厳かに鳴ったとする。

その音は大気を伝わって、定量化できない響きとなる。

リズムでもない、拍でもない音が、その響きを包みこむほどの間(マ)の中に拡散されて、私の身体の中にも振動となって届く、あの響き。

 

音楽でも(メロディのない単音であったとしても)、映像でも、言葉でも、音のない絵画でも文字でも、そのものが発する響きが伝わってはじめて、作品と自分との間に関係が生まれ、私の内部で何かが始まる。

 

こんな風に考えていると、ふと私の愛する鍼(ハリ)のことが頭に浮かんだ。

そうだった!鍼が持つ人体に与える独特の感覚は、響きとよばれるのだ。

鍼を身体に打つ。するとその打った所から関係のないように思えるような遠い場所、そんな場所に刺激を感知する、" 響く" としか言いようのない感覚。

さらにズーンとくる、あるいはジワッとするといった、鍼だけが伝えることのできる、ピンポイントを抑えながらも周りに拡がる、あの感覚のことだ。

 

鍼灸学校時代、クラスメイトが名人と噂された先生に質問したことがあった。

「鍼が上手くなるために最もすべきことは何ですか?」

その先生は答えた。「本物の芸術に触れなさい」

私はこの言葉が忘れられず、自らの治療所の名前をアーツと名づけたのだ。

 

鍼と芸術。

ともに響きとなって体感するという点において、

私の中でこの両者が繋がりあった。

 

(後記)

先日、ライアーという楽器を使って治療なさる方が、私の背中で音を奏でてくださいました。その時、弦が弾かれる音とともに振動となった響きは、私の体内の奥深くをめぐりました。

音や波動の治療効果も面白いなぁと思って、しまってあったチベタンボールを鳴らして空間に響かせたり、音叉やトーニングといった音を使っての治療方法を自分に試して遊んでいるうちに、モネの睡蓮を見た時の体感が蘇ってきたのです。

 

悲しいことにTVなどからは、1ミリも響かない政治家たちの言葉が聞こえてきます。

見事なまでに、およそ響かない。人との会話、コミュニケーションがこんなにも響き合わない世界に未来はあるのだろうかと思ってしまいます。

 

悲しいことであれ、嬉しいことであれ、その響きを感じてみたい。 

こう、私は思っているのですね。

 

我が人生に響きあれ!

 

私と同じように望む方がいたとして、まだ鍼を体験したことがないのであれば、鍼治療オススメしちゃいます。(あ、治療家は私じゃなくとも!)

  

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紅海に面するエリトリアの都市、マッサワにて撮影。 

(戦争の傷跡が色濃く残る都市、マッサワ。マッサワの凪(ナギ)のように穏やかな海と戦禍ですっかり荒れはてた街。廃墟に漂う寂寥と時が止まったかのような空気感が、当時の私に随分と響きました。)

 

 

 身体感覚についての参照記事

garaando.hatenablog.com

 

身体感覚についての参照記事 

garaando.hatenablog.com

 

 ハリについての参照記事

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 ハリについての参照記事

garaando.hatenablog.com

 

繋がりあう世界2 発酵と酵素

築93年を経た木造の我が家が、私の小樽での治療所である。さてこの家を掃除してみると、これがもう笑っちゃうほどに小さき生物達の足跡をたずねる旅になる。

いたるところに蜘蛛の巣あり!四隅はもちろんのこと、戸棚の表面にもうっすらと。ちょっと高みを見渡せば、手の届かぬところのソコカシコに。この作品を作ったであろう蜘蛛の姿はいっこうに見当たらぬ。一体何処へ?

わらじ虫達はどこから湧くのかわからないが、春の陽気に誘われて我先にという感じでこぞって水場にお出ましになる。臭いで存在を知らしめるカメムシ。彼らとは戦わずに友達になることにした。ああ、いるなと目視する程度の関係で。

ムカデ、クロアリ、ケムシ、ダンゴムシゲジゲジ。。そして蜂は時おり軒下に巣も作る。

どんなに掃除しようとも、ヤツらには敵わない。よかろう!好きにしてケロ!っと、私は匙を投げて、こう思う。

私は自分の所有物としてこの家に住んでいる気になってはいるが、果たしてここは誰のものなのだろう?彼ら小さき者達は、家賃も払わずにのうのうと住んでいるではないか。そして私は、あたかも彼らのシモベのようだ。窓をあけて風を通したり、食べカスを残したり、室温を調節したり。この家の主人は、実は彼らなのかもしれない。。

 

そんな風に考えてみれば、自分の身体も細菌や微生物達に場を提供する家であるとも言えるのではないか。

我が家のソコココに作られた蜘蛛の巣をとりのぞきながら思う。私の口腔も腸管も皮膚も見知らぬ者たちの痕跡がいたる所にあるのだろうと。預かり知らぬ者達、つまり微生物が、細菌が、今話題のウイルスたちが、ひしめき合って住みついているに違いないのだから。

 

今回は、微生物たちの働きが我らを助けてくれるということに焦点をあててみたい。

COVID-19にも効果ありとされている発酵食品を作り出す発酵とは?

そしてそこに含まれる酵素とは?

これらについて掘りさげてみたい。

  

さて、この発酵とは、酵素とは、一体どういうものなのだろう?

ズバリ!発酵とは、ある食品が微生物の力によって別の食品になること。

こうしてできあがった発酵食品には、酵素と呼ばれるタンパク質が含まれている。

酵素とは、細胞がエネルギーを作る、ホルモンを出す、生命活動に関する指令を伝達するといった活動において、さらに栄養の吸収・燃焼・排泄などの分野において、生化学的変化を促進する触媒(仲介役)の働きをするタンパク質なのだ。

ざっくり言ってしまえば、酵素とは仲介役として働くタンパク質のこと。

 

ここから酵素についての説明を少し。

1 酵素の種類

酵素には、消化酵素代謝酵素と呼ばれる2種類の体内で作られる酵素(体内酵素)と、食べ物から摂取する食物酵素(体外酵素)とがある。

⒈ 体内酵素

①消化酵素は、食べ物を消化するために必要とされる。デンプンにはアミラーゼ、タンパク質はペプシン、脂肪はリパーゼという酵素で消化されるように、食べ物を食べても消化酵素がなければ栄養として取り込めない。

代謝酵素には、呼吸・筋肉・細胞分裂、神経の伝達、体温や血圧の調整などをスムーズにさせる働きがある。何かを見ても、香りをかいでも、美味しいものを食べても、神経の伝達があってはじめて視覚に、嗅覚に、味覚に訴えることができるのだ。自律神経による内臓の働きも、筋肉の弛緩と収縮も、呼吸や血圧調整も、つまり生体に必要なあらゆる働きにこの酵素が関わっていると言ってもよい。

⒉ 体外酵素

食物酵素といわれ、ローフード(非加熱の食品や 生の野菜や果物)に含まれる消化酵素のこと。食物に元々備わっている酵素であり、食べるだけで人の酵素として取り込める。(例:早とりしたバナナやアボカドは、時間の経過とともに食べ頃になっていく。このように自然と熟し自ら消化する力が備わっている)

 

2 酵素の消費

体内で作られる酵素は消化と代謝に分配される。ゆえに消化に使われる酵素量が多くなれば代謝に配分される割合は減少する。少食にすると消化に使われるはずの酵素が少なくなり、その余剰分が代謝に回るので代謝があがるのだ。つまり若返る!あるいは消化を助けてくれる食物酵素を体外から取り入れれば、体内にある消化酵素の浪費が減って代謝力がアップ。代謝があがると、あらゆる生命活動に活力を与えることになる。

 

3 酵素の特徴

①  触媒の働きをする(注:触媒とは、仲介のこと)。

メシベとオシベとの間を行き交うミツバチが仲介して受粉し、種の存続が成り立つ。このミツバチのように、A + B = C の生化学変化の間(マ)を繋ぐ働きをする。

②およそ5000種類もあるといわれている酵素。そのひとつの酵素は、ある特定の仕事しかしない。ある鍵穴には特定の鍵だけがはまるというように。よって、たった一つの酵素が欠如するだけで病気にもなりうる。それゆえ、酵素ドリンクを作る場合、単体の材料で作るより複数の種類を含む方が、より酵素の力は充実する。

③熱に弱い。酵素が働くのに最適な温度は32℃〜40℃。多くの酵素は45℃を超えるとタンパク質が熱変性をおこし、触媒能力を失うとされる(例外もあり)。それゆえローフードは、食物酵素を壊さずに体内に取り入れることができるために注目されている(注:ローフードに凝ってる人の中には、冷えが体内に入っていて体質に合わない場合もあるので極端な食生活には要注意!)。

④多くの酵素(エンザイム)は補酵素コエンザイム)という有機化合物(ビタミン類とミネラル類)がないと働かない。またビタミン、ミネラルも酵素がないと働かないという相互依存関係がある。果物や野菜を材料にした手作り酵素ドリンクには、コエンザイムも豊富に含まれているのでオススメ。

⑤消耗品であるため、補充が必要。

 

つまり酵素とは、

人体の生命活動の間(マ)を繋ぐものであり、

活動のためのエネルギーを作り出す代謝を担っているのだ。

 

間(マ)を繋ぐものである酵素

四季折々の食物を材料にして、旬の酵素を作りながら、

 私はそこに、微生物から繋がっている自然界の循環する世界を見る。

 

<おまけ:日本が誇る 発酵食品>

生のカツオにカビ(微生物)が発生してできるカツオ節

ぬか漬け、梅干し、海苔、納豆、魚の干物、昆布、干し椎茸、

醤油、みりん、酢、日本酒、酵素玄米、味噌

海外ではワイン、ヨーグルト、チーズなど。

 

 (後記)

私は、手作り酵素を学びはじめてマル5年がすぎました。この5年間、ほとんど途切れることなく酵素を作り続け、今も教室に通って学んでいます。

正直こんなに作り続けるとは思っていなかった。微生物の世界は一体どうなっているのかという興味に誘われつつ、ただただ面白くて、その上美味しいので酵素を作り続けちゃいました。

外気温や室温といった温度管理はもちろんのこと、保存方法や時間の経過によって味がどんどん変化してしまう酵素。また同じ場所で同じ材料で一緒に作った仲間であっても、一人一人味が違う。

また何度も酵素を作っている場所で作ると美味しくできあがる。これはパンを酵母菌からおこして作るとか、味噌を手作りする場所にも当てはまります。家の中に酵母菌や麹菌が既に住みついていて、協力してくれるのだと。

こう言った微生物の世界は、土の中にもあって、自然界の成り立ちを支え、循環する生命を生み出しているのだと思います。

 

今の私たちの生活は、

一方で微生物の力を借りて作られる発酵食品を推奨し、酵素を体内に補充して健康を気遣う。

納豆がいいだの、ワインがいいだのと。

その一方で

巷には滅菌された、いつまでも腐らない加工食品があふれ、

我らの身体は、抗生物質によって胃や腸の細菌は撲滅され、

食生活においては、腸内細菌の繁殖に必要な繊維質の摂取は減少しています。

農薬や食品添加物の問題も真面目に議論すらされずに。。

チョイチョイとご都合主義で取り入れられる自然派志向 と アンドロイド的なまでに行き過ぎる潔癖志向。この振れ幅のあまりの大きさにいつも私は戸惑ってしまいますが、こういう割合の上に今の食文化は成り立っているのだと思います。

   

さらに残念なことに私の世代は、修復不能なまでに自然を壊してしまいました。

次世代の人たちのために私が何かできることがあるとすれば

自然界の一部としての身体を回復することのお手伝いだと思います。

 

そして私自身も、微生物たちの世界を感じることで、

生命とは何かという問いを考え続けていきたいなぁと思っています。

 

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 酵素ジュースの材料の一部。自宅にて撮影。

 

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勝手に陰陽論17  見方によって世界は変わる

ファンというのは、なんてありがたいのだろう。

患者さん達の話をきく度に、こう思ってきた。そしてその熱狂ブリは、いつも私を幸せにさせてくれる。

モータースポーツの F1世界選手権を欧州へ観にいくためだけに働いている気がする。

羽生結弦選手(ゆず君)を追っかけて海外への応援にもできるだけいく。

東方神起のコンサートでは、どしゃぶりの雨にずぶ濡れになり凍えながらも、同じ苦しみを分け合った忘れえぬ体験だ。

布施明のファンクラブに入っていて、長年アキラをこよなく愛してきた。たとえ森川由加里と結婚しようとも、その愛は変わらない。とかとか。。

 

先日も若手俳優のファンの方と、こんな会話になった。

「彼がTwitterで最近ウイスキーを好きになったとつぶやいたとたん、プレゼントが殺到した。画像でどんなウイスキーが贈られているのか調べてみると、なんと12万円もするのがあったのよ。」

「じゅ、じゅ、じゅうにまん?!そ、それは?」

サントリーの山崎ですよ、ヤ・マ・ザ・キ!」

 

12万のウイスキーをプレゼントかぁ。。しかもまたしてもヤマザキ

 

実は、私とヤマザキとの間には数十年前からの因縁がある・・と勝手に思っている。

 

皆さまは覚えていらっしゃるだろうか。

1990年代日本のバブルが崩壊した後の話だ。

テレビCMに流れた、心に染みわたらせるかのように男性の声で厳(おごそ)かに語られた、あの秀逸なコピー、

「何も足さない、何も引かない」を。

ちょうどその頃、私は自らの座右の銘を考えあぐねた末に決定したばかりだった。

「押してもダメなら引いてみな」に。

TVから流れくるCMで、そのキャッチーなコピーをはじめて聞いた時の私の気持ちは、今もはっきりと覚えている。

「強気だな、ヤマザキ・・」

 

押したり引いたりしている風見鳥のような私と、足しも引きもしない泰然自若なヤマザキ

その頃から私は、こそっとヤマザキの強気に注目していたのだ。

 

そして近年、東京と小樽との2拠点生活をしている私は、自らの不甲斐なさを痛感することが何度もあり、密かに我が座右の銘を変更しようかとさえ考えていた。

2拠点を往来する生活は、移動が多い。

移動時間中に、せっかく5時間も6時間もあるのだから、あの本読もう〜!

いやいやあの本ではなくて、こっちの本の気分かもしれない。文庫だからちょっこっと忍ばせて、これも入れておこう!だって、5、6時間もあるのだよ。

と毎度2、3冊の本を携帯し、キャリーケースにもいろいろな資料を詰めて、ずっしり重くなってしまった荷物を恨めしく思いながらも出発する。

なのに電車に揺られるや早々に眠りに落ちる。飛行機の中でこそ悠々と過ごせるに違いないと思っているのだが、読んでいた本が手からすり抜けるほどに爆睡してしまう。

結局、1冊の本も読めずに呆気なく目的地に到着する。

帰る時も、今度こそ5時間も6時間もあるのだよ!と思って、同じように2、3冊の本を携帯して荷物を担ぐ。行きは失敗したけど、帰りはきっとうまくやれるに違いない。

しかし。。またしても寝落ちして、いつしか目的地に到着している。

1ページたりとも目も通さなかった本やら資料やらを荷物から取り出す時の、あの気持ち。

ガックリきますよ、自分に。こんなはずじゃなかった。

いったい何度繰り返したことだろう。

自分を知らない自分に呆れはてて、押してもダメなら引いてみな!とばかり、1冊も携えずに出発したこともある。するとこういう時だけ、なぜかスッキリと頭は冴えわたり、手持ち無沙汰この上なし。なんて天邪鬼なのでしょうね・・。

そんなわけで、荷造りするたびに重い気持ちになる。

押すのか?引くのか?と迷う優柔不断な自分に・・。押しても引いてもダメなのかと弱気な自分に・・。

ああ!もっと決断力のある揺るぎない自分になりたい!

 

そんなわけで、

自己価値のある、迷いのない態度に実は憧れてもいたのだと気がついた。

そしてマウント感満載の態度をほこるヤマザキをググってみる。

するとヤマザキには、12万で驚くなかれ、24万、165万、220万、そしてな・な・なんと5700万のモノ(送料無料、木箱付き)があった。イチ・ジュウ・ヒャク・セン・マン・ジュウマン・・・と何度数えても、5700万。

いくらなんでも、どうなんだろう?? ウイスキー一本こっきり(700ml)に人生を丸ごと賭けるような、この値段。。

どう思われますか?みなさま!

ま、趣味人というかファンというかマニアとかいわれる人とっては、こだわるモノに対してはプライスレスになるのだね。でもこんなことを知ってしまったら、12万円のウイスキーがいきなり安く思えてきた。

安いじゃないか!12万!

 

ここに至り、相対の世界が見えてきた。

12万円のヤマザキは高いか?安いか?実はこの命題は成り立たない。

今の私にとっての、このウイスキーにかける12万円は、安いのか高いのか?となるのだ。

私のようなシモジモの者にとってはやっぱり高いが、帝国ホテルのバーなんかで毎晩飲んでいる方達にとっては安いのだろう。なんせ世界は広いのだ。

仮にそんな人が事業に失敗して借金まみれになったりしたら、12万のウイスキーなど高嶺の花となるかもしれない。

つまりヤマザキの12万円が安いか高いかは、その人の人生観により時期により状況により、その判断は変わるのだ。

 

またアメリカは西か東か?この命題も成り立たない。日本から見て東であるが、欧州から見て西だからである。

 

安価と高価、東と西、南と北、上と下、右と左、善と悪、吉と凶、さらには生と死でさえも

およそ二項対立する概念は、

それぞれを比較した上で分析することはできるが、一方だけを取り出すことはできない。

ある局面での分析が別の視点に立ってなされる時、

その二項対立する概念の意味は、反転してしまうことも多い。

 

この世は相対の世界。

どこに視点を置くかによって双極が入れ替わり、

見方によって世界が変わるのだ。

  

(ま、そうは言っても12万のヤマザキを一瞬安く感じた感覚は、正気に戻るとマタタクマに消え去りました・・。)

 

<陰陽論の解説>

古代中国思想の構成要素である陰陽論。これは陰陽という自然界の運動と変化をつかさどる基本原則であり、あらゆる日常の栄枯盛衰の自然摂理を説いている。

陰陽論というと、とかく陰と陽とに対立要素として分類することに重きが置かれている感じがする。しかし陰陽論には、その他にも重要な本質がいくつかあり、そのひとつが相対の世界を表現していることだ。

 

 陰陽論については、こちらを参照。

garaando.hatenablog.com

 

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(後記) 

今回は、身近なところの相対の世界を書いてみました。

実は私たちは、見方によって変化する不確かな世界に住んでいるのだと思います。

 

だからこそ、ファンの人たちが放つ

揺るぎない情熱に

その無償の愛に

好きという絶対的な確信に 

私は生への歓喜を感じるのだと思います。

ファンって、本当に素敵ですね!これからもその熱狂を応援していきたいです。

 

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小樽、 精霊たちのいる森にて撮影。

なお文中の会話については患者さんの了承を得て掲載。

  

 わが座右の銘については、こちらも。

garaando.hatenablog.com

 

 

 

勝手に陰陽論16  気 (キ)と 物(モノ)

私の好きなフレーズのひとつに「 気 動じて 物 生ず」というのがある。

気が動けば自ずから物が形づくられる、という意味だ。

 

今回はこの 気(キ)と 物(モノ)との関係を人体の五臓六腑の五臓に当てはめて、陰陽論で考えてみたい。

 

陰陽論についてはこちらを参照 

garaando.hatenablog.com

 

garaando.hatenablog.com

 

陰陽の視点で考えてみると、

気:キ は外へと拡散する動的エネルギーを有する陽であり、目に見えず、

物:モノ は内へと集約されて物質(実体)を形づくる陰であり、目に見える。

 

これを踏まえた上で、五臓六腑の五臓について考えてみる。

西洋医学でいうところの五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓)は実質臓器(広義のモノ)を指すのに対し、東洋医学では実質臓器に加えてその臓器による働き(広義のキ)を含む。よって西洋医学五臓には、臓の字がついているが、東洋医学のそれには肝・心・脾・肺・腎と臓の字がない。

腎を例に考えてみると、腎臓という実質臓器は目に見える形の実体(モノ)である。そして腎臓が持つ生命力を発動させるための働き(キ)には、成長、発育、生殖、老化といった分野がある。その働きゆえ、腎は、骨・歯・耳・生殖器といった器官とも関連が深い。

腎と東洋医学でいう時、これら腎にまつわる器官との関係性にも目を向ける。つまり、腎臓という臓器そのモノに加えて、関係器官を繋ぐ働きをも含む機能全般を網羅する。

腎 = 腎臓本体 (モノ)+ 腎にまつわるすべての働き(キ)となる。

実質臓器は実体(モノ)であり、目に見える陰。

その働きは 動的なエネルギー(キ)であり、目に見えない陽。

この陰と陽が合わさってはじめて生命活動が営まれる。

 

腎については、こちらを参照! 

garaando.hatenablog.com

 

気の医学 といわれる東洋医学において、五臓の捉え方においても気の重要性がみてとれる。

 

気動いて、物生ず。

目には見えないエネルギーが、モノを生む。

自然界における生命エネルギーが、物を、形を、実質臓器を作り、そしてそこに生命力が宿る。

 

意図や意識が何事においても重要なのは、それが現実を作ってしまうから。。

  

その一方で、キ(陽)がモノ(陰)より大事なわけではない。

物質、形といったモノがなければ、そのキ(エネルギー)を感じることができない。

私たちは、陰であるモノの力を借りなければ、その本質がわからない。

スィーツを食べてはじめて、その甘さを味わうことができる。

芸術作品を見ることによって、そこに宿る作者の情熱を感じることができるし、

感謝の気持ちも言葉によらなければ、伝わらないことも多い。

 

形あってはじめて、届くものがある。

  

また目には見えない技術もそれを表現するためには、道具や実体を必要とする。

スキーというスポーツもスキー板という道具がなければ、その楽しさは味わえない。

音楽においても楽曲があって、それを奏でる演奏家たちの技量がわかるのだ。

 

そこに気が動いて、モノが生じる。

そしてモノによってはじめて、目にはみえない世界が広がっていく。

 

陰と陽。

身体という乗り物と精神。

肉体と身体感覚。

言葉と意味。

芸術作品と才能。

これらが合わさって、さまざまな営みが生まれるのだ。 

 

この陰と陽との関係性に目を向けると、

気というエネルギーのありかが見えてくるのかもしれない。

 

 

(おまけ:五臓六腑における臓と腑との関係)

五臓の臓とは、字のとおり蔵するという意味合いの、貯める器。内側にためこむ陰。ここにはその臓器が持つポテンシャルが貯蔵されている。

六腑の腑とは、胃や腸に代表される中空の器官で、流し動かす器官である。外部へと押しだす陽。

内臓である五臓六腑も、陰陽の力が合わさって機能している。

 

(後記)

気(陽)とモノ(陰)との関係は、相反するものでありながら、コインの裏表のようなもの。どちらか一方が欠けても成り立たず、一方だけを取り出すことはできません。

このように考えてみると、気であれモノであれ、いずれか一方へのアプローチであっても全体に影響を与えます。

モノを整理することでエネルギーの流れを変える断捨離のようなモノから入る方法論 と

意図や意識を高めて現実を変えていくキから入る方法論。

どちらも真なり。。

 

色即是空、空即是色。

 

気とモノとの間に結ばれる関係性に気づいていくことは、

単なる方法論ではなく、真理の追求に繋がるのではないかと思っています。

 

 

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人形作家 石田節子氏の作品「桜花」。 自宅にて撮影